第36話 時代のはじまり
私はまぶたを閉じて、ツェツィーリアの対応を待った。
王家に背く準備を進めている彼女に対して、私は協力できないと伝えたのだ。
むろん、多少親しいお友達だからと見逃してもらえる理屈はなく、シュトルム家への体裁もある以上、この場で謀殺されても文句は言えない。
この場には、私とツェツィーリアとジャックの3人だけ。
何が起きても闇から闇への状況である。
私は哀れで無力な子羊だ。
「なるほど。やはり、あなたは私にかしづくような人間ではないのね」
私が地獄のお沙汰を待っていると、ツェツィーリアはどこか寂しそうにつぶやいた。
ツェツィーリアは私の翻意を期待してか、こんなことを言う。
「どうしても、私の計画には協力してもらえないのかしら?」
「ええ、私はあなたの友達だからね」
「そう……都合のいいお世辞を言うのは、確かに友達ではないわね」
ツェツィーリアがため息をつく。
再三に渡って確認をしてくれるのは、それが今生の別れだからなのかもしれない。
ひょっとしたら彼女の側にも、私に対する友情の意識が少しはあったのかもね。
「なら、私も、あなたの友情に報いましょう。私の本当の目的をお話するわ」
と、ツェツィーリアは神妙な物言いで切り出す。
私は驚いて、まぶたを開いた。
「私はね。世界が見たいのよ。この閉じた王国ではない。どこまでも広がる、世界が」
ツェツィーリアの言葉に対して、ジャックはやるせなく肩をすくめた。
「キミらしくないな。理屈でなく、理想で他人を動かそうとは、つまらない」
「そうね。だけど理屈で語るなら、私よりもきっとエレミアの方が正しいのだわ。だから、ここから先は、私にできる、せめてもの……そして、切実なお願いね」
んん? なにやらおかしな展開になってきた。
しかし、私の立場では何を答えることもできず、ひとまず「どゆこと?」と聞き手に徹する。
私が話を聞く気になったとわかって、ツェツィーリアは穏やかに微笑んだ。
「エレミア、あなたは北の大地に何があるか知っている? 西には? 東には? そして南には……ああ、南には異民族の国家があるわね。そのはずだわ」
ツェツィーリアは陰謀屋とは違う年相応の笑みを浮かべていた。
その瞳は穏やかである。
「北? 北って、シュネー家の更に北側ってこと? 雪が降ってるんじゃないの? 山脈があって……ええと、西には荒野があって、東には……なんだっけ?」
私は対応に困る。
王国内の事情はなんとなくわかるのだが、王国外の事情は書物にも記されておらず、私の立場では知り得ないのだった。
そもそも情報が無いのである。
ツェツィーリアはそんな私を愉快そうに見つめて、チッチと人差し指を振った。
「北には寒冷な大地に根付く、人々の共同体があるのよ。厳しい雪原を生き抜く人々の暮らしは、たくましく、とても魅力的なの」
続けて、ツェツィーリアは太陽が沈む、西の方角を示す。
「西には『砂漠』と呼ばれる砂の大地があるわ。燃えるような陽射しの中で、しかしそこでは大勢の人々が暮らし、独自の文化を育んでいる。そして……」
「そして東には『海』と呼ばれる途方もない湖がある。果ても見えない塩水の湖だ」
ツェツィーリアの説明を引き継ぐジャックの表情はどこか明るい。
雪原に砂漠に海にと、私は地球由来で聞き覚えのあるフレーズに対して目を丸くした。
「ねえ、エレミア、おわかりになって? この世界はもっとずっと広いのよ」
ツェツィーリアは私を諭すように語りかけてきたが、それは悪辣な陰謀屋の物言いとは違う。
夢見る子どもだ。
ツェツィーリアはおそらく初めて、私に胸の内を打ち明けてくれている。
しかし、彼女は胸を痛めるように言った。
「でも、民は何も知らない。この古錆びた王国を天国だと信じて、タダ飯ぐらいの貴族のために、生きて死ぬ。ねえ、エレミア、あなたはそれが間違っているとは思わないの?」
ツェツィーリアの訴えに対して、私はうつむくことしかできなかった。
多少なりと内政に心を砕いてわかったような気分になっていた私には、返す言葉が無かった。
