第22話 アンネがんばる

 雪解けの頃に、遠征していたヨーゼフが帰ってきた。


 ドンナー家との交渉をとりまとめた結果、一連の盗賊団騒動を王家に報告することになったらしい。


 そしてなぜか、ヨーゼフはアンネの手紙を持って帰って来た。

 雷の貴族、ドンナー家の一人娘、アンネ・フォン・ドンナーから、エレミアに宛てた手紙なのだとか。


 ドンナー家は王国の西方を統治する大貴族であり、その財力と勢力はシェーネス・ヴェッター家とレーゲン家に次ぐ中堅であるらしい。


 ドンナー家の立場は縁の下の力持ちであり、お家の格は少し落ちるのが実情だ。


 また、家格の向上を望む中堅貴族とレーゲン家との折り合いは基本的に悪いようだ。


 それに加えて、今回の盗賊団騒動に際して、ヨーゼフがドンナー家の不手際を非難した都合上、相手方の心証は悪い。


 そんなドンナー家のご令嬢であるアンネが、手紙で何の用かと、私は疑問に思った。


「おまえ宛の手紙だ。中身は見ていない」


 夕食の席で、ヨーゼフは興味もなさそうにアンネの手紙を渡してくれる。

 エレミアが築いた交友関係を、クラーラは前向きに考えてくれたようで、「まあ、エレミアにもお友達ができたのね」と嬉しそうに微笑んでいる。


 思えば、アンネに関して何らかの知らせを受け取るのは、シェーネス・ヴェッターのお友達会以来だった。

 お互いに親しい間柄ではないんだけど、どうしてだろう。


「わざわざありがとうございます。お父さま」


「気にするな。大した手間でもない……それよりもエレミア、おまえには話がある」


 ヨーゼフは据わった両目で、私を射抜いた。


「エレミア。おまえ、ワシの留守中にヴィントシュティレのせがれを誘惑したらしいな」


 ヨーゼフが頑固おやじの形相になった。

 娘の可愛さゆえに雷が落ちる一歩手前だ。


「あなた……誘惑だなんて人聞きが悪い。ペーターさんは素敵な紳士でしたわよ」


 クラーラは頼んでもいないのにペーターを擁護する。

 私はとても気まずい。

 世間の風評では、私が悪戯でペーターを誘惑したという話作りになっていた。

 もちろん、誤解だ。


「真実がどうであれ、ワシの目が黒いうちは浮ついた話など認めんぞ。それに16が来るまでは、エレミアに家督を継がせるつもりもない」


「と言いますと?」


 私がたずねると、「言葉通りだ。他意はない」とヨーゼフが呆れがちに言った。


 ヨーゼフの立場では、跡継ぎであるエレミアの結婚相手は、石橋を叩くよりも慎重に選びたいのだろう。

 ペーターが属するヴィントシュティレ家には、実のところ大した力はない。

 力の強い大貴族と友好を築けば、それは争いの種になるし、かといって力を持たない貴族と娘をくっつけても、それはやはり無意味だ。


 お家の看板は難しい問題である。


 八大貴族のヴィントシュティレ家でさえ、ヨーゼフは体裁をよしとしないようだ。


「さすがですわ。お父さま。その冷静な判断を、私は娘としてうれしく思います」


「親が子の将来を案じるのは当たり前だ。しかし、おまえは妙に物分かりがいいな」


 ペーター推しのクラーラは不服そうだ。

 私はというと頑固おやじの良識を頼もしく思う。


 ……エレミアは愛されているのね。


 私は朗らかな気持ちで、ヨーゼフとクラーラをそれぞれ見る。


 この頃はどうも、エレミアの身体に思考が引きずられて、田中のぞみとしての自分を忘れがちになる。


