第39話 紋章

 翌日も、私は貴族学校で変わらない日常をすごす。


 王族に結婚を申し出たその翌日だが、何事もない日常。


 我ながら薄情だと思うのだが、レーヴェ王子も心得た様子で「政略結婚なら、少し考える時間をくれ」と答えてくれる。


 私は大貴族の娘。

 王家から見ても、レーゲンのお家の格は「悪くない」はずであり、それなりの婚約相手に違いない。


 まあ、私とレーヴェ王子の間に恋愛感情なんてないんだけど、それはそれ、これはこれだ。


 私には私の、そして私の提案に対してレーヴェ王子にはレーヴェ王子の思惑があるのである。

 私は既に、計画の内容をレーヴェ王子に説明して、少なからずその理解を得ている。


 ツェツィーリアに了解を取っていないのは問題だが、そもそも今回の行動は私が望み、私が抱える問題を解決するための一手である。


 ゆえに私の采配で問題はない。

 

 ツェツィーリアとジャックを呼び集めて、私はこう切り出した。


「婚約の話を伝えて、父ヨーゼフを王都に呼び出すわ。構わないわね?」


 私は偽装結婚の目的を伝えて、両名に問う。

 愛のない結婚というのはなかなか悲しい話だが、偽装なので問題はない。

 反乱を終えた後でチャラにすればいいのだ。


 私は当主のヨーゼフを王都に招待したいと思う。


 それによって反乱の瞬間にレーゲンの頭を抑えてやりたい。

 私は親不孝を誤魔化して「悪くないでしょ?」と、笑った。


「さすがというか……あなたは、つくづく突拍子もない話をしてくれるわね」


 ツェツィーリアが呆れていた。

 うなずくジャックも同じ気持ちのようだ。


「ずっと考えていたのよ。反乱となれば、レーゲンは王家に味方するでしょう。それを止める力は、今の私にはない。でも王家に味方したレーゲンは戦後苦しい立場に立たされる。それはレーゲン家の次期当主として、私が望むところではないわ。叶うなら、反乱の間だけでもレーゲンの戦力を無力化したい」


