第13話 差別主義者

 私たちは秩序の街ヴァーゲを通過して、シェーネス・ヴェッターの邸宅に向かう。


 しかし、『シェーネス・ヴェッター』というのは『晴れ』という意味なんだけど、一般的な『晴れ』という天候と、大貴族としての『シェーネス・ヴェッター家』という意味と、太陽神の恵みとして存在する要素エレメントとしての『晴れ』という意味と、ごちゃごちゃ複合していて、異邦人の私には言語の解釈が面倒くさいのよね。


 混乱しすぎて困るので、私はシェーネス・ヴェッター家を脳内で『晴れの貴族』と位置付けた。


 ちなみに、レーゲン家は『雨の貴族』。

 なんにせよ、分かりやすいのが一番だわ。


 シェーネス・ヴェッター家が統治する大都市は大きく2つ。

 ひとつは膝元直轄の秩序の街ヴァーゲ。

 もうひとつは、異民族から南方の守りを固める要塞都市シュッツェ。


 ヴァーゲは先述した通り、領主直轄の都市であり、モーントシャイン王国有数の人口と華やかさを持つシェーネス・ヴェッターの権威の象徴だけど、彼らが大貴族として王国に寄与する役割はそこではない。


 南方に国境を接する異民族国家の侵入を防ぐ、要塞都市の管理とそれによる王国全体の国土防衛が、シェーネス・ヴェッターの本懐だ。


 私たちは邸宅に到着し、出迎えの使用人に接待されながら、軽いあいさつを済ませる。


 シェーネス・ヴェッターの邸宅はレーゲン家に負けず劣らず広く壮麗だった。

 よく見ると高台に見張り番がいたりして、屋敷というよりは質実剛健な砦ね。


「よーし、我らは任を果たした! 休んでよし!」


 ジャンが景気よく言うと、騎士たちは満足そうに去っていく。

 奴隷たちも同様だ。


「ではエレミアお嬢さま、我々はお帰りの日まで、街で待機しておりますので」


 そんなふうにジャンが別れの際に教えてくれた。

 彼らは私がレーゲンに帰るその日まで、ヴァーゲで生活することになるのね。

 迷惑をかけるわ。今更だけど貴族ってのは本当に、大勢の人に世話をかけながら生きていくのが常らしい。


 同僚の騎士や奴隷たちを管理するジャンは、これから苦労するだろう。

 ほんの1か月ほどの付き合いではあったけれど、彼は旅に不慣れな私を支えてくれた。感謝しなくては。


「ありがとうね。ジャン、それからみんなも」


 私が心を込めて礼を言うと、ジャンは「よしてくださいよ。俺たちのお嬢さま」と笑った。

 周りの騎士たちも笑っている。彼らはみな、心強い忠義の徒だ。


「エレミア様、まことに申し訳ございません。ただいまツェツィーリアお嬢さまは外出しております。当家の執事が対応しますので、もうしばらくお待ちください」


「へえ、執事さん? 執事かあ、いいわね、ナイスミドルだと、もっと嬉しいわね」


 使用人の事務連絡に対して、私は「むふふ」と幸せに笑う。ちょっと楽しみだわ。


「執事さんって、どんな人なの?」


「執事ゴットフリート。当家の筆頭騎士でございます。ツェツィーリアお嬢さまの教育係でもあります」


 使用人の言葉に私は納得した。

 なるほど、教育係ってことは、アルフォンスみたいな立場なのかな?

 よーし、ナイスミドルでもイケメン美青年でもドンと来いよ!


