第17話 友達

 すごしやすい秋が終わり、またモーントシャイン王国に冬が来た。


 懲りもせずに居候している私たちはすっかりシェーネス・ヴェッター家のごく潰しだった。


 とはいえ、もう帰るわよ。

 この冬が終わったら帰るって……いくらなんでも放蕩娘よね。


「参りました」


 軍卓の盤上を悔しげに見つめて、ペーターが投了した。


 私たちは軍卓の勝負をしていたけど、語るまでもなく結果は享年25歳の年季の差だ。

 まず子どもレベルでは負けない。


 一番の要因は算術だろう。


 私は一応なりと高卒で現代の数学を学んでいるが、その実、持ち駒の点数計算や将軍が詰むまでの手数を数えるのには、多少は『数』を数える必要がある。


 だから、私は負けない。

 大人を相手に勝負する時も同じで、彼らはそろばん勘定をおろそかにしている節があった。


 最高の教育を受けているはずの貴族でさえ、無理な攻めで2つも3つも駒損をするのだから間違いない。

『数』の利は力だ。それはまさに文字通りである。


 ただし、私も数学者ではないので、数の教養を活用するのは日常生活の延長だけだ。


 ペーターが「なぜだ、なぜ負けるんだ……」とうなだれている。


「今日のところはこれまでとしましょう。ペーター様もエレミアお嬢さまも、子どもとは思えぬ見事な采配でした。苦渋は明日の糧です。恥じることはありません」


 ゴットフリートが朗らかにペーターを励ます。

 実際その通りで、過去の知識でズルをしている私と比べて、年相応のペーターは確実に強い。私は彼の才覚に感心していた。


「ツェツィーリアさんに剣術で負け、エレミアさんには軍卓で負ける。さすがに辛いな」


 ペーターが駒を片付けながら愚痴をつぶやいた。

 さわやか印のペーターには珍しい。


「どうしたの? 不満や悩みがあるなら、私でよければ相談に乗るけど」


 ペーターの心持ちが心配で言ってみたけど、彼は力なく首を横に振るだけだった。


「エレミアさんにはわかりませんわよ! ツェツィーリアさんに目をかけてもらって、とんでもなく強い家来がいて、自分でも軍卓で大人を倒して……ぐぬぬ、インチキですわ!」


 傍で見ていたアンネが口をはさんだ。

 以前おふざけで知り合った私とアンネはツェツィーリアの仲裁で仲直りしている。

 大根役者の演技が懐かしいわね。


 アンネは傷心のペーターに寄り添い、彼を励ましながらどこかへ行ってしまった。


 ……嫌味じゃなくて、誰も彼も、私なんかよりよほど凄いと思うけどね。


 こればかりは私の正直な気持ちだ。

 自分が学童だった頃と比べるとみんな驚くほどに大人びている。

 ペーターやアンネの姿に過去を重ね合わせて、私は心持ちしんみりした。


 ……小学校高学年くらいかな? 弟のゲーム借りて、遊んでたっけ。


 仲のよかった家族との思い出に浸ると、むしょうにノスタルジックな気分になった。


 私は庭先に出て、レーゲン家のお父さまとお母さまには心配をかけているなと、反省した。


「どうしたの? エレミア様? あんまり外にいると、風邪を引くよ」


「気晴らしよ。頭を使った後だから……それとレーゲンの家が懐かしくなってね」


 ヴォルフはめずらしく微笑み「懐かしいね」とうなずいた。


「それなら、レーゲンに帰ろうよ。この屋敷でできることは、もうあまりないでしょ」


 私は「そうね」と肯定した。

 お父さまのヨーゼフはともかくとして、お母さまのクラーラはエレミアの遠出をとても心配していたはずだろう。


「手紙だけ送るのも、いい加減に親不孝よね」


「それはわからないけど……帰るなら、最後にツェツィーリア様にあいさつすればいいんじゃないかな。俺もついていくよ」


 ツェツィーリアは帰っていく学友たちの見送りに忙しいらしく、近頃はあまり話していない。


 しかしヴォルフの口からツェツィーリアの名前が出るとは珍しいわね。

 うーむ、ヴォルフの立場でも、いい加減にレーゲンの家に帰りたいってことなのかな?


 私はうなずき、ヴォルフを連れてツェツィーリアにあいさつすることに決めた。

 ゴットフリートに居場所を聞くと、彼女はすぐに見つかった。

 ツェツィーリアは屋外で、邸宅の日陰に積もった溶けない雪を、じっと眺めている。


「ごきげんよう、ツェツィーリアさん」


 私がお嬢さまっぽく声をかけると、ツェツィーリアはハッとして振り向いた。

 いつも優雅な余裕をふるまっているツェツィーリアにしては、なんだか珍しい。


「雪を見ていたの? 風情があるわね。素敵ねえ」


「エレミアさん。それと……ヴォルフくん」


 ツェツィーリアはつぶやくように答えた。


 彼女は私の後に、ヴォルフの名を小さく呼んで会釈をする。

 身分が違うからかな?


 彼女はどこかヴォルフに対してよそよそしい。


「あら、他人行儀ね。一年と半年もいっしょに暮らしたのに。さびしいじゃないの」


 私は以前ツェツィーリアにからかわれた通り、他人行儀の対応を笑ってみたが、ツェツィーリアはフッと微笑むだけだ。


 彼女は私でなく雪を見ていた。


「ツェツィーリアさん。私、この冬が終わったら、レーゲンに帰らせていただきますわ。とても楽しい時間でした。ありがとう」


 私はツェツィーリアの隣で身を屈めて、固まった雪を触った。


 丸くしてやる。

 雪合戦とはいかないけれど、雪玉を作る遊び心はモーントシャイン王国でも共通の楽しみだろう。

 

 私はそこら辺を歩いていた使用人に頼んで、巨大雪だるまの制作を始めた。


「ほほう、雪の化身をお創りになる? シュネー家のお坊ちゃんに見せてあげたかったな」


 気のいい使用人が手伝ってくれたおかげで、エレミア印の雪だるまが完成した。

 ツェツィーリアもなんだかんだと苦笑いしながら手伝ってくれる。


 勢いで2体目の制作に取り掛ろうとしたところで、当主のルーカスが、ゴットフリートを連れてやってきた。


「レーゲンの子か。雪の化身とは信心深い……娘と遊んでくれていたのだな」


 ルーカスは、手を真っ赤にした私とツェツィーリアを、優しい父親の眼差しで見た。


「お二人ともお元気ですな。冬の寒さは老体に厳しい。いやはや、よきかな、よきかな」


 年相応に子どもらしい私たちに対して、ゴットフリートが愉快そうに笑った。


「レーゲンの家に帰る前にお話をしたかったんですの。ねえ、ツェツィーリアさん?」


 私がツェツィーリアに話を振ると、彼女は真っ赤な両手をさすって「友情の証に共同制作ね」と肩をすくめた。


 ルーカスは少しと言わず、相当驚いたようだ。


「友情か。ツェツィーリア。おまえの口から上辺でなく行動を伴う友情を聞けるとはな」


 ツェツィーリアは無感動にルーカスを睨み返したが、ひとまず私が間に入った。


「ええ、ツェツィーリアさんはすばらしい学友に恵まれていると思います。私もそのひとりでありたいですわ。なにせ私、貴族学校の友達がいないのでね」


 私がエレミアの孤立を皮肉って、自虐を口にすると、ゴットフリートが合間持たせに笑って、ヴォルフが「俺がいるよ」と大真面目にフォローしてくれた……うん、やっぱり自分を卑下するタイプの話題はダメね。人前で使うもんじゃないわ。


「レーゲンの子。ツェツィーリアは16の歳を境にして、シェーネス・ヴェッターの家を継ぐ。その日、キミにはぜひ、娘の晴れ舞台を祝ってやってほしい」


 ルーカスが洒落っ気なく言って、私の前で頭を下げた。


 ルーカスは大貴族の当主だ。当然、人生経験においても享年25歳の私を上回る。

 本来、立場から言って頭を下げるべきは私であって、ルーカスではありえないはずだ。

 ツェツィーリアと同じ泉のような碧眼が、じっと私を見ていた。


「わたくしめも同じ気持ちです。エレミアお嬢さまには、ツェツィーリアお嬢さまの学友として……いえ、朋友として立っていただきたい。どうか、よろしくおねがいします」


 ゴットフリートが恭しく一礼した。

 私としては恐縮するしかできない。


「その言葉、胸に刻みます。こちらこそ、今後ともご指導ご鞭撻いただけますよう」


 対応に困ったので、とりあえず私も頭を下げる。

 9歳の小娘でなくとも、この場で尊大にふるまうのは不自然だ。

 日本的な価値観ではなくとも、礼を返すのが自然だろう。


「なにとぞ、頼む。ツェツィーリアよ。窮した時にはレーゲンの家を頼れ。この聡明な淑女殿は、必ずや、おまえと共に道を行く得難い友になるだろう」


 ルーカスはそんなふうに過大評価してくれたけど、ツェツィーリアはそう思うかな?


 大貴族の当主が直々にここまで目をかけてくれるのは嬉しいけど、冷静に考えて子煩悩の親がしゃしゃり出ても、子どもの立場では鬱陶しい。


 私は愛想笑うツェツィーリアに同情した。


「レーゲンの子よ……いや、エレミア殿。ツェツィーリアをよろしく頼む。誰もが娘を神童だと持ち上げるが、ツェツィーリアには重責を分かち合える仲間がおらぬのだ」


 邸宅に戻るその時にまで、ルーカスは私に対してどこか悲しそうに口添えした。


「太陽神の神意に誓い、民の安寧を守る貴族として誠心誠意の助力をお約束しますわ」


 私が信仰を建前にして答えると、ルーカスは苦く笑い、フッと嘆息をこぼした。


「王国の信仰か。エレミア殿と話していると……いや、すまない、気をつかわせた」


 ルーカスはそれ以上、何も語らず去っていった。


 ……この人は、ツェツィーリアとの接し方がわからないんだろうな。


 私は寂しげなルーカスの背中にどこにでもいる父親の悲哀を感じた。


 ◆◆◆


 そして雪解け、私たちがレーゲンに帰る別れの日がやってくる。


 ペーターとアンネは一足先に帰ってしまって、結局、客人として居残ったのは私が最後のひとりだった。


「次会う時には、必ず、あなたを驚かせる紳士になってみせますよ」


 ペーターはそんなふうに言い残して去っていった。

 好青年に成長する未来が楽しみね。


「きぃー! ペーター様の心は渡しませんわよ! 淑女の勝負ですわ! エレミアさん!」


 ……アンネはアンネで、金持ち直球勝負よね。そのセンス、嫌いじゃないわ。


 学友と別れて、最後に残った私に対して、ゴットフリートは「良い旅を」と言った。


「それぞれがそれぞれの道を進めばよいのです。人は他人と違うからこそ、高め合える」


 ゴットフリートが年季の入った笑いジワを刻む。

 彼にも高め合う仲間がいたのかな?


「そうね。みんな素敵だわ。また会える日を、楽しみにしています」


 私は言いながら、ツェツィーリアの横顔を思い出す。

 

 ……神童ツェツィーリアに、心を許せる仲間はいるのかな?


 私が友達になれるなら、それもいいけど、中身がおばさんの私ではなく、同年代で彼女に比肩するような本当の理解者があらわれることを、私は祈る。


 ……なかなかいないだろうけどね。


 春も間近だというのに、雪が降って来た。

 身も心も震わせる寒さが、今はおそろしい。

 私がこの春を迎えるまでに、どれだけの人が死んだのか。

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