第18話 天性の獣と人間の技

 雪解けから夏にかけて、ヴォルフが大きくなった。


 私は10歳でヴォルフも同い年なんだけど、明らかにヴォルフの背が伸びた。

 ちなみに私の背は低い。


 成長期の訪れだと思う。


 とはいえ、少し異常な背丈の伸び方で、筋肉のつき方もおかしかった。

 背丈だけが伸びてヒョロっとするなら分かるけど、ヴォルフの場合は筋肉も膨張しているとわかる。


 よっぽどお腹が空くのか、ヴォルフは会うたびに干し肉をかじっている。

 彼は野菜もペロリと平らげるが、しかしまるで足りていないようだった。


 ……成長期の子どもが、お腹いっぱい食べたいって、その気持ちは分かるけどね。


 早朝、私がそんなことを考えながら邸宅ですごしていると、レーゲン家の使用人に交ざって、奴隷のヴォルフは庭先で忙しそうに働いていた。


 ……うーん、やっぱりデカい。170近くあるわね。10歳の身長じゃないわ。


 私は窓からヴォルフの様子をうかがう。


 周囲の大人たちに交ざって働く姿も、今ではすっかり違和感がないようだ。


 筋肉はともかく骨の成長は大丈夫なのか……と少し心配になる。


 とはいえ人の話は人の話。

 私はというと、近頃少し思うところがあって、太陽神を祭る礼拝堂に出入りするようになった。


 アルフォンスや騎士たちの助けを借りながら、『教会』の話を聞いている。

 後々のための社会勉強ね。


 これも跡継ぎとしての務めだわ。


 ◆◆◆


 夏の暑い日に、もっと熱くなる武芸大会が開催された。


 舞台には庭先を広く使って、屋敷の側にヨーゼフとクラーラの観覧席を置き、その他の連中は比較的普段着の装いで選手を囲むギャラリーになっていた。


 どこからやってきたのか、盛り上げ役として楽器を演奏している物好きがいる。


 主役の騎士たちは戦士階級にふさわしく意気揚々だ。

 雄たけびをあげて踊る謎のツワモノもいる


 アルフォンスの指示に従って武器と防具が用意され、参加者はみな、自分に合った装備を見繕った。

 なのだが、防具を装備している者は基本的にいない。

 

 刃引きしてあるのだろうが、筋骨隆々の男たちが武器を手にする姿は勇ましく壮観だ。

 一通りの準備を終えたアルフォンスが後ろに下がると、主催者のヨーゼフが進み出る。


「レーゲンの戦士たちよ、太陽神の神意と己が正義を胸に、今日、研鑽の結果を示せ」


 武芸大会の参加者たち、とりわけ騎士階級の家来たちが整然と直立した。

 直後に、ヨーゼフがニヤリとする。たぶん、特に深い意味があるわけではない。

 それは戦士たちの緊張を解く笑い方で、なにより試合を楽しみにするヨーゼフの『気分』だった。


 参加者たちも当主のノリを察して気楽そうにしている。


 レーゲンの家風は割と自由ね。


「勝て! 敵を屠る武勇こそが、汝らの誉れだ!」


 悪い顔のヨーゼフが一喝すると、大勢が武器を掲げた。


 ギャラリーから歓声が上がる。


 さてさて、いよいよもって武芸大会の始まりだ。


 よく見ると普段屋敷では見ない顔も交じっていて、近くの村からやってきた腕自慢の参加者もいるとわかる。


 広々とした庭先では、剣術や槍術だけでなく、的当てで弓の腕前も競う。

 アルフォンスが言うには、村の猟師も参加しているみたいだ。


 私は当然ながら観覧席にいた。

 みんなの戦いを優雅に観戦する。


 ちなみに武芸大会はトーナメント形式ではなくて、勝者がギブアップするまで続く勝ち抜き形式だ。

 

