第24話 丘の上の約束

 私は13歳になった。現代日本なら中学生くらいね。


 幼さを残していた外見もほどよく整う。

 これなら淑女と呼ばれるにふさわしい。


 この度、私はヴォルフとアルフォンスの訓練を見物していた。

 アルフォンスの訓練は実戦を想定していて、基本的には対多数の戦いである。


 アルフォンスが指揮をとって複数の敵役を差し向けることもあれば、時には彼自身がヴォルフと共闘することもある。

 今日は1対1で馬に乗った相手と戦う訓練だ。


 騎兵との戦いは派手でおもしろい。


 一歩間違えれば大怪我をする危険な訓練だが、ヴォルフは文句ひとつ言わずに従う。

 素敵ね。


 アルフォンスは馬を操って突撃するが、ヴォルフの立場で、馬の進行方向だけに注意を向けることは許されない。


 馬上のアルフォンスが器用にも弓を引くからだ。

 ヒット・アンド・アウェイで、アルフォンスは絶え間なく攻める。

 ヴォルフは防戦一方だ。

 もちろん訓練用の矢なんだけど、当たれば絶対痛いと思う。

 ヴォルフは盾による防御と全力のフットワークを駆使して、アルフォンスの攻勢をしのぐ。


「そうだ、足を止めるな。轢き殺されるぞ。ベタ足で殴り合う白兵戦だけが戦場の華ではない。騎兵の遊撃、弓兵の斉射……生き残りたければ足を棒にしてでも動け。続けるぞ」


 お次は弓を槍に持ち替えて、アルフォンスは馬で駆ける。

 馬のスタミナも無尽蔵ではないと思うけど、人間の体力とは比較にならないし、その突撃は恐ろしい脅威だ。


 カウンターを合わせることもままならず、ヴォルフは槍の一撃を喰らって、転倒した。


「さ、さすがに1対1で馬の相手は無理じゃないの?」


「その判断を下すのはヴォルフですね。彼は少し周囲との連携を軽視するきらいがある」


 ヴォルフが立ち上がる頃には、アルフォンスは手を休めて私と会話していた。


「やっぱり、ひとりだと勝てないのか。うん、よくわかったよ」


 ヴォルフが納得した様子でうなずくと、私と話していたアルフォンスが「やっと気づいたか……」とため息をついた。

 ヴォルフは槍で殴られた右肩をおさえている。


 ヴォルフは、なんというか頭の回転は速いけど、意固地だ。

 学問も軍卓も武芸も、なにをやらせても上手くやるけど、我流でくせが強い。

 アルフォンスが求める臨機応変の数々は、ヴォルフにしてみれば自分の弱点を白日にされる試練に違いない。


 試練を課すアルフォンスはヴォルフの負傷を確認して、ひとまず馬から降りた。


 彼は息ひとつ乱していない。


「それが教訓だ。相手が都合よく隙を見せてくれると思うな。対峙する敵は常に、世界最高の戦士だと思え」


 アルフォンスは「明日の訓練では、おまえの側に仲間を用意する」と、付け加えた。


 訓練場から屋敷に帰る途中でも、アルフォンスは「盾の扱いはこう」、「馬の正面に立つな」と、ヴォルフを延々指導している。

 何度も横合いで聞いているうちに、私もなんとなくアルフォンスの意図が分かって来た。


 彼が教える戦いは「自分の命を守る」戦いであり、ヴォルフの無謀をいさめる人間の知恵だ。しなやかな獣の感性を持つヴォルフの個性とは相反するようだけど、アルフォンスは人と獣の片方ではなく、高次元での両立を求めるようだ。