 許されるのであれば、すべてを忘れてレーゲン家の子どもとして生きるのも悪くない気がした。

 私はエレミアだが、その心は偽りに満ちて、本物のエレミアではありえない。

 偽りと知って幸せを抱く。しかしそれもまた、私が生きる意味なのかもしれない。


 ◆◆◆


 夏の中頃、レーゲン家の邸宅に、アンネがやってきた。


 アンネ・フォン・ドンナー。彼女は私のひとつ上で、ペーターと同い年の13歳だ。


 ウェーブがかかった金髪を肩口で切りそろえて、ぱっちりした翡翠の瞳が魅力的だ。

 可愛いというよりは、綺麗系、時代の最先端を行くオシャレ系の女の子である。


 ……ツェツィーリア辺りと比べると、ワンランク落ちるけどね。


 私はおばさん目線で失礼な評価を下しながら、アンネを出迎える。


「いらっしゃい、アンネさん。本日はお日柄もよく……」


「心にもないあいさつは結構ですわ。そこの奴隷少年も、会釈しなくてよろしい」


 再会して早々、アンネはトゲのある物言いをする。

 私に付き添っていたヴォルフが「失礼しました」と一歩を退いた。


「そんな冷たいことをおっしゃらず。せっかくアンネさんに会えたのに私悲しいですわ」


 私は心にもない社交辞令を続けて「ペーターさんも悲しみますわよ」と笑った。


 アンネがペーターに恋心を抱いているのは知っている。

 彼女には、がんばってもらいたいわね。


 私がペーターの名前を出すと案の定、アンネは歯ぎしりして、悔しげに私を睨む。


「きいーっ! エレミアさん、あなた! 風のうわさで聞きましたわよ!? よくも、ペーター様を……舌先三寸で殿方を誘惑しようだなんて、淑女の風上にもおけませんわ!」


「ごめーん。でも仕方ないじゃない? 元はペーターさんが私に手紙を送ってきて、私はそれにお返事を書いただけなのよ。みなさん、誤解していると思いますわ」


 アンネは淑女のプライドを捨てて、地団駄を踏んで盛大に怒っている。

 彼女はどうも私を恋のライバルだと思っているらしく、抜け駆けした私が許せないようだった。


「誤解!? 誤解ですって!? わ、私なんて、ペーター様に何度お手紙を書いても、一通だってお返事をもらったことはないのに……あ、あんまりですわ……」


 アンネは目じりに涙を浮かべていた。


 なんというべきか、恋愛直球勝負の女の子ね。

 今の話に関しては「それはさすがにペーターが悪いわね」と思うんだけど、これを口に出せば大ひんしゅくを買うだろう。


 アンネの恋心は一途で、盲目以上の本物らしい。


「ああ、そうそう。実は私ね、ペーターさんのお家に招待されているのよ。よかったら、アンネさんも一緒に来ない? アンネさんの同行は、私の方から伝えておくわ」


 私はアンネが可哀想になって、ペーターに関する話題を振った。


 もちろんのこと、招待されたのは私一人である。

 ペーターはこの機会に私をご家族に紹介するつもりのようだ。


「……エレミアさんひとりで行けばいいと思いますわ。私なんてお邪魔虫ですわ……」


 アンネがふて腐れて、つまらなさそうにうつむく。


「気にしなくていいわよ。正直、私の方が気まずくてね……そもそもお父さまが、男女のお付き合いを認めてくれないのよ。だからね、本当のことを言えば、私はアンネさんに、ペーターさんの心を射止めてほしいと、思っていますの」