 私は腕組みして思案する。

 私が私の望みを果たすためには、レーゲン家の采配を担う当主の身柄を手中におさめてしまえばいい。


「なるほど、意思決定の要を拘束するのか。まさしく最小の労力で最大の成果だ」


 無感動なジャックが、私の計画を噛み砕いて説明してくれた。


「だけどその前に、ひとつお願いがあるの」


 私はツェツィーリアを見つめて言った。

 お願いはしょせんお願いであり、断られてしまえばそれまでなのだが、私は「切実なお願いよ」と付け加えた。


 ツェツィーリアは優雅に微笑む。


 なんなりとどうぞ、という表情だ。


「私にお父さまと話をさせてほしいのだわ。レーゲンの未来についての、その話を」


 ツェツィーリアは微笑みを崩さなかった。

 しかしその瞳は笑っていない。ジャックも同じだ。


 私は以前、父親を説得することはできないと伝えている。

 その前言を覆して、私はヨーゼフと交渉したいとお願いしているのだ。

 一貫性がないと非難されても文句は言えない。


「もちろん、私が交渉に失敗しても成功しても、反乱の間はお父さまを拘束すればいい。どちらに転んでも、あなたたちに損はさせないわよ」


 これはツェツィーリアの立場ではレーゲン家を無力化できる、絶好のチャンスだ。


「ふぅん……戦後にレーゲンの影響力を残しておきたいということかしら? 自在に強権を振るうかもしれない、私とシェーネス・ヴェッターへのカウンターとして」


 ツェツィーリアは、私の真意を見透かして一笑し、「よかろうなのだわ」とうなずいた。


「認めましょう。先の先を見越していいなら、ここでレーゲンを潰してしまうのも悪くないのだけどね。エレミア、他ならぬあなたが望むのなら、私はその意志を尊重するわ」


「ははは、どうも、どうも。その寛大すぎる心には、本当に感謝するわよ……」


 私はツェツィーリアと睨み合うように笑い合った。

 見ているジャックが気まずそうにしているので、私は対抗心をこらえて、自分からまぶたを伏せる。


 とはいえ、私が気に病む事情は、他にもあった。


「でもさあ、言って悪いんだけどね。今回の反乱、みんなは納得しないと思うのよ」


 藪から棒に、ツェツィーリアに伝えて、私は「あなたの理想はご立派だけどねえ」と肩をすくめた。

 今まで散々と私は彼女の後押しをしてきたが、私がツェツィーリアを理解するように、万人がツェツィーリアの思想に賛同するとは、どうしても思えない。


 それを不信のあらわれと受け取ったのか、ジャックが私を睨んだ。


 ……どう受け取ってくれてもいいけど、民の賛同を集められない革命ってありえないし。


 私は今更ながら「この国の教養、そんなに高くないでしょ?」という事実に行き着いた。

 

 改めて確認するまでもないだろう。

 ツェツィーリアが掲げる理想はこの時代、この文明レベルとしては、ありえないくらい先進的だ。

 妄想と揶揄して許される匙加減である。


「革命の大義名分……というか、みんなが納得する理屈がないのよね」


「ああ、確かにそれは僕も思う。明日の暮らしさえおぼつかない臣民にとって、ツェツィーリアの言葉は絵空事だ。僕やおまえはいくらか納得しているが、この国の誰もが、未来を憂えて生きているはずもない。象徴が必要だな。革命の正義たる象徴が」


 ……ホントに今更よね。何が悲しくて、こんな根本的な問題が無視されていたのか。


 私はツェツィーリアを見た。

 やはり、理想家には人の心が分からないのかもしれない。


「今はまあ、レーヴェ王子が味方にいるからさ。ギリギリで正統な王権を主張できるけどね。ツェツィーリア、あなた元々はどうするつもりだったの?」


 私は不思議に思って、ツェツィーリアに問うた。

 考え無しだったのは私も同じだが、問わずにはいられないだろう。

 かつて神童と呼ばれ、才媛と称えられるツェツィーリアも人の子だ。


 ツェツィーリアは「刃向かう者を全滅させるつもりだったわ」と、臆面もなく言った。


 私は頭が痛くなった。意外と言わず、やはりこいつは脳筋だわ。

 

 秀才にありがちな慢心というか、自分にできないことはないと思っているに違いない。

 心根庶民派の私としては、冗談も休み休み言えという気分だ。


「その点も含めて、お父さまと話をさせてもらえると助かるわ。八大貴族が協力して、現王政を打倒できるなら、それはこの上ない結末のはずだから」


 私は呆れる気持ちを抑えて伝えたが、ツェツィーリアは表情を変えない。

 ここに至って、彼女の立場ではレーゲン家の命運はどちらでもよさそうだった。


 私はジャックに流し目を向けて、理解を求める。

 彼はいくらか納得してくれたようだ。


 大義名分、すなわち革命の正義と象徴である。


 誰もがわかりやすく、納得する。

 そんな完全無欠の権威と言えば、この時代では、やはり王権か信仰以外にありえない。


 ……レーヴェ王子と。後は教会か。教会を味方につけられれば。あるいは口八丁……


 今は冬支度。

 私は雪解けまでの残り時間を数えて、複雑な気分で思った。


 ◆◆◆


 後日の話だ。


 私がいつものように中庭でお茶をしていると、レーヴェ王子がやってきた。


 ……逆プロポーズの回答を伝えに来てくれたのね。


 私がそわそわとたたずまいを正すと、レーヴェ王子は従者に命じて人払いをした。

 生徒たちの話し声と、雑音が遠ざかり、この場には静寂が落ちる。


 ……いやあ、緊張するわあ。王族に逆プロポーズしちゃったとか、私、すごいな。


 私は粛々とレーヴェ王子の発言を待つ。

 すると、レーヴェ王子はひとつため息をついた。


 彼が私に差し出したのは、色とりどりの宝石で彩られた王家の紋章だ。

 間違いなく超高価、ぶっちゃけ国宝、いや、それ以上に宗教的な価値を持つ紋章なのかもしれない。

 それが今、私の目の前で陽光を反射して光り輝いている。


 ……え? この庶民には手の届かなさそうなお宝を、私にどうしろとおっしゃる?