 私たちは屋敷に戻り、その流れで解散する。

 ヴォルフは肩の負傷を癒すべく休養を命じられる。


 アルフォンスは仕事に向かおうとしたが、私は彼を呼び止めた。


「アルフォンス。お願いがあるの、聞いてくれるかしら?」


「はい、なんでしょうか」


 私はアルフォンスに指示して、庭先の長椅子に腰を下ろした。


「あのね、以前話した、自警団の件、教会への資金繰りをいっしょに考えてほしいの」


「資金繰りですか。それはヨーゼフ様に判断をあおがなければ……」


 アルフォンスは難しい表情で「私の一存では、なんとも」とつぶやく。


「いや、見積もりだけでいいのよ。お父さまも『自警団くらいなら……まあ許す』って言ってくれたじゃない? お金の話は切実だし、事前に費用を把握しておきたいの」


 アルフォンスは「確かに、見積もりは必要ですね」とうなずく。


「しかし、レーゲン家に資金の余剰は基本的にありません……先日の助成金が限界で……」


「わかっているわ。だから、冬が終わって落ちついたころに……助成金を切り崩して、予算を……その、無理のない範疇で、自警団の装備にあてる算段をつけてほしいのよ」


 私の頼みに対してアルフォンスはものすごく微妙な顔をした。

 そりゃそうだろう、「既に用途が決まっている公的資金を横流ししたいから、よろしく!」と言われているのだ。

 まっとうな感性をしていれば、それが褒められた行いではないとわかるだろう。


「厳しい冬が終われば、算段自体はつきます。まあ、浮いた資金を遊ばせない……という名目であれば、ヨーゼフ様への説明も、なんとか可能かと」


「助かるわ。教会への死体の運び込みは、冬の間がピークだと思うの。温かくなれば、一段落するはずだからね。見積もりを頼むわ。できれば、ここだけの話でよろしく」


 なんか後ろ暗い話になってきたけど、私はあくまで見積もりを頼んでいるだけだ。

 助成金の流用は問題だけど、しかるべき利点を用意すればヨーゼフへのプレゼンも可能だろう。

 既存の予算内で資金繰りする程度なら、私の越権を咎められる心配もないはずだ。


 語るべくもなく、将来的にレーゲン家と教会の関係を強化できれば、なおすばらしい。


「見積もりだけなら、2、3日あればできます。切り詰めた内容でよければ、ですが」


「お願いするわ。お父さまへの説明は、見積もりを待ってから、私がするわね」


「見積もりを待ってから」というのは、もちろん「ここだけの話」という念押しだ。


 ◆◆◆


 結論から言えば、春先になって凍死者は激減し、教会が担う死体処理の仕事も減った。


 おかげさまでというべきか、私はアルフォンスの見積もり通りに、浮いた助成金を苦労なく自警団の結成に流用することができた。


 しかし、自警団はあくまで村人の集い。

 良くも悪くも訓練を受けていない素人の集いであり、ハッキリ言えば烏合の衆だ。


 ……装備を与えるだけじゃなくて、訓練をさせなくてはいけないかもね。


 私はヨーゼフの反対を丸め込みながら、教会とのさらなる関係強化を目指した。


 烏合の衆の自警団でも、いないよりは治安向上の効果があると信じたい。

 目指すところは、僧兵っていうのかな……あんまり平民に力をつけさせて反乱を起こされたら面倒だけど、長い目で治安の安定を考えるなら、最終的には貴族の統治だけではなくて、信仰に根差した村々の自治を計画したい。


 そういった活動のかいもあって、教会や平民のみなさんの間では、エレミア・フォン・レーゲンの名は親平民派の代名詞として広まっていった。


 民に寄り添う善人貴族という評判だ。


 これを喜ぶのは考えものだが……まあ、虚言癖持ちの悪評よりはマシかな。

 元より、世間の風評は無視すると決めている。

 私が欲しいのは教会の権威と、信仰が生み出す莫大な富だ。


 とはいえ、領民に嫌われるよりは好かれている方が都合がよいのも確かだ。


 私がヴォルフを連れて村々の視察に向かうと、みんな、私を笑顔で出迎えてくれた。


 本心で、誰彼が何を考えているのかはわからないけれど、領民の目線では死体処理と貧困支援の政策が、おおむね好意的に認められたということだろう。

 これは素直にうれしい。

 みんなで知恵を絞って考えたアイデアなのだから、そうでなくては困るけどね。

 

