第35話 ひとり

「ホントに行くんですかい? エレミアお嬢さま?」


 身支度をしている私に対して、親衛隊のフランツが心配そうに言う。


 今日、私はツェツィーリアのお誘いに応じるのだ。

 普段の楽しいお茶会とは違い、シュトルム家を通した秘密裏の会合だ。

 手紙の文面からも、扱うのがおもしろい話題ではないと察せられる。


 親衛隊の面々は皆、護衛としてついていくと言ったが、それは私が断った。


 ……ないとは思うが、彼らには、万が一の備えをしてもらわなければならない。


「へーき、へーき。私は友達を信じます。まあ、もしもの時は、手筈通りによろしくね」


 私は軽い調子でフランツとすれ違った。


 フランツは苦笑いをしていた。


 思えば、親衛隊も頼もしくなったものだ。


 素人同然の、素人に毛が生えた程度の村の自警団出身者。

 それが大貴族の跡取りであるエレミアの親衛隊として、出世頭に名を連ねているのだから、世の中わからないものだ。


 もちろん、私は親衛隊だけではなくヴォルフの付き添いも断った。

 内緒話をしたいツェツィーリアへの配慮だ。

 話を聞く者は少ない方が、相手方もやりやすいだろう。

 

 ヴォルフ曰く、「エレミア様がそう言うなら、いいよ」とのこと。

 フランツも「リーダーがそう言うなら、俺は止めませんが」とのことだ。


 親衛隊の面々は戦場で先頭に立つヴォルフを尊敬している。

 実はヴォルフの発言力は私に次いで大きい。


 誰もが不安そうにしているが、そこでヴォルフが私の意を汲んでくれたのは助かった。


 ヴォルフも私と同じで15だ。

 どこまで大きくなるのかと思ったが、結局、身長は2メートルには届かないくらいで落ち着いたらしい。

 横幅も邪魔にならない程度に鍛えられていた。

 筋骨隆々なレーヴェ王子と比較すると、ヴォルフの筋肉はしなやかな印象だ……レーヴェ王子がボディビルダーなら、ヴォルフは天然の豹って感じね。

 狼なのに豹って表現もおかしいけどさ。


 私は頼もしい仲間に守られているのだ。


 しかし今日、貴族学校を訪れてから初めて、私はひとりで王都の街に繰り出す。


 厳密には、盗賊の討伐などで貴族学校の外を出歩く機会はあったのだが、今回はお忍びだ。

 ツェツィーリアの真意はよくわからないが、彼女の思惑は想像がつく。ツェツィーリアはきっと私を『味方』に引き入れたいのだ。

 学友の友情ではなくて、おそらくはもっと切実な関係である。


 レーゲンとシェーネス・ヴェッターの同盟とも違うのかもしれない。

 ツェツィーリアはおそらく、モーントシャイン王国そのものを、好ましく思っていないのだ。


 ツェツィーリアの友人として彼女と交流を深めた私は、泥沼に片足を突っ込んでいた。

 もっと友達を選んで、他に人畜無害な連中と交流を深めていれば、こんな状況にはならなかったのだろうが……今さら言っても、仕方のない話だろう。

 私は気紛れに笑った。


 レーヴェ王子も、近頃はさすがに、周囲を気にしているような素振りだった。


 なにもかもが、私の知らないところで変わりつつあるのだろう。


 そして、私は自らの蒙昧をよしとしない。

 私は、泥沼に踏み入ることを決めた。


 ◆◆◆


 王都の貴族街。うらさびれた空き家の一室で。


「エレミア、私のお父さまが……シェーネス・ヴェッターの当主が病で亡くなったの。なぐさめてくださる?」


 開口一番、ツェツィーリアは私の表情をうかがう。

 身内の不幸から話題をはじめてくれるとは相変わらず食えないやつだわ。

 かつて見た不器用な父親の背中を、私は思い出す。


「悲しいわね。胸中お察しします。それにしても、あなたのお父さまが……ルーカス様が病だったなんて、初耳ね。お薬は効かなかったのかしら? まだまだ、お若くて元気なお父さまだと思っていたのに、世の無常は残酷ね……そうね。月並みだけど、お悔やみ申し上げます」


 私の社交辞令に対して、ツェツィーリアがうなずく。


 彼女の隣にはジャックがいた。

 