 執事。執事と言えば、貴族のロマン。


 アルフォンスもそうだったけど、燕尾服を着て、知性を振りまく素敵な男性よね。

 ただし、この時の私の思惑は、少しばかり的を外すことになる。


 ◆◆◆


「こちらがエレミアお嬢さまでございますね」


 白髪で白いおひげを蓄えたおじいさまと使用人が業務の引継ぎをする。

 そして、私とゴットフリート氏と思われるおじいさまが向き合った。


 私の隣には側近のヴォルフもいた。


「ようこそいらっしゃいました。わたくし、シェーネス・ヴェッター家の執事をやっております。ゴットフリートと申します。長旅でお疲れでしょう。どうか気楽になさってください」


 私は目の前のおじいさまを見て確信した『紳士だ! 紳士がいる!』と。


 このおじいさま、みるからに歳を取ったご老人だが、背筋がピンと伸びている。


 老人と言っても好々爺といった雰囲気ではなく、顔には刀傷とおぼしき名誉の負傷が残り、実戦を経た老獪な戦士の風格を伝えている。

 よく見ると片方、傷跡で眉毛がない。


 ……わお! 知性とワイルドを両立した、イケメンナイスおじいさま! 超素敵だわ!


 私は素敵な出会いと、都合よく外出してくれたツェツィーリアに感謝をささげた。


 とはいえ、執事であり筆頭騎士ということは彼も貴族なのだろう。

 ミーハー気分で舞い上がっていないで、私も気を引き締めて、失礼がないようにしなければ。


「ご丁寧にありがとう。私はエレミアです。ツェツィーリアさんのお誘いで来ました」


「ツェツィーリアお嬢さまから、エレミアお嬢さまを案内するようにと仰せつかっております。この老体では不足かもしれませんが、なにとぞ、納得していただけますよう」


 ゴットフリートは、笑いジワを深く刻んで微笑んだ。


「ちょうどよく、街で見世物があるのです。わたくしがご案内しましょう」


「まあ、それは楽しみ――」


 期待いっぱいに私が返事をすると、なぜかヴォルフが眉をひそめた。


 その意味が分かるのは直後だ。


 ゴットフリートは言質を取ったとばかりにうなずいた。


「街で罪人の処刑を行います。楽しんでいってください」


 ……何言ってんだ、このジジイ?


