第37話 モーントシャイン仮面

 私は当面の計画として、レーヴェ王子を味方に引き入れる皮算用を立てた。


 というのも現国王との対決は避けられないとして、しかし次代の王国を担うレーヴェ王子を懐柔できれば、兵や臣民の犠牲を減らせると思ったからである。


 ……理想は江戸の無血開城なんだけど、さすがにそこまではうまくいかないだろう。


 せいぜい、王家の内部分裂を誘発して敵の戦力を削ぐのが限界かな。

 どの道、レーヴェ王子が首を縦に振ってくれなければ、私の皮算用はご破算だ。


 無血、と言わずとも、反乱をできるだけ穏便に終わらせたいのには理由がある。


 ひとつは、武力による反乱――力づくで王権を奪取してもその後が続かないからだ。

 誰も彼もバカではないのだから、「今日から私が王様だ!」なんて無茶が通じるはずはないのだ。

 大義なく、権威もなく打ち立てた封建制度なんて蛮族の掟未満だろう。


 もうひとつは、国力の問題だ。

 現状でモーントシャイン王国は衰退期である。

 王国としての体裁は保っているが、周辺諸国と比較すれば旧態依然に違いない。

 反乱の過程で、ただでさえ低迷している国が損耗すれば、それだけで他国との交流で不利益になるはずだ。


 先のことは、どれだけ考えても足りないのである。

 ツェツィーリアが過激派に身をやつした理由が少しだけわかった。

「国が持たん時が来ているのだ! 国が!」って話よね。


 そしてやはり『王政』の維持には、正統な後継者が必要だ。

 言わずもがなレーヴェ王子である。

 軍略で中央集権国家を打ち立てるのではなく、破綻を前提に貴族議会を創設するのでもなく、聡明な誰かに天下餅を託すのでもない。


 元ある権威を正しく復活させるのだ。

 レーヴェ王子はそれができる器だと、私は見ている。


 一代限りの緊急避難だ。

 もちろんのこと、緊急避難をいつまでも続けるわけにはいかないだろう。

 復活させた王権の下で、国力の回復を重視して、急進的な政策を推し進めることが私とツェツィーリアの目的だ。


 うーん、戦国ネタから江戸時代をぶっ飛ばして明治維新みたいになってきたわね……


 まあ、よかろうなのだわ。

 時代が進んで悪いことはないはずだ。

 とはいえ、急進的な思想というのは出る杭打たれるのが常である。


 この手のインチキをするからには、相応の先見を持たなければ、既得権益との衝突で血を見るハメになるはずだ。


「というわけで、お覚悟の方、いかがですか? レーヴェ王子?」


 月明かりの下、誰もいない庭園で、私は意中の人と向かい合った。


「エレミア嬢……キミがツェツィーリアの側についた。という事情は分かった。俺の命が風前の灯だ、という切実な現状もな」


 レーヴェ王子が、月明かりの下で憂えるような表情を隠す。


「ははは、しかしリスクを負うじゃないか! 俺は王族で、キミたちは王家に刃向かう賊軍だ。この俺を神輿にかつぐのだとして、それを俺が断ればどうする? おまえたちは一巻の終わりだぞ?」