 ひとまずのところで、私の評判は『前途有望な次期当主』であり、その善意を疑う者はいなかった。


 金儲けのために教会との関係を築いているとは誰も思わず、私自身もみなさんの期待に応えて善良な貴族令嬢を演じている。


 もちろん、地球生まれの私は、自分のやっていることが暗君の所業だとよくわかっている。

 教会に癒着した内政などは、いずれ大勢の未来を食い潰すに違いない。


 だとしても、今、この時代に生きる人々を救うことが最善だと、私は信じる。

 未来とは過去と現在の集積だ、終わりよければすべてよし、なんていうのは他人事の幻想である。


 ◆◆◆


 思春期も半ばに、夏が来た。


 今日の私は教会の視察を兼ねて、少し遠くの村を訪れた。


 付き人のヴォルフは、村の娘たちに囲まれて、困り顔でその相手をしていた。

 モテる青少年の苦悩と青春の1ページである。まったく微笑ましい。


 奴隷階級というだけで損をしているようだが、ヴォルフは優秀な人材だ。

 身分の低い平民の目線ではヒーローみたいな存在だろうと思う。


 私が笑って見物していると、主人である私に遠慮したのか、私の視線に気づいた村娘たちがヴォルフから離れて散っていく。


 疎外感を覚えて、少しだけ寂しい。

 私が13歳の時には、どんな話をしていたかな……

 

 私が懐かしい気分で微笑むと、ヴォルフは急ぎ私のもとに帰って来た。


「助かったよ。エレミア様、大勢が話しかけてきて、どうにも断りづらくて」


 モテ期を自覚しないヴォルフがため息をついた。


 はーっ、見た目でちやほやされるのは若い内だけよ?

 そこは素直によろこんでおきなさいと、お節介で言いたくなる。


 私は苦く笑って肩をすくめた。

 つくづく、もったいない性格だと思う。


 モーントシャイン王国の平均的な男性と比較しても、ヴォルフはやはり奥手なのだ。


 村娘たちが、遠くからチラチラとこちらを盗み見ていたが、私は気にせずヴォルフを連れて、その場を立ち去った。

 公務よ、公務。浮ついた気分はナシでよろしくね。


「ねえ、エレミア様は、この村に来たことがある?」


「うーん? いや、はじめてだけど。どうしたの?」


 ヴォルフは私の質問に答えず、フッとまぶたを伏せる。


「外れに、見晴らしのいい丘があるんだ。行ってみない?」


 私はヴォルフの誘いに応じて、少しの間、山道を歩いた。

 その場所は、眼下の村のみならず、隣接した平野が一望できる素敵な観光スポットだった。


 見事な景観に感動する。

 私はヴォルフの気遣いを嬉しく思った。


「へえ、戦争で本陣を構えるのによさそうね。この丘、覚えておこうかな」


 ヴォルフが隠しもせずに一笑した。

 風情の欠片もない物言いに、さすがのヴォルフも呆れたのだろう。


 ご、ごめーん、つい戦略ゲーム好きのさがで……


「この村は、俺のふるさとなんだ」


 ヴォルフは眼下の村を眺めて言う。

 豊かではないが、貧しすぎることもなく、村人たちの行き交う姿が見えた。


 代わり映えしない人々の営みだ。


 この村がヴォルフのふるさとだとは初耳だった。そういえば私は、ヴォルフのことを何も知らない。


 どこからかレーゲン家に流れ着いた名無しの奴隷少年だという事実以外には、私は彼の出自や人生を、何も知らないのである。

 

 むろん、誰彼のふところを詮索しないのは当然の配慮だが、距離も感じる。

 ひょっとしたらヴォルフは、私に心を開いてくれたのかもしれなかった。


 この素敵な丘の眺めは、彼にとって憩いの場所なのだろう。


 だとすれば、本当にうれしい。

 主従の絆ではなくて、対等な友人として、私は初めてヴォルフの隣に立てたような気がする。


「この景色を、エレミア様にも見てほしかったんだ」


「そっか、ありがとうね。すごくうれしいわ……うん、本当にうれしい」


 私はなんとなく照れくさくなって、あいまいな笑いでお茶を濁す。


 素敵な眺めを楽しみ語らう、まるでデートスポットだなと、私は思った。

 ヴォルフにその気はないんだろうけどね。享年25歳の立場では、なかなかにまぶしい夢である。


「エレミア様、俺は強くなるよ。この世界の、誰よりも、強く」


「なら、私はその手を引くわ。あなたの強さにふさわしく、ね」


 私とヴォルフは多くを語らず、うなずきあった。


 夢のようなひとときは、しかし決してウソを語らう逃避ではない。

 一言の誓いは、私たちが共に行くべき道を教えてくれる。


 エレミアの青春は静かに過ぎていった。


 人の死も、世界の悲惨も、今だけは忘れてしまって許されるかな、と……夢にまどろむ私は、モラトリアムの最後を好ましく笑った。


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