第8話 魔女

 後日、私は軍卓盤上の駒を眺めながら考え事をしていた。


「しっかし、これからどうしようかしらねえ」


 私が悩んでいるのは今後の人生計画の具体案だった。


 ヨーゼフとの対話を終えた私は晴れて自由の身を勝ち取る。


 とはいえあくまでも幼い子どもの立場相応の自由というだけだが、それにしたって講義の休みに、お忍びでなく外出できるのは最高だ。


 大貴族の令嬢として、この身が意のままにならないのは事実であるものの、お家の名誉であるとか、過去のエレミアの素行不良を考えると仕方がない。


 やはりというべきか、邸宅の外には『盗賊』などの不徳の輩がはびこっているらしく、エレミアの軟禁待遇は彼女を周囲の環境から守るために必要な措置でもあったらしい。


 ……でも、盗賊を放置している大貴族様に名誉なんかないと思うけどね。


 私は見解の相違に呆れるけれど、時代劇のノリで盗賊を罰するのは難しい。


 幼い私がいくら「盗賊を取り締まれ」と命じたところで、できるなら最初からやっているだろう。


 ……うーむ、どうすれば領内の治安が向上するのだろうか?


 最初は生活環境の向上を考えて頭を抱えていたのだけれど、結論としてはやはり『抑止力を強化する』という方向に至った。

 私やお父さまの権限で「盗みを働けば死罪確定ね☆」くらいのむちゃくちゃな裁きを下すしかない。


 生きるために盗みをするのなら、誰だって死ぬリスクはできるだけ避けたいはずよ。

 暴論に近い理想論だけどね。


 ――権力が必要ね。お父さまを頼るにしても、多少なりと自分の裁量を得なければ。


 衛生観念の向上、治安の向上、ひいては平民の生活環境の向上。そのための『権力』。

 まったくの白紙だった私の内政プランが、少しずつ固まり始めた。


 ヨーゼフは「今は学べ」なんて言っていたけれど、理想を語るだけでなく現実と折り合いをつけろって意味なんだろうと思う。


 確かに、今の私には領地領民の管理さえできない。


 名君の采配なんて夢のまた夢。


 私は先行きの過酷さにつかれて、手に取った駒を盤上に置いた。


 ◆◆◆


 そうして、使用人たちの働きぶりを見に行くと、ヴォルフが駆け寄って来た。


「エレミア様、緑の野菜をもらえたよ。ありがとう、おいしかった」


 私が以前ヴォルフに約束した、緑の野菜のプレゼントは、ヨーゼフの命令で果たされていた。


 使用人のひとりが「おいしゅうございました」と手もみする。

 こいつはヴォルフを私と引き合わせた年配の使用人だけど、まさかヴォルフは緑の野菜を横取りされたわけじゃないんでしょうね?


