第15話 栄光

 秋が終わって冬が来て、また春が来そうだ。私、9歳。


 なに言ってんのかと思うけど、私たちは未だにシェーネス・ヴェッター家に居候していた。

 なにせ、誰も帰ろうとしないから、一抜けた! と言いづらいのだった。


 ゴットフリートは読み書き算術の指導もしてくれるので、環境自体は貴族学校に等しい。

 おかげさまで私もすっかり、貴族の子どもたちの輪に馴染めた。

 風当たりが強いには変わりないけど、話の通じる理解者も増えた。

 人間、誰しも話せばわかってくれるらしい。


 剣術大会で知り合ったペーターなんかは、私やツェツィーリアのひとつ歳上で10歳なんだけども、年下のクラスメイトに対しても、物腰丁寧に接してくれる。


「エレミアさんは、歌が上手でしたよね」


 今日もペーターがにこやかに話しかけてきた。

 どうやら、私が気紛れに国歌を口ずさんでいたのが聞こえたらしく、ペーターは同じメロディで鼻歌を歌った。


「あら、ごめんなさい。私は記憶をなくしてから言葉に不慣れでね。こうして時々、発音の練習をするのよ。歌は素敵だから。たまにヴォルフとも歌うわ」


 ペーターは「ほほう」と興味深そうに、私とヴォルフを見比べる。


「ヴォルフくんはエレミアさんの奴隷ですよね? 彼は字が読めるのですか?」


「読み書きはできるわよ。ヴォルフは奴隷だから、ここの授業には参加していないけどね」


 ヴォルフが淡々とうなずいた。


 やっぱり奴隷階級が教育の受けるのは珍しいのかな。

 ヴォルフもアルフォンスに学んだ私の学友みたいなものだけどね。

 貴族の子どもたちが集うこの場では、ヴォルフが輪に交ざれないのは当然だ。


「すごいな。ヴォルフくんは……その、レーゲン家に才を期待されているのですか?」


「期待? そんな大層なものじゃないわ。私の友達よ。それだけ」


 私はペーターと会話しながら、ヴォルフに笑いかけた。

 ヴォルフも9歳、来年になれば10歳になる。友達か……男女の仲でそんな言葉が通用しなくなる日も来るかもしれない。


 モーントシャイン王国で成人として認められるのは16歳だけど、思春期の訪れはもっと早いのだから、当然だろう。


 私がヴォルフに向ける好意的な視線をなにか勘違いしたのか、ペーターは「人の繋がりを育むのは、難しい話ですね」と考え込んでいた。


 ペーターは私やツェツィーリアと話すことが多く、彼も年相応以上に大人びている。

 子どもが背伸びをしてくれるのは嬉しいけど、ちょっと心配にもなる。


 私とペーターが談笑していると、足音もなくご老人があらわれた。ゴットフリートだ。


「興味深いですな。奴隷に知恵をつければ背かれると言いますが、読み書きと算術は一兵卒の身であっても必要不可欠な学びだ。なるほど、レーゲン家も、ずいぶんと挑戦的な試みをなさっているようですね」


 ゴットフリートは分かりやすくペーターに言い聞かせるように、独り言を口にした。


 彼ならばヴォルフの教育に理解を示してくれると思っていた。

 案の定の物言いに納得する。


「しかし、奴隷階級の子を跡継ぎにしようとは刺激的だ。障害が多いほどに恋路は華やぐと申します。わたくしはエレミアお嬢さまとヴォルフくんの運命を応援していますよ」


 ゴットフリートがセクハラスレスレのからかい文句を投げてくれる。

 やっぱりこのクソジジイはどこか頭がおかしいわね。


 彼の話に合わせていると、どうもこの世界の価値観がわからなくなる。


「どうでしょう。ヴォルフくんの訓練などを、わたくしに任せてはいただけませんか」


 ゴットフリートは私たちを見まわし提案した。

 奴隷の教育まで引き受けてくれるようだ。


 私はヴォルフを見て、彼の反対が無いことを確認してから、了承した。


 その後、私たちは、邸宅から少し離れて、騎士たちの訓練場に向かった。


 訓練場では騎士たちが雄たけびを上げて打ち合っており、剣と盾の軽快な激突音が、実に心地いい。

 武芸のセンスに恵まれていない私には、彼らのやりとりはさっぱり理解できないが、騎士たちの戦いぶりは素人目にも苛烈の一言であり、騎士階級が戦士階級だという事実を思い出させてくれる。


