第16話 軍卓大会
またモーントシャイン王国に夏がやってきた。
結局、私を含めてツェツィーリアに招待された子どもたちは、余所さまの領地で1年をすごしたわけだ。
いくら裕福な貴族とはいっても、延々ごく潰しのお客様でいるのは心苦しい。
この夏を節目にして、子どもたちは自分の領地に帰っていくが、私は遅すぎる話だと思った。
大勢が居残っていたその理由は、ツェツィーリアが度々剣術大会や勉強会を主催して、独力では得難い経験をもたらしてくれたからね。
もちろんのこと、それはすばらしい美談に違いない。
ツェツィーリアが持つカリスマのおかげか、誰も文句を言わなかった。
……なんというべきか、みなさん本当に、心根庶民の私とは価値観が違うのよね。
自領地に帰省していく学友たちを見送って、私は複雑な気持ちになった。
私とヴォルフはゴットフリートの指導を受けて、街の様子を見て回ったり、ヴォルフの場合は騎士たちに交じって戦いの訓練を受けたりしていた。
語るまでもなく、破格の待遇だろう。
仮にツェツィーリアの指示だとして、私たちが厚遇されているのは間違いない。
そして、良くも悪くも日々接してくれるゴットフリートは、今日、私とヴォルフ、そしてペーターを連れて、大人たちの集まりに顔を出している。
「あれは……当主様ですね。ツェツィーリアさんのお父上だ」
ペーターが見る方向には、当主とおぼしき中年の男性と、シェーネス・ヴェッターの家来である騎士たちが30人くらい語らっていた。
だれしもゆったりとした私服で、なごやかな雰囲気の集いだ。
飲み会に集まった、気のいいおっさん連中って感じである。
「ツェツィーリアさんのお父さまにしては、意外と普通ね」
私が失礼な感想をつぶやくと、ゴットフリートが「さようで」と笑ってくれた。
「当主様は子ども思いでしてね。跡継ぎであるツェツィーリアお嬢さまに気をつかって、近頃は立場をゆずる準備を進めているのです」
歯に衣着せないゴットフリートは「親は子に背を見せればよいものを」とぼやいている。
「ペーター様、エレミアお嬢さま。お二人には末永く、ツェツィーリアお嬢さまのご学友として切磋琢磨していただきたい。あのお方に、気後れや遠慮は無用でございます」
「はい、僕も一層の精進を重ねて、民の安寧を担い、次代の繁栄を築きたく思います」
ゴットフリートとペーターは互いにさわやかな面持ちで笑い合っている。
私とヴォルフは黙って聞いていたが、沈黙もまた良しということか、ゴットフリートは満足そうにうなずいた。
ツェツィーリアもツェツィーリアだけど、教育係も教育係ね。
そうして改めて大人たちの集いに視線をうつすと、集まっているのは騎士たち貴族階級だけではなく、普段着で交じる平民出身の使用人もいるとわかる。やや服が汚かった。
とはいえ誰彼が互いに身分の違いを気にしているようすはない。
交ざる使用人の中には奴隷階級なのか、ボロボロの衣服を身につけただけの者もいる。
年齢層もまばらで、腰の曲がったご老人かいたと思えば、私やヴォルフと変わらない年頃の子どもまでいる。
彼らが一様に楽しむのは、『軍卓』だ。
雑兵を突き、駒を指して将軍を倒すボードゲーム大会を楽しんでいるようだ。
プレイヤーもギャラリーも真剣勝負で等しく熱い。
特に人だかりができているのは、やはり当主であるルーカス・フォン・シェーネス・ヴェッターの周囲ね。
大貴族の一手一手には、誰もが注目せずにはいられない。
ツェツィーリアと比べてふつうのお父さまだと思ったけど、衆目を魅了する才能は親子で共通なのかな。
私が勝負を見物したくて、子どもの背丈で必死に背伸びをしていると、ゴットフリートが「みなさま、失礼」と私のために道を開いてくれた。
「遠慮する必要はございません。エレミアお嬢さまは当家の賓客であり、ツェツィーリアお嬢さまのご友人なのです。堂々なさってください」
私はゴットフリートに礼を言った。おかしな話だけど執事らしい紳士の配慮が珍しい。
盤上の駒組みを見ると、当主様が優勢のようだ。
