第25話 まもるべきふるさと

 私が14歳になった年、はからずも私たちの政策は正しかったことが証明された。


 疫病だとか、感染症だとか、これまであまり聞かなかった『病』の数々が、モーントシャイン王国全土を蝕んだからだ。


 専門家ではない私には、原因はよくわからないのだけど、やはり道ばたで死体が腐乱するほどに劣悪な衛生環境が、悲劇の根本にはあるのだと思う。


 各地の村に住む平民、奴隷階級の人々が大勢死んだそうだ。


 しかし、不幸中の幸いでレーゲン領における『病』の被害は比較的少なかった。


 特に教会を通して死体処理を徹底させた村々における罹患者の数は、ほぼゼロだったらしい。

 すべての領民が悲劇をまぬがれたわけではないが、前向きに考えるなら悪くない結果ね。


 『病』の流行自体は、半年ほどで収束したんだけど、ここで別の問題が持ち上がる。


 レーゲン領から見て南東、そよ風の貴族、ブリーゼ家の領内で反乱が起きたのだ。

 平民の反乱ではなく、もともとブリーゼ家が雇っていた傭兵たちが賃金不払いを理由に不満を爆発させたらしい。


 反乱が起きた場所はレーゲン領に近く、自領地への飛び火を嫌うヨーゼフはブリーゼ家の救援要請に応じて、1000人ほどの兵を連れて出立した。


 が、これがまずかった。


 敵は歴戦の傭兵であり、彼らはヨーゼフとブリーゼ家の追撃をふりきって、電撃的な進行で領境を越え、レーゲン領へと雪崩れ込んだのだ。


「このままでは、反乱傭兵の進路上にある村々が蹂躙されます」


 アルフォンスは私とヴォルフ、そして屋敷に残る騎士たちに現状を伝える。


 これはヨーゼフが部下に命じ、馬を走らせてよこした緊急の知らせである。

 まず間違いないだろう。


「となると、ヨーゼフ様の本隊が戻るまで、反乱傭兵を食い止めればよいのですかな?」


 ジャンが難しくたずねた。

 彼は義務を負う騎士である。民の安否が気になるのだろう。


「いえ、主力が出払った今のレーゲンには反乱傭兵を退ける余力はない。仮に兵を集めて打って出たとしても、距離的に村の防衛は不可能です」


 そういうことね。主力が遠征しているレーゲン領には、戦力が不足しているのだ。

 加えて反乱傭兵の侵攻は電撃的で、どれだけ急いで徴兵しても対応が間に合わない。


 軍を動かす物資も足りず、私たちは後手に回る。

 戦力の不足を民間から徴兵するという案も挙がったが、アルフォンスが却下する。それは貴族階級が戦いの義務を放棄する愚考だろう。


「今ここにいる私たちが反乱傭兵に対して、直接ぶつかる判断は避けるべきです。ヨーゼフ様の帰還を待ち、主力と合流した上でなければ、危うい戦いになる」


 アルフォンスは臆面もなく言った。


 蹂躙される村々について、彼は何も言わない。

 誰もが屈辱で歯噛みするようだ。不利を理由に領民を見捨てる判断を、騎士たちは許せない。


「っ、ふざけるな! 騎士たる者が、逆賊に怯えて領民を見殺しにするというのか!?」


 ジャンが鬼の形相を浮かべて、アルフォンスの胸倉をつかむ。


「その通りです。ジャン殿。ここで我々が考えもなく玉砕すれば、レーゲン領の秩序は崩壊するでしょう。ここは籠城して、時間を稼ぐ判断が最善だと、私は考えます」


 アルフォンスは眉一つ動かさない冷静で、ジャンの激情を退ける。


「むう……しかし、アルフォンス殿。それは騎士の名折れだ。臆病に流れて戦いの義務を果たさなかった貴族を、領民は決して許さないでしょう。賛同はできませんぞ」


 ジャンだけではなく他の騎士たちも、アルフォンスの案には反対らしい。

 日頃は気のいい連中も、この時ばかりは難しい表情をしている。


 みな、領民を想う騎士の鑑だ。

 戦力の不利で臆病風に吹かれるどころか、彼らは戦いを望んで熱く燃えている。


「そうだ! 卑劣な傭兵を恐れる理由などない! 急ぎ戦いの準備をしろ、出立だ!」


 ひとりの騎士が叫び、勢いのままに行動を始める。

 誰もが戦意溢れるその背に続いた。


「アルフォンス殿! 貴殿も、レーゲンの家に属する者ならば、今こそ責務を果たせ!」


「……わかりました」


 アルフォンスは熱した周囲を説得できず、やむなく引き下がった。


 私はどうすることもできずに、出立の準備を始めるアルフォンスの背を見送った。