 ゴットフリートは私たちを連れて訓練場の端を通過して、訓練用の木剣と槍を用意した。


「ではヴォルフくん」


 彼が示す先には、騎士たちに交じってツェツィーリアがいる。

 彼女はこちらに気づいた。


 やはり訓練用の剣や槍だとはいっても、当たったらめちゃくちゃ痛そうだと思う。


 誰も彼もが、力まかせに武器を振るって、次期当主に力を示そうと躍起になっている。

 負けてガッカリする程度なら気楽な話で、当たり所が悪ければ大怪我をするに違いない。


「ツェツィーリアお嬢さまの、お相手を願いたい」


 ゴットフリートの提案に私は耳を疑った。

 大貴族の娘に剣を向けさせる、その無茶ぶりを察する。


 訓練とはいえ、ツェツィーリアは大貴族の娘で、ヴォルフは奴隷の身分である。

 同じく貴族階級の騎士たちが、彼女を指導するのとは事情が別に違いない。


「ご安心ください。殴ってよし、泣かせてよしの訓練でございます。……わたくしの立場と権限に誓って、ヴォルフくんに貧乏くじは引かせませんよ」


 ゴットフリートは無茶苦茶を言う。

 彼にとっては貴族も奴隷も教え子の扱いらしい。


「そうはいっても、周りの目があるでしょうに」


 私がぼやくと、ペーターが「戦いの結果は誉れです。貴賤の差はありませんよ」と微笑む。

 このペーター、常識人のようで意外とはっきり物事を言うわね。


「ペーター様のおっしゃるとおりでございます。見たところツェツィーリアお嬢さまは退屈していらっしゃるようす。騎士たちにも、たまの娯楽と休憩が必要です」


「ヴォルフを当て馬にしようってのね……ふーん」


 ゴットフリートの意図を想像して私が鼻を鳴らすと、ヴォルフが「いいよ」と言った。


「殴っていいなら、俺はやるよ。殴られっぱなしにされるのは、嫌だけど」


 ヴォルフの意思を確認したゴットフリートが笑いジワを刻む。

 ……さすがにこれは責任問題よね。万が一のことがあれば、大変なことになるかも。

 私はブルーな気分で胃の辺りが痛くなるのを感じた。


「さて、ヴォルフくんは、盾を使いますかな? それとも木剣だけを使いますか?」


「いや、ゴットフリート殿。ヴォルフくんは槍を使うのかもしれませんよ」


 悩む私の気も知らず、ゴットフリートとペーターが使う装備の相談をしている。

 ヴォルフが答えた。


「要らないよ。盾だけでいい」


 ヴォルフの発言にこの場の全員が目を丸めた。

 ひょっとしたらヴォルフは、私の体裁を気にしてくれているのかもしれない。


 身を守ることだけを考えて、盾を選んだのかな。


「本当に使っていいなら、弓を使わせてほしいけど、それはダメなんでしょ? 木剣で貴族様に大怪我をさせたら、俺が殺されそうだ。あんまり痛くしないように、殴るよ」


 相変わらず予想斜め上を行く発想だわ、と私は感心する。

 ヴォルフはヴォルフなりに、奴隷の立場で、自分が置かれた面倒な状況を理解しているらしい。


「大丈夫だよ。エレミア様。いざとなったら逃げるから。エレミア様にはカッコ悪いと思われるかもしれないけど、無茶苦茶はしない。約束するよ」


 淡々と言い切るヴォルフに対して、ペーターは「ふうむ」とうなった。貴族の彼には「逃げる」とか「盾だけでいい」とか、そういう発想が面白くないのかもね。


「ほう、訓練とはいえ実戦にも通じる知恵ですな。これはおもしろいものが見られそうだ」


 ヴォルフを観察していたゴットフリートが不敵に、そして不気味に微笑んでいた。


 ◆◆◆


 私たちはツェツィーリアに話しかけて、ゴットフリートの提案を説明した。


 こうなっては仕方がない。

 お互いに正々堂々、真っ向勝負と参りましょう。幸か不幸か私たちは子どもだ。誰彼の目線で子どもの戯れ、くらいに見てもらえると信じたい。


 訓練場の片すみを貸し切ってヴォルフとツェツィーリアが向き合い、私たちは観戦する。


「ひゅー、盾だけ持つとは恐れ入る! こいつはやるかもしれねえ!」


「奴隷のガキもがんばれよー」


「ツェツィーリアお嬢さまに殴ってもらえるなんて、おまえついてるぜ」


 外野の騎士たちがゲラゲラと笑って、勝負をはやしたてる。

 どちらかと言えばツェツィーリア贔屓の声援だが、気のいい彼らはヴォルフにも少しの期待を寄せてくれた。


