第38話 決断
秋が来る頃に、貴族街の空き家にて。
「レーヴェ王子の心はわかったわ。交渉ご苦労様、エレミア」
ツェツィーリアは私の労をねぎらって、うなずく。
彼女と語らうこの場にモーントシャイン仮面はいないが、しかし今、彼は私たちの味方だ。
レーヴェ王子は王家の内情に詳しい。
誰が王に不満を抱き、誰が厚遇されているか、ね。
「モーントシャイン仮面のおかげで、僕の仕事も楽になった。実に助かる」
冗談めかせるジャックも、まんざらではなさそうに言う。
王家の内部分裂さえ誘発させることができれば、こちらのものだ。
内部からかき乱し、最後には外側から武力で王都を包囲すればいい。
ほぼ戦わずして勝てるのだ。
兵も民も、そして王族でさえも血を見る苦労をせずに済むだろう。
水面下の綱渡りだったが、だからこそのハイリターンだ。
相応の立場にあるものが聡明な決断を下せば、物事はスムーズに進む。
「問題は、残りの八大貴族をどうするかよね。言っておくけど私には口説けないわよ」
私は最後に残った不安要素を伝えた。
形骸化したとはいえ、王家に忠誠を誓う八大貴族が持つ影響力は捨て置けないだろう。
「シェーネス・ヴェッターとシュトルム、そしてシュネーは同盟を結んでいます。ドンナーとヴィントシュティレは王家に寄らない中立。ベデックトは戦力外。ブリーゼは領民の不満と反乱騒ぎを抑えるのに手いっぱい……唯一、レーゲンだけが親国王派よ」
ひとつひとつ八大貴族の現状を伝えるツェツィーリアは、私を見て、悲しげに言った。
王家に味方する大貴族は、ひとつきりだ。
私は身内の話で頭が痛くなりながら、あまり考えたくなくて天井を仰いだ。
最後に残った新国王派の不安要素が、まさか私エレミアの実家とは、世の中は何事もままならないものである。
ツェツィーリアのようにお父さまを暗殺する度胸もなく、私は大いに困ってしまった。
「うーん、お父さまを……ヨーゼフを説得するのは、多分無理ね。ごめんなさい」
「僕もそう思う。ヨーゼフ殿は何事にも慎重を期す名君として名をはせている。若者の革命思想に理解を示して王家を裏切るほど、軽率な人物ではないだろう」
「ならば、ふたつにひとつね。レーゲンもろとも現王政を打倒するか。レーゲンの介入よりも早く、現王政を降伏させるか」
理想は後者だ。しかし、現実には前者の可能性も捨てきれないのが難しいところだ。
「長引けば、それだけ血が流れる、か」
「何を今更。まさか、エレミアがそのくらいの話をわかっていないとは思わないけど」
私のつぶやきを拾って、ツェツィーリアが気にしない風に肩をすくめた。
「もちろん、レーゲンを内輪揉めさせろとは言わないわ。あなたにも葛藤があるでしょう。だけど、あまり長くは待ってあげられない。この冬までに、対応を決めなさい」
ツェツィーリアは最大の譲歩を伝えてくれる。
語るまでもなく、それは甘くない話だったが私に考える時間を与えてくれるだけ、彼女は有情だ。
……まさか、レーゲン家が障害になるとはね。
私は天の巡り合わせに辟易した。
因果応報を信じるわけではないが複雑な気分である。
「魔女エレミア、僕はおまえの采配に期待している。だが、ひとりで気負うことはない」
去り際に、ジャックは私の迷いを察して励ましてくれる。
彼の態度も丸くなった。
……私って、ひょっとしなくても分不相応に背負い込みすぎなんじゃない?
