第30話 行くぜ、汚職と貴族学校

 翌年、ついにこの時が来た。


 王都の高等貴族学校へと旅立つ時が来たのだ。


 15歳の誕生日を迎えた私の心は、晴れて明るい。


 人の縁に恵まれたとはいえ、このクソみたいな衛生環境で病気にもならず成長できたのはひとつの奇跡だろう。

 

 私が身支度を整えて、庭先に姿をあらわすと、レーゲン家の家来たちが総出していた。


「エレミア様、貴族学校へのご入学、おめでとうございます」


「ありがとう、アルフォンス。みんなも私の見送りに来てくれて、本当にありがとう」


 奇麗な服を着る私は、燕尾服のアルフォンスと合わせて、実に令嬢らしく見える。


 見るとカタリーナが、騎士が並ぶその後ろでニコニコと手を振っていた。

 一応、彼女は奴隷の身分であり、最前線で見送りとはいかないのかな。少し寂しい。


「さびしくなります。本音を言うと私がエレミア様の付き人になりたかったくらいですよ」


「ダメよ。アルフォンスには屋敷の仕事があるんだから、私だけにかまけたら」


 私の発言に合わせて、アルフォンスが愉快そうに笑う。

 今更語るまでもなく、アルフォンスはレーゲン家の重鎮で、ヨーゼフの右腕である。


 屋敷を切り盛りする彼の存在は、レーゲン家にとって必要不可欠だ。

 というかまじめな話、アルフォンスがいないと仕事の面でヨーゼフが困るはずだ。


 ……結局、お父さまは、見送りに来てくれなかったな。


 私は複雑な思いを隠して、見送りに来てくれたみんなに微笑み返した。


 ◆◆◆


 付き人はヴォルフだ。親衛隊もいっしょだ。


 やはりというべきか、次期当主の貴族令嬢が一人旅を許される理屈もない。

 生活で身の回りの世話をする者が必要なのだった。


 王都までの道中で、私たちはいっしょにご飯を食べて、お友達感覚で語らう。

 若者の男ばかりの中に年頃の娘がひとりという状況は、チヤホヤされて実に愉快に思える。


 馬車の旅は相変わらず最悪だが、気のいい仲間がそれを帳消しにしてくれる。姫気分だ。


「いやあ、エレミア様は、本当にすげえよ。あの戦場の勇姿! 今でも忘れられねえ!」


 反乱傭兵との戦いでヴォルフの背中を守った弓兵の青年がおだててくれると、周りの連中も食事の手を休めて「女神だったな」「俺たちの総大将!」と褒め言葉を口にして笑った。


「投石を喰らって、頭から血を流しながらよ。俺たちを指揮する。あの凛々しい姿!」


 なんというか、私をおだてるついでに自分たちの武勇伝を自慢したいらしい。

 親衛隊の連中は口々に、自分の活躍を語っている。


 ならば語らねばなりますまい! 私は彼らの総大将!

 どうせならノリよく合わせて、いっしょに話題を楽しみたい。


「ふふふ、思い出すわねえ。敵はほぼ同数。だけど戦う私たちは精鋭ぞろい! 『私の』親衛隊が、負けるはずがないのだわ! 皆が道を切り開き、敵の屍を踏み潰す! あなたたちの勇姿、私だって忘れていなくてよ!」


