第7話 凱旋の予兆

 冬支度が終わり、みんながつつましく暮らすようになった。


 食料の備蓄にも、薪の数にも限りがある。

 いかな大貴族とはいえ、浪費してはいられない。


 凍えて死ぬ人々がいることを思えば、贅沢という言葉さえ生ぬるい話だろう。


 その間にも、アルフォンスの講義は続いていた。読み書き算数と歴史。最近ではそれに加えて軍卓の戦術なども教えてくれるようになった。


 はじめ、当主のヨーゼフは渋い顔をしたらしいけど、アルフォンスが教養の範疇だと、お父様を説得してくれたらしい。さすが、イケメンは優秀ね!


「参りました。お強くなられましたね、お嬢さま」


 軍卓の盤とテーブルをはさんで、アルフォンスが私に笑いかけた。

 私が軍卓でアルフォンスを打ち負かしたのだけど、最近では彼も本気を出してくれるようになった。


「ありがとう。でもまだまだよ。目指すところは常勝無敗だからね」


 私が謙虚とも大言壮語ともとれる物言いをすると、アルフォンスが息をこぼした。


「常勝無敗ですか。確かにそうでなくては、実際の戦場で兵たちが生き残れない」


「ええ、学ぶべきところは多いわ。もっと研究しないと」


 私は以前ヴォルフが言った「勝負に、練習なんてあるの?」という言葉を思い返す。

 ヴォルフの呟きは、私の心に深く根を張っていた。


「研究ですか……では、私も指導させていただきましょう。お嬢さまは『雑兵』を突き捨てるきらいがある。『雑兵』を取り換えてからの、下段への打ち込みは見事ですが、しかし、いささか『雑兵』の価値を低く見積もりすぎている。それは改善点だと思われますね」


 勝負の後で、アルフォンスが熱心に感想を伝えてくれる。

 『雑兵』とは前後1マスに動ける『歩』のことね。私の戦法は、本来前方にしか進めない『歩』を基準にした地球産の将棋だから、アルフォンスの指摘は正しいと思う。


 モーントシャイン王国において、軍卓の成り立ちは戦場の成り立ちに近しい。


 もともとが、一軍の将である貴族たちが自己研鑽に始めたゲームなのね。

 地球における知略ゲームがそうであるように、その強弱は知識階級のステータスでもあるらしい。

 

 軍卓はヴォルフのような奴隷階級でも行えるほど、一般に普及したボードゲームだ。

 全年齢対象ってやつね。

 貴族階級には貴族階級の戦術があり、一般の民には一般の民の戦術体系が確立されている。

 その差はまさに生活文化の違いか。興味深いわね。


 そしてどちらが強いのか?