 私が思うに、アルフォンスは正しい。

 敵は盗賊団ではなく歴戦の傭兵なのだ。


 万全を期してなお、対処に悩む相手だというのに、戦力が不足した現状で対応できる道理はなかった。


 ……これは絶対にマズい、止めることはできなくても、冷静にさせないとダメだわ。


 私が意を決し、口を開こうとすると、しかし私を引き留める者がいた。


「やめなさい、エレミア。騎士が命をかける戦場に、半端な覚悟で口をはさむものではありません」


 クラーラだった。

 お母さまは、いつになく据わった瞳をしている。


「お母さま……」


 機先を制された私は、言葉を飲み込む。


「来なさい。それとヴォルフ、あなたもです」


 クラーラは騒然とするこの場を離れるよう、私たちを先導した。

 誘導されて、私たちが辿り着いたのは当主の部屋である。

 いったい、ヨーゼフの部屋になんの用があるのか?


 そんな私の疑問は捨て置いて、クラーラは「入りなさい」と告げて室内に踏み入る。


「エレミア。当主から、あなたに伝言を預かっています」


 私たち三人以外には誰もいない当主の部屋で、クラーラは神妙に切り出した。


「当主は、レーゲン家にとって致命的な問題が起きた時に備えて、私に対して、あなたへの言伝を命じました。『緊急に限り、レーゲン家のありとあらゆる全権を委譲する』と」


 私はクラーラの言葉に耳を疑い、その両目を見つめ返した。


 ……レーゲン家の全権? それって、ほとんど家督をゆずるに等しい話じゃない?


 私が重責に気圧されていると、クラーラは「何を怯えていますか」と私を叱咤した。


 立ち会うヴォルフも驚きを隠せないようで、私を見ている。

 ヴォルフが傍にいてくれたおかげだろうか、私は自分が背負うべき責任に対しても、少しだけ気楽になれた。


 どうやら私が想像していた以上に、ヨーゼフは私の実績を評価してくれていたらしい。


「誇りに思います。今がその時、ということですね、お母さま」


「そうです。あなたはレーゲンを背負い、領民の命を背負う大貴族の娘よ。その名に恥じぬよう、堂々と立ちなさい。先祖代々の魂があなたを守ってくれるでしょう」


 信心深いクラーラが、まぶたを閉じて祈りをささげた。


「こんな形で、立派になったあなたを見たくはなかったけれど、ね」


 クラーラが複雑そうに微笑んだ。

 それは当主を支える妻ではなく、子を想う母の哀愁だった。


 私は優しくも気高い母親に一礼して、踵を返した。

 私にはレーゲンを背負う統治者の威厳なんてないけれど、それでも今の私にはやるべきことがあった。

 ヴォルフは、何も言わず私の後ろを歩んでくれる。


「そうよ。それでいいの」


 クラーラはそれ以上を言葉にせず、私を送り出してくれた。


 私はヴォルフに指示して、着替えるために使用人を呼ぶ。


「エレミア様は、戦場に行くんだね」


「そうよ。あなたも来なさい。アルフォンスの言う通りだわ……今回の戦い、負ければレーゲンの村々が略奪される。本当なら慎重の上に、万全を期すべきなんだろうけど」


 アルフォンスが語った通りに『待つ』判断が最善だ。

 勢いのままに出陣して「負けました」なんて可能性は、万に一つも許されない。

 しかし騎士たちの言葉にも一理ある。

 民を守る戦いの義務を果たすからこそ、貴族は贅沢が許されるのだ。


 それがどんな不利な戦場であっても、退くわけにはいかないだろう。

 

 だから、今はやるしかない――と、私が結論を告げると、ヴォルフはうなずいてくれた。


「勝つわよ。ヴォルフも、アルフォンスも、みんなで笑って帰りましょう」


 それだけを伝えて、私は支度を終えた。


 一目で指揮官だとわかる煌びやかな戦装束に身を包んだ私に対して、庭先に集結する兵たちの視線が注がれた。

 皆が武装している。


 私が馬に乗ると、ジャンがおののくように一歩を退いた。


「エレミアお嬢さま!? まさか、出陣なさるのですか!?」


 ジャンのみならず、誰もが私の戦装束を見て驚いていた。


 まあ、そうよねえ、と思う。


「レーゲンの威信がかかった戦いです。私が指揮を執ります! これは父の言葉です!」


「おお! 卓上で負け無しと名高いエレミア様が! ついに!」


 誰かが大いに声を上げた。

 私に気をつかって盛り上げてくれたのかな?