 私がその旨をヴォルフに耳打ちすると、ヴォルフは「違うよ」と笑って私の手を引いた。


 広間では、アルフォンスが家庭教師ではなく家来として使用人の仕事を監督している。


「エレミアお嬢さま。申し訳ありません、ヴォルフはそれが非礼だとわかっていないのです」


 アルフォンスは、私の手を引くヴォルフの姿を見て苦く半笑う。


 言われたヴォルフは「何が?」と変わらない態度で私の手を握っている。

 ふふ、それがダメなのね、それが。


「気にしないわ。ヴォルフは優しいもの。彼にエスコートしてもらえて、うれしいの」


 私がウィンクしてお茶目に言うと、そこでヴォルフも私たちの意図の理解したようだ。


「あ、ごめん。手を握っちゃ、ダメなんだね。ごめんね、エレミア様」


 ヴォルフは握った手をはなして、私とアルフォンスに頭を下げた。


 別に謝ることはないのにね。

 アルフォンスも家庭教師としては苦い顔をしたが、体裁以上には咎めなかった。


 謝るだけ謝ったヴォルフが、「じゃ、遊ぼうよ」と、広間のテーブルで軍卓の駒を握る。


「いいわよ。ヴォルフも最近、腕をあげてきたし」


 私はヴォルフに先攻をゆずった。


 今のところ軍卓の腕前は私の方がヴォルフよりも上だ。

 とはいえ勝負事に油断は禁物で、一手一手を慎重に指していく。

 平民はハメ手や奇襲戦法が得意と聞いていたけど、ヴォルフはそれを好まない気がする。


「ひょっとして遠慮してるの? 気にしないから本気でいいわよ」


「違うよ。手の内を見せたら、本当に勝たないといけない時に、勝てなくなるから」


 ヴォルフはそう言って定番の定石を指した。


 遊びでさえ、彼は気を抜かないらしい。

 その胸中を想像すると心が苦しくなる。

 僅かでも信頼関係を築けていたと思っていたのは私だけなのかな。


 群れをはぐれた狼みたいな、さみしい言葉だ。


 ……しかし、勝つべくして勝つ戦いを望むならヴォルフのスタンスは正しい。


 私は縦横無尽に、自分が知りうる限りの戦法を披露する。

 ハッキリ言って現代日本の予備知識はズルイ。

 だけど、そのアドバンテージでさえ、ヴォルフは着々と見透かしている。


「参ったわね。手の内をさらして策を奪われるのは、私だけか」


 私が苦く笑うと、ヴォルフが「エレミア様も隠せばいいよ」と道理を語った。


 ……知識の秘匿、戦術の秘匿か。確かにいずれは必要かもね。戦型は無限じゃないし。

 私は、少なからず心細い気持ちになって、手に取った『雑兵』の駒を眺めた。


「隠すか。隠してもいいけど、それだと今度は自分に成長がないのよね」


「そう? なら貴族様らしく、堂々勝てばいいんじゃないかな。エレミア様は強いから」


 こんなことで悩んでいる私がおかしかったのか、ヴォルフは肩をすくめた。


「エレミア様も、干し肉を食べる?」


 ヴォルフは作業着のポケットから、食べかけの干し肉を取り出してくれた。


「悩んでいるときは、食べ物を食べると名案が浮かぶよ」


「ダメです。エレミア様に、そのようなものを食べさせるわけにはまいりません」


 は、はは。さすがの私もポケットから出てきた食べかけの干し肉はノーセンキューかな。


 アルフォンスが渋い顔をしているのは、どう考えても当然だろう。

 自分が教育を担当する教え子が、悪食で腹を壊したとあっては責任問題よね。


「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」


 私が笑顔で断ると、ヴォルフは「そっか」と自分で干し肉をかじった。


 ◆◆◆


 その後、夕食の席で、ヨーゼフが話しかけてきた。


「エレミア。今日も軍卓の研究に励んでいたそうだな。成果はあったか?」


「はい、戦力の秘匿。戦術の秘匿。勝つべくして勝つ戦いを、友から学びました」


 レーゲン家の食卓にはあまり肉食が並ばない。

 干し肉の衛生状態がよくないからかな?

 でも、肉を食べないのは、それはそれで栄養失調になりそうだけど。


「なるほど、奴隷の子の知恵か。確かに、殺しをひけらかすばかりが王道ではないが」


 ヨーゼフは私の見解に対して、なにか物申したいようだ。

 クラーラが「子ども相手に、物騒な話をなさらないで……」とぼやいている。


「私はいくつか、軍卓の戦術を研究しております。その成果を実際の戦場に転用できればとも思うのですが……やはり難しいですね」


「戦術の転用? エレミアお嬢さまは、まさか、そこまで」


 私の言葉に驚愕してくれたのは、アルフォンスだった。


「そうよ。アルフォンス。だけど、実戦の機会がなくてね。こればかりは机上の空論よ」


 いい加減、軍卓で遊ぶのはやめろと言われるような気がしていたので、私は軍卓の学びが現実にもたらすメリットを遠回しに伝える。


 正直な話、実際の軍学はさっぱりなんだけど、まあいいわよね。


「ほう、剣で1人を殺すのではなく、策謀で千の逆賊を殺すか。おまえは末恐ろしいな!」


 ヨーゼフが悪い顔で高笑うと、アルフォンスが困ったように首をかしげた。


 なるほど、ほどよい人間関係だ。


 ヨーゼフは私の軍卓遊びを才能だと認めてくれたようだし、アルフォンスも私の家庭教師として、ヨーゼフのストッパーをしてくれるようだ。


「お父さま。私は末代まで語り継がれる、レーゲン家の魔女になりとうございます」


 私が冗談めかせてヨーゼフを煽ると、ヨーゼフは爆笑しながら拍手をしてくれた。

 ふふふ、ノリのいいオヤジは嫌いじゃないわよ。


「だ、だからね、エレミア? あまり子どもが、物騒な話をするものではなくてよ?」


 悪党ノリに馴染めないクラーラが、ひとりだけおろおろしていた。

 お、お母さまごめーん。


 ――魔女。


 後に、この二つ名はレーゲン家のみならずモーントシャイン王国全土を巻き込む混迷の代名詞となるのだが、それはまだ、先の話。

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