第6話 今、自分の道を進むだけ

 少年奴隷ヴォルフが私の所有物になってから、二月の日が経った。


 私はアルフォンスから学んだ語学や算数それから歴史の復習を兼ねて、ヴォルフにそれらの知識を与えて、その反対にヴォルフからはこの世界の価値観を教えてもらった。

 エレミアは大貴族の娘で、ヴォルフは奴隷だから、会うには口実が必要かと思っていたんだけど、特にそんな事情はなく、腫れ物扱いされているエレミアの対応を、ヴォルフが引き受けてくれるということで、周囲の視線はむしろ好意的なのよね。


 年相応に遊ぶ子どもの姿は、大人の目から見て好ましいってことなのかな。

 悪魔憑きだとか、虚言癖持ちだとか、そんな悪評が薄れていくだけでもありがたい。


 寒くなって来た。この世界で生きる私にとって、最初の試練が訪れる。

 ◆◆◆


 日がのぼる頃。早起きした私は顔を洗うために、ヴォルフと水くみに出かけた。

 そこで気づく。使用人を含めて、なにやらお家の様子が騒がしい。


 お父さまのヨーゼフに家庭教師のアルフォンスまで、相応の立場にある者が、そろって庭先で使用人に指示を飛ばしている。


「ねえ、ヴォルフ。今日はなにかあるの?」


 寒い季節。冬の大掃除には早かろうと、私は呑気に思いながら、ヴォルフに尋ねた。


「冬支度だよ。食料の備蓄とか、薪の調達を気にして、この時期はみんな忙しいんだ」


 私は納得した。

 貴族が優雅な暮らしをするには、やはり相応の蓄えが必要に違いない。


「冬を越すには、薪が少し足りないのかな。これから薪拾いに行くんだと思うよ。呼ばれたら、俺も手伝いに行く」


 ヴォルフは言いながら私の手を引いた。屋外にいては風邪を引くという配慮だ。紳士ね。


「そういうことです。お嬢さまは、気にせず部屋でお待ちください」


 私とヴォルフが歩いていると、アルフォンスが教えてくれた。


「私も、ヨーゼフ様と薪拾いに出かけてきます」


 そう言って、大貴族の当主と家庭教師が、そろって薪拾いに出かけてしまった。


 なんというか、貴族も肉体労働で働くんだなあと、しみじみ。

 とはいえ、7歳の子どもには、まだ関係のない話か。今日の講義はお休みだ。


 私は室内に戻って、ヴォルフと軍卓の駒を並べて遊ぶ。

 ヴォルフは私の心境を見透かしたように、「これでいいんだ」と言った。


「エレミア様は貴族様だから、面倒は俺たちに任せてくれれば、それでいいんだよ」


「うーん、そうかなあ? でも家に引きこもってばかりはいられないし、外の生活も知りたいけどね」


 私は未だに、レーゲン家邸宅の敷地内でしか世界を知らない。

 もともと、貴族学校から引きあげたのも、問題児のエレミアを世間から隔離することが目的だったに違いないから、レーゲン家の視点では願ったりかなったりなんだろうけど、文字通りの箱入り娘にされているエレミアとしては、将来に一抹の不安が残るのよね。


「なら、行ってみる? 近くの村までなら、俺でも案内できるけど」


「あ、ホント? それなら、お願いしようかな」


 ヴォルフは決して明るくない表情をしていたけれど、私はその神妙を見ないふりして、意気揚々と出立の準備を始める。

 気分はお忍びの外出。とてもとても、ご令嬢らしい。


「行きましょ、ヴォルフ」


 私は盤上の駒を片づけて、ヴォルフの手を取った。


 ◆◆◆


 その選択を秒で後悔する。


 悲惨よ、汚いっていうより、悲惨よ

 ヴォルフに連れられてやってきた村の有様を見て、私は頬を引きつらせた。


 貴族学校の環境や実家での生活から、薄々そうじゃないのかなあとは思っていたんだけどね。

 こうして改めて民が暮らす村を眺めると、怖くて震えが止まらない。


 だって、そこら辺で人が死んでるもん。

 臭いとかじゃなくて、人が死んでるもん。

 ひ、ひええ。疫病とか大丈夫なの? これ? 絶対ヤバいよね?


 通りには死体に群がるコバエが飛び交っており、息を止めたい気分だ。


 だというのに、誰も彼も死んだ目で生活しており、それが彼らにとっての日常なのだとわかる。


「あ、あの、ヴォルフ。人が死んでるけど」


「ああ、冬だから。みんな寒くて死ぬんだよ。レーゲン領の村はずいぶんとマシな方さ。税も軽いし、食べ物を分け合えば、運が良ければ死なない」


 ヴォルフは顔色一つ変えないけれど……え? これでマシな方の?


 掘っ立て小屋みたいな家屋は、今にも倒壊しそうでおそろしい。


 白骨化した死体が、井戸の手前に転がっているけど、水場に辿り着く前に息絶えたってことなの?


