第21話 つい出来心で
ヴォルフの謹慎期間が終わって、また冬が来た。
それはそうとして、私がペーターに送りつけようとしたラブレターもどきの存在が公になった。
噂話の出所はアルフォンスでなく、ゴミ掃除で手紙の切れ端を回収した不心得の使用人である。
不幸なことにそれがクラーラの耳に入り、私に雷が落ちた。
「エレミア。今日、自分が呼び出された理由はわかっていますね」
私は「も、もちろんですわ。お母さま」と手もみしながら、にへらにへらする。
「お黙りなさい! ヴィントシュティレ家の少年に無礼な手紙を書いていたそうですね!」
「……書いただけです。送ってはいません。太陽神に誓いますわ」
クラーラは「この放蕩娘は……」と頭を抱えた。
まったく失礼な母親だわ。
「男女のお付き合いには、ふさわしい手順というものがあります! 未遂とはいえ見過ごせません! 当主の不在をいいことに、なんということをしてくれたの!?」
めんどくせえお母さまだなあ、と私は内心で舌打ちする。
しかしここは我慢だ。
手順だのしきたりだのと、古い女が若い娘に口やかましいのは、いつの世も共通だろう。
「黙っていれば許されると思っていますか! 反省しているなら許しを請いなさい!」
この女、ヒステリーのきらいがあるな、と私は呆れた。
……というか、黙れと言われたから黙っていたのに。まあ、別にいいけどね。
私はうつむき表情を隠していたが、意を決し顔を上げる。
私は開き直ってニコリとする。
これでいい。母親相手に娘の泣き真似なんて通じないだろうし、ね。
「お母さま! 私、ペーターさんのことが大好きですの!」
「え、エレミア、あなた……」
純真無垢を装って乗り切ろうとする私に対して、クラーラは眩暈を覚えたようだ。
お母さまは繊細なお方だわ。ノリと勢いで適当に押し切れば、誤魔化せるはずなのだわ。
「私ぃ、ペーターさんのキリっとした容姿とかぁ、お優しくて紳士な心持ちとかぁ、とにかく全部! ぺータさんのすべてが、たまらなく愛しくて、胸が痛いんですの……」
「ああ、エレミア……それは12歳の淑女のセリフではないわ……」
クラーラは私に淑女の在り方を説明する。
恋に盲目な娘の猿芝居を、彼女は疑わない。
「エレミア? 本当にそう思うのなら、もっと心を込めて、真摯な気持ちで手紙を書きなさい。文字と言葉は人の心を映すものです。あなたの恋には誠意が足りないわ」
「はい、書き損じの手紙とはいえ、ペーターさんには許されない事をしました。今後はこのような軽挙妄動をつつしみ、レーゲンの娘として淑女のふるまいを胸に刻みますわ」
クラーラは「わかればいいのよ」と私を優しく抱きしめてくれる。
実にチョロい。
「エレミア、あなたが心から誰かを想うなら、母はあなたの道を応援します。ヴィントシュティレ家の少年には、きちんとお返事を書きなさい。あなたの想いを込めて、ね」
……んん? なんか妙な方向に話が転がり始めたわね。
これって、ひょっとしなくても「お友達からはじめてください」の流れ?
