第32話 可憐だ

 めんどくさいことになった。


 具体的には私の風評がめんどくさいのよ。

 どこかの誰かが流した、『レーゲンの魔女』の噂話が、よ!


 今現在、私は貴族学校で酷く肩身の狭い思いをしていた。


 道行く学友から明らかに敬遠されている。

 ほぼ出会う全員が、魔女の噂話を知っているのだ。

 

 たかが噂話、されど噂話……800人を焼き殺したとか、捕虜の生き血をすすって高笑いしたとか、タチの悪い冗談よね。

 もちろんこれらは嘘八百なんだけど、学友のみなさんはウソの中にも真実があると考えたようで、私を露骨に避けるのだ。

 できるだけ早い段階で誤解を解きたいけど……そもそも会話に乗ってもらえない。


 私は完全にぼっち姫だ。

 前世を含めて人生初、私は高等学校における孤独を味わっていた。


 ヴォルフや親衛隊のみんなとおしゃべりしているのだが、毎日が辛い。

 華の学園生活だというのに、お友達とお茶のひとつもできないのは、淑女としていかがなものか。


「っていうわけで、どうにか知恵を貸してくれない? ツェツィーリア?」


「あなたも難儀な性分よね……」


 平身低頭で頼む私に対して、ツェツィーリアが呆れがちにため息をついた。


 どうせ頼るなら、もっとふさわしい案件で頼れと、彼女の顔に書いてあった。


 ごもっともである。


 当のツェツィーリアは相変わらず学級の人気者だ。

 外面の良さと家柄との合わせ技は最強だ。

 スクールカースト最底辺の私と関わっても、まったく問題にならない盤石である。


 八方美人は陰で嫌われるし、しかし特定の人物に関わるばかりでは交友が広がらない。


 その点、ツェツィーリアは私と違って抜かりない。

 彼女の世話役であるゴットフリートに生徒の交流を仲介させたり、また彼女自身が人寄せのイベントを主催したりするのだ。


 もともと才媛として評判のツェツィーリアは、周囲の期待に応えて最高の高等部デビューを果たしていた。


 また、見た目の良いツェツィーリアは男子ウケもよかった。

 金髪碧眼の絵に描いたような美しい容姿が、並みいる男子生徒の心を射止めるようだ。

 同性として少し悔しい。


 エレミアも顔は悪くないんだけど、ツェツィーリアと比較するのはさすがに相手が悪い。

 どちらも15歳でお年頃の淑女だというのに……この評判の差は何? なにかの呪い?


