第10話 シェーネス・ヴェッターの誘い
そんなこんなで冬、いつのまにか8歳の誕生日を迎えていた私。
領内を脅かす盗賊への対処を考えるのに手一杯で、私のお誕生日を祝う会は特になかった。
少し寂しい気もしたけど、中身25歳の私としては特に落ち込む話でもなかった。
今も私は、アルフォンスに語学の教えを請いながら、彼と対話の真っ最中だ。
「エレミアお嬢さまは、ご学友の領地に遊びに行かれたりはしないのですか?」
「うーん、それは難しいかなあ。というか私は嫌われ者だったみたいだからね。門前払いされることはあっても、相手から誘われることはないんじゃないかな」
アルフォンスは少し驚いたように目をまばたかせた。
「確かにお嬢さまの評判は良くありませんが、風評は風評だとばかり」
「まあねえ、8歳の子どもが世間の風評を気にするのもバカバカしいけどさあ。今のところは大人しくして、これ以上悪評が立たないようにしたいところだわ」
私は「私に記憶がなくても、他人の心象は変わらないし」と付け加えた。
アルフォンスは真顔で考え込んでしまった。
彼は手に持つ書物のページを閉じる。
互いにしばらくの沈黙を経て、「賢明ですね。しかし」とアルフォンスは眉をよせた。
「お嬢さまは、よくそれだけ自分の話を他人事で冷静に考えられますね」
アルフォンスはそう呟いて、ひとまずのところで現在の講義を中断した。
「おそれながら、私などより、よほど達観しているようだ。当時の私なら……いえ、今の私でさえ、自分の悪評が立てば多少は動揺するでしょう」
「そう? まあ、そうよね」
アルフォンスは23歳。
忘れがちだけど25歳で死んだ私よりも、若干年下なのよね。
「アルフォンスは素敵な大人よ。いつも私によくしてくれて、感謝しているの」
「恐縮するばかりですよ。お嬢さまの物言いは、毎度、私の背筋を伸ばしてくれる」
アルフォンスは8歳の私に気後れして苦く笑った。
「ご存じだったかもしれませんが、私は平民出身でしてね。剣の才能をヨーゼフ様に認められて、引き立てていただいたのです」
「ふーん、剣の才能? なんだか意外ね、剣術大会に参加でもしたの?」
私の問いに対して、アルフォンスは少しだけ遠い目をした。
「村を襲った盗賊を、殺しました。私はもともとそれほど学のある人間ではないのです」
私は驚きながらも、話の続きを待つ。
「10年前。ちょうど冬の中頃でした。私の村を、よその貴族領から流れ込んできた盗賊が襲ったのです。彼らは飢えて理性をなくした、おそろしい略奪者でした」
痛ましく思う。
モーントシャイン王国の治安は、今も昔も大して変わらないらしい。
「その時、私は彼らを殺して武勲を立てました。それがヨーゼフ様の目にとまったのです」
「なるほどねえ、有能な人材を見つけてスカウトしたってわけか」
誰彼の目線では即戦力で、とても魅力的な人材だろう。
ヨーゼフの気持ちもわかる。
「私のようなただの人殺しを、隔てなく取り立ててくれたヨーゼフ様には感謝しています。私自身、元々は他貴族の領地で身を立てられずに流入した、難民でしたから」
アルフォンスはどこか熱っぽく思い出話を語る。彼の横顔は辛そうに見える。
「今やこの国で、まともな領地はレーゲンとシェーネス・ヴェッターくらいのものだ」
「シェーネス・ヴェッター? 確か、ツェツィーリアの実家よね」
私は貴族学校でお世話になった学友を思い出した。彼女は元気にしているかな?
「ええ、その通りですよ。神童ツェツィーリア様の勇名は、モーントシャイン王国に広く聞こえています……彼女が成長して、当主の座を継げば、時代が変わるとも言われている」
「ほ、ホントに? あいつ、そんなに凄かったの?」
私は半信半疑で、アルフォンスの話に聞き入る。
「今、シェーネス・ヴェッターの領地に、盗みはあっても盗賊団はいません。当時5歳のツェツィーリア様が、騎士団に命じて討伐させたからです」
私はぽかーんと呆けた。
5歳? 理解が追いつかないレベルで凄いとわかる。
スーパー8歳児の私が霞んで見えるほどに、リアル神に選ばれし者の風格だった。
……とはいえ、噂話には多少の尾ひれがついているんだろうけど、ね。
私は我が身とレーゲン家の現状を振り返って思考した。
レーゲン家に比肩するシェーネス・ヴェッターの令嬢としても、エレミアと同期の学友としても、ツェツィーリアは私の二歩先を行く才媛のようだ。
「ああ、そうそう……ツェツィーリア様から、エレミア様にお手紙が届いていましたよ」
アルフォンスのなにげない呟きに、私は背筋を伸ばした。
講義が終わり、いつも通りに私たちは軍卓の研究に励んだ。
素人仕事ながら、地球産将棋との複合で、今ではすっかり序盤の定石が確立している。
これは別の話だが、私たちが研究した定石は、なぜか後世民間に普及することになる。
剣の武勇のみならず、知の武勇で立身出世を望む者たちが、枠組みにとらわれない自由な発想で、実戦にも通じるさまざまな戦法を生み出したそうだ。
そうして雪解けの季節。
私は、貴族学校から帰省していたツェツィーリアの誘いで、シェーネス・ヴェッターの領地を訪れることになった。
気づけば、あたたかい晴れの日が続くようになった。
季節は巡り、花を芽吹かせる時が来る。
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