当たり前だが、この世界にはモーントシャイン王国だけがあるわけではないのだろう。
もっと大勢の思惑があり、見果てぬ地平が広がっているのだ。
「私は、嫌」
それが何も飾らないツェツィーリアの答え。
「……そっか。それが、あなたが描きたい未来なのね」
うつむいていた私は、少しだけ晴れやかな気分になって、口元をゆるめた。
ツェツィーリアが手を染めた悪行は、決して褒められた話ではないが、それもいい。
「鳴かぬなら、どうしてくれる、ホトトギス」
この世界にホトトギスがいるのかは知らないけれど、私は内心で愉快に思った。
『織田がつき、羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川』
江戸幕府を開いた徳川家は鎖国によって長らくの繁栄を手にしたけれど、それは変化を拒んで未来を閉ざす行いでもある。
しかし、話を聞く限りでツェツィーリアの望みは鎖国とは真逆の発想だとわかる。
……私の知らない、未来か。それもそうか。ここは地球じゃないもんね。
私は顔を上げて前を見た。
凡人の私には想像もつかないけれど、それは可能性に溢れた未来なのだろう。
私がツェツィーリアと向き合うと、彼女は瞳を見返してくれた。
彼女はもう笑わない。
「ひとつ、聞かせてほしいんだけど」
私はツェツィーリアを真っすぐに見つめて、尋ねた。
ジャックも今は神妙な雰囲気を察してくれたようで、ひとまず聞き手に回ってくれた。
見果てぬ世界に対して、彼女が真に望むものはなんだろう。
侵略戦争か、自由貿易か。
「……ねえ、ツェツィーリア。あなたは戦争がしたいの? それとも人が行き交う、そんな未来を勝ち取りたい?」
私が問うと、ツェツィーリアは考えるまでもなさそうに、半笑って肩をすくめた。
……モーントシャイン王国に、他国と戦争をするような余力はないってことかな。
ジャックが「負け戦でいいなら、いくらでも戦争はできる」とため息をつくと、ツェツィーリアは破顔して、私も「そりゃそうだ」と苦笑いで納得した。
「エレミア、私が望むのは民の自立よ。それで答えになるかしら?」
ツェツィーリアの回答に対して、私は大いにうなずいた。
彼女が進む覇道は決まっているらしい。
「奇遇ね、私も領民の自治を進めたいと思っていたの。本当は、もっとゆっくり、やりたかったんだけどね……」
お気楽な私とは違い、ツェツィーリアは超過激派なのだった。
長い目で見るか、短期的に結果を出すか……思い出せば、いつぞやのヨーゼフとの話し合いでも、私は似たようなことを考えていたような気がする。
「はあ、負けるわ……あなたの理想は、きっと本当は私の理想でもあるのよね」
かつてヨーゼフの怠慢を責めた私が、ここでごねるのはダブルスタンダードだろう。
私はため息をついて、自分から、ツェツィーリアに右手を差し出した。
「私、レーゲンの魔女は、あなたの理想に賛同します。せいぜい、上手く使ってよね」
私は、嬉しそうに表情を輝かせるツェツィーリアと、背徳の握手を交わす。
……レーヴェ王子には悪いことをしたなあ。と思いつつ。
それでも私は、あるべき歴史とは違う、まだ見ぬ未来を知りたいと思った。
よくよく考えてみれば、日本の戦国時代の顛末がすべてのモデルケースであるはずもない。
温故知新は大切だが、未来を切り開くのは、いつだって未踏をおそれない開拓者だ。
魔女らしく、裏方仕事も悪くないかと思って、私はジャックに流し目を向けた。
◆◆◆
寮に帰るや否や、私は親衛隊の連中を呼び出した。
「かくかくしかじか! というわけで、この度、エレミア党はツェツィーリアに味方することにしました!」
「「「「「ええ……」」」」」
散々と私を心配してくれていたはずの親衛隊のみなさんが、微妙な反応をした。
特にフランツは半笑いを通り越して苦笑いを隠そうともせず、これみよがしに頭を抱えていた。
私の言葉を真に受ければ、それはとりもなおさず王家に対する反逆である。
次期当主とはいえ、自由にできる戦力があるはずもなく、私は無力だ。
ヴォルフと親衛隊が私のすべてである!