 私は相手の表情を見ないまま、暗闇の中で、ニコリと笑い返した。


「どの道、あなたはツェツィーリアの動向を把握しているんでしょう? 同じことですよ」


「いやはや、俺もまったくその通りだと思うが。堂々と言える感性には敬服するな」


 レーヴェ王子は反乱に関する情報をどこからか得ている……すべては予定調和なのだろう。


 王家に背くということは、それ自体が既得権益を敵にする判断に違いない。

 甘い蜜をすすろうという不徳の輩がいれば、情報漏洩はいくらでもありえる話だ。


「しかし、ツェツィーリアも立場は同じです。彼女はそもそも他人を信用していないから」


「そうだな。二重スパイの可能性もある。誰をどこまで信用するかは、俺も難しく思う」


 予定調和なのはお互いさまだと、私がありふれた可能性を提示すると、レーヴェ王子は否定することなく、五里霧中の現状を認めた。


「私が思うに、あなたたちは『敵』ではないはずです。ツェツィーリアもあなたも、民を想う気持ちに偽りはないはずです。そのあなたたちが潰し合って、誰が得をしますか?」


 私が分かりきった問いを投げると、レーヴェ王子は腕組みをして空を見上げた。

 倫理的にも、心理的にも答えは出ているに決まっているが、彼には立場の問題があるのだ……この時の私は、そう思っていた。


 結論を言えば、レーヴェ王子は私を信用してくれなかった。

 魔女と呼ばれているくらいにしか取り柄のない小娘の甘言に、心動かされるほど、彼は愚昧ではないらしい。


 しかし一方で、彼は自らの判断で、私とツェツィーリアを破滅させることもしない。

 昼間は相も変わらず立場対等な貴族学校の生徒として、私に接してくれる。

 レーヴェ王子は、二重スパイの脅威……特に王家の側に情報が伝わるリスクを恐れているようだ。


 何も知らないフリをしておくのが、この場は最善という判断なのかな。

 彼は幼いころから、王家の権力闘争に身を置いてきたはずであり、そういった事情に関しては、私よりもよほどさとい。


 私はひとまずレーヴェ王子を信じることにした。


「で? 結局、二重スパイってどこの誰なのよ? ジャック?」


 貴族街に出かけた時に、私はジャックに尋ねた。


 諜報を担うシュトルム家の次期当主は、私なんかよりよほど達観した面持ちで、ぶしつけな質問にも表情一つ変えない。


「魔女エレミア。おまえのその、バカで直球なジョークセンスは嫌いじゃない……今は泳がせている、とだけ言っておこうか。これはツェツィーリアも承知の話だ」


 つまり特定はされているのか、と私はうなずいた。

 知らないのは私だけなのだろう。


「バカでごめんねえ。だけどあんまり情報が筒抜けだと、動きにくいからさあ……」


 つい本音が出た。

 どこの誰かは知らないが、見えない脅威はなんとも不気味に思う。


「知る必要はない。大きな絵を描くのはツェツィーリアの役目だ。おまえはレーヴェ王子の懐柔にだけ、心を砕いていればいい。魔女は魔女らしく……いや、どうするべきかな」


 ジャックは一度息をつき、言葉を仕切り直した。

 彼も先行きの見えない戦いに辟易しているらしい。


「ツェツィーリアはおまえに賭けている。俺もおまえの手練手管に賭けるべきか……どうする? 事実を知った上で、確実に王子を味方に引き入れる算段がつくか?」


 私は少し迷った。

 正直に言えば即断即決は難しい……しかし、ジャックが単なる気まぐれで情報を開示してくれるとは思えない。

 私は今、試されているのだ。


 ……二重スパイを、確実に味方につけろ。さもなくば触れるなって話かな。


 私はじっと、ジャックの両目を見つめ返して、その無表情の真意を探る。


「ふっ、悪かったな。今のは冗談――」


 時間切れタイムアップの瞬間を見計らって、私は答えた。


「察しはついているわよ。王家の事情に精通して、ツェツィーリアの思想に理解を示し、またどちらに味方しても不審ではない、そんな人間は限られているもの」


「……そういうことだ。そこまでわかっているなら、おまえはおまえの役目を果たせ」


 ジャックは私の回答を否定しなかった、それが回答なのだと、私にはわかる。


「ジャック、あなたも心しなさい。レーヴェ王子は、必ずツェツィーリアの上を行くわよ」


 私たちはそれぞれの目的を果たすべく、道分かれる。

 レーヴェ王子は聞かなかったことにしてくれた。

 おそらくはそれが彼の迷いなのだろう。


 ◆◆◆


 夜分、私は今日も、月明りの下でお茶を飲んでいる。

 我ながらとても優雅だ。

 今日の私は淑女のかっこうではなく、演劇で身に着けるような仮面を被っている。


 私は夜闇の学芸会に招いた客人を、両手を広げて歓迎した。


「私の世界にようこそ! レーヴェ王子!」


「ああ、キミは可憐だ。花冠が実に似合う淑女だろうと、俺は常々思っていた」


「耳が痛いですけど、まあ、二心有りと解釈してくださいよ」


 お客人のレーヴェ王子は皮肉で私を小馬鹿にしてくれたが、それは仕方ない。

 この度、私は伊達や酔狂でこの格好をしているので、文句は言えないのだ。


 私なりの演出である。


「考えてはいたんです。ふたりにひとり。二心を抱くとすれば、たったふたりに絞られる」


 私が仮面を取って笑うと、レーヴェ王子は肩をすくめて、私の手から仮面を奪った。


 彼はすっかり慣れような手つきで、仮面を身に着け、小粋に私の真似をしてくれる。


「なるほど、つまりこういうことかな? 国家の諜報を担うジャック少年が、哀れなツェツィーリアを裏切っているかもしれない。しかしそれとも、もっとわかりやすく、絵になる裏切り者がいるのかもしれない。ふたりにひとりなら、キミの結論を聞かせてくれよ」


 仮面を身に着けたレーヴェ王子は、いつもの優しい物言いではなく、皮肉めかせた演出過剰で私に顔を寄せた。

 ははは、近い、近い。パーソナルスペースを意識しなくて許されるのは、イケメンの特権よね。


 ここで退くのは格好悪い気がしたので、私は仮面に自分の額をくっつけてさしあげた。


「ツェツィーリアを『使って』いるのは、あなたですよね? あてずっぽうなんですけど」


 私が笑って問うと、レーヴェ王子は吐息がかかる距離で、同じく愉快そうに笑った。

 その瞳だけが、どこまでも深く澄んで笑っていないのは、やはり当然だろう。


「仮面はいい。仮面は人の心を自由にしてくれる。誤解しないでほしいんだが、俺は二心なんて抱いていないさ。俺はな。最初から、愚かな国王父親ではなく、ツェツィーリアを勝たせてやるつもりだ。どう考えても、あいつの方が魅力的だろう?」


 レーヴェ王子は臆面もなく不敬を言って、私から距離を置いた。

 この不遜が、彼の本性に違いない。


 美しい月夜と、世の暗闇に、実に映える人物だ。


「まあ、聞けよ、魔女エレミア。キミの役目は、哀れなツェツィーリアの強権から俺の身を守り、また国家と臣民の未来を守ることだ。それだけを誓ってくれるなら、俺は俺になりに仮面を被って助力しよう。ちょうど、こんな風に、な」


 私が息をのむと、レーヴェ王子は私から奪った仮面を、おもしろおかしく小突いた。


「さしずめ……そうだな、俺のことはモーントシャイン仮面とでも呼んでもらおうか」


 モーントシャイン仮面、つまり月光……うっ、頭が……


「俺は、ツェツィーリアほど愚かでもなければ、アレにまさる善人でもないんでな。くだらない反乱騒ぎに巻き込まれて、死にたくはない。それだけ、庶民派な俺の心をわかってくれるかな? 魔女のお嬢さん?」


 モーントシャイン仮面の微笑みに対して、私は極上の苦笑いで応じた。



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