第19話 成長

 秋が深まり、雪が降り、また春が来て、私は11歳になった。


 さすがにヴォルフには負けるけど、私も年相応に背が伸びてきたように思う。


 冬から春にかけて、良い知らせが舞い込んだ。


 レーゲン家を悩ませていた盗賊団の根拠地が特定されたのだった。

 レーゲンから見て北西に位置する、雷の貴族ドンナー家との領境に盗賊団の集落が見つかったのね。


 大貴族にとって、領地の所有は神聖な王家に与えられた権利であり、その維持管理は王家に報いる当然の義務だった。


 ヨーゼフは領地から1000人の兵を動員して、ドンナー家との領境に向かった。

 家来であるアルフォンスも盗賊団の討伐に参加する。


 軍隊の動向を間近で見てみたくなったので、私が近くの村まで見送りに向かうと、そこで軍とは違う人たちの姿を見つけた。


 太陽神の信仰を伝える教会の僧侶たちだ。


「んん? なにあれ、ひょっとして出陣前に太陽神の加護を祈ってるの? 違うか」


 私が疑問を口にすると、近くにいたジャンが「ご慧眼ですな」とうなずいた。


「エレミアお嬢さまは視野が広い。あの僧侶たちは戦死体の処理をしたり、死者の魂を供養したりするのです。死体を埋葬する、つまりは教会の仕事の一環ですな」


 ああ、なるほど。戦いで大勢が死んで、死体が散乱して、それを荒らす者がいたのでは救われないだろう。

 しかしなんとも、みなさん信心深いというか、敬虔というか。


「でも危険はないの? 盗賊と戦うんでしょう?」


「万が一のことがあれば、無論死にますな。死をも恐れぬ、それが信仰ってもんですよ」


 言われて私は納得した。

 とてつもない宣教師スピリットだ。プロね。


 教会は貴族とは違う立場で、王国の威信と治安維持を担っているのだろう。

 思えば日本の戦国時代ではお坊さんが酒色にふけって、怒った織田信長が比叡山を焼いたなんて逸話があるけど、この国の宗教は弱くとも敬虔な信徒が集っている。

 傍目の印象は悪くない。


「素敵ね。みんなの信仰心、なにかに利用できればいいんだけど」


「ははは、神をもおそれぬ話をおっしゃいますね。教会は清貧を尊びますが、権力との癒着にだけは、気を付けてくださいよ。エレミアお嬢さま」


 ジャンがおもしろそうに茶化してくれる。

 神をもおそれぬとは、そうかもね。

 とはいえ宗教は人心をまとめるのに役立つ。

 近いうちに、私は教会を利用することになるだろう。


「11歳か。そろそろ、お父さまの手伝いをしなくてはね」


 私は先行きを想像しながら、討伐隊を率いるヨーゼフの背を見送った。


 ◆◆◆


 それはそれとして、最近ちょっと困ったことになった。


「エレミアお嬢さま、ヴォルフ様、こちらはアオローラ商家の娘のマルグリット様でございます。なにとぞ、お見知りおきを」


 私とヴォルフの前には、使用人を引き連れた商家の娘さんがいる。


 ヨーゼフもアルフォンスも不在で、留守を預かる世話役も仕事で忙しい……そんな時にやってきたお客人だ。


 ちなみに形だけは私を仲介しているが、恥じらう少女はヴォルフだけを見ている。


 なんていうか、権力とか、お家柄とか、複雑な事情があるのよね……高身長で体格もよくて見た目も悪くないヴォルフの周りでは、近頃、この手の話を聞くようになった。


 奴隷階級でありながら、先日の武芸大会で活躍したヴォルフに対して、縁談を組もうとする者があらわれたのだった。

 はじめはヴォルフを通してエレミアに取り入る魂胆が見え透いていたが、しかし、ヴォルフ本人に読み書き算術をこなす教養があるとわかってからは、冗談でなく小奇麗な娘さんの訪問が増えた。