 2人、3人と倒せばそれだけでも本日のヒーローだろう。


 私が観戦していると、ヴォルフが舞台に上がった。

 今日の彼は盾だけではなくて、剣を持っている。


 奴隷、それも10歳の子どもに対して、ギャラリーは困ったような表情をしていた。


 対戦相手の騎士は現在3人抜きの豪傑。

 ヴォルフよりさらに背の高い、長身の大男だ。


「ヴォルフか。ふふん、奴隷が武器を持てるとは、おもしろい時代になったものだな!」


 本来なら武器を持つことが許されない奴隷階級の立場を、男は挑発的に揶揄してみせる。


 個人的にヴォルフを応援したいけどね、公の場で個人に肩入れしすぎるのも問題だ。


「わはは、ヴォルフよ! おまえもエレミアの右腕ならば、主人の前で力を示せ!」


 と、思っていたら、隣の観覧席に座るヨーゼフが大声で高笑った。

 当主の声援に対して、ヴォルフは軽く会釈をする。

 私といっしょにアルフォンスが苦く笑う……アルフォンスも内心で、自分が指導した教え子の成長を楽しみにしているのかもしれない。


「よろしいですか?」


 場の空気に流されない審判役の使用人が、ヴォルフに確認をする。

 ヴォルフがうなずくと、審判はヴォルフを戦いの舞台に上げた。


 そして開戦と同時に、騎士の男が大きく踏み込んで間合いのギリギリに体を寄せ、振りかぶった直剣をその重量に任せて叩きつける。


 剣っていうか、鈍器の扱いね。


 しかし直後、ヴォルフは小盾を巧みに使って、防ぐのではなく反対に殴り返す。

 ヴォルフは流水のような一息の動作で騎士の打撃を払い、直剣で相手の肩を突き殴った。


「ぐおわあっ!?!?!?」


 騎士の男が激痛でうめき、剣を取り落とす。審判がヴォルフの勝利を宣言した。


 騎士の男は「認められるか!」といきり立っている。

 観衆は予想外の結果に困惑しているようだ。


「たわけがッ! おまえは自分の肩を砕かれた戦場で、誰彼に情けを請うつもりかッ!」


 ヨーゼフが激昂して怒鳴りつける。

 騎士の男は屈辱を呑み込み、引き下がっていった。


 驚愕にざわめく観衆が見守る中にあって、新たな挑戦者が舞台に上がる。


 くすんだ金髪に翡翠の瞳を持つナイスミドルだ……っていうか、ジャンね。

 旅先ではお世話になったわ。身長と体格はヴォルフと同じくらい。

 無精ヒゲを綺麗に剃って、今の彼は美中年になっている。


「負けるなー、ヴォルフもジャンも、がんばってー」


 私は気の抜けた物言いで両者に声援を送った。

 我ながら優柔不断ね。


 開戦と同時に、両者は突撃して、盾と盾をぶつけ合った。


「ぬオおおおおおッ!」


 ジャンは裂帛の気合を叫びながら、その恵まれた体格で盾による体当たりを繰り返す。

 単純な腕力ではなく、体重を使った突進だ。


 ヴォルフは初動で当たり負けして弾かれた。だがその一瞬後に、ヴォルフは身を低くして盾の死角に入り、足払いを仕掛けた。


 以前ツェツィーリアが披露した喧嘩殺法だ。ジャンは前のめりにバランスを崩し、転倒する。


 起き上がる前に、ジャンの首筋に剣先が突きつけられて、決着だ。


 審判が勝負ありを宣言した。


 ヨーゼフを含めて、観衆が大いに揺れる。


 ……え、ヴォルフ強くない? 弱いとは思ってなかったけど、まさか大人に勝つとは。


 私がポカンと呆けていると、誰かが「黙ってないでカッコいいこと言えよー」と野次を飛ばした。


 祭りを盛り上げるのは勝者の義務だ、しかしヴォルフは無言を貫く。


 シャイね。もともと人前で目立つのが好きなタイプじゃないんだろうと思う。

 私は場の合間持たせに「ヴォルフぅ、カッコいいところみせてー」と声援を飛ばした。


「……太陽神と二つの月の神に、今の勝利を捧げます」


 ヴォルフは淡々とそんなことを言った。


 ひょっとして太陽神うんぬんは私の真似かな? 