 小娘が指揮を執ると聞いても、まるで臆することをしない戦士たちの姿は、戦意に満ちて勇ましい。


「そうです。私は父から言葉を授かりました。レーゲンの危機に置いて、すべての采配を私に任せると。これは父の言葉です。今この時、私の言葉は当主の言葉だと心得なさい」


「そうでしたか……エレミアお嬢さまは……いえ、エレミア様は本当に立派になられた」


 ジャンと他の連中が忠臣ノリでむせび泣いている。

 これから死ぬかもしれない戦場におもむくというのに、まったく、義に厚い連中だわ。


 そんな時に、普段の燕尾服ではなくて軽鎧を身に着けたアルフォンスがあらわれた。


「エレミア様は、存分に采配をふるってください。些事は我々が対応します」


 アルフォンスも、もはや私をお嬢さまとは呼ばない。

 彼は好ましい微笑みを浮かべた。


「先ほど、僭越ながら馬を走らせました。近隣の自警団が戦力に加わる予定です」


「自警団? 練度とかは……いや、村が略奪されたら結局は同じか。みんな必死なのね」


 どうやらアルフォンスは戦力の不足を補うために、自警団を利用するつもりのようだ。

 民間からの徴兵に近いけど、これは場しのぎで許されるギリギリの緊急避難だと思う。


 型にとらわれず、手段を選ばない発想は、平民出身の彼の本領だろう……どんな状況でも人間の知恵を尽くすアルフォンスの言葉は、本当に心強い。


「戦力としてはいささか不安ですが、教会の信仰に由来する自警団の戦意は強固です。戦場に到着するタイミングによっては、伏兵として扱えるかもしれません」


「……それは止めておいた方がいいかもね。できれば事前に合流しておきたいところだわ」


 私も私なりの立場で自分の見解を伝える。

 伏兵は魅力的だが、失敗すれば、それは単なる戦力の逐次投入で、練度の低い自警団が各個撃破されるだけに違いない。


「アルフォンスが私を支えてくれるなら、この戦いで憂えることはなにもないわ。ありがとう、私はあなたの『友情』を頼もしく思います」


 私が感謝を伝えると、アルフォンスは朗らかに笑ってくれた。


「その言葉を、私だけなく、皆にかけてやってください。それがあなたの務めだ」


 言われて周囲を見ると、馬上にまたがる私をみんなが見ていた。

 誰もが騎士階級のフル装備ではなく、平民出身の戦士たちは比較的軽装をしている。


 盛り上がる戦士たちを高い場所から眺めていると、アルフォンスの後ろから、ひとりの少女がひょっこり現れて「素敵ですねぇ、エレミア様」と笑った。


 槍で武装した奴隷少女は、お姉さんのカタリーナだ。

 彼女は以前、ヴォルフの学友になりたいと懇願して以来、アルフォンスの教えを受けていた。


 カタリーナには、どうやら学問よりも武芸の才能があったようで、槍を持つ姿がなかなか様になっている。

 さすがに鍛えた連中には敵わないが、本来武器を持つことが許されない奴隷階級としては立派な装いである。


「カタリーナ」


「私も戦いますよぉ。弟分のヴォルフくんが戦うのに、お姉ちゃんが逃げていたら格好がつかないので、ねぇ」


 カタリーナは間延びした口調で愛想よくふるまい、私もそれにうなずきで応じた。


「カタリーナ、ヴォルフの背中を、よろしくおねがいします」


「任せてくださいよぉ」


 私たちは微笑みを交わした。


 現実的には、ヴォルフがカタリーナを守ることになるだろう。

 とはいえ、彼女の献身を私は頼もしく思う。


 なにしろ、あのヴォルフを弟分として扱う、『カタリーナお姉ちゃん』だからね。


 気づけば、庭先には300人近い兵士が集まり、誰も彼もが高揚している。

 よく見れば、年配のおじいさんや、ボロボロの装備しか持たない者もいる。


 若く力のある戦士たちは主力としてヨーゼフに同行しているのだから当然だ。

 しかし、そんな事情はここに至って問題ではない。


 ジャンは私の隣で庭石の上に立ち、戦士たちに激励を飛ばす。


「戦士たちよ! 諸君らも事情は聞いているはずだ! レーゲン領は今、ブリーゼ領から流入した反乱傭兵の脅威によって、蹂躙の危機にある!」


 誰もが不条理に怒りを叫んだ。

 この場に略奪者の横暴を認める者はひとりもいない。


「やつらは卑怯にもヨーゼフ様から逃げ出し、その上でなお、力なき民からの略奪を望んだッ! 我らは寡兵だ、だがッ! 薄汚い外道の所業を、断じて許すなッ!」


 ジャンが兵士たちを煽ると、彼らの戦意が熱気と共に場を満たした。


「正義を示せッ! 卑劣な傭兵を叩き潰すぞッ!」


 ジャンが剣を掲げると、兵士たちが怒号を挙げてその意志に応える。

 熱狂冷めやらぬままに、私たちは出陣した。


 誰もが立ち上がり、誰もが奮い立つ。

 これは、ふるさとを守る戦いなのだ。



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