 私がアンネの手を取ると、「ほ、本当に?」と彼女は捨て犬のような視線を向けてきた。


 庭先で立ち話をするのはよくないと思って、アンネを自室に案内すると、その過程で気の利くヴォルフが周囲の人払いをしてくれた。

 アンネは恋心ゆえにハリネズミのようだったが、ひとつひとつ誤解を解いていくうちに、私とペーターのすれ違いを察してくれた。


 私は、さめざめと涙を流すアンネを励まして、彼女の恋路を応援すると約束する。


「ああっ! 私、エレミアさんのことを、とんでもなく誤解していましたわ。あなたは、とてもいい人ですのね。ペーターさんのことは、すべて私に任せてくださいまし!」


 ヴォルフは心底どうでもよさそうに窓の外をながめていた。


 ◆◆◆


 後日、ペーターは私とアンネの訪問を歓迎してくれた。


 ヴィントシュティレの人々はエレミアをペーターの婚約者だと思っているようで、お家総出のお祭りが催された。


 以前に約束していたペーターとヴォルフの剣術勝負も果たされ、その武勇に観衆は大いに盛り上がった。


 ペーターは年相応の13歳だが、ヴォルフは既に大人と変わらない体格をしている。

 技巧を尽くして戦うペーターだったが、ヴォルフの腕力となによりアルフォンス仕込みの戦闘技術は、ペーターの更に上をいく。


 勝敗は明確だったが、両者の健闘に対して誰もが称賛の拍手を送った。

 最初は気まずくしていたアンネも、観客としてペーターに黄色い声援を送っている……やはり泣き顔よりも、こちらの方が、彼女には似合っていると思う。


 開催された武芸大会のルールは、レーゲン家と同じく勝ち抜き式だ。


 特別参加のヴォルフは、次に次にと対戦相手を捻じ伏せた。

 今のところは8人抜きだ。


 そこで、ペーターが再び、戦いの舞台に上がる。本日二度目の挑戦だった。


 連戦の後ではいささかアンフェアに違いなく、ペーターはヴォルフに頭を下げる。


「ペーター様! がんばってくださいまし!」


 場を盛り上げようと、アンネが懸命に声を張った。

 淑女の声援に合わせて、誰もがペーターを応援した。ヴォルフの立場はアウェーだ。


 他のみなさんはともかくとして、お家の立場を気にしてヴォルフを応援できない私は、なかなか薄情な主人よね……


「ヴォルフくん、すまないがもう一度だけ、僕の挑戦を受けてほしい。この卑怯を許せとは言わない。だけど今、僕は心から、キミに負けたくないと思う」


 ペーターは剣と盾を構え、開戦の合図とともに雄たけびを上げて突撃した。


 ペーターとヴォルフの体格差は後者に軍配が上がるが、そのヴォルフが怯むほどに、ペーターは鬼気迫る形相で挑む。


 ペーターは盾と盾のぶつかり合いで、何度弾かれても、上手い具合に体勢を立て直す。

 おそらくは先ほどの戦いで、ヴォルフの戦闘技術が『盾』によるカウンターを基礎にしていると見抜いたのだろう。


 ヴォルフが攻撃を誘っても、ペーターは頑として剣を振らない。

 貴族の見栄や観衆に対する体裁はかなぐり捨てている。

 泥くさい執念だ。


 このまま持久戦にもつれこめば、連戦で疲労しているヴォルフの側が不利だろう。


「ふーん……やるね。でも」


「うおおおおおおおおおお!!!!」


 ペーターは盾を構えて突撃した。

 体格の不利を補う、全体重をのせた体当たりだ。


 ……とはいえ、いくらなんでもワンパターンよね。


 ペーターの動きを見透かすヴォルフは、相手にせず、体当たりをひらりとかわした。


 なにも盾を使って『崩す』だけがカウンター戦法ではない。

 それは訓練された技術としなやかな反射神経が複合された、刹那の見切りだ。


 ペーターは前のめりにバランスを崩し、無防備な背中にヴォルフの回し蹴りを受けて、勢いのまま盛大に転倒した。


 華麗な足技に対して、虚を突かれた観客が感嘆の息をこぼした。


 ヴォルフは、土くれを掴むペーターを見据えて言う。


「すごかったよ。今日一番、強い相手だった」


「……ありがとう、ヴォルフくん」


 ペーターは表情を隠して退場した。


 彼の胸中は察するにあまりある。

 でもね、本気の相手に手加減をするのは非礼だし、なによりヴォルフは私の従者だ。

 私が知るヴォルフは、誰が相手でも、私の前で無様を晒すことをしないのよ。


「ヴォルフくんは誇りある戦士だ! 彼の強さは、エレミア嬢を守る者にふさわしい!」


 ペーターが大声でヴォルフを称えると、勝者と敗者の両方に対する歓声が沸き起こった。


 二度目の挑戦をペーター自身は「卑怯」と評価したが、この場の誰もそうは思わないようだ。

 敗北と苦渋を味わってなお、凛と立つ彼もまた、観衆の称賛を受けるにふさわしい。