 とにかく、スクールカーストの頂点と底辺の私たちは、互いに気まずく笑い合った。


「しょせん噂話でしょう? そんなに誤解を解きたいなら、協力するけどね……」


 他人事の様子で苦笑うツェツィーリアだが、友達として一応は助力してくれるようだ。


 ……気持ちは分かるけどね。くだらない相談だもの。


 私は「人間関係が上手くいかないから、助けて!」と訴えているのだけど、そのくらい自力で解決しろという話だ。

 私が逆の立場なら鼻で笑う。

 ツェツィーリアは心が広い。


 そこで、私のお悩み相談を聞いていた、執事ゴットフリートが軽快に笑った。


「はっはっは、なにしろ反乱傭兵を焼き殺した魔女殿ですからな。いっそ、その話題で派閥を築いてみてはいかがですか?」


 ゴットフリートジジイが戯言をほざいているが、私はニコリと笑って却下した。


「嫌よ。私は華の学園生活を楽しみたいのよ。お分かりになって?」


「では、影響力のある人物を見繕って手助けを頼むのが、大勢の誤解を解く近道ですな」


 私が睨むとゴットフリートはまともに答える……それができれば苦労しないわね。


「影響力のある生徒って、八大貴族とか? それとも単に人気者? 私、初等部をドロップアウトしたから、誰がどの派閥に属しているのか人間関係がわからないのよね……」


 引きこもり出身の私が困り顔を浮かべると、ツェツィーリアがフッと笑った。


「それも含めて、エレミアは少し社会勉強をするべきね。貴族は建前と体裁を重んじて、人間関係を築くものだわ。あなたも、この機会に練習しなさいな」


「人間関係の練習って……私は個人のコミュニケーションに困ったことはないけどね。お家柄とか、そういう貴族特有の厄介事を学べってことかしら?」


 ツェツィーリアが「そうね」と微笑んだ。まったく優雅でうらやましいわ……


 とはいえ、エレミアは八大貴族レーゲン家の跡継ぎ。

 王国屈指の大貴族なのだから、お家柄のご機嫌取りで苦労することはなさそうだ。


 もちろん、学園内における派閥や力関係はあるだろうから、その点は注意しなければね。

 学生には学生の処世術がある。


「ふむ、そういう話なら、王家と交流するのも、エレミアお嬢さまには一興ですかな」


 ゴットフリートが「いかがです?」とすすめてくれる。

 王家といえば、王子様と王女様よね。

 不敬スレスレのお気楽な物言いから察するに、やはり王家の勢力は脆弱らしい。


「そうねえ。王子様を探して味方につけようかしら。せっかく得た学友の縁だものね」


 私が半笑いながら答えると、ゴットフリートはニコリと笑いジワを寄せた。


「ええ、殿下は話の分かるお方です。エレミアお嬢さまの力になってくださいますよ」


 彼がそう言うと、しかしツェツィーリアは「どうだか」と鼻を鳴らした。


「レーヴェ様は何を考えているかわからない節があるから、関わるなら気をつけなさい」


 そんなふうにツェツィーリアが忠告してくれた。


 誰にでも人当たりの良いツェツィーリアにはめずらしくキツイ物言いだ。


 私は不思議に思って、不機嫌そうな彼女の横顔を眺めていた


 ◆◆◆


 午後の授業を終えて、放課後になると、生徒たちは自由行動になった。

 誰も彼もが、学友と楽しそうに語らっている。


「わたくし、エレミア・フォン・レーゲンと申します。レーゲン領から来ました。どうぞよろしく! ですわ!」


 私は死ぬほど適当なあいさつを学友にふりまくが、反応は微妙だった。


「おっ、レーゲンの魔女だ」


「見ろよ。あの額の傷を……戦場帰りって噂は、やっぱり本当なんだな」


 ……『おっ、やってるなー』くらいのノリで、人様を魔女認定しないでくれます?