「そ、総大将。それはいくらなんでも……」
弱気に流れた親衛隊のひとりに対して、私はすかさず「叙勲するから」と告げた。
ここで人心を掌握できなければ、私の思惑はご破算だ。
しかし、私はなんだかんだと同じ釜の飯を食ってきた親衛隊のみんなを信頼している。
私は私の配下が誇らしい。
なので、私は鉄の剣を一本持って、親衛隊を整列させる。
今の気分は女王陛下だ。
なにが始まるのか分かっていない様子のみなさんを、私はひとりずつ跪かせる。
そして、ひとりひとり、私は手にした鉄の剣で、親衛隊の肩を叩いた。
騎士の叙勲式である。私も前世の知識のうろおぼえだから、超適当なんだけどさあ。
叙勲式ってこんな感じよね?
うん、そういうことにします。エレミアオリジナルです。
親衛隊のみなさんは、唐突な出世に対して、ポカンと困惑している。
当然、これで彼らは騎士となり、名実ともに私の親衛隊になったわけである。
いかなる時も私と共にあり、この私と名誉と栄光を共有する、一蓮托生の存在だ。
私がどや顔で親衛隊の前を歩き、「私の騎士になった気分はいかが?」と問うと、気の利くフランツが「よくわかりませんが、とにかく光栄です」とやけっぱちに笑った。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保ならなんとやら、だ。
奴隷階級のヴォルフを騎士叙勲することは、せずにおく。
とはいえ、もとより彼は私の右腕で、親衛隊を束ねるリーダーの立場だ。
いずれはふさわしい役職を約束したい。
まさしく旅は道連れの心境で、私は親衛隊10名に対して、今後の予定を打ち明ける。
情報漏洩を危惧しないでもないが、その点は私の指導者としての腕の見せ所だ。
たった10名親衛隊に背中を刺されるなら、最初から私に未来はないのだ。
「私は、レーヴェ王子を味方につけようと思います」
だから、開口一番に私は自らの計画を、包み隠さず開示した。
ちなみにこの案は、シュトルム家を通しているが、厳密にはツェツィーリアの了解を取っていない。いわゆる私の独断、というやつである。
「あなたたち親衛隊には、シュトルム家と連携して、各所の情報伝達を担当してもらいます。むろん、すべてが機密事項です。私は、私の騎士に、この命を預けましょう」
私が硬い声で告げると、親衛隊の連中はたのもしく表情を引き締めた。
時に情報とは扱う人間の命よりも重い、彼らの手腕に私が命を預ける理由を察してくれたようだ。
元は村の自警団が諜報活動を担うとは、まさに登り竜の勢いだろう。
親衛隊は私の無茶ぶりにも毅然とこたえてくれる。
彼らは今や私の命運そのものである。最高の気分だ。
ならばこそ、私も彼らの意気込みに応えなければならないはずだ。
かつて反乱傭兵と対峙した時と同じ……いや、それ以上の心持ちで、私は彼らの忠誠に応じる。
私は静かに、そしておごそかに告げる。
「よく聞きなさい。王国の興亡、民の未来、それはあなたたちの双肩にかかっています」
私は整列した親衛隊、そのひとりひとりの顔を見つめる。
人ひとりの身には重すぎる責任に対して、しかし居合わせる誰もが臆することをしなかった。
「しかし、わかっていますね。あなたたちには私がいます。私にはあなたたちがいます」
私が一蓮托生の運命を語ると、私の騎士たちは誇らしい笑みを浮かべた。
「――エレミア様、俺たちは、どうすればいい?」
答えが決まり切ったヴォルフの問いに対して、私はうなずく。
彼らはもはや獣ではない。
私と生と死を共にする名誉ある騎士なのだ。
「そうね! 人の世に栄光を!」
気取った私の、気取った美辞麗句に合わせて、騎士たちがうなずく。
かくして、世に背く、魔女エレミアの戦いが始まった。
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