私はのっぴきならない状況に対して、深くため息をついた。
◆◆◆
冬を目前に控えた、その日、私は大いに迷っていた。
ツェツィーリアの理想、レーヴェ王子の思惑、その橋渡しを担うジャックの諜報活動……なにもかもが複雑に絡み合っている。
誰かを立てれば誰かに角が立ち、この危うすぎるバランスを崩せば、それは致命的な失敗に繋がるはずだ。
私はツェツィーリアの理想に味方したが、それをどう実現するべきかわからなくなった。
というのも、レーヴェ王子がきな臭い。
彼の思惑はツェツィーリア以上に不明瞭である。
しかもそれでいて反乱の主役に食い込んでいるのだから、抜け目ないと言えよう。
加えてツェツィーリアの目的には、レーヴェ王子のソレとはズレがある。
彼女は理想のために傀儡の王を望むようだった。
その点でレーヴェ王子の本音がわからない。
「どうにもひとりでは良い案が浮かばなくて……ねえ、ヴォルフとフランツも、ちょっと付き合ってくれない?」
「はあ、エレミアお嬢さまが考えてもわからないような話を、俺やリーダーがどうこうできるとは思えませんが」
確かにフランツの言う通り、一介の兵卒に過ぎない彼らに話をしても仕方がない。
とはいえ、藁にもすがりたい気分だ。
この世界における私の人間的な優位は前世と地球由来の知識や見識だ。
つまりそれを逸脱している現状では、私個人は無力に等しいのだ。
「バランスがね、分からないのよ。ツェツィーリアが動けばレーヴェ王子が動く、レーヴェ王子が動けばツェツィーリアとジャックが動く、ジャックが動けば状況が動く。しかもそれぞれが統率する大勢の配下が、同じように動く……頭が痛いのだわ……」
「エレミア様は?」
そこでヴォルフが疑問符を浮かべた。
えっ、私? 私がなんだろうか?
「エレミア様は、どうしたいの? エレミア様はいつも、俺たちがどうするべきかを考えてくれるけど、エレミア様自身が本当にやりたいことを、俺は聞いたことがない」
ヴォルフは少し困ったように、私を見ていた。
……俺はどうすればいい? と私に尋ねるばかりだったヴォルフから、『どうしたい?』と反対に尋ねられるとは……意外ね。虚を突かれて驚いたわ。
私は唐突な質問に答えられず、腕組みをして考え込む。
どうしたい、か。
エレミアとしての経験だけではなく、前世の人生も振り返って、私は大いに悩んだ。
「私は、本当は特に何がしたいわけでもないのよ。ただ、その時その時で、これが一番だと思った選択肢を、選んでいるだけなのだわ」
私が「情けないわね、ごめんね」と苦く笑うと、しかしヴォルフは笑わなかった。
フランツも難しい顔をしている。
「私はツェツィーリアにも、レーヴェ王子にも及ばない。本当はふつうの女の子だもの」
私が弱音を吐くと、フランツがまぶたを伏せた。
私の采配に命を託す親衛隊の前で、こんな話をするべきではないんだろうと思うけどさ。
……それはそれとして、重圧に負けてばかりもいられないのよね。
「リーダーの言う通りですね。エレミアお嬢さまには、ご自分の『欲』が無い。根が善人なんだと思いますぜ。まあ、だからこそ、俺たちはあなたに命を預けるわけですが」
フランツはそんなふうに語り、ひとまず私のお悩み相談に乗ってくれる。
「たぶんですが、エレミアお嬢さまはご自分の価値を過小評価していらっしゃる。俺たちがどんなにあなたを持ち上げても、心の奥底では、それを冷めた目で否定していらっしゃるんでしょう。ですが、俺たちの想いは、お嬢さまのソレとは違うんですぜ」
私は顔を上げて、フランツを向かい合った。
フランツは笑うことをせず、真剣な心を隠さない。
どうしてそこまで真っすぐに私を認めてくれるのか、私にはわからなかった。
たぶん、フランツの言う通りなのだろう。
私と他人の間には認識のズレがある。
ソレは私の前世も含めて、私という個人に、ずっと付きまとう問題だ。
「不敬をお許しください……あんたすげえんだよ。貴族とか、平民とか奴隷とか、そんなんじゃなくて、この世界の誰にもできなかったことを、あんたはやってきたんだ。ツェツィーリア様が聡明で? 王子様が深謀遠慮? いや、俺はちっともそう思わないぜ」
これっぽっちも飾らない口調で、フランツは私を睨むようにして言い切った。
こればかりは過大な評価だろう。
前世の知識でズルをしていただけの私は心苦しくなる。
「俺が話を聞く限りで、ツェツィーリア様は誰も見たことのない場所に行こうとしている。王子様も考え得る限りで最善の選択をしているのかもしれない。だけどさ、エレミア様は、もっとずっと、訳が分かんねえくらい、途方もない場所に、『俺たち』を連れて行ってくれるって、俺はそう思う。だから、親衛隊の仲間も、あんたについてきているんだぜ」
お世辞にしても清々しくて、私は愉快な気分になった。
ここまで前向きに励ましてくれるのだから、なにか賞与を検討するべきかもしれない。
正直者は貴重だ。
私は何も答えず、紅茶を入れてフランツに差し出したが、彼は飲もうとしなかった。
私は構わずにお茶を飲んで一服したが、フランツの眼光は鈍らない。
……ありがたいけどね、やっぱり私はそこまで出来た人間じゃないわよ。
「ヴォルフも紅茶を飲む?」
「飲むよ。自分で用意する。ありがとう、エレミア様」
ヴォルフの答えは意外だった。
断られると思っていたのに、私の都合に合わせてくれたのかな?