 私がペーターを見ると、彼は私の視線に気づいて、悔しそうに微笑んだ。


 内心複雑そうな微笑みを浮かべたのは一瞬だけで……ペーターはすぐに表情を隠した。男の子ね。


 そして、ペーターを退けたヴォルフは、しかし、10戦目で疲れを見せて敗北した。

 鬼気迫るペーターとの戦いで、スタミナを使い果たしてしまったようだ。

 先ほどの戦いはヴォルフにとっても神経を削る真剣勝負だったのだろう。


 9連勝でも十分凄いけど、ヴォルフは思うところがあるようで、粛々と観客席に戻る。


「ペーター様! お見事な戦いぶりでしたわ!」


 観客席にあいさつをしにきたペーターに対して、笑顔のアンネが抱きついた。


「男児たる者にふさわしい、迫真の勇姿でした! 私、感激しましたの!」


 アンネは鼻息荒く熱狂している。


「い、いや、アンネ。僕は負けたんだ。あまり言わないでくれ」


 敗者の立場上、素直によろこべないペーターは謙遜するが、「そういうところも素敵ですわ!」とアンネは上機嫌に笑っている。


「おいおい、うちの坊ちゃんは両手に華かあ? うらやましいぜ!」


 名も知らない騎士が、不敬もかくやという野次を飛ばした。

 ペーターが真っ赤になる。


 私はペーターとアンネを放置して、ヴォルフを出迎え「お疲れ様」と彼を労う。


 ヴォルフは喜びもせずに「負けたよ」とつぶやいたが、私はそんな彼を好ましく思った。


「ヴォルフ。私ね、あなたのそういうところ、とっても好きよ」


 私が心から微笑むと、周囲の爆笑が聞こえた。


「恋敵ですぜ、ペーター坊ちゃん! エレミアお嬢さまは強い男がお好みらしい!」


 みんな楽しそうに笑っている……他人の恋路だと思って、好き放題言ってくれるわね。


「エレミア様、俺は、もっと強くなる」


 ……アルフォンスの影響なのかな。ヴォルフの両目は今も遠くを見据えている。


 体力を使い果たしたヴォルフは、眠り込むようにして、観客席で目をつむった。


 眠るヴォルフに寄り添う私は、周りの連中から恋愛感情をからかわれたけど、そのくらいは別に構わない。

 これは主従の絆ってやつよ。


 当然ながら、9人抜きしたヴォルフの記録に並ぶ者はおらず、武芸大会は彼の優勝によって大盛況のうちに幕を下ろした。

 優勝者には景品として銀の剣が用意されており、主人の私がヴォルフの代わりに受け取った。


 ヴォルフは「剣より盾が欲しい」と言っていた。

 なんにせよ、上々の結果で誇らしい。


 私もいずれは、ヴォルフに限らず配下の活躍に褒美を与える時が来るだろう。その時までに、よく考えておかなくてはね。


 これは別の土俵だが、その後の弓術大会でペーターは文句なくヴォルフに勝利した。


 ペーター自身は納得していないようだが、大人に交じっての優勝は偉業だと思う。

 誰彼の話を聞くに、ペーターは弓の扱いが本分らしい。

 やはり人の才能には適材適所があるのだろう。


 そして、朗報がひとつ。


「ペーター様! 私に、稽古をつけてくださいまし!」


 すっかり居直ったアンネがペーターをつかまえ、剣術の稽古を申し込んだのだった。

 ペーターくーん、あっそびーましょーっていうくらいの、男子小学生ノリである。


 武芸大会で見たペーターの苛烈に臆するどころか、アンネは一層の恋心を燃やす。

 いやー、この子すごいわ。


「また負けましたわ! でもペーター様、私が勝ったら結婚してくださいまし!」


「い、いや、アンネ? それは無理な相談だと思うよ?」


 今も地に伏しながら、アンネは二重の意味で闘魂を燃やしている。

 ペーターは彼女を諦めさせようとしているが、私の目線で、ペーターの断り方は腰が引けて弱い。


「うんうん、アンネさんとペーターさんが仲良くなってくれてよかったわあ」


「そうだね。一時はどうなることかと思ったけど」


 私とヴォルフは、いちゃつくふたりを遠巻きにながめている。

 万事狂いない成果だわ。


 その後、熱烈なアプローチを繰り返したアンネは、ヴィントシュティレ家の当主夫妻に気に入られた。

 ガッツと執念の勝利である。


 これとは別に、武芸大会で優勝したヴォルフは「レーゲンの狼」としてヴィントシュティレ家のみなさんから称賛を浴びた。


 しかし、以前ヴォルフが語っていた通り、どんな強さも研究されて対策されてしまえば、容易に突き崩される。これはヴォルフに限った話ではなく、生前の知識に頼る私にとっても致命的な問題だ。私は天才でも専門家でもない。


 私の小細工はどこまで通用するのか……私はいずれ来る未来にぬぐえない影を感じた。



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