 おだてられて気分を良くした私は、そのお返しにみなさんを称えて、喜びを分かち合うことにした。


 おいしいご飯をもぐもぐ食べながら話す。

 実に行儀が悪いが、ご愛敬だ。


「投石を喰らって、私は倒れた。血を流す私に、傭兵が迫る……しかし間一髪、そこのフランツが弓で助けてくれたのだわ! しかも彼は、ヴォルフの背を守って――」


 親衛隊の仲間が「そりゃすげえ!」と盛り上がり、弓兵の青年フランツが「そ、そうでしたっけ?」と恥ずかしそうにしている。


 実際に見ていたヴォルフは、私の誇大広告を愉快そうに笑っているが、他の連中は知らないんだから、派手に語っても無問題だ。


 食事が終わるまで私たちは存分に語りあかして、その後、私は「休むわ」と告げて馬車に戻った。

 親衛隊の連中も周囲の警戒に戻る。

 誰もが意気揚々としていて、気力十分だ。


 と、そんな時に、フランツが馬車の扉を軽く叩いて、うかがうような小声で言った。


「エレミア様。ウソは困りますぜ。リーダーを助けたのはホントの話ですけどね……」


 窓越しにフランツが苦言をつぶやく。

 周りの連中に創作武勇伝をからかわれたらしい。


「ウソじゃないわよ。あなたがいてくれなければ、ヴォルフは生きていないし、ヴォルフがいなければ、あの時私の命も危なかった。そうでしょ? お分かりになって?」


 私とフランツは窓越しに、ニヤリと気分よく笑い合った。


 フランツは「その節は、ありがとうございました」とまじめに言った。

 しかし、命を救われた恩を感謝するのは私の方ではないのかしら?


「へ? ありがとうって、なにが?」


「俺たちを家来にしてくれて、です。ここにいる親衛隊の連中はみんな、エレミア様のおかげで、今、こうやってバカ騒ぎができる」


 お礼なら親衛隊の指導を担当したアルフォンスに言うべきだと思ったけど、フランツの物言いがあまりに真剣だったので、私はひとまずうなずいておいた。


「どういたしまして。しっかり働いてよね。なにしろ私の親衛隊なんだから!」


 私が上機嫌に言うと、フランツは「お任せあれ」と一笑した。


 笑える人材は貴重だ。

 貴族令嬢としてのエレミアに対して忠誠を誓う者はいても、友達感覚で接してくれる者は貴重である。

 さすがに主従のケジメはあるけどね。

 心根庶民の私は気楽で助かるのだ。

 

 私は清々しい気分でフランツの背中を見送り、仕事に送り出した。


 仲間に心を許せる私は恵まれているのだと、そう思った。


 ◆◆◆


 翌日、休憩に立ち寄った村で、私たちは村の教会を訪れた。

 ここはまだレーゲン領なので、次期当主として視察を兼ねての話だ。


「ようこそいらっしゃいました、エレミア様!」


「どうもどうも」


 私の訪問を受けて、教会の神父が出迎えてくれた。


「エレミア様のご高名はかねがね――」


 そんなありきたりなお世辞を語る神父は、白髪に白ヒゲのご老人で、しかし目力と覇気のある印象の人物だ。


 彼は、私の政策によって民が救われた事実を、熱心に語る。


「大空に召された魂も、エレミア様の慈悲に感謝していることでしょう」


「死者の安寧はなによりの知らせね。自警団の調子はどう?」


 神父は「順調でございます」とシワを寄せて微笑んだ。


 村の農夫がパトロールするくらいの話なのだが、敬虔な自警団は地域の治安の向上に貢献している。


「みな、敬虔に職務に励んでおります。特に力をもてあました若者が村の自警団に参加してくれまして、いやはや、頼もしい限りですよ」


「へえ、訓練が必要かしら? 教官としてレーゲン家の騎士を手配しましょうか?」


 神父は「そうでございますなあ」と曖昧に言葉をにごした。

 信仰に頼った人心の掌握がここまでうまくいくとは、うれしい誤算だ。

 自警団の今後について、神父は私の提案を飲むべきか考えているようだ。


 もちろんのこと、私はすべてを善意で提案したわけではなく、自警団に対する『目付け役』にする目的でレーゲン家の騎士を派遣するのだ。


 教会に影響力を持たせる判断は私の望むところだが、かといって、あまり増長されても困る。


「若者は、村の宝だものね。彼らの成長は教会にとっても、良い話だと思うけれど」


「おっしゃる通りでございます」


 私の発言に同意して、神父がうなずく。

 治安を守り育て、教会に属する敬虔な信徒の自警団……その戦力を向上させる私の提案は、教会にとっても望ましいはずだ。


「ひとつ、提案があるのだけど、いいかしら?」


「はい、もちろんです。エレミア様のご要望とあれば、なんなりと」


 語りながらも神父の両目が鋭くなる。

 やはり必要以上の干渉を望まないということか。


「将来的に、教会には村の自治を手伝ってもらいたいのよ。自警団の管理も含めてね」


「ふむ、自治……ですかな」


 神父は拍子抜けしたように、目を丸めた。


『魔女』と噂の貴族令嬢が、どんな交渉を仕掛けてくるかと、身構えていたのかな?