 みなさん、なかなかに現金である。


 早い話が、人材の青田買いなんだろうけど、それにしたって奴隷階級のヴォルフを相手に縁談を組みたがるなんて、誰も彼も大人は目ざとい。


 こういった手合いの対応はアルフォンスが引き受けていたんだけど、ヨーゼフとアルフォンスが出立したの機会を見計らって、これ幸いと可愛い娘さんの訪問が続く。

 いやー、モテ期ね。ヴォルフだって11歳の男の子なんだから、一人くらいはタイプの子がいるに違いない。


 思春期の男の子なんだから……きっとそういうものよね。

 とはいえ、主人の私は頭を悩ませる。


「もしもし、アオローラさん」


「私のことはマルグリットとお呼びください。エレミア様。もちろん、ヴォルフ様も」


 私は愛想笑いを浮かべながら困っていた。


 私は自分に冷静であれと言い聞かせた……マルグリットは商家の娘であり、そろばん勘定をしている親の指示で、ヴォルフを狙っているのよね。


 だから、これは彼女の思惑ではなく、彼女の両親の思惑だ。

 遠回りでめんどうくさい。

 しかし、変に話がこじれても困るし、ここは丁重にお帰り願わなければ。


 縁談にやってきた、マルグリットの見た目は悪くない。

 後ろで束ねた艶やかな黒の長髪に、同じく黒々と澄んだ瞳。

 聞くに彼女は私やヴォルフと同い年らしいが、身長は私より高く、発育もよい。

 商家の出身ということで、それなりに裕福な身なりをしている。


「マルグリットさんは、ヴォルフのお友達になってくれるのかしら? うれしいわ、ありがとうね。ところでこの前の弓術大会は見た? 本当にカッコよかったわよね」


「はい、私も弓術の心得があります。父の知り合いで、村一番の猟師から弓の扱いを教わったんです。ヴォルフ様は本当に素敵でした。私も彼の学び仲間になりたく思います」


 私は「ははは」と感情を殺して笑った。


「ヴォルフは、弓術大会には出て無いけどね」


 私は武芸大会で見たお客さまの顔を、一通り把握していた。

 気まずく黙ったマルグリットに対して、「次はご家族みんなでご覧になってね」と嫌味を伝える。


 誰も彼も綺麗な顔でウソをつくのよね。

 非礼のようだけど、こうやってお帰り願うのがちょうどいい。


「よかったの? エレミア様? あんなやり方だと、さすがに角が立つと思うけど」


「気にしなくていいわよ、ヴォルフ。あの手の輩はね、次の日にはケロッと、自分の失敗を忘れているから。商家の縁談相手なんて、いくらでもいるわ。そのはずよ」


 ヴォルフは、無礼な対応をした私の風評を心配してくれたみたいだけど、無問題だ。


「私はもともと嫌われ者だからね。今更、ちょっとやそっとの悪評は誤差の範疇よ」


 とはいえ虚言癖持ちのクソガキ……なんていう幼いエレミアの悪評は過去の話で、最近では誰彼と良い感じに話せるようになったと思う。

 ヴォルフの心配は杞憂ね。


「私のことより、ヴォルフはよかったの? 可愛い女の子が、せっかく会いに来てくれたのに。気に入った子がいれば、私に遠慮しなくてもいいのよ?」


「いや、俺は奴隷だし。レーゲンの生活が気に入っているから、今のままでいいよ。同年代の友達がいたら、楽しいだろうとは思うけど」


 私の質問に対して、ヴォルフは淡々と答える。


 友達か、そう思えば同い年のマルグリットは、ヴォルフにとって理想的な話し相手だろう。私の判断で悪いことをしたかな……


「エレミア様は好きな人とかいないの? 貴族様の縁談も来るころだよね?」


「わ、私? いやあ、私は特に誰とも……特に誰とも……うん、誰とも……」


 ヴォルフの質問に、私は我が身のモテなさを悟る。


 ぐぬぬ、それに引きかえヴォルフはモテ期か……

 もちろんのこと、ヴォルフは奴隷階級なんだけど、私の右腕で、ヨーゼフにも少なからず目をかけられていて、最近ではアルフォンスから教育も受けている。