「ふーん、お互いに駒の損失は無いけど、将軍を囲っている分だけ差がある感じね」
「おっしゃる通りでございます。いかがですかな? ペーター殿の見解は?」
唐突に感想を求められたペーターが焦っている……子どもに意地悪しなさんなよ。
その時、ルーカスがなにやらこちらを見て、取り巻きのひとりに指示を出した。
「え、なに? なんですの?」
「当主の悪い癖です。ルーカス様の悪癖は、ツェツィーリアお嬢さまによく似ている」
ゴットフリートのため息の意味が分からず、私は「へ?」と間抜けな疑問符を浮かべた。
ルーカスが出した指示の内容が分かったのは直後である。
対戦相手の騎士が席を立ち、私に一礼する。
私が何を期待されているのかは、周囲の雰囲気が教えてくれた。
誰彼の笑顔のせいで居心地が悪い。私は無感動を装ったが、彼らは私を見つめ続ける。
「ルーカス様は、エレミアお嬢さまとの軍卓勝負をお望みです。いやあ、自慢の娘がレーゲン家の……それも奴隷の少年に負けたとあっては、やはり、貴族としてメンツが立たないのですよ。はっはっは」
冗談めかせたゴットフリートの物言いに、私は半笑った。
これは子煩悩がすぎる。
私はこの時、何も考えずに席に座ったが、よくよく考えれば自信家の振る舞いだ。
9歳の子どもが、衆目の面前で大貴族の当主から勝負を受けるなんて、ふつうはありえない。
享年25歳の私としては、「しゃーねーなー」くらいの気持ちだったけど、他人の目線では大人に恥をかかせようとする子どもの自信過剰に映ったようだ。
私は愉快そうに笑う取り巻きの貴族たちを眺めて、その笑顔を曇らせるにあたり、人知れず頭を悩ませた。
◆◆◆
あいさつと雑談を交えて数分後、私とルーカスは卓上の軍卓盤をはさんで向かい合う。
広間には所狭しとギャラリーが集まっていて、誰が呼んだのか食堂や庭先からもやってきて、最終的には100人近い老若男女が私たちの周囲に集まった。
……ふーん、そこまでして、レーゲン家のエレミアに恥をかかせたいってわけ? でもそれなら、ツェツィーリア本人の実力で私を上回らせた方が手っ取り早いと思うけどね。
私は不思議に思うけど、ひょっとしたら特に理由はないのかもしれない。
私の邪推ね。
ゴットフリートが見届け人として付き添い、ペーターとヴォルフは私の後ろに立った。
あまりにアウェーがすぎると私の立場で不公平だという、ペーターの配慮だった。
そして、先攻後攻を決める振り駒をして、私たちは軍卓の勝負を始めた。
先攻はルーカス、後攻は私、さあて、お手並み拝見と行きましょう。
「子どもを相手に遊ぼうって、ルーカス様も物好きだな」
「いや、レーゲンの子どもは、あのツェツィーリアお嬢さまのご友人だ。なにかあるさ」
外野が好き勝手にぼやいている。
真剣勝負に余計な口出しは無用だが、誰彼の目線では近所のおじいさんと孫娘が遊んでいるくらいの感覚なのかな。
勝負が始まって、私たちは互いに相手の出方をうかがうが、その展開に特筆すべき点はないと思う。
お互いに急戦ではないが、とりたてて特別に陣形を整えることもなく、今のところ将軍に動きはない、地球風に言えば『居玉』の状態だった。
周囲のギャラリーたちは、私たちの一手一手に興奮して、先の展開を雑談しながら愉快に盛り上がっている。
みんな、他人の勝負に興味津々なのね。
「ツェツィーリアお嬢さまだ」
その内に、騒ぎを聞きつけたのか、ツェツィーリアがやってきた。
怖い顔をしている。
ツェツィーリアは勝負中の父親ではなく、その側近と言葉を交わしていた。
「お父さまはなにをやっているのですか? シェーネス・ヴェッター家の当主ともあろうものが、『私の』お客様に、とんでもない非礼です」
なにやら複雑な親子関係が察せられる。
もっと早くに止めてほしかったわね。
「そ、そうはいいますが、軍卓大会は無礼講ですので」
ツェツィーリアに詰め寄られる騎士が、気まずく対応していた。
他の連中は、特になんの感想をいだくでもなく、盤上の勝負に集中している。
ふふふ、ツェツィーリアには悪いけど、今だけは私が主役ってことで、よろしくね。
