第34話 嵐の一族

 レーヴェ王子やツェツィーリアの依頼に応えつつ、私ことエレミアはのんべんだらりと暮らしていた。


 前世を含めて2度目の高等学校生活なんだけど、ハッキリ言って退屈だ。


 青春してもいいし、学問に励んでみてもいいんだけどね……その手の楽しみはふつうに前世で謳歌したので、二番煎じの楽しみに興味はない。

 強くてニューゲームも前世に落差が無いと退屈なんだなあ、としみじみ思う。


 私はやりこみ派ゲーマーなので、どちらかというと縛りプレイが好きである。

 いわゆる無双プレイというやつには、あんまり興味が無い。

 アレは正直言って、時間の浪費だ。


 話を戻そう、私は最近、ツェツィーリアとよくお茶をする。

 家柄の立場は対等だ。


 互いに気兼ねしない関係で語り合えるのは、ある意味、状況に恵まれている。


「あら、エレミア。どこを見ているの?」


 ツェツィーリアが、ぼーっとしている私に問いかけた。


「遠くをね、大空を眺めていると何か起こりそうで、わくわくしない?」


「変なエレミア。嵐の前触れを探すなら、空ではなく人間を見るべきだわ」


 私は今日も中庭のテーブルでツェツィーリアと紅茶を飲んでいる。

 これが最近、私の唯一の楽しみと言っても過言ではない。


 ……というか、心根庶民の私とは、誰も彼も話が合わない。

 貴族の坊ちゃん嬢ちゃん連中は、口を開けばお家自慢をしている。


 いかに優秀か、優美か、キリのない自己顕示だ。


 黙って聞いていれば、みなさん満足して去っていく。


 しかし、次の日には似たような話が始まる。

 さながら中年の過去栄光語りである。


 はじめのうちは、貴族特有のコミュニケーションの一環だろうと許していた私だが、今ではすっかり飽きて対応を放棄した。

 最初は懲りもせずに私に群がっていたみなさんも、やがては無視されている事実を理解して、近寄らなくなった。


 ツェツィーリアは苦い顔をしていたが、私としては思春期学生の自己顕示欲に付き合うのは面倒なのでご遠慮を願う。


 ……高校生の私は、どんな性格だったかな? 模試の偏差値くらいは自慢したかも。


 最近ではすっかり、田中のぞみとしての過去を忘れがちである。

 懐かしい話だ。


「人を見るべきか。貴族学校で人間観察しても、得られるものはなさそうだけどねえ」


 私が椅子の背にもたれてだらけると、ツェツィーリアはニタリと微笑んだ。


「『うぬぼれは身を滅ぼす』。さて、誰の言葉だったかしら?」


 ツェツィーリアは、私の怠慢を皮肉ることを躊躇しない。

 彼女は気楽に雑談できる友人だが、学生レベルで馴れあうような関係ではない。


「そうねえ、近頃は自己研鑽が足りないかな。また、軍卓でもしましょうか」


 私が半笑うと、そこには見慣れない青年が立っていた。


 ツェツィーリアの後ろに、忽然と、人があらわれたのだ。


「ん? ああ、こんにちは。ごきげんよう。お日柄もよく……えーと、どちらさま?」


「……ツェツィーリア。王都の見取り図が手に入ったけど、今、話してよかったかい?」


 黒い髪と黒い瞳の青年は、私など眼中にないらしい。

 青年は私を無視してツェツィーリアに話しかけた。


 彼は何も持っておらず、手持無沙汰に腕組みしている。


「問題ないわよ、ジャック。エレミアは私の大切なお友達だもの」


 ツェツィーリアは、青年『ジャック』を振り返りもせずに微笑んだ。


 ジャックは無表情だ。

 その無感動っぷりはヴォルフといい勝負である。


 しかしやや倦怠的なヴォルフと比較して、ジャックの無表情は作ったような能面だ。

 傍目の印象はまるで違う。ジャックは無機質だ。


 お友達として紹介された私は、ジャックに会釈する。

 今度は相手も会釈してくれた。


 ……で? このジャックさん、どちらさまなわけ?


 私はツェツィーリアに「彼、どちらさま?」と、ジャックの立場を尋ねた。

 ツェツィーリアは少し考えた後に「シュトルム家の次期当主よ」と教えてくれる。


 なるほど、私たちと同じ八大貴族のひとつ、嵐の貴族『シュトルム家』の跡継ぎか。


 ツェツィーリアと雑談して得た情報で、私は八大貴族の特色と得意分野を把握していた。

 王家に寄与する八大貴族には、それぞれ臣下としての役割がある。


 もっとも、その役割は歳月を経てほとんど形骸化してしまったそうだが。


「シュトルム家は諜報を担当しているんだっけ? へえ、どうりで忍び足がうまいのね」


 私は褒め言葉を伝えるくらいの気分で、気楽にジャックに話しかける。

 諜報と言っても、その道に詳しくない私の認識はスパイ映画の延長だったが、見識の不足はご愛敬だ。

 

 ジャックは顔色一つ変えなかった。

 私を値踏みするように眺めて、背を向ける。


 冷たくあしらわれてしまったようだが、お固い対応こそ、私は信用に値すると思う。


「ツェツィーリア、僕は行くけど。あまり待たせないでくれよ」


 ジャックが、遠回しにツェツィーリアに退席を促した。

 どうやら私を抜きにして、込み入った話があるらしい。


 誰にでも隠し事はあるものだ。


 ……王都の見取り図、ねえ。わざと私に聞かせてくれたのかな?