 結論から言うと戦法は貴族階級の方が洗練されている。

 しかし、まさに価値観の相違というべきか、『体裁』と『正々堂々』を気にする貴族の辞書には、ハメ手とか、奇襲戦法に対する備えが薄い。

 勝つべくして勝つ、王道の手筋以外には、彼らは勝負の型を持たないらしい。

 実際の戦場においても同じだ。


 一方で、市民や奴隷階級の人々が持つ『強み』は、その立場ゆえに教養を低く見られがちなのだとか。

 その関係で、庶民的なハメ手ばかりを使う貴族は、卑怯者として敬遠されるらしい。


「ま、勝負なんて勝てば官軍だと思うんだけどね」


 私は本音を口にして笑った。


 そんなふうに考え事をしている内に、感想戦が終わった。

 さあ、次の勝負だ。


 先攻後攻を決める振り駒をして、アルフォンスに「おねがいします」と礼をする。


「お嬢さまは、どちらかといえば市民的な軍卓を打ちますね。気を悪くしないでほしいのですが、貴族階級の打ちまわしとはかけ離れた、自由な戦法が好みだとお見受けします」


 アルフォンスは私の戦法を模倣するようにして、駒を動かした。


 人間相手のメタゲームはコレが怖い。

 CPUを相手に遊ぶのとは違って、学習と研究によって戦法の優位が失われるわけね。ならば、知識の秘匿も戦法のひとつだろう。


「あら、アルフォンス。7歳の小娘の浅知恵を、教師のあなたが真似するの?」


「しかし、常勝無敗の戦術なのでしょう? 私もぜひ、学ばせていただきたいのですよ」


 私は愉快に笑って、持ち得る刀を披露した。


 ◆◆◆


 夕方になるといつものようにヴォルフがやってきた。

 勝負に熱中していたアルフォンスは講義の時間を過ぎても、私と軍卓を繰り広げていた。

 なかなか複雑な局面ね。


「あら、いらっしゃい。ヴォルフ」


「すごいね。エレミア様も、アルフォンス様も。いい勝負だ。」


 ヴォルフの言葉通り、互いに一手一手で将軍を詰め切れる局面だった。


 私は持ち得る手駒を総動員して、『点』の突破を狙う。


 アルフォンスもここを凌げば勝利確定という場面だが……もちろん、他人の勝負に口出しは無用だ。

 私もアルフォンスも外野と会話を楽しめる状況ではない。


 そこでヴォルフは横合いで私たちの勝負を観戦した。

 私は待ちぼうけさせているヴォルフに申し訳なく謝る。


「ごめんね、ヴォルフ。あと少しで、決着がつくから」


「決着か……なら、俺との勝負はその後だね」


 私が思考と経験則のおもむくままに、奪った手駒を相手の陣地に打ち込むと、アルフォンスは同じく手持ちの駒でその攻勢を受けていく。


「しぶといわね。しつこい男は嫌われましてよ?」


「いえいえ、淑女との真剣勝負を中途半端に投げ出すようでは紳士足りえない。私にも教師としての見栄がありますので」


 私はけらけらと笑いながらアルフォンスの物言いを聞いていた。

 紳士に淑女ねえ、7歳の小娘を淑女扱いしてくれるなんて、23歳にしては人間ができすぎだわ。


「そう……でも、もう持ち駒がないでしょう? 後は駒の取り合いで私の勝ちよ」


 アルフォンスは人指し指で自分の将軍を倒した。

 先の展開を見越しての、降参の意ね。


 ◆◆◆


 私は知らなかったんだけど、女性が軍卓をたしなむことは、あまりないらしい。


 それが7歳の子どもとなればなおのことで、私の戦績は、前例にない快挙なんだとか。


 ヴォルフとの勝負が一段落した頃合いに、私たちは夕食の席へと向かった。


 モーントシャイン王国の食糧事情はやはりよくないようで、実家に帰ってもパンと野菜スープが主食となる。

 お酒もあるみたいだけど、さすがに7歳の子どもには早いのかな。


 私は早々に食卓から離れて、部屋の隅に控えているヴォルフに話しかけた。


「ヴォルフは何を食べているの?」


「干し肉だけど」


 ヴォルフは変色した肉をかじりながら「エレミア様は食べない方がいいよ」と言った。


「なんで? 干し肉でしょ? 私も食べたいわよ、肉よ、肉」


「でも腐ってるよ? どうせ食べるなら、エレミア様は腐ってない奴を食べればいいよ」


