第11話 いざ、出立
はーるがきーたー、春がきた。
もう少し寒い日が続くけれどね。
私はシェーネス・ヴェッターの招待に応じて、ツェツィーリアに会いに行くと決めた。
「気をつけて行くのですよ。近頃は物騒ですから……あなたにもしものことがあったら、私は……」
「ええ、お母さま、心得ております」
クラーラは心配そうにしているが、私は特に気に留めない。
旅には刺激が必要だ。
「あなたなら、ツェツィーリアさんとすぐに仲良くなれるわ。お友達をたくさん増やして、それからまた貴族学校で学べばいいと思うの。わかるわね?」
「はい、もちろんです。私はお母さまの言葉を忘れず、学友との友情を大切にします」
私の模範解答を聞いて、ヨーゼフが「ははは、こやつめ、心にもない事を言う」と鼻で笑っている。正直その通りなのだけど、余計なことを言わないでほしいわね、お父さま。
「夏には帰ってきます。お母さまもお元気で」
「ええ、あなたが一回り大きくなって帰ってくるのを、母は楽しみにしています」
私とクラーラは互いに微笑み、うなずき合った。
一回り大きくなるって、たかが2、3か月、家を出て外泊するだけだというのに、大袈裟な話だと呆れてしまう。
とはいえ、私でなく本来のエレミアが、もともと貴族学校での生活に馴染めなかった経緯を考えると、母親としての心配も当然なのかな。
私には母親の気持ちはわからないけれど、子ども社会から弾き出されたエレミアに対する不安はわかる。
落ちこぼれだの、虚言癖だの、野蛮だのと、どうして本来のエレミアが歪んでしまったか。
今となっては、その理由はわからないけど、両親の立場で心配するのは当然だろう。
人の心の変遷などは考えれば考えるだけキリがなく、悩めば悩むだけ私にとってのストレスになるだけに違いない。
しかし、私の意に反して、エレミアの素行不良は行く先々で私を悩ませることになる。
それはこの時の私が知るところではない。
私がクラーラに挨拶を済ませた後で、ヨーゼフはしかし何も言わない。
最近わかって来たけど、このお父さまはけっこう娘に対して不器用なのよね。
見送りに来たアルフォンスが私に近づき、「お気をつけて、お嬢様」と微笑んだ。
「ありがとう、アルフォンス。あなたから教えられたことは多いわ」
「いいえ、こちらこそ。本当は私がお嬢さまの旅路についていきたいのですが……」
ヨーゼフが「ならぬ」と命じて、厳しい表情でアルフォンスを見た。
甘くない父親ね。
「お父さま、どうしてですか?」
「アルフォンスには盗賊団の対処を命じている。おまえばかりに構わせる暇はないのだ」
ヨーゼフはそう教えて、アルフォンスの未練に釘を刺した。
「なるほど、確かにそれもそうか」
「エレミアお嬢さまなら、私がいなくとも一人前だというヨーゼフ様の信頼ですよ」
アルフォンスが、冷淡なヨーゼフをフォローして言った。
「代わりに、ヴォルフを連れて行ってください。彼の仕事ぶりは、彼を指導した私が保証します」
「ヴォルフを? よろしいんですか? お父さま?」
私が念を入れて確認すると、ヨーゼフはそっけなくうなずいた。
「エレミア。あの奴隷の子は、おまえの手足になるのだろう? 側近として扱うつもりなら、首輪くらいは自分でつけられるようになれ。これはおまえに対する試金石だ」
私に裁量を与えてくれるらしい。
確かに、側近ひとり扱えないようでは跡継ぎ失格ね。
「エレミアお嬢さま。今回の旅路が終わった時点で、私はひとまず家庭教師の任を解かれます。私が教えることはありません。あなたは素敵な淑女だ。自信を持ってください」
アルフォンスが甘いマスクで「短い間でしたが」と笑ってくれた。
「ありがとう。
私が微笑み返すと、アルフォンスがフッとまぶたを伏せた。
「
アルフォンスは非礼を承知で、右手を前に差し出した。
握手を求めているのかな。
当主の目の前だというのに、家来が令嬢相手に握手を求めるとは、度胸のある話ね。
取り巻きの使用人たちが驚いたように、どよめきたつ。
「私はあなたの友です。歳離れていても、それは変わらない。レーゲン家の家臣としてではなく、アルフォンスという人間が、あなたの助けになると、ここに誓いますよ」
アルフォンスはヨーゼフの家来であり、騎士たちに次ぐ屋敷の重鎮だ。
断じて、彼は私の家来ではない。
その彼がここまで言ってくれるのだから、私は幸せ者だ。
ヨーゼフは何も言わなかった。ただ、小さく口元をほころばせている。
貴族と平民に隔たる格差と現実は過酷だ。
しかし、それでもこうして手を取り合えるのだと、アルフォンスは私に、行くべき道を教えてくれたのかもしれない。
そして、私は彼との友情をもって、未来の現実を戦うことになる。
◆◆◆
出発の時間がやってきた。
馬車が数台、その内のひとつは、私ひとりが乗るために用意された小奇麗な装飾馬車だ。
残りは荷物や人員を運ぶための荷車扱いね。
奴隷であるヴォルフは当然のように、荷物扱いで馬車に詰め込まれた。
それを見かねた私が、私と彼を同席させるように頼んだけど、ヴォルフはそれを断る。
「ダメだよ。エレミア様。『俺たち』は奴隷だ。ひとりだけ特別扱いはされたくない」
私はヴォルフの意を汲んで、大人しくひとりで馬車に乗りこむ。
……確かに、身内だけを依怙贔屓するなんて、一番他人から嫌われるパターンよね。
私がヴォルフの指摘を納得してうなずくと、アルフォンスが外から話しかけてきた。
「エレミアお嬢さま、馬車は酷く揺れます。道中で決して無理をなさらないように」
アルフォンスは、休憩を望む時は必ず従者に伝えるように、と教えてくれる。
んん? 馬車の旅って過酷なわけ? 揺れるって話は聞いたことがあるけどさ。
私はアルフォンスに「ありがとう」とお礼を言って、馬車の扉を閉めた。
さて、出発だ! 従者の合図で馬車が振動して動き出す。
盗賊の脅威から私を守るために、護衛の騎士が馬に乗ってついてきている。
お父さまの配慮らしい。
少し数が多い気がするのは、なんだかんだと娘が可愛い証拠かな。
ガッタン、ガッタンと、勢いよく馬車が揺れる……車輪が壊れているの? まさかね。
「よーそろー」
窓の外をながめて、優雅に景色を楽しもうと思う。
まさに貴族の旅って感じね。
思えば貴族学校から離れて、レーゲン家の邸宅から離れてと、なかなか忙しい日程の気がする。
数奇なエレミアの境遇に思いをはせる内に、邸宅の風景は遠ざかっていった。
「またね、アルフォンス」
帰って来た時には、目いっぱい成長した私を見せてあげようと、私は誓った。
私は馬車に揺られる。
大空の下に繋がる、シェーネス・ヴェッターの地は、少しだけ遠い。
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