 読み書き算術に加えて武芸を網羅した超高等奴隷だ。

 貴族でない平民の立場で考えると、この上なく有望な人材だろう。


 解放奴隷ってやつ? 寂しい気持ちになるけど、ヴォルフが本当に望むのなら、私は彼の意思を尊重してあげたい。


 その場合はヴォルフを私の側近にする皮算用が白紙になるけれど、有力な商家や地方豪族の婿として、ヴォルフが私に力を貸してくれるのであれば、それはそれで大いに助かるし、叶うなら私はヴォルフを鎖で縛らずに、彼との友情を大切にしたいと思う。


 とはいえ、こればかりは甘い話で、ヨーゼフは反対するだろう。

 私だって、どこの馬の骨とも知れない輩に、ヴォルフをゆずるつもりはないけどね。


「大丈夫だよ。エレミア様には、きっと素敵な人が見つかるから。ペーター様とか、悪くないんじゃない? あの人、たまに手紙を送ってきてくれるよね。脈ありだと思うよ」


「あーっ! ヴォルフ! 私がモテないと知って、そういうことを言うのね!?」


 地味に心の傷を抉られた私は、モテ期のヴォルフに敵対する。モテ自慢は、許さぬ!


「ははは、アンネ様みたいなことを言うんだな。エレミア様にはめずらしいね。アルフォンス様を狙えばいいんじゃない? あの人こそ有望株だと思うよ」


 ヴォルフが恋バナの延長で、サラッととんでもないことを言う。

 いやま、アルフォンスは悪くない人材だけど、歳の差ってものがあるでしょう。


「ふーん、そういうこと言う? いいわ、16になったら私は貴族学校に行くのよ。美男美女の楽園よ! その時になって、美しく成長した私のモテっぷりに驚愕するといいわ!」


 主人と奴隷だというのに、ずいぶんと仲のいい話だと思う。


 幼馴染の親戚みたいな関係ね。気さくでよろしい。

 だとしても、私はヴォルフの所有者だ。彼の将来を考えるのも、主人の務めよね。


 ◆◆◆


 この後で、私はヴォルフを連れて近くの村の教会に向かった


 冬ではないからか、そこら辺に人が死んでいることはなかった。


 あとで教えてもらった話なんだけど、道ばたに転がる死体は、教会の関係者が回収して、その都度、埋葬しているのだとか。


 基本的に教会の活動は信仰に頼った慈善であり、費用も人手もまるで足りていないのが、モーントシャイン王国の実情だった。


「死体を放置したら、衛生面でよくないと思うんだけどね。レーゲン家が教会を支援したりはできないのかしら。太陽神の信仰と王家への忠誠を理由にすれば、いけるかな……」


「俺には難しい話はよくわからないけど、みんな死体の後片付けは嫌がるんじゃない?」


 ヴォルフが私の皮算用を切って捨てた。

 確かに、誰しも汚れ仕事は嫌よね。


「あ、そうだわ!」


「どうしたの?」


 閃き、平手を打ち合わせた私に対して、ヴォルフがたずねる。


「助成金を出せばいいのよ! 慈善じゃなくて、『仕事』にすればいいんだわ!」


「??? それ、どういうこと?」


 私は「ふふふ、秘密」と、もったいぶって微笑む。


 ……悪くない閃きだ。うまくいけば、衛生環境の改善と貧困支援を一挙に行える。 


「人間の死体がね、お金に変わる仕組みを作るのよ」


 私は、首をかしげているヴォルフに、要点だけを教えた。

 死体を処理して、衛生環境を改善する。

 その事業に助成金を出して、間接的に民の貧困を改善する。


 悪くないアイデアだと思う。

 今を生きるみんなのために、朽ちた死体と太陽神の信仰を利用するのだ。


 ――今では私はもう、人間にく死体かたまりに、なんの感慨も抱かなくなっていた。


 歳月と経験を経て、私は人間として大きく変化していた。

 それを成長と呼ぶべきか否かは、私には、よくわからなかった。

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