 この度、話し合いの席には私とツェツィーリアとジャックの3人が居合わせている。

 私だけが微妙にアウェーな気分だが……気後れするだけ無駄か。


 堂々とさせてもらおう。


「こんなところでいいかしら? で、本題は何? こんな場所に私を呼び出しておいて、身内の不幸を教えたかったわけじゃないんでしょう?」


「ツェツィーリア。キミはこの女を買いかぶっている。僕は何も語らず帰りたい気分だ」


 本題に切り込んだ私に対して、ジャックが肩をすくめた。

 堪え性を疑われたのだろう。

 国家の諜報を担うシュトルム家の次期当主から見れば、私の物言いは小娘未満に違いない。

 しかし、互いの年齢は大差ないはずだろう。

 ここで臆する必要はないはずだ。


「なら、ここはジャックに話をさせましょう。どうして私のお父さまが死んだのか、ね」


 私は目を丸めて、ツェツィーリアとジャックを交互に見た。


 ……どうして死んだのか。人の死に、理由があるって、それはさすがに……ねえ?


 私はポーカーフェイスを装うのも面倒になって眉をひそめた。

 ツェツィーリアは優秀な人間だが、日頃から、他人の反応をうかがって楽しんでいるような悪癖があった。


 おそらくは今の一言も、私を動揺させて、本題を通すための布石に違いなかった。

 しかしそれを差し置いても、人の死に理由があると暗黙に教えてくれるのは、さすがに穏やかではないだろう。


 自信家のツェツィーリアは蚊ほどにも感じていないのかもしれないが、これは私の不信を招く悪手に違いない。この辺り、彼女は人の心が分からないのかもしれないな。


「おい、それはこの女を間違いなく味方にする、という覚悟があっての話だろうな?」


 ジャックがツェツィーリアを睨んだ。

 その瞳には敵意にも似た軽蔑が宿っている。


「そのつもりよ。話しなさい。エレミアは裏切らないわ。それが彼女の運命だもの」


 ツェツィーリアは懲りもせずに微笑む。

 その瞳はジャックではなく私を見据えている。


 私は両者の力関係が分からずに黙っていた。

 話を聞く限りでは、ツェツィーリアに主導権があるようだが、互いに顔色をうかがう関係ではないらしい。


「わかった。ならば、お伝えしよう。僕も運命とやらの導きに期待させてもらう」


 ジャックはあっさりとツェツィーリアの要求に従ったが、その実では納得していなさそうに思われる。

 当のジャックは、私に観察されている事実に気づいているのか、感情を殺して淡々と言った。


「シェーネス・ヴェッターは一枚岩ではなかった。後の憂いを断ち、兵の意思をまとめ、なにより、そこのツェツィーリアがいずれ征く道のために、当主の死は必要な布石だった。こんなところで、およその事情はお分かりになるかい? エレミア嬢?」


 ジャックが私に問いかける。

 ここまで丁寧に教えられて、察せないのは愚鈍だろう。


「はあ……ねえ、ツェツィーリア。それ、あなたが親不孝者だって話?」


「ええ、これはゴットフリートも知っているわよ。穏健派で、その実、ロクな采配も振るえなかった現当主を無能と蔑む者は多かった。シュトルム家の知恵を借りれば、難しい話でもなかったわ」