 儀礼的な物言いに対して、観衆はあまり盛り上がらない……と、思っていたら。

 ヴォルフは直剣を地に突き立て、空いた手で観覧席の私を指し示した。


 え? 何事?


「そして……次の勝利をエレミア様に、そしてまた次の勝利を、俺はエレミア様に捧げる」


 ――連勝予告! 歯に衣着せぬ堂々たる宣言に、ギャラリーが特大の歓声を上げた。


 とりわけ、女性のみなさんが盛り上がっている。

 私もキャアアアアアアア、ヴォルフくぅううううん! って気分になったわ!


 次の挑戦者が、気まずく笑いながら舞台に上がって来た。

 前ふたりと同じく騎士階級の男だが、今度は槍を持っている。

 盾があるとはいえ、剣と槍では分が悪いか。


 開戦すると案の定、騎士の男は有利な間合いから決して踏み出さずに刺突を繰り返した。

 近づけば危ういとわかっているのだろう。


 すばらしい。子ども相手だとしても侮らない、堅実な戦法ね。

 とはいえ、素人の目線でもいささかワンパターンに見える。


 ヴォルフは一度、二度と刺突を弾き、タイミングを見計らって、直剣を投擲した。

 おそらくは当てるのではなく、相手を防御に転じさせるのが狙いだ。


 虚を突かれた騎士に肉薄して、ヴォルフは相手を地に押し倒した。


 技術もなにもなく、そのまま力まかせに、彼はバタつく騎士の首を絞めた。


「そ、そこまで! そこまでだ!」


 審判が慌てて止めたが、観衆の熱狂はやまない。


 とりわけ平民や奴隷階級の人々にとって、貴族階級を打ち倒すヴォルフの姿は希望の光だ。

 一部の貴族はダーティファイトにドン引きしているが、やり方にこだわらない荒くれ連中はヴォルフを声高に称賛している。


 騎士がぐったりしたのを確認して、ヴォルフは立ち上がった。

 し、死んでないよね?


 そんな私の心配をよそに、ギャラリーのボルテージは上がり続け、舞台に熱狂が飽和した。


 ――ヴォルフコール。これには私もヨーゼフも絶句する。


 野性のカリスマである。

 だというのに、ヴォルフは息を整えるだけで平然としている。


 決して衆目に迎合しない冷徹が、挑戦者たちの意欲を煽るようだった。

 私は呑気に拍手していたが、その隣ではアルフォンスが愉快そうに笑っていた。


 「あとひとりだけ、待ってやるか」とアルフォンスがつぶやいた。


 それはヴォルフが私に捧げると誓った勝利予告に対する配慮だと、私は気づいた。


 その後、ヴォルフは次の対戦相手を問題なく下したが、しかし連勝記録それ自体は4人抜きで終わる。

 5人目にアルフォンスが参加表明して、ヴォルフを倒してしまったからだ。


 当のアルフォンスは10人抜きを達成して、観衆の熱狂と栄冠をほしいままにする。


 なんか大人ってずるーいって気分になったけど、この日ヴォルフが大勢を魅了した事実は、私やヨーゼフのみならず、レーゲン家を騒がせるトップニュースになった。


「エレミア様の忠実な手足」「太陽神が遣わした獣」「アルフォンス様、素敵」などと、やかましいくらいの話題になり、ヴォルフは肩身が狭そうにしていた。


 すばらしい結果なんだけど、ヴォルフはあんまり目立つのが好きじゃないらしい。

 ま、それも素敵ね。


 でもって、ヴォルフをあっさり倒したアルフォンスはというと、後日、私の家庭教師からヴォルフの指導役に栄転したようだ……もともとそちらが本職なのだと、彼は語る。


「盾の扱いは上手くなった。だが、相手の出方をうかがうだけでは、エレミアお嬢さまを守るには足りない。『攻めろ』、知略で叩き潰せ。獣とは違う、おまえに人間の暴力ぎじゅつを教えてやる」


 別の話だけど、アルフォンスは素でこういうことを言う。

 この人、ちょっと怖いと思います。

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