「紅茶なんて、昔は飲めると思ってなかった」
ヴォルフはティーカップを手に持ち、戸惑う私を見た。
「俺は、もう十分すぎるくらい、自分の望みを叶えてもらったから」
ヴォルフは彼には珍しくおだやかな表情で微笑む。
こんな彼はあまり見たことが無い。
ヴォルフの隣では、フランツがなにやら得心のようすで口元をゆるめていた。
奴隷階級のヴォルフが紅茶を飲んで、貴族の私と語らう現状を、フランツは好意的に眺めている。
ふたりにはそれぞれ、私の知らない友情があるのだろう。
私は他人事ながら嬉しくなった。
「エレミア様は、どうしたい? エレミア様が望むなら、俺はなんだってやるよ」
ヴォルフがティーカップを置いて私に問うと、「そこは『俺たち』ですぜ」とフランツが訂正する。
それは忠義以上の言葉だった。
ここに至って自分自身を卑下するのは、卑怯者だろう。
私は我が身の正当な評価を考えて、しばらくの間、悶々とした。
「そうね。思えば、私は恵まれた人間なのだったわ。私はあなたたちの主人だものね」
私の言葉には、まだ不足があったようだが、構わない。
そのまま席を立って、私はひとりで退席する。
ヴォルフもフランツも私を追いかけることをしなかった。
私は私の価値を信じていない。
私にあるのは、前世の
だとしても、彼らが信じる偶像を、私はまだ、諦めるわけにはいかなかった。
◆◆◆
「可憐なキミは、いつもさびしそうな目をしているな」
昼間、いつものように中庭でお茶をしていると、レーヴェ王子が話しかけてきた。
意味が分からず首をかしげると、レーヴェ王子は「しかし、嫌いじゃない」と言って同席した。
「魔女エレミア、言って悪いが、俺の目線でキミはふつうの女の子だと思うよ。過ぎた責任を担うのが、本当に辛そうに見える。なにか、俺に手伝えることはないかな?」
レーヴェ王子は弱った心を誘惑するように、私に問うた。
どこまでが本心なのか、彼はあわれむように私を見ている。
「ええ、少し考えていたんです。自分が何をしたいのか……でも今は、私を支えてくれる友達のおかげで、その答えが見つかったような気がします」
筋骨隆々のイケメンはこの上なく魅力的だが、弱った心を他人に明け渡すのは阿呆だけである。
私はレーヴェ王子の眼差しを見返して、ニヤリとした。
「ちょうどよかった。ご相談があるんです。モーントシャイン仮面ではなく、レーヴェ王子にご相談が」
「聞こうか」
背信の王子が、好ましく口元をゆがめた。
……分不相応か。わかっちゃいるけど、立ち止まるわけにはいかないのよね。
私は変わりゆく自らの心を愉快に思いながら、無謀な計画を打ち明けた。
すなわち。
「私と結婚しませんか?」
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