「不肖、わたくしが見届け人をさせていただきます。では、はじめ」


 ゴットフリートが開始を宣言すると、ツェツィーリアは「よろしく」と優雅に会釈した。


 ……余裕ねえ。


 木剣を手にするツェツィーリアは、木剣だけで盾を持っていない。

 対するヴォルフは盾だけで武器を持っていないし、訓練とはいいながらも、なんとも間抜けな絵面だわ。


「お先に行くわよ」


 ツェツィーリアが踏み込み、自然体のヴォルフを木剣で突いた。


 叩いたり、薙いだりするものだとばかり思っていて、私は意外に思う。


 これに対して、ヴォルフは同じく木製の小盾で刺突を受けた。

 剣先を弾き、逸らし、そして距離を取った。

 ヴォルフは器用なのね。


「守ってばかりじゃ勝てねーぞー」


 外野が野次を飛ばしているが、そもそも武器を持たないヴォルフの側に反撃のチャンスはなかった。


 ツェツィーリアも執拗に攻め立てるが、ヴォルフの守りを崩せないでいる。

 しかしヴォルフが木剣をはじいた直後に、ツェツィーリアは無理やり肉薄して、ヴォルフに足払いを仕掛けた。


 不意を打たれたヴォルフはバランスを崩して、よろめく。


 ……ええ!? 足払いって、ありなの!? 喧嘩殺法ね! これは決まり手だわ!


 ツェツィーリアの優勢を見てとった私はタオルを投げる準備をする。タオル無いけど。


「ヴォルフ! もういいわよ! 逃げていいから!」


 自分の友達が一方的に殴られる姿を見たくなくて、私は叫んだ。


「あらあら、随分とお早く白旗をあげるのね、情けない」


 ツェツィーリアが煽るけど、ヴォルフは迷いもせずに地を転がってその場を逃れた。

 機敏ね、野生動物みたいな身のこなしだわ。


「よーし、よし! さあ、ゴットフリート。勝負はついたわね! おしまいよ!」


 私はヴォルフの無事を確認して見届け人に決着を提案した。


 あとは私が恥をかくだけよ。


 と思っていたら、しかし距離を取り直したヴォルフは盾を構えなおした。

 継戦の意だ。


「おしまいには、まだ早いようですな」


 戦う者の意思を確認したゴットフリートが、うれしそうにつぶやく。

 地を転がり砂にまみれているヴォルフの姿は、今までになく野性的だった。


 ゴットフリートはあくまで自分の判断によってのみ、決着を認めるつもりのようだ。


「す、すごい!足払いで転倒してから、寸刻と待たずに跳ね起きるとは!」


 ペーターがヴォルフの身のこなしを評価して、熱烈に目を輝かせた。


 ヴォルフは無言で前に出て、ツェツィーリアを小盾で殴りつける。

 それはツェツィーリアの刺突を弾きながらの一動……

 見透かしたような流麗なカウンターである。


 殴り飛ばされたツェツィーリアだけでなく、この場に集った観衆全員が驚きで目を見開いた。


「おまえ、エレミア様に、くだらないちょっかいを出すなよ」


 交差の瞬間、ヴォルフが何かを言っていた。

 喧騒にまぎれて、よく聞こえない。


「そこまでです。今の一撃が剣によるものなら、ツェツィーリアお嬢さまの命はない」


 ゴットフリートは決着を認めて「はっはっは」と愉快そうにしている。

 ペーターや周りの騎士たちも大番狂わせに感動していた。


 奴隷に対する侮りが一転して、誰彼はヴォルフに尊敬のまなざしさえ向けている。

 私からすれば、よくわからない展開ね。


『手の内を見せたら、本当に勝たないといけない時に、勝てなくなるから』


 私はかつて聞いたヴォルフの言葉を思い出していた。


 確かに誰彼は……いや、傍にいた私でさえ、暗にヴォルフを侮っていたのかもしれない。

 それは非礼ね。ヴォルフは読み書きをあっさり学び自分の能力を隠す知恵もあるのだわ。


「勝ったよ。エレミア様」


 ゴットフリートは私とヴォルフを交互に見て、「なるほど」と意味深に微笑む。


 能ある鷹は爪を隠す。神童ツェツィーリアを下した奴隷ヴォルフは一躍有名人になった。

 勝利と栄光を勝ち取るヴォルフの優秀は、誰でもない彼によって証明されたのである。


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