 ふつうに酷い話を聞いた。

 ひええ、貴族以外の食糧事情って、ホントにむちゃくちゃね。


「ん? いや、腐ってても俺には食べられるよ。凍えて死ぬより、よっぽどマシだから」


 ヴォルフは顔色一つ変えないけど、彼の淡々とした語りが、現状の悲惨を伝えている。


 ……死なないだけマシっていう価値観が、冗談じゃないのよね。


 貴族と平民に隔たる格差の現実は、いい加減に理解しなければならない頃合いかも。


「ヴォルフは何が食べたいの? 好きな物はある?」


 とはいえ、腐肉をむさぼるのはさすがに体に悪そうなので、好物を尋ねてみた。

 日頃、軍卓の相手をしてくれているのだから、そういう見返りがあってもいいだろう。


「好きな物? 食べ物ってこと? えっと、全部好きだよ。食べられるなら、全部。でも一番好きなのは、緑の野菜かな。しゃりしゃりしておいしいよ」


 干し肉をかじるヴォルフは、肉より野菜が好きらしい。


 へえ、意外ね。でもヴォルフが奴隷の身分で健康そうなのは、きちんと野菜を摂取しているからなのかも。


 専門的な話はともかくとして、中世未満の文明世界では、そもそも栄養価の概念が、経験則以上にはないのかもしれない。冗談じゃなくて、栄養失調で死ぬ人がいそう。


「緑の野菜ね。今度、用意させるわ」


「え、くれるの? ありがとう。しなびたやつも、みずみずしいやつも、どっちもおいしいけど、エレミア様はみすみずしいやつを食べるといいよ」


 ヴォルフが野菜食をすすめてくれる。


 今でも野菜スープを食べているけどね。

 冬の間は食料の備蓄を大切にしなくてはいけないし、贅沢はできないから、ほどほどに、ね。


「緑の野菜。赤の野菜。そうね。野菜は健康の秘訣だわ。今度いっしょに食べましょ」


「うん、エレミア様がくれる野菜、楽しみだよ」


 ヴォルフが年相応に笑う。


 しかし振り返ると、お父さまが食卓で渋い顔をしている。

 ま、何が言いたいのかは、よくわかるわ。


 ◆◆◆


「エレミア」


 食事が終わって部屋に戻ろうとしたところで、お父さまに呼ばれた。

 ヨーゼフ・フォン・レーゲン。加えて、お母さまのクラーラ・フォン・レーゲンも同席していた。


 私にはわかるわよ。家族会議でしょ?

 放蕩娘を叱責する流れね?

 私はフッと笑って振り向いた。


「エレミア、近頃、おまえは奴隷の子と、軍卓でたわむれているそうだな」


 遠回しなヨーゼフの言葉に対して、私は内心で舌打ちした。


 ありがちよね。貴族の立場で奴隷と仲良くしていれば、いつか小言を言われるとは思っていたわ。

 執事とかメイドの中でも、とりわけ奴隷の身分は低いからね。

 被差別階級が、誰彼から敬遠されるのは、日本の中世でも実際にあった話だと思い出す。


 ヨーゼフは直球に「立場をわきまえろ」と言いたいのかな?

 それとも、もっと別の意があるのか。


「はい、お父さま。軍卓の盤上に置いて、競うべきは人の知恵。厳然たる知性です。決して貴賤ではありません。私は彼らから人の知恵を学び、貴賤によらない、広く深い見識を得とうございます」


 うっせ、ばーか、ね、頑固オヤジ。

 という、反抗期の中学生みたいな回答ね。

 名づけて、娘に冷たくされる悲しみを味わえ作戦よ。


「む、むう。軍卓の流儀か……しかし、現実は卓上とは違うものでな」


「その通りですわ。お父さま。現実の力に勝るのも、また、卓上から生まれた現実の知恵。私は机上の空論を現実の力とするべく、日夜、友と研鑽を重ねていますの」


 お母さまのクラーラ・フォン・レーゲンが「ああ、エレミア……」と涙ぐんでいた。


 子どもが強く賢く成長してうれしくない親がいるだろうか? いや、いまい。

 とはいえ、クラーラもこの場はお説教モードで、私に向かい合った。


「エレミア。学問を嫌っていたあなたが、貴族の自覚に目覚めてくれて、母はうれしく思います。だけどね、奴隷の子と仲良くするのは、あなたのためにならないわ。あなたにはもっとふさわしい殿方がいるのだから、ね?」


 んん? なんだか変な誤解をされているのかな?


