第12話 旅のひととき

 馬車の旅は優雅な旅と。

 思っていた時期が私にもありました。


 揺れる揺れる! 揺れるって言うか、跳ねる、飛ぶ!


 なんでかっていうと、そもそも道が舗装されていないからデコボコなのよね。


 酔って死ぬわ、地獄の乗り心地よ。

 アルフォンスの忠告は、過保護の類ではなく、至極まっとうなアドバイスだったらしい。さすがイケメンは優秀ね。


 って、感心している場合じゃない、吐く、もう吐くわ!


「休憩休憩休憩休憩休憩、休憩よ! 止まれ!」


 死に物狂いの私が従者に指示を出すと、街道沿いのやや広い空間で馬車は停車した。


 一休みね。吐くわね、吐くからよろしく。


「うえええ……」


 いやま、さすがに馬車の中では吐かないけど、私は疲労困憊だ。


 酷く揺れる馬車にシェイクされ続けた私には、いまや景色を楽しむ余裕もなかった。


 私が馬車を降りると、ケロッとしたヴォルフが出迎えてくれた。

 荷車みたいな馬車に詰め込まれたヴォルフは私と違って元気そうにしている。

 ポーカーフェイスね、さすがよ。


 ……ひょっとして歩いた方が楽なんじゃないかなあ。


 と、私は一瞬だけ血迷ったけど、8歳の子どもに歩き通しで旅ができるはずもない。


 ちなみに護衛の騎士たちは、さすがに旅慣れしていて、軽鎧を身にまとっていながら、馬から降りても微動だにしない。

 箱入り娘の私とは根本的に鍛え方が違うのか、彼らは油断なく周囲を警戒している。

 家来が頼りになると本当に助かるわね。


「エレミア様、大丈夫?」


 ヴォルフが声をかけてきたので「死にそ、酔ったわ」と正直に答える。

 すると彼は作業着のポケットから干し肉を取り出してくれる。


 えーと、ヴォルフ? そのポケットは魔法のポケットなの?

 

 ……吐きそうだけど、食べて体力つけないと持たないかもね。


 私はやけっぱちの心境で、ヴォルフ印の干し肉をガジガジとかじった。


 ちょうどよいことに、奴隷のみなさんが荷物を降ろして食事の準備を始めた。

 私の指示に従って、ひとまず全体休憩を取るらしい。


 景色を眺めたり、ヴォルフと雑談したりして、そうして気晴らしをすると少しだけ気分が良くなった。


 私を心配してくれるヴォルフが「食べる?」とまた干し肉を差し出してくれたけど、ヴォルフが蓄えた保存食を根こそぎ奪うのは、さすがに忍びない。


「元気が出たわ。おいしい干し肉をありがとうね」


「そっか。でも食べないと、体が持たないよ。行こう。食事の準備ができたみたいだ」


 ヴォルフは立ち止まる私の手を引いて、食事時を知らせてくれる。


「今日のご飯はなに?」


「緑野菜のスープだよ。俺は好きだな。エレミア様も、しっかり食べなよ」


 私はヴォルフに連れられて、食事を準備する奴隷たちの下へ向かう。

 そうして、みんなで談笑しながら昼食を取った。


 ……私がひ弱なのか、周りが強靭なのか。うーん、わからん。


 とりあえず後のことは考えず、私はお腹いっぱい食べることにした。


 でもって私は、その後の馬車の旅で当然のように地獄を見た。

 干し肉で満足しておけばよかったものを、ゲロる私は優雅な貴族令嬢よ!……うっそやん。


 ◆◆◆


 シェーネス・ヴェッターへの旅路は長く、地獄の馬車旅が何日も続いた。


 私は小休憩のたびに、奴隷や騎士たちの会話に交ざり、様々なことを教えてもらった。


 たとえば、馬の扱い。

 落馬したら危ないからなのかな。レーゲンの邸宅では教えてもらえなかったけど……割といい加減な性格をした騎士のみなさんが教えてくれた。


 エレミアの身体にも人並みの運動神経はあったようで、私は貴族のたしなみとして乗馬を学習する。


 奴隷も騎士も、みんなエレミアによくしてくれたけど、中でも話が弾んだのは料理上手の騎士ジャンだ。


 ジャンは妻子持ちの30代男性で、くすんだ金髪に翡翠の瞳を持つナイスミドルだ。

 旅先の事情で無精ヒゲが伸びているが、まあそれもダンディよね。


 ジャンは騎士、つまり貴族でありながら、奴隷たちに交じって食事の準備や雑用を積極的に担当していた。

 働き者は私の視点で好ましい。また私は彼の料理をおいしく食べた。


「エレミアお嬢さまは好き嫌いをしませんな。食は医の基礎だ。すばらしい心がけです」


 ジャンはそんなことを言いながら、私といっしょにご飯を食べてくれる。


 おそらくだけど、彼は私の旅を心配したヨーゼフが用意した目付け役なのかな?

 そんな気がするわ。


 ◆◆◆


 邸宅を出発して、早くも1か月。

 とうとう私たちはレーゲン領の境を越えて、シェーネス・ヴェッターの支配域に足を踏み入れた。


「見えてきましたよ。エレミアお嬢さま、ここがシェーネス・ヴェッターの地です」


「へえ、街ね。綺麗な街が見えるけど」


 遠方には数多くの家屋が見える。

 レーゲンの村とは比較にならない華やかな街だ。


「あの街はシェーネス・ヴェッター家の膝元。秩序の街ヴァーゲですな。華やかなのは外見だけではありません。あの街は騎士が住まい騎士が守る、民にとっての楽園なのです」


「なるほど、治安維持は万全ってわけ」


 ジャンが「おっしゃる通りで」と愉快に笑った。


 騎士が民を守ると言えば、当たり前のように聞こえるけれど、両者がともに暮らす環境というのはなかなかに想像しがたい。

 貴族の邸宅で平民や奴隷の使用人が働いている環境とは、さすがに事情が違うはずだ。


 つまり、この地では身分差に由来する偏見が日常生活のレベルで解消されているわけね。


 もちろん、騎士は騎士で、平民は平民で、立場の違いはあるのだろうけど、あくまで形式以上の身分差はなく、互いが互いに果たすべき仕事に従事しているに違いなかった。

 

 しかし、モーントシャイン王国としては先進的だが、先進的であるがゆえに、前例もなく小規模で実験的な試みに違いない。

 暮らしの豊かさを考えるならば、理想とも言える治安だが、それは領主が直轄する膝元だからという事情もあるのだろう。

 いわばこの街は、モデル構築の実験都市なのね。


「ここがシェーネス・ヴェッターの、あの子の、ツェツィーリアの街なのね」


 私は遠目にも整然とした街を眺めた。


 ツェツィーリアとの再会は、この後すぐよ。

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