 私はツェツィーリアとジャックを交互に見て「お構いなく」と笑っておいた。


「ごめんなさいね。エレミア、ちょっと急用ができてしまって」


「気にしない、気にしなーい。いつも無駄話に付き合ってくれてありがとうね」


 私はジャックを観察した。黒い髪に黒い瞳に、可愛げのない能面の無表情である。

 

 私は去り行くツェツィーリアとジャックを見送って、思考した。

 ツェツィーリアが何事かを企んでいるのは、今更分かりきっている話だが、私は詮索しない。


「『神々の末席である王家に忠誠を誓う貴族は、すなわち神々に忠誠を誓う存在であり、貴族の立場に上下はなく、その命は子々孫々まで世界の安寧に捧げられるモノである』」


 私は懐かしく国歌の一節を口ずさむ。

 思えばツェツィーリアもこの歌が好きだった。


「でもツェツィーリア……歌は歌、現実は現実だって、わかっているんでしょう?」


 虚空に問いかけても返事はない。

 ヴォルフに部屋の掃除を頼んだので、私はひとりだ。


 ……歌は歌、現実は現実か。歳を食うと、説教くさくなるのよねえ。無念だわ。


 ひとりでぼーっと空を眺めていると、遠くで叫び声が聞こえた。


「喧嘩だ!」と、男子生徒が楽しそうにはやし立てたのだ。


 誰もが現場に目がけて歩む様子を、私は遠巻きに眺めている。

 そんな私の姿を見つけて、人込みの流れに逆らう人物がいた。


「エレミア嬢、今日も可憐だな。子どもの喧嘩騒ぎでは、キミの興味を惹けないのか」


 レーヴェ王子が愉快そうに笑っている。

 かくいう彼も喧嘩騒ぎに興味はないのだろう。


 騒ぎの主役には申し訳ないが、今は野次馬の気分ではなかった。

 私は紅茶を飲みたい。


「同席していいかな? いや、紅茶は結構だ。俺はキミと話がしたいだけでね」


 言いながら、私の返事も待たずにレーヴェ王子は席に座った。

 彼は王家の一員だが、そのフットワークは軽く、誰にでも学生の立場で対等に接してくれる。

 ツェツィーリアには、特に愛想がいいかもしれない。

 話を聞くに、ふたりは幼馴染なのだとか。

 しかし、幼馴染の縁で、ふたりの間に恋愛感情はないらしい。残念無念である。


 さっさと座ったレーヴェ王子に対して、私は「お構いなく」と伝えて紅茶を飲む。

 とはいえ、この状況で、ひとり空を眺めているのは失礼に違いない。


 私は前を見た。


 今日のレーヴェ王子は特に依頼があるわけでもなく、雑談をお望みのようだ。


 喧嘩騒ぎの影響で、誰もいなくなった中庭で、私たちは気楽に向かい合った。


「レーヴェ王子は、ツェツィーリアのこと、お気づきですか?」


 私がそんなふうに話題を振ると、レーヴェ王子は困ったように肩をすくめた。


 誰彼には腹案があり、誰彼には二心がある。

 ツェツィーリアにはもともと、幼いころから陰謀屋の気質があった。


 率直に言って、世の中の安定には危険な思想の持ち主なのである。


「気づいているというか、あえて気づかせているんだろうと思うが。難しい話だな」


「レーヴェ王子は、ツェツィーリアになにも言ってあげないんですね」


 レーヴェ王子は「そうだな」とうなずいた。


 私は無関心こそが、誰彼の心を傷つけると知っていたが、それは言わないことにした。


「もし仮に、の話です。王家に背く者がいたとして、殿下はどうお考えになりますか?」


「どうとも思わないさ。王家の威光は失われて久しい。すべては時代の流れだと、俺は納得するよ。それが、どこの誰の……ああ、どこの誰の策謀であれ、な」


 レーヴェ王子は私を見て悲しそうな顔をした。

 享年25歳の私だが、レーヴェ王子の表情はその実年齢以上に年老いて見える。


 高い場所に立つ人間の心は、やはりよくわからない。


「俺に問うなら、キミに対して同じ問いを投げても許されるのかな? 仮に、王家に背く者がいたとして、エレミアという個人は、どう考え、どう行動してくれる?」


「私はできるだけ、今を生きる民が苦しまない選択を、望みます」


 私は中途半端に飲みかけの紅茶をテーブルに置く。


「キミは本当に可憐だな。そして優しい。ツェツィーリアが心を開いたのもうなずける」


 レーヴェ王子は腕組みをして、なにやら考え事をしているようだった。


「実際問題、難しいところだ。俺個人の諦観はともかくとして、国が乱れれば、キミの言った通り民が苦しむ。南方の異民族も黙ってはいまい」


「未来に負債を残すか、耐えがたき今を戦うか。ですね」


 レーヴェ王子はうなずき、私を見た。

 その瞳に洒落っ気はない。


「ツェツィーリアは迷わず後者を選ぶだろう。彼女は強い。俺も本音を言えば後者の判断が正しいと思う。しかし俺は王族だ。アレの真意がどうであれ、味方をしてはやれない」


 レーヴェ王子は、私の手元からティーカップを取り上げて、自分の手元に置いた。


「エレミア嬢、キミはツェツィーリアの理解者であると同時に、俺の立場も理解してくれると思う。キミはキミが望む道をいくのだろうな。それでいい。正しいと思う者に味方して、その信念で采配を下せばいい……俺に味方すれば負け戦になるだろうが、な」


「ええ、心しておきます」


 レーヴェ王子は、何も言わず、ティーカップを返してくれた。


 後日、夏も間近の日に、私はシュトルム家を通してツェツィーリアに呼び出された。


 陰謀屋は、人使いが荒いのね。



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