第29話 ひとつの別れ

 成し遂げたわ。


 朝、私は清々しい気分で起床した。

 着替えて朝食を済ませると、邸宅ではいつものように大勢の使用人が働いている。


 ……そう、私は勝ったのよ。反乱傭兵を鎮圧して、いつも通りの暮らしを取り戻した。


 イマイチ実感がわかない。

 ぼんやりして、夢でも見ているのかと思ってしまう。


「エレミア様、おはようございます」


 ぼーっとして振り返ると、アルフォンスが笑顔であいさつしてくれた。


「アルフォンス。うん、おはよう」


「お怪我の具合はいかがですか? 淑女の顔に傷を負わせてしまいました」


 燕尾服が似合うアルフォンスは、投石で負傷した私の具合を心配してくれた。

 淑女の顔の怪我が死活問題なのは、モーントシャイン王国でも同じらしい。


「そうね……まあ、いいんじゃない? 風格があるわよ」


「ははは、そう言っていただけると、私どもの気も楽になります」


 アルフォンスが苦く笑った。

 彼も少なからず負傷していた気がするけどね。


「さあ、皆に顔を見せてやってください。あなたはレーゲンの誇りです」


「大袈裟ねえ……ヴォルフの方が有名人じゃない? 親衛隊のヒーローよ」


 私はアルフォンスと語らいながら庭先に向かう。

 そこにはヴォルフとカタリーナがいた。


「ああ、エレミア様ぁ、おはようございますぅ」


「エレミア様、おはよう」


 カタリーナはあけっぴろげに、ヴォルフは淡々とあいさつしてくれる。


「ふたりともご苦労様。ありがとうね」


「よしてくださいよぉ。私は一生懸命、槍を振っていただけですからあ」


 服の下から包帯をのぞかせるカタリーナが、槍を振る真似をした。

 勇ましいわね。


「それでも、カタリーナはヴォルフの背中を守ってくれたんでしょう? ありがとうね。ヴォルフは、すごくカッコいいお姉ちゃんに恵まれたと思うわ」


 私が誇らしくカタリーナを称賛すると、彼女は「て、照れますねえ」と赤面した。

 意外と恥ずかしがり屋なのかな? とはいえ、まんざらでもなさそうだ。


「それにしても、エレミア様はすごかったね。エレミア様が直轄した、俺を含めた親衛隊には誰も死者がいなかった。これってすごいことだよ」


「その通りです。彼らは皆、すさまじい戦意を示していた。私が率いた精兵の方が、よほど負傷者を出している。見事なお手並みでした」


 アルフォンスが教えてくれるところによると、最初に反乱傭兵を挟撃した親衛隊と騎士隊の損害は軽微で、後々に遅れて戦場に到着した自警団の方が、やはり死傷者が多く出たらしい。