 ごめんね、期待外れでさあ。


「もちろん、レーゲン領で暮らす民として既定の税はおさめてもらうわ。それはそれとして、すべてを上に立つ貴族が管理するというのも、効率が悪いと思うのよ」


「魅力的なお話だと思いますが……しかしそれは私の一存ではどうにも。地方教会全体で協議して、皆の判断をあおがなければ」


 私は「もちろんよ」と認めた。

 教会というのは組織だ。

 末端に所属する者に、組織の行く末を左右する決断は下せない。

 もともと、私は彼一人に提案をしているのではない。


「この話は、私が訪れる村々の教会でその都度、提案しているの。アイデアを実現するのに、多数決の味方は多い方がいいわ。あなたも賛成してくれないかしら?」


「ははは、私のような老骨には過ぎた期待です。尽力はいたしますが」


 私は「うんうん」とうなずいて、冷ややかな愛想笑いを神父に送る。


「見返りが欲しいなら、言っていいわよ」


 私は歯に衣着せず、単刀直入に伝えた。


「私は『将来的に』と言ったでしょう? 私が当主としてレーゲンの地を豊かにするためにも、安定した財源がほしいのよ。村々の自治は、その一端なのだわ。民が安定した暮らしを享受することができれば、それだけで税収は安定するし、治安も良くなるから」


 具体的にどの程度のプラスが見込めるかはわからないけど……さすが離散集合を繰り返す、現状の掘っ立て小屋集落よりは、いくらかマシになるだろう。


 加えて役人の仕事を教会に分担できれば、内政を執り行う貴族の負担も減るはずだ。


「ほほう、見返りと、おっしゃいますと。つまり?」


「みなさん、良い目を見せてあげるわよ。ええ、『みなさん』にね」


 神父がニヤリと笑ってうなずいた。

 私に加担する者が一人ではないとわかったのだろう。


「わかりました。この老骨。誠心誠意の助力をお約束します。古い友人にも声をかけておきましょう」


 神父は臆面もなく右手を差し出してきた。

 慣れたような仕草ね。蛇の道は蛇か。


 ――そしてこの年の暮れ、レーゲン地方教会の総会において、私の提案は賛成多数で採択された。


 今後、彼らは、民の安寧を望む太陽神の神意に従い、各教会の主導で集落を維持管理していくことになる。

 この裏で、私は多くの握手を交わした……地道な広報活動の勝利なのだわ。


 案の定、教会の勢力拡大を望まないヨーゼフは嫌な顔をしたらしいけど、時すでに遅し。

 太陽神の信仰に基づく『善意』を拒むことは、ヨーゼフにもできなかった。

 やはり、敬虔な信仰というものは大勢の共感を得るにあたって、この上なく役に立つ。


 こうして、私は当主になる前から、地方教会と癒着の基盤を築くことになった。

 言わずもがな、現代日本の倫理観で考えると、やってはいけないことである。

 まあ、倫理的にはともかく、利権が絡むパワーゲームの舞台で小奇麗にするのもバカバカしい話だが、心根良い子の私にはいささか心苦しい。

 私、汚れちゃった……悲しいんですの。


 後年、『魔女』の名は、エレミアと教会の関係を象徴する暗喩として用いられた。

 大勢が安穏とした暮らしを享受する、その裏側では、泥沼もかくやという権力闘争の時代が静かに幕を開けたのだ。


 ちなみに、この時の私は知るよしもないが、後世におけるエレミアの人物評価は、この辺りの汚濁が原因で、散々なことになるのだった。


 実際問題、自分の行いが暗君のソレだという自覚はある。

 こればかりは仕方がない。

 

 こうして、私が愛想笑いを浮かべる度に、未来の負債が着実に増えていくのだった。


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