「……は、はい、そうさせていただきます」
私は内心で大いに困りながら、クラーラのご機嫌取りを終えた。
◆◆◆
それにしても最近は我ながら間抜けなミスが多いように思う。
私の視点で、エレミアという個人は凡庸だ。
特に身体の発育が良いわけではなく、運動神経に秀でているわけでもなく、五感や芸術のセンスに恵まれているわけでもない。
しいて言うなら、私の生前と同等くらいには頭の血の巡りがよいかもしれないけど……しかし、これに関しては、私の記憶に由来するアドバンテージだろう。
やはり特別にエレミアの頭脳が優秀なわけではないと思う。
……私が有するアドバンテージは、あくまで私の生前の記憶だ。エレミアという少女の身体に、自分の思考を引っ張られないようにしなくてはね。
しかし私はすっかり悪戯っ子のエレミアだった。
思春期の訪れに意思の力が負けたのだ。
「そういうわけで、二人とも、お返事書くのを手伝ってくれない?」
お説教の後で、私はヴォルフとアルフォンスを自室に招いて、彼らに手伝いを頼んだ。
「え? ペーター様への返信でしょ? ふつうにエレミア様が書けばいいと思うけど」
「そうもいかないのよ。最近、どうもうまく頭が回らなくて……油断したらおふざけ方面に思考が持っていかれるのよね。情緒不安定なのだわ」
私が思春期の苦労を説明すると、同い年のヴォルフは不思議そうにして、年上のアルフォンスは淑女の葛藤に同情を寄せてくれた。
「心労お察しします。しかし、そもそもエレミアお嬢さまの不心得が発端なのですから、自分の失敗は自分で責任を持つべきだと思いますよ」
「そ、そこをなんとか! 頼むわよ、アルフォンス!」
私がアルフォンスに情で訴えかけると、ヴォルフが「いいけど……」と口ごもった。
「そもそもエレミア様は、本当にペーター様のことが好きなの?」
「いや、別に。ただのお友達よ。だから困っているんだってば。良い知恵を貸してよ」
私たちは三人で手紙の内容を検討した。
三人寄れば文殊の知恵である。
ペーターへの手紙を書くのに同じく男性の知恵を借りるのは妙な気もするが、今回の話は急務で、かつ誰彼に隠すべき失態である。
信頼の置ける相手を頼るしかないのだった。
ヴォルフとアルフォンスの知恵を借りた私は、さらに自らのセンスを総動員して、ペーターに対して「お友達のままでいましょう」という至高の文面を作り上げた。
「酷いね……ペーター様は、アプローチする前からエレミア様に振られるわけか」
「いいのよ! 変な希望を持たせるより、スパッと切る方が有情よ!」
ヴォルフと私の会話を聞いたアルフォンスが苦く笑う。
告白したわけでもないのに、お友達宣言されようとしているペーターに対して深く同情しているようだ。
「よーし、よしよしよし! ふたりともありがとうね、成し遂げたわ!」
私はヴォルフとアルフォンスに心からの感謝を伝えて、ペーターに手紙を送った。
◆◆◆
手紙を送ってからしばらくして、レーゲンの屋敷に客人がやってきた。
たったひとりで、従者も連れずに、そのお客人は馬に乗ってはるばるとやってきたのである。
お客人……若い少年は凪の貴族、ヴィントシュティレ家の出身だと名乗った。
アポなしの訪問者に対して、邸宅の門前でいろいろと揉めたらしいが、少年がヴィントシュティレ家の家紋を出すと、彼はすぐに庭先へと案内された。
非番の騎士や使用人たちが、何事かと好奇の視線を向けている。
私が冷や汗を流して窓からのぞくと、赤い髪の少年が庭先で跪いているのが見えた。
隣にいたヴォルフが「ペーター様だね」とつぶやいたが、そんなことは言われなくても分かっているのよ。
私は戦々恐々と様子をうかがうことにした。
「な、なんの騒ぎですか? これは、いったい……」
人込みをかきわけてあらわれたクラーラは、青い顔をしていた。
地にひざまずくペーターの前で立ち止まり、彼女は絶句する。
「ぺ、ペーター・フォン・ヴィントシュティレ様、でしょうか?」
「相違ありません。本日は、エレミアお嬢さまに謝罪を伝えるために参りました」