 この辺りは、戦意以上に練度の差に違いない。


 今回、私は必勝の策を弄して、最良の優位を得た。


 加えて、ふるさとを守る大義名分のおかげでみんなの士気も高い。

 これで負ける要素はないと、私は半ば確信していた。


 しかし、現実には命からがら戦う反乱傭兵の決死の抵抗が、その邪魔をする。

 誰だって、死にたくないのだ。


 最期の最期まで、自分の命を守るために抗う反乱傭兵の執念は、誰彼にとって恐怖だっただろう。

 だから、完全な優位を得ていても、多くの死傷者が出たのだ。


 ……油断大敵よね。一歩間違えれば負けていたのかもしれない。


 私は冷ややかな心持ちで、戦場の悲惨を述懐した。


「ああ、そうそう。先ほど、ヨーゼフ様が帰ってきましたよ」


「お父さまが?」


 アルフォンスの発言に、私は首をかしげた。

 さすがに「今更ぁ?」とは言えない。


「どうやらヨーゼフ様も反乱傭兵との戦いで左腕を負傷なさったようです。浅くない手傷でした。日常生活に、支障はないようですが」


 アルフォンスは問題なく伝えてくれるが、家族が怪我をしたとあれば、心配よね。


「ふーん、お父さまが、ね……私、ちょっと会ってくるわ」


 私はアルフォンスに頼んで、ヨーゼフとの面会を調整してもらうことにした。


 父親が怪我をしているというのに、見舞いに行かないのは親不孝だ。


 私は当主の部屋へと向かう。


 と、これはまったく別の話だが、親衛隊のみなさんは私の家来としてレーゲンの屋敷で働くことになった。


 10名がそろって、私とアルフォンスに直訴してきたのだ。

 案の定というべきか、読み書きも算術もできず、屋敷の仕事も一から覚えなければいけない親衛隊の肩身は狭かった。

 とはいえ、この点に関してはアルフォンスの指導と、みなさんの熱心な努力によって解消されるに違いない。

 私の独断で家来を増やしてしまったので、その尻拭いをするアルフォンスは、最近とても忙しい。

 私が謝罪すると「将来有望な若者がいてくれるのは、頼もしいことですよ」と彼は愉快そうに笑っていた。


 まかせっきりにしておくのも申し訳ないので、私はここ最近、親衛隊のみんなといっしょにご飯を食べるようにした。


 自分で言うのもなんだけど、成長したエレミアはなかなか顔が良い。

 ので、みなさんとても喜んでくれる。


 心根庶民の私が、平民出身の親衛隊と打ち解けるまでに時間は必要なかった。

 身分の差こそあれ、実際には気楽な関係である。

 

 ……とはいえ、主従のケジメはつけないとね。


 いつまでもお友達感覚だけで、貴族令嬢はやっていられない。

 なんとも、悩ましい問題である。


 ◆◆◆


 そうして、私がヨーゼフのお見舞いに行くと、しかしヨーゼフは冷淡な態度で、私を追い払った。


 どうやら、自分よりも投石を受けた私の頭の怪我を心配してくれたようで、「安静にしていろ」と怒られてしまった。


「おまえは15の年に、貴族学校に行くのだ。それまでに体調を整えておけ」


 ヨーゼフはそれだけ言って、私を部屋から送り出した。

 ヨーゼフ当人も大事を取って安静にするそうだ。


 屋敷の管理はアルフォンスに任せて、今は養生するらしい。


 結果だけを言えば、この後2、3週間を経て、私もヨーゼフも問題なく回復した。


 しかし、ヨーゼフはその後も私室にこもることが多くなり、人前に出ることが少なくなった。


 統治者としてのヨーゼフは、慎重で用心深く、民を想う為政者の鑑に違いない。

 だというのに、そのヨーゼフが、何を思い悩むのだろうか?


 私は不思議に思う。


 私はふとした出来心で、ヨーゼフとクラーラの会話を盗み聞きした。


 ◆◆◆


 私が扉の向こうで聞いているとは知らず、ヨーゼフとクラーラが話をしていた。

 私はバレないように、息を殺す。


 ヨーゼフは、独り言のように粛々と語りだした。


「聞いたか、クラーラ。あの傭兵ジーモンが焼き殺された。悪逆の名をほしいままにしたあの傭兵ジーモンが、やすやすと、エレミアの手で……こんなバカなことがあるのか……」


「ええ、あの子は、もう、一人前の……いえ、それ以上のレーゲンの跡取りですわ……」


 表情は見えないが、どこか苦しそうな物言いで、クラーラが答えた。


「ワシはアレの扱いを間違えたのかもしれぬ。ワシはエレミアの記憶がなくなった時、太陽神の神意を授かったと考えた……しかし違った。アレは、エレミアは、それ以上の、悪魔のような娘だ」


 苦悶だとわかる物言いでヨーゼフが言う。

 どうやら悩みの種は『私』であるらしい。


「あなた、滅多なことを言わないでください。あの子はあなたの娘ですよ? レーゲンの地を想い、レーゲンの民のために戦ったあの子を、悪魔だなんて……そんな酷い……」


 私が戦場で披露した武勇の数々が、人づてに伝わっていたのだろう。

 おそらくは「傭兵ジーモンを焼き殺した」とか「最前線で指揮を取った」とか、そういう大袈裟な風評が伝わったに違いない。


 噂に尾ひれがつくのは良くあることだわ。


「なにが魔女だ。笑えもしない話だ。14の娘が兵の心を掌握して、敵には魔女と呼ばれて恐れられる。クラーラ、この意味がわかるか? アレはまともな子どもではない。シェーネス・ヴェッターの小娘など、もはや比較にならぬ……ワシは今、あの子の行く道が恐ろしい」


「よいではありませんか、あの子が生きて帰ってくれた。それだけでよいのです……」


 クラーラの言葉に私は目頭が熱くなった。

 子を想う母の心は、強く温かい。


「――だとしても、ワシは今、エレミアが恐ろしいのだ」


 私はこの世界に来て、はじめて、自分が異物であることを思い出した。


 ……ああ、私はそういえば、この人たちの娘ではなかったな。


 私は扉に背を向けた。

 思えば、私は勘違いをしていた。

 だけど、ヨーゼフとクラーラは、私を思いやって、私のために悩んでくれる。

 それが今は、本当に心苦しい。


 ……首を吊って、死んだのだったわね。


 かつて生きて、そして死んだ私の人生には、なんの意味もなかった。

 そんな当たり前の現実は、今更、いささかも私の心に響かなかった。

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