 温厚な父親を相手に、権力の一極集中を望む娘が引き起こした、お家騒動ってところか。

 驚くような話でもない、ヨーゼフが内心で娘のエレミアを恐れていたようなものだろう。


 ……とはいえ、15歳でそれを実行に移す行動力は、寒々しく思うけどね。


 私はツェツィーリアの告白に、うなずき返した。


 そして、彼女が私を呼び出した目的と本題はここからだろう。

 ツェツィーリアは言葉を使って注意を逸らすのが得意だ。


 人死の真実が親不孝だとしても、それは私の動揺を誘う些細な牽制に違いなかった。

 彼女は私の反応を見ているのだろう。

 構うだけ思うつぼだ。


 しかし、早く、早くと、本題を催促するのも堪え性が無くて野暮だろう。

 私はひとまずツェツィーリアの手の上で、遠回りに付き合うことにした。


「シェーネス・ヴェッターの戦力は5000。南方の守りは動かせないから、実質は3000。シュトルムは1500。シュネーが1000。合わせて5500」


 ツェツィーリアは、指折り数えて楽しそうに笑った。

 陰謀屋にふさわしく、こういう時の彼女は本当に活き活きしている。


 しかし今、ツェツィーリアが指折り数えるのは硬貨の枚数ではない。

 その事実が意味するところを察して、私は背筋が寒くなった。


「あなたたち、まさか本当に戦争がしたいの?」


 私は苦し紛れに半笑った。

 私は庶民派だ。本来、この手の話題は苦手なのである。


「それは王家の対応次第ね。彼らが破綻した封建制度にしがみつくようなら、多くの血が流れるでしょう。悲しいけれど、ね」


「僕は、レーゲンの魔女の見解が聞きたいな。どうも彼女は乗り気でないようだから」


 ツェツィーリアが微笑み、ジャックが私の顔を覗き込んだ。

 舌先三寸で誤魔化せる雰囲気ではない。

 どちらも笑っているのは口元だけである。


 革命ってやつか。それとも単なる権力闘争か。

 どの道、彼らが最後に目指すのは、王権の簒奪と国力の回復なのだろう。


 ……今、幸か不幸か私はひとりだ。お供の目を気にして日和見に流れる必要はない。


「手伝ってもいいけど。それ、十中八九、失敗するわよ? それでもいいの?」


 私は迷わず答え、ツェツィーリアとジャックの反応を観察した。


 即断即決とはいかないが、反対意見の提示で相手方の興味は引けたはずだ。

 会話の主導権は、私がもらう。


「おそらく、反乱それ自体は成功するでしょうね。でも、王権の簒奪が目的なら、それは間違いなく失敗するわ。『王権の暴力による奪取』が正当化されるなら、次の反乱も正当化されるはずだもの。反乱に次ぐ反乱で、王国が崩壊する。それ、本末転倒よねえ?」


 私は複雑な心境で、ツェツィーリアを見つめた。


 この手の話題に関しては、地球由来の知識を持つ私の方が、彼女よりも詳しいはずだ。

 この先、どんな未来が待ち受けるのだとしても、伝えなければならない話である。


「ツェツィーリア、あなたが誰の助けも借りずに、単独で王国を制覇できれば、最強の中央集権国家が誕生するでしょうね……でも、それは無理よね。だってあなたは協力者を求めている。なら、次点として貴族議会の創設だけど、これが叶うのは、あなたが存命して強権を振るえる間だけで、その後は大貴族の権力闘争で、結局は国が割れるわ。あなたの理想がなんであれ、叶うことなんて、なにもないわよ」


 私の指摘に対して、ツェツィーリアは真顔になった。


 話は変わるけど、『織田がつき、羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川』とはよく言ったものよね。


 中央集権を推し進めた織田信長は非業の最期を迎え、その意志を継いだ豊臣秀吉も死後に五大老の破綻によって権勢を失っている。

 その点、後進の存続を重視する仕組みを作った徳川が、最後に長らくの繁栄を勝ち得た事実は理にかなっていると、私は思う。


 結局、未来の有様を決めるのは、過去でなく未来に生きる者なのだ。


 私がツェツィーリアに何かを伝えられるとしたら、それだけだ。


「あなたが死んで、あなたにおもねる者が死んで、その後に……あなたが、なにか大きな絵を描けるなら、私はあなたに協力してもいいわ。だけど、それができないのなら。私はレーヴェ王子に味方します。すべては、民の安寧のために」


「なるほど、存外バカでもないらしい。非礼を謝罪する。悪かったよ、エレミア嬢」


 ジャックが無表情を崩して、愉快そうに笑う。

 彼の視点では、世情を知らない大貴族の娘が、気取っているように見えるのかもね。


 しかし、ツェツィーリアは笑いもしなかった。


「あなたなら、わかってくれると信じているわ。ツェツィーリア」


 私はまぶたを伏せて、ツェツィーリアとの視線を切った。


 ジャックは変わらずにケタケタと笑っている。

 命かけた交渉の舞台で、我が身をドブに捨てたと思われたか。


 今、この場に臨む私は、無力にも、たったひとりだ。


 ……勢いでカッコつけちゃったけど、短い人生だったなあ。


 私はため息をついて、にじむ涙を、押し殺した。


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