青い顔のクラーラがなお青くなり、重責に対する心労で震えている。
なにしろ大貴族の跡継ぎが、目の前で跪いているのだ。
「と、とにかく顔を上げてください。ヴィントシュティレ家の跡継ぎともあろうお方が、人前でこのような……」
「いいえ、エレミアお嬢さまに、お会いするまで、この場を退くわけには参りません」
粛々と語るペーターに対して、衆目は困惑と驚愕でざわめいた。
繰り返しになるが、八大貴族のひとつ、ヴィントシュティレ家の跡継ぎが衆目の面前で跪いているのだ。
その理由がエレミアにあると知れば、誰しも驚愕せずにはいられないだろう。
「あの子をッ! エレミアを呼びなさいッ! 今すぐにッ!」
クラーラがヒステリックに叫び、使用人に指示を出した。
「エレミアお嬢さま、事情が事情です。私もフォローしますが、対応をお任せしますよ」
私を呼びに来たアルフォンスは頬を引きつらせて言う。
返信の文面を一緒になって考えたヴォルフとアルフォンスも同罪だ。
今更、ここで何を後悔しても始まらないので、私は黙ってうなずいた。
おそらく、私はかつてなく真剣な表情をしていたと思う。
ヴォルフとアルフォンスを連れて、私が庭先に登場すると、世界が水を打った。
「ペーター様、私のお手紙を、読んでいただけたのですね」
私はつとめて冷静に言った。
私の立場では「お友達でいましょう」というお手紙を送っただけだ。
変に狼狽えるのは、それはそれでおかしいだろうと思う。
「……はい、一字一句、この目で拝読しました。今日は謝罪に来たのです。どうか、この愚かな男に罰を与えてください」
ペーターが涙を流して告げると、周囲が騒然とした。
うちの家来のはずなのに、誰も彼もがペーターに感情移入している。
罰って、よくわからないけど、私が悪者の雰囲気よね。
「ば、罰って、なぜそのようなことをおっしゃるのですか? 私にはわかりません」
「……冷たいお方だ。しかし、それも当然か。僕はあなたの心を苦しめていたようだ。知らなかったでは許されない。淑女の心を弄んだ僕の行いは、騎士として紳士として……いや、一人の人間として許されないと、よくわかっているつもりです」
衆目が大いに盛り上がった。
淑女の心を弄んだとは、穏やかでないだろう。
彼らは私とペーターの間に絵になる物語があったと勘違いをして「若いっていいなー」みたいな感じで、生暖かく見守ってくれた。
クラーラの様子をうかがうと、ほろほろと涙を流している。
彼女は完全にペーターの味方だろう。
「あの、本当に、意味が分かりませんわ? お顔をあげてください」
孤立した私は対応に困ってしまう。
ペーターは頭をたれたまま、微動だにしない。
「エレミアお嬢さまー、いくらなんでも知らぬ、存ぜぬは、あんまりですよー」
「その通りです。ペーター殿はこれほどまでに深く礼を示されているというのに、その彼に恥をかかせようとは、許されない悪徳だ」
無責任なカタリーナと憤るジャンが、ペーターに味方した。
ふたりとも完全に野次馬だ。
うちの家来なのに酷いわ。
私は想像力を最大限に働かせて、仕方なく言葉を紡いだ。
「……ごめんなさい。ぺーターさん。私こそ、あなたの心を追い詰めてしまったようだわ」
私はペーターの手を取り、彼を立ち上がらせた。
しかしやっぱり、近くで見ると美少年ね。
赤髪の若獅子って感じで、クラッときちゃう。
……いやまあ、私は年下好みではないんだけどね。12歳のエレミアとして、年相応の感性というか、気分というか、そういうものに引きずられているのかな……マズいな。
私がペーターに見とれてポーっとしていると、照れ隠しの好意だと解釈してくれたのか、ペーターは少しだけ微笑んでくれた。
「あなたはまだ、この愚かな男の手を取ってくれるのですか。こんな僕を友として、認めてくださると」
私は、やけっぱちになってうなずいた。
「ええ、お友達から、はじめてください」
はにかむ私に対して、取り巻きの使用人たちが「ヒューッ!」と歓声をあげた。
◆◆◆