 デリカシーの欠片もない男子生徒の物言いに対して内心キレそうになる。とてもつらい。


 私は学友の心無い対応にもくじけず、愛想笑いをする。


 しかしやはり、高等部ともなれば、いろいろなタイプの人間がいる。


 いかにも体育会系で、ハキハキした物言いをする者。

 やや陰気で、ひとり机で読書をしている者。

 集団の中心にいる者や、誰彼の周りに集う者。

 学問そっちのけで、世間話に興じる者。

 恋に忙しく愛を説く者。

 そして、生徒を補佐する付き人のみなさん。


 王都の貴族学校では、初等部の頃とは比べ物にならない、大人数が生活していた。


 具体的な人数は数えていないが、人の群れは壮観だ。

 私ひとりの世話をするのに十数人が付き添うのだから、単純に考えて、生徒の数と同じだけ、大勢の世話役がいるのかな。


 貴族学校の敷地は、それだけで小さな町……というのは、言いすぎだが、敷地内には行商人が出入りしており、購買感覚で物品の取引ができるため、生活の便には困らない。


 王家と八大貴族を含めた上流階級の紳士淑女が通うだけはあり、見た限りで、衛生環境もそこまで劣悪でないと思う。

 さすがに初等部とは事情が違うようだ。

 誰しも歳月を経て成長するのだから当然か。

 王国の未来を育てる教育機関だけのことはある。


「……他人事ね。エレミア、あなたも王国の未来を担う、八大貴族の一員なのよ?」


「あはは、そうだったわね。どうも最近、自分の立場を忘れがちだわ」


 ツェツィーリアは「お気楽ね」と肩をすくめて呆れていた。


「みなさんの誤解を解くなら早くしなさいよ。いつまでも私と話してばかりというのは、さすがにあなたのコミュニケーション能力を疑うわ。言って悪いけど、ね」


 私はツェツィーリアに急かされて、学友の輪に加わる。


 ヴォルフが遠巻きに見守っていたが、心配は無用だ。


 学友のみなさんは、心ばかりに私から距離を置いている様子だったが、二言三言、言葉を交わす機会さえ得られれば、こちらのものである。

 私だって、前世ではふつうに高校生活を送って、ふつうに友達がいたのだ。

 人の縁を築くのに困ることはない。

 大貴族であるレーゲン家の看板に対して、誰彼が委縮してしまうのはやむを得ない事情だが、それを含めても、私のお気楽な気分は大勢に伝わったようだ。


 そうして私は、学友のみなさんと、たわいもない会話を続けた。

 授業の話や、地元の話、教師の評判など、話題はさまざまである。


 学生らしくて、私は懐かしい気持ちになった。


 がやがや、と……大勢がざわめき始めたのはそんな時である。


「ん? どしたの?」


「……重役出勤よ、ねぼすけの殿下がいらっしゃったみたい」


 ツェツィーリアに促されて見やると、背の高い青年が廊下を歩いて来るところだった。

 細やかな意匠が施された装飾服が、いかにも王族らしい。


 ツェツィーリアと同じ金髪碧眼が印象的に残る優美な青年である。


 ……ほえー、イケメンね。クラスの女子生徒がみんな見てるわ。


 愁いを帯びた青年の容姿はこの上なく整っている。


 鼻は高く、二重まぶたが色っぽい。

 ただ両目を閉じて息をつくだけで、黄色い声が上がる。

 これはポイントが高い。


「大遅刻ですわね。レーヴェ様」


 誰もが立ち止まる状況で、ツェツィーリアが率先して進み出た。


「ツェツィーリアか。ああ、面目なく思うよ。キミにはいつも、小言を言われるな」


 レーヴェと呼ばれた青年がゆるゆる返事をする。


 ツェツィーリアは一瞬眉をひそめるような仕草を見せたが、すぐに愛想笑いを作り直した。

 さすがは人気者だ。しかし、わずかとはいえ、ツェツィーリアが人間関係で感情をあらわにするとは、本当に珍しい。


「そちらは噂の、レーゲンの魔女殿、か」


 レーヴェ王子は自分の前髪をいじりながら、私の方を見る。


「あっ、ごきげんうるわしゅうございます! 殿下におかれましては、本日も見目うるわしゅうございますね! 寝起きでも素敵ですわ~」


「なるほど、ツェツィーリアの友人だな。嫌味の言い方が違う」


 私とレーヴェ王子は、互いに見合って、のほほんと笑い合った。


「そちらは、魔女殿の付き人かな?」


「ええ、彼はヴォルフと言います。私の自慢の側近ですの」


 レーヴェ王子はヴォルフに笑いかけたが、ヴォルフは会釈を返すだけだった。

 レーヴェ王子は高身長で、また体格もすこぶるよい。

 筋肉の質ではヴォルフが勝るようだが、傍目のたくましさは両者似たり寄ったりだ。


「めずらしいな。俺と同じ背丈の者は、王都にも数えるほどしかいないんだが」


 レーヴェ王子は愉快そうに笑い、ヴォルフの肩を叩いた。

 ふーむ、男の子のスキンシップって感じね。


 見た目はいかにも王族らしい服装をしているレーヴェ王子だけど、その性格は気さくな印象である。

 背丈は同じでも寡黙なヴォルフとは正反対の社交性だ。


「私も驚きました。ヴォルフと同じかそれ以上に、レーヴェ王子も、体を鍛えていらっしゃるのですね」


「光栄だよ。しかしまあ、このくらいは男児のたしなみだな」


 私が声をかけると、レーヴェ王子が謙遜して微笑む。

 謙虚な王族とは、好印象ね。


「真に受けてはダメよ、エレミア。レーヴェ様は王国騎士団に交じって体を鍛えるのが趣味なんだから」


「たしなみだよ。弱い男と弱い王に、誰も従おうとは思わないだろう?」


 レーヴェ王子が肩をすくめると、ツェツィーリアは「ソレは確かに」とうなずいた。


「でも、ダンスはお上手だったかしら? 紳士のたしなみだと、思いますけれど」


「俺にふさわしい淑女がいてくれれば、練習する気になるんだがな。悩みの種だよ」


 ヴォルフはどうでもよさそうに明後日の方向を見ていた。

 

 その時、レーヴェ王子は周りの目を気にせず、私の方に歩いて来る。


 え? なに?


「レーゲンの魔女……なるほど、名はエレミアというのか」


 レーヴェ王子は、気兼ねしない仕草で私の手を取った。

 慣れたような物腰である。


「可憐だな。キミのためにダンスを覚えてみよう。今度付き合ってくれ」


 レーヴェ王子が冗談めかせて笑った。

 クラスの女子生徒が黄色い悲鳴をあげる。


「レーヴェ王子……照れくさいですわ。冗談なら、もう少し手心を加えてくださいな」


 私が苦笑うとレーヴェ王子も愉快そうに肩を揺らした。

 うーん、この……プレイボーイっぽい王子様ね。


 そんなこんなでしばらく雑談をしていると、レーヴェ王子はふと思い出したように「魔女と呼ぶのは失礼だったな。キミは素敵な淑女だ」とうそぶいた。


 実にわざとらしい。


 ツェツィーリアが呆れている。

 周囲もレーヴェ王子の言動を笑っていた。


 ……ひょっとして、私の悪評を気にしてくれたのかな?


 だとすれば、ひょうひょうとした言動に似合わず、意外と気の回る人物だと思う。


「エレミア、キミは可憐だ」


 と、レーヴェ王子が懲りもせずにささやいた。


「ええ、レーヴェ王子も、筋骨隆々で素敵だと思いますわ」


「ありがとう。そういう心無いお世辞が言えるところも、魅力的だと思うさ」


 レーヴェ王子は前髪をいじりながら白々しく微笑んだ。

 前髪いじりがクセなのだろう。


「会えてよかった。さすがは、あのツェツィーリアが選んだ友人だ」


 レーヴェ王子の真意が分からず、私は首をかしげた。


 レーヴェ王子にしろ、ツェツィーリアにしろ、私の評判を気にして、言葉を選んでくれたのだろうと思う……けども。


 当のふたりが茶番劇を示し合わせたような雰囲気はなかった。

 ツェツィーリアは、つまらなさそうにジト目をしている。

 少なくとも好意的な態度ではない。


 複雑な人間関係を察して、私はひとまず、両者の感情を深く考えないことにした。


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