 ◆◆◆


 ゴットフリートは、その後ツェツィーリアが帰宅するまでの2週間ほど、私に街を『案内』してくれた。


 公開処刑の観覧ツアーから始まり、盗みを働いた不心得者や逃亡奴隷を切り捨てるその瞬間までを、あますところなく私に見せつけてくれた。


 アルフォンスは私に書物に由来する記録上の知識を与えてくれたが、ゴットフリートは「街に出かけましょう」と言って、様々な形で私に民の悲惨を植え付けた。


 彼が言うには「これはツェツィーリアお嬢さまたっての希望でして」とのことだ。


 よくわからないんだけど、享年25歳の私にとっても、衆人環視の公開処刑は刺激的だった。

 ヴォルフが傍にいてくれなければ、気を病んでいたかもしれない。


 鞭打ちの現場とかも、見たりした。


 ゴットフリートの嫌がらせみたいな案内を受けたのは、遅れて到着した私以外の賓客も同様だ。


 ツェツィーリアの手紙に招待された少年少女らは、私の元学友でもあった。


 それぞれがエレミアに対して思うところがあるんだと思う。

 しかし今は子どもの仲違いどころではない。

 そろいもそろって大貴族の子どもだというのに、悲惨な人死にの現場ばかりを見せ続けられ、みんな情け容赦なく精神的虐待をされている。


 平気な顔をしているのは、私の隣に立つヴォルフくらいのものだ。

 むしろ彼は、どうして私たちが蒼い顔をしているのかと、疑問に思うようだった。


 そして、ある日。

 私にとって致命的な人生の分岐点がやってきた。


「エレミアお嬢さま、この罪人たちの審判をお任せします」


 その日、街の広場を訪れた私と学友の前に、数人の罪人が待っていた。

 全員が「助けてくれ!」と悲鳴を上げている。


「ど、どういうことかしら?」


 私がたずねると、ゴットフリートは笑いジワを寄せて、ニカっと微笑んだ。


 その優しい笑みの真意を察して学友たちが恐怖する。


「言葉通りでございます。エレミアお嬢さまの判断で、罪人を裁いていただきたい。これはツェツィーリア様のご要望で、当主様も承知のことでございます」


 ゴットフリートは朗らかに説明するが、そんな無茶ぶりは冗談じゃない。

 私はお断りよ。


「それは道理が通りません。国には法があり、罪人といえども法による裁きが必要です。彼らがなにをしたのですか? 部外者の私ではなく、役人の判断が適切だと思いますわ」


 私は衆人環視に怯えながらも、ゴッドフリートを見返した。


「その通りでございます。世には法がある。そして、法を定め執行するのは、ツェツィーリアお嬢さまや、エレミアお嬢さまのような貴族の責務だ。彼らは露店の果物を盗みました。裁きは当然の結果です」


 私の反論を予定調和だと言いたげなゴットフリートは、微動だにせず応じた。


「ツェツィーリアお嬢さまは、ご学友のみなさまに貴族の見識を求められています。なにも、その手で首をはねろとは申しません。秩序を守り育てる貴族階級として、ふさわしい判断を、その能力だけを求められているのです」


 私はその理屈を聞いてポカンと呆けた。

 果物を盗んだらしい罪人たちは、私たち貴族の子どもを見つめて怯えている。


 貴族とはいえ、ただの子どもが人の命を選別するのか。


 理屈は分かる。果物を盗んだということは、彼らが命と生活に困窮したということなのだろうが、1つの果物で救われる命があるということは、また1つの権利が不当に奪われるということでもある。


 それが許されるのか? と、私は自問自答する。


 ……理屈は分かる。でも、殺すまではしなくてもいいんじゃないかな。


 私は罪人のひとりを見た。子どもだ。私やヴォルフより少しだけ年上の子どもだ。


 誰彼は「命だけは」「悔い改めます」と哀れを誘い私たちに訴える。


 私は法律家じゃない。

 この世界の事情も、よく知らない。

 許すも裁くも、そんな裁量は私にはない……

 冷静に思考すればするほど、底知れない恐怖が身をふるわせる。


 ゴッドフリートは、怯える私や貴族の子どもたちを見て、優しく微笑んでいる。


 クソジジイ! おまえを裁いてやろうか! と思ったけど、彼の罪状は見当たらない。


「エレミア様、俺が決めようか? 俺は……どうしたらいい?」


 青い顔の私の手を握って、ヴォルフが私の判断を待っている。


 ……その時、私の中で、綺麗な線が一本切れた。


 そうだ、私はエレミアだ。

 人を裁き、人を選ぶ、私は貴族エレミアだ!

 決断ひとつ下せない、指導者に生きる意味があるものか!


 私はヴォルフの温かい手を振り払った。

 主人の私が、彼を迷わせるわけにはいかない。


「ほう、前に出たということは、エレミアお嬢さまは――」


「全員死刑、当然よね? そうでしょう?」


 執行者たちが首刈りに備えて巨大な剣を絞る。


 罪人たちが慈悲を求めて、いっそうの悲鳴を上げた。


 私は周囲の視線を感じながら思考していた。

 この場に集った見物人が見ているのは「生きるか、死ぬか」ではない。


 もっと単純に「盗みを犯して、許されるのか、否か」だ。


 すなわち明日の我が身であり、この決断の本質は治安維持の是非そのもの……


 罪人たちは、私の判断で断罪された。


「すばらしい。エレミアお嬢さまは、その若さで世の道理を明察されているようだ」


 ゴットフリートがひかえめな拍手で、私の殺しを称賛した。


 私は人を選んだ。

 生きるべき者と死すべき者を選んだ。


 それが思ったより心に響かないのは、自分で罪人の首をはねたわけではないからだろう。


 享年25歳、この世界の歳月を加えれば26歳の私は、渇いた声で笑った。

 私は今、誰もが望む、差別主義者どくさいしゃだ。


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