今更だけど、ペーターのフルネームはペーター・フォン・ヴィントシュティレ。
『凪』を意味するヴィントシュティレ家の長男だ。
話を聞くに、ヴォルフが推測した通り、ペーターは本当にエレミアに対して脈があったらしい。
貴族学校の学級会で、私が別れ際に演じたツェツィーリアとの決闘を見て、ペーターはエレミアにひとめぼれしたそうだ。
そこで、悪評ばかりを先入観で信じていた盲目を恥じて、ペーターはエレミアの評価を考え直す。
どちらにせよ恋は盲目だった。
そして私の心を射止めるために献身的に手紙を送り続け……今に至る、と。
これはすべて、気恥ずかしそうに語るペーターから得た情報なのでウソではないと思う。
クラーラも同席した夕食の席は、おかげですっかり祝いの席だった。
「泊まっていかれるのでしょう? 今晩だけと言わず、主人が帰ってくるまで、ずっといてくれてもいいのよ」
上機嫌のクラーラがそんな提案をした。
私はとても気まずい。やめてほしいわね。
「ありがとうございます。しかし、今回の訪問は僕の身勝手で、個人的なワガママです。明日の早朝に出立しますよ。せっかくお誘いいただいたのに、申し訳ありません」
ペーターは心苦しそうに頭を下げた。
従者のひとりも連れていないところを見ると、本当に自分一人の独断で、屋敷を飛び出してきたのだろう。
責任ある貴族としては失格かもしれないが、その行動力は凄い。なかなかと言わずガッツがあるわね。
「お気をつけて、お帰りになってね」
私が伝えると、ペーターは嬉しそうに微笑んだ。
年相応に照れる姿はとても可愛い。
夕食が終わった後で、私はヴォルフとアルフォンスを自室に呼んだ。
文殊の知恵の反省会だ。
ペーターは客室に案内されて、品行方正にふさわしく早々に就寝している。
私たち三人は、お通夜ムードで今後の方策を思案する。
そして翌日、ペーターは朝一番、庭先で私に微笑みかけた。
「エレミアさんも、いつかヴィントシュティレの屋敷に来てください。歓迎しますよ」
「ええ、いつか、きっと。ペーターさんもまたレーゲン家にいらしてくださいね」
私はニコニコと笑った。
内心ではとても気まずい。
「エレミア様、その時には俺もついていくよ。雑用は任せて」
私の気まずさを察してくれたのか、ヴォルフが横合いから言った。
ナイスフォローだわ。
「僕も一度、ヴォルフくんとは剣術の勝負をしてみたいと思っていたんだ。ぜひエレミアさんといっしょに、ヴィントシュティレに来てくれ。キミとの勝負が今から楽しみだよ」
さわやか青少年極まれり。13歳でここまで人間ができているのは凄いわ。
好きな女の子と話していて、横から他の男が割り込んできたっていうのに。
少しも嫌な顔を見せないペーターの将来は、間違いなく聖人君子に違いない。
「俺と勝負がしたいの? いいけど、俺は奴隷だから、少し難しいかもしれない。それでも許可が出るなら、いつか勝負しようよ」
ヴォルフが答えると、ペーターは「約束だ」と、白い歯を陽光に輝かせた。
なんていうか男の子の友情ってすてきよね。素直に眩しいわ……
ペーターはクラーラにもあいさつをして、それから馬に乗って颯爽と去っていった。
余談だが、後日、ヴィントシュティレ家ではレーゲン家との友好を祝って、盛大にお祭りをやったらしい。
次期当主の恋路をお家総出で応援してくれるとは……なかなかどうして、みなさん情に厚いと思う。
後の歴史で、良くも悪く末永く、ヴィントシュティレ家はレーゲン家の盟友になった。
私、エレミアはというと、この若気の至りが高じて、後々に気まずい面倒を背負い込むことになる。
ペーターはカッコよくて好きだけど、それはそれで別の話だ。
もはや喜劇じみているが、この失敗から教訓を得た私は金輪際、悪ふざけをやめた。
しかしなんだかんだと言いつつ、まんざらでもない気分を自覚してしまって、私は深くため息をついた。
若いみそらで、我が身は自由にならないものである。
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