 奴隷より悲惨というか、奴隷の方がマシなんじゃないかと思える。

 私は農奴という言葉を思い出した。


「ヴォルフ、ごめん、ちょ、ちょっと眩暈が、気分が、悪くて」


「だろうと思った。俺の手を握って、絶対に俺から離れないで」


 私はヴォルフの腕にしがみつき呼吸を整えた。

 胸の動悸は早まるばかりで落ち着かない。


「あの、ヴォルフ? この村のみなさんは、その、奴隷なの?」


「違うよ。農民と、職人が少しかな。エレミア様は昔の記憶が無いんだっけ? なら、人が死んでいるのを見たのも、ひょっとして今回が初めてだった?」


 ヴォルフは「ごめん、それは考えて無かった」と私に謝った。7歳の子どもに配慮される精神年齢25歳の私……


 衛生観念最悪だと思っていた貴族学校の生活が今では恋しい。


 あたまがどうにかなりそう。


 私はつとめて、道に転がる死体を見ないフリした。


 それでも邸宅に戻る前に、私は無理を言って、もう少し村を見て回ることにした。


 貴族として民の実情を知らなければならないと、義務的に考えただけなんだけど、今はそんな建前でさえ、心を守る防壁になる。

 貴族学校で歌っていた国歌が恋しい。くだらない理想だと知りつつ、綺麗な建前を用意しなければ人間の心は現実に負けてしまう。


 というか封建制度が存在するような中世未満の世界に、私は何を期待していたのか? ヴォルフに支えられる私は、自分の無知と蒙昧を恥じて、今ある命に感謝をささげた。


 その時、私はレーゲン家当主のヨーゼフ・フォン・レーゲンと話すことを決めた。


 大貴族という立場で、この地獄のような悲惨をエレミアのお父さまがどう受け止めているのか?

 私がこの世界でエレミアとして生きるためにも、避けては通れない対話だと思う。


 とはいえ、私はまだ7歳の子どもだ。死体を見て発狂しただけの、中の人の25歳だ。


「ありがとう。ヴォルフ」


 私はヴォルフの腕を離れて、ひとりで立った。


「エレミア様、俺はどうしたらいい?」


 ヴォルフは彼なりに、私を案じてくれるけれど、私はひとまず笑って誤魔化した。

 見透かされているのだろうとは思うけどね。


 村からの帰り道で私は笑顔を絶やさずふるまう。


「みんながお腹いっぱい、食べられるようにしたいわね」


 邸宅の部屋で、私はヴォルフにそう伝えて、軍卓の盤上に駒を並べた。


 たかがゲーム、されどゲームだ。

 力ない子どもが大人に勝るには、なによりも知恵しかない。

 私はこれから大人に軽んじられない、魅力的な子どもになるのよ。


 私は、私が持ち得るすべての知恵を動員して、軍卓の戦術を組み始めた。


 ◆◆◆


 後日、私は自室でアルフォンスと軍卓の勝負をしていた。


 アルフォンスは私の家庭教師であり、幼いエレミアを教育することが彼の仕事だ。

 その縁を利用して、私は講義の空き時間に軍卓を勉強したいと、彼に申し出たのだった。


 改めて軍卓のルールを確認しておくと、駒の配置と内容は、ほぼ将棋そのものだ。

 駒の名前は、適当に置き換えるとして、違うのは一部の駒の動き方だけで、『将軍を取られたら負け』、『奪った駒を自分の戦力として使える』などはなじみ深いルールだった。


 私は初め、将棋の考え方をベースに軍卓の戦術を確立しようとしたが……しかし、少し駒の動きが違うだけでも、かなり勝手が違う。


 具体的には、『歩』が前後1マスに動ける。

『桂馬』が全方位に跳ねる。つまりチェスの『ナイト』だ。

 そして、『角』と『飛車』の代わりに、チェスの『クイーン』が2つある。


 さながらエクストリーム将棋だ。特に、私見だが『歩』の前後1マスはデカい。


 私に天才的な頭脳があれば、奇天烈な作戦をいくつも考えつくのだろうけど、あいにくと私にその手のセンスはなく、先人が遺した知識や定石を土台にして考えるのが背一杯だ。


 アルフォンスが退室するまで、私は試行錯誤を繰り返した。


 そして夕方には、奴隷のヴォルフを呼び出して彼と勝負をする。ヴォルフは仕事の後でも文句ひとつ言わず、盤上に駒を並べてくれた。


「いつもありがとうね、私に付き合ってくれて」


 私が駒を動かしながらそう伝えると、ヴォルフは「エレミア様は軍卓が好きなんだね」と、答えた。彼は、軍卓を単なる遊び以上に考えていないのだろう。


「ヴォルフもいろんなことを学べばいいと思うわよ」


「学んだら、ご飯が食べられるの?」


 私は「もちろんよ」と答えて、思考を巡らせ続ける。


 ノブリス・オブリージュなんて、この世界に来て数か月の私が言うとウソっぽいけど。

 悲惨な人の死に直面した経験は、私という人間の心境に変化をもたらしていた。

 私は無力な子どもだ。ならば、今は知恵という武器を磨くしかない。


 今、自分の道を進むだけ。

 望む未来を勝ち取るために、私はゆっくりと盤上の駒を進めた。


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