 私がヴォルフと恋仲になることを心配しているような口ぶりだ。

 なるほどね。貴族の立場ではそういう心配をするのか。


「もちろんですわ。お母さま。私は貴族の娘。ヴォルフは奴隷。分はわきまえております」


 私が微笑んで答えると、クラーラは安心してくれたようだ。


「私は情で、この身を振ろうなどとは思いません。ヴォルフには、私が望む『理想』のいしずえとなってほしく思います。そのためにも、私には彼の存在が必要なのです」


 私は微笑みを崩さずヨーゼフの両目を見つめた。


 『理想』。言い換えれば『野心』ってやつね。

 まあ、幼い子どもが語るには不似合いだけどさあ。

 この手の魅力的なキーワードには、女性よりも男性こそ、食いつきがいいだろう。


「その理想とは? なんだ?」


 ほらね。案の定、ヨーゼフが洒落っ気のない顔で尋ねてきた。


 娘に冷たくされる悲しみを味わえ作戦にくじけぬ、強い意志をお持ちのお父さまね。


 私は雰囲気にのまれないよう、一度深呼吸をした。

 これは好機よ。

 私が望むエレミアとしての人生を勝ち取るためにも、ここは避けて通れない対話に違いない。


 私は誤解を恐れず、決定的な発言を切り出した。


「村を見ました。人が死にさらされる村を。私はあのような地獄絵図が、太陽神の神意だとは考えません。私は、レーゲン領において、あのような悲惨を一掃したく考えます」


 太陽神の名前に対して、ヨーゼフは一瞬動揺したけれど、すぐに表情を切り替える。


「ほう? それで? その理想と奴隷の子どもに、なんの関係がある?」


「私には忠実な手足が必要なのです。私は女です。アルフォンスに教えを乞うて、剣術の訓練に励んでいますが、武勇に恵まれていない現実はわかっているつもりです。ならばこそ、ヴォルフのような手足が必要なのです。決して裏切らない、忠実な手足が」


 私が念を入れて発言を繰り返すと、ヨーゼフは不敵に一笑した。


「それは無理な話だ。奴隷に力と知恵を与えれば、やつらは主人に背く。どう飼いならす?」


 ヨーゼフは笑っているが、決して子どもをバカにして嘲笑っていないとわかる。


「『お腹いっぱいに』、ごはんを食べさせてあげますわ」


「ははは! その通りだな。なるほど、まんざら妄想でもない。さすがワシの娘だ」


 ヨーゼフは実利の問題を確認して、満足そうにうなずいた。


「おもしろい。武勇に恵まれぬ身で野心を抱くか……クラーラ、少し気が変わった。エレミアの軟禁を解く。コレにはワシの仕事を手伝わせる」


「ま、まあ? 7歳の子どもに、いくらなんでも無理があるのではありませんか?」


 んん? お父さまとお母さまが、言い合いを始めた。


 仕事? 跡継ぎとして内政の仕事でも覚えさせるつもりなのかな? 英才教育ね。


「エレミア。理想は誰にでも語れる、野心は誰にでも抱ける。しかしな、現実に結果を出さぬ者に、誰もかしづくことはせぬ。今は学べ。卓上の『知恵』が、現実の『力』となることを、ワシに証明してみせろ」


 私は急な展開に両目を細めた。

 もはやヨーゼフは、私を子ども扱いしていないとわかったからだ。


「できるな? できると言え」


「ええ、お父さま。万事狂いなく」


 ヨーゼフが高圧的に笑い、私は演出過剰に一礼した。

 ふーん、おもしろい話になってきたじゃないの。

 悪魔憑きで虚言癖持ちと評判のクソガキ相手に、なかなか心の広い対応ね。


「それでこそレーゲンの娘だ」


「はい、太陽神の神意に誓って、この身のすべてを民の安寧に捧げます」


 私は儀礼的な物言いで応じた。

 この父親はエレミアという個人の変質を、洞察眼で見抜いている。


 ならば、私もあえて子どもらしく振舞う必要はないだろう。


「よろこべ、クラーラ。我らは天の意を得たぞ。八大貴族が小競り合いを続ける生ぬるい停滞もこれで終わる。いよいよもって、『雨』の時代だ」


「も、もう、あなた……子どもに妙な話をするのはやめてくださいな。おそろしい……」


 高笑うヨーゼフと狼狽えるクラーラは、互いに著しい温度差だけど、見た感じ『悪い』のはお父さまだけかな?


 うーん、早まったかもしれない。忘れがちだけど、今の私は中身25歳のスーパー7歳児だ。


 こんな子ども、どう考えても嫌だけどね。

 どうやら年齢破綻した私の言動は、大貴族ヨーゼフ・フォン・レーゲンの野心に火をつけてしまったらしい。


「8年後だ。王都の高等貴族学校におまえを送り出す。それを楽しみに研鑽せよ」


 そう言って、ヨーゼフはクラーラを置き去りにして、食堂から去っていった。


 ……うわー、悪い顔だなー。絶対、悪徳領主よね、こいつ。


 と、私はとても失礼な想像をしながら、オロオロするお母さまを眺めていた。


 しかしまあ、ひとまずは軟禁待遇が解かれるようでなによりね。


 高等貴族学校への凱旋帰還という、前途有望な人生計画を手に入れた私は、人知れず口元をゆがめた。

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