第5話 軍卓

 私がエレミアの実家に帰ってから、季節はすごしやすい感じになった。


 すっかり秋中旬ね。

 この世界にも四季があるのだと、アルフォンスが教えてくれたわ。


 朝食と朝の講義を終えた私は、今日も今日とてアルフォンスと使用人の『勝負』を眺めていた。

 2人はチェス盤のような台の上で、駒を奪い合うボードゲームをやっている。


 お互いに手番を繰り返して、自軍が有利になるように駒を進めて、最後は相手の将軍を倒した方が勝利する。

 見れば見るほど、チェスとか将棋みたいな馴染みのボードゲームだ。

 『軍卓ぐんたく』というらしい。ふーん、そのまんまね、って感じ。


 ……実りの秋、芸術の秋、いいなあ、優雅にボードゲームとか。貴族っぽい。


 そういえば、昔のエレミアはこの手のゲームをたしなんでいたのかな。

 うーん、子どもの情操教育には良さそうだけど、さすがに7歳の子どもにボードゲームは難しいかな?


 私の中では戦略ゲームといえばシミュレーションRPGが大正義ね。

 弟からパクったスーパーでロボットな戦争ゲームや、ファイアーで紋章な手ごわいシミュレーションが大好きよ。


 私はこの手のゲームが、本当に好きでね。


 縛りプレイや最高難易度を繰り返して、飽きるまで遊びつくしたものよ。

 特にファイアーで紋章な手ごわいシミュレーションは、美男美女のカップリングが素晴らしくて、日々の空想がはかどるという点でも最高よね。


 私の家では、最高難易度を楽しみ制覇する私と、その他のコレクション要素を集める弟で役割分担ができていて、一本のゲームで大変お得に遊べたのね。これがね。


 ……昔取った杵柄ってやつね。ああ、将棋やりたいわね。チェスは知らんけど。


 暇つぶしに頭の中で詰め将棋を解いていると、アルフォンスが微笑み近づいてきた。


「お嬢さま、なにかお考えですか? 今日の講義の復習でしたら」


 そんなふうに心得たアルフォンスが素敵な声音で授業の内容を繰り返してくれるが、私は適当に聞き流した。

 ちゃうねん。私はさっきからずっと、アルフォンスから「お嬢さまも一緒に遊びませんか」という誘いの言葉を聞きたいだけやねん。

 幼い子どもが退屈そうにボードゲームを観戦しているんだから、察してくれてもいいのに。ぐぬぬ。


 私はアルフォンスの話を聞き流しながら、脳内詰め将棋を解いていたが、さすがに会話しながらマルチタスクで頭を使うのはキツイものだ。


 実物があれば一番なんだけどね。将棋盤の溝を掘るだけでも、幼子の手には重労働だ。親戚のじいさんがプレゼントしてくれたヒノキの将棋盤には足もついていたけれど、それはさすがに高望みだろう。作れる気がしない。駒1つを削りだすのも、無理っぽいし。


「あのね。アルフォンス」


 とはいえ退屈していたのは事実、遊びの輪に交ぜてもらおうとアルフォンスに相談して、使用人に対戦者の席を譲ってもらった……のだけど、ご当地ゲームのルールは、やっぱりチェスや将棋とは微妙に違う。


 結局、その日は駒の動かし方を覚えるだけになった。

 ちなみに軍卓が盤で使うマス目の数は将棋と同じで9×9。さて、どんなものかな?


 その後、お試しのプレイで駒の動かし方を間違えながら、どうにかルールを覚えた。言語が通じないというのはやはり不便で、これだけの意思疎通に数日を要したのは辛い。それでも根気よくわかりやすく教えてくれる辺り、アルフォンスは優秀な家庭教師ね。


「お嬢さまは、軍卓に興味があるのですか?」


「うん、いつもアルフォンスと使用人が楽しそうにしているから」


 私は使用人に頼んで、軍卓盤を私専用に1つ貸してもらった。

 ひとりで駒を並べて、ひとりで駒を動かして、実際のゲームと私が持つ将棋との認識のズレを修正していく。


「こんな感じでいいんでしょう? 『将軍』の駒を倒せば、勝ちなのよね」


 ひとり遊びで出来上がった最終盤面をアルフォンスに見せると、彼は目を丸くした。

 隣では使用人が「ほほう」と訳知り顔をしていた。いかにも『自分は中級者です』といった感じの反応ね。ま、いいけどね。


「とりあえず、遊んでみない? 私はルールを覚えたばかりだから、いろいろと教えてほしいの。どんな定石があるのか、とか」


 使用人は微妙な表情で半笑って、その場を立ち去っていった。

 ゲームとはいえ、レーゲン家当主の娘を打ち負かして、角が立つ判断を嫌ったのかもしれない。賢明ね。


 そんなわけで、私がこの世界に来て最初に覚えたのは『ボードゲーム』だった。


 幸いなことに、前世の知恵をうまく活かして、私は『軍卓』のルールを早々に理解できた。


 この知らせはアルフォンスを通じて、レーゲン家当主、ヨーゼフ・フォン・レーゲンの耳にも入ったようだけど、お父さまは「子どものたわむれ」くらいの反応で、特に才能の開花とは考えてくれなかったようだ。


 まあ、今はこれでいい。これを機に7歳の子どもに対して英才教育を施そうとか、おかしな流れになってもめんどうくさいし、軍卓はアルフォンスや使用人との言語外コミュニケーションに使うくらいで、ちょうどいいのよね。


 言語が不慣れなら、それ以外の手段で交流すればいいのだから、ね。


 この時、私が覚えた軍卓の知恵は、エレミアの人生の先々で活躍することになる。


 ◆◆◆


「へへへ、エレミアお嬢さま」


 後日、使用人が私に声をかけて来た。


「今日はお嬢さまに、軍卓の遊び仲間を紹介しようと思うんです……ほら来いよ、名無し」


 使用人は私と同い年くらいの少年を連れていた。

 名前は、名無し? なんじゃそら。


 脈略のない出会いに私は首をかしげたけれど、遊び相手が増えるのは素直にうれしい。


「そう。私と同じ子どもを連れて来てくれたのね。ありがとう。よろしく、名無しさん」


 私が笑顔であいさつすると、名無