「エレミア、婚約の証としてキミに王家の紋章を託す。受け取ってくれ」


 ぽかーんと呆けていた私に対して、レーヴェ王子は微笑んだ。

 俗に言う甘いマスクね。


「むろん、偽装結婚だが、キミが父君をおびき出す際に役に立つだろう。遠慮なく使え」


 私はレーヴェ王子の気前の良さに感動した。


 おそらくは国宝を計略に用いろというのだ。


 ちょっと考えただけで、恐れ多すぎる気分が心を支配して、私は震える。

 しつこいようだが私は庶民派だし、紋章を受け取る時も、落とさないように恐る恐るの手つきだ。


「ひええ、本当によろしいんです? というか私がレーゲンの次期当主とは言っても、婚約に対して、ご両親の反対はなかったんですか?」


「俺は母の顔を知らないんだ。酒におぼれ、好色にふける父王は、自分の世継ぎが自分に似ているとわかって喜んでくれたよ。つくづく、おめでたい男だ」


 レーヴェ王子は平然と不敬をつぶやいて「万事に狂いはない」と教えてくれる。


 一応、周りを確認するが、もちろん誰も聞いていない。しかし聞くに恐ろしい話だ。


 ……レーヴェ王子も現王政を快く思ってはいない、と。その点では好都合ね。


 思考を巡らせると、手にした紋章も軽くなってきたようだ。

 悪くない気分だ。


「なら、仔細はお任せしますわ。私はさっそく、お父さまに手紙を書きますから」


 私の言葉に、レーヴェ王子がうなずく。

 彼とは、ヨーゼフを欺く口裏合わせが必要だ。


「エレミア、ツェツィーリアはレーゲンを潰すつもりかもしれないが、俺はキミにレーゲンを守ってほしいと思っている。有力貴族を反体制側として戦後に残す失敗は避けたい。国を割る前に、お父上を説得してくれ。この火種を消すためなら、俺も助力を惜しまない」


 レーヴェ王子は私をじっと見つめて、洒落っ気のない物言いで伝えた。

 彼には彼自身が描く未来の絵があるようだ。


 私はその言葉に強く共感して、うなずいた。


「ともあれ、こればかりはツェツィーリアのためでもあるが、な」


 レーヴェ王子が複雑な心境を隠さずため息をついた。

 私は一層強く共感する。


「おっしゃるとおりですわ……」


 私はレーヴェ王子の心労を察して、同じくため息をつく。


 ……なんだかんだで、私たちは似た者同士なのかもしれない。シンパシーを感じる。


 誰彼に角が立つので、おおっぴらにレーヴェ王子に肩入れするわけにもいかないが、彼が見ている未来の絵は、理想に殉ずるツェツィーリアと比較して、いくらか現実的である。


「しかし残念だな。時代が違えば、本当にキミを妃として迎えられたかもしれないんだが」


 レーヴェ王子は「ははは」と笑って、私にお世辞を伝えてくれた。


 彼はいつもひょうひょうとして、つかみどころのない人物だ。

 気取り屋のツェツィーリアとはまた別の意味で気難しい……しかし、私にはもったいない好青年よね。


 私は素敵な人の縁に感謝をささげた。

 私は本当に、恵まれているのだ。


 そして寒く長い冬が来る。

 軍靴の足音は、近い。

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