序盤戦もほどほどに終わった。
雑兵の突き合いは膠着している。互いが中盤終盤に繋がる駒の効きを用意したところで、ルーカスが動いた。雑兵を突き捨てる開戦の合図だ。
「おお! ルーカス様が攻め込んだぞ!」
名も知らぬ騎士が声を上げた。
開戦の一手が、見事にギャラリーを魅了したらしい。
私たちが一手一手を指しながら、盤上の駒組みを整理していくと、ルーカスが駒交換で手に入れた『騎馬』――全方位に動ける桂馬、チェスのナイトだ――を使って、遊び駒に両取りを仕掛けてきた。
鋭い一手だ。
これに取り合えば、取り合うほどに、私は防戦一方となり、駒組みの優位を失い、敗北に近づく誘いの一手だった。
「騎馬を用いた遊撃戦術か。当主様は実戦だけでなく軍卓においても名将のようだ」
「ふーん、アルフォンス様も、よくやる手だね」
ペーターが強く感心して、ヴォルフが懐かしそうにつぶやいた。
「確かに、両取りそれ自体はよくある手だね。しかし、膠着した状態では、たったひとつの駒の差が、覆せない優勢と劣勢に繋がる。ヴォルフくんも見ておくといい」
へえ、ペーターはなかなか軍卓の内容に詳しいらしい。
駒一つ、地球風に言えば、香車ひとつ桂馬ひとつ、果てには歩ひとつの差が勝敗を左右する。
ありがちな話だわ。
ルーカスはこの打ち込みで膠着した戦況を打開するつもりのようだ。
「そう? 最後に将軍を倒した方が勝ちなんだから、駒ひとつくらい別にいいでしょ」
「いや、エレミアさんはそう思っていないと思うよ。ヴォルフくんには悪いけど、これは勝敗を左右する一手だと思うね。僕は、ね」
ペーターの意見はもっともね。私は様子見を兼ねて長期戦の構えでいたのだけれど、ルーカスはそれを望まず、開戦と同時に大きく攻め込んできた。
兵は神速を尊ぶってやつかな、観客を退屈させてもいけないし、当主が行うパフォーマンスの一環だと思う。
なるほど、『士気』ってやつだわ。
盤上には何の関係もないけれど、実戦と、なにより人心を知る権力者ならではの戦いぶりだろう。
それはそれとして、私はルーカスとの勝負をどう扱うべきか迷っている。
相手に失礼だし、ワザと負けようとは思わないけどね。
シェーネス・ヴェッター家としては、私をからかって笑いの種にしたいのだろうから、子どもレベルで恥を忍ぶのも大いにアリだ。
賓客のエレミアが、本気で晒しものにされる理屈もない。
相手の手に乗るのも優しさだ。
「エレミアさんも心得があるようだけど、やはり大人が
ペーターのつぶやきを聞いて、私は申し訳ない気持ちになった。
……勝負の差は年季の差か。シェーネス・ヴェッター家としては、ほんの少しエレミアをからかうだけの話だろうに、しかし私の側では勝っても負けてもあまり得はないわけだ。つくづくおもしろくない話よね。
私は貴族事情の厄介加減に呆れたが、ガチの人間関係が面倒なのはいつの世も変わらないのかな。
もういいだろう……私は長考を終えて、次の一手を指した。
「どうぞ、好きな方をお取りになって。決着まで、離れの騎馬は意味を成しませんわよ」
マナー違反と知りつつ、私は参考までに、ルーカス氏に自分の見解を伝えた。
両取り逃げるべからず、とはよく言ったもので、後は互いの速度勝負。
持ち駒を浪費した後で、ペーターの言う通り勝敗を分けるのは『ひと駒』の格差だ。
「そういえば、ツェツィーリアさんと軍卓を指したことはありませんでしたわね」
「……そうか。アレは親である私より強いぞ。ぜひ遊んでやってくれ」
私は「喜んで」と答えて、駒を指した。
子煩悩はどこの親も変わらないなと思う。
「エレミア様が勝ったけど?」
「い、いや、勝負は時の運だよ。そ、そういうものさ。ヴォルフくん」
ペーターが噛み噛みになって、ヴォルフと会話している。
あれだけカッコよく解説した後で気まずいよね……すまんな。
解説役のペーターを労って、後日いっしょに軍卓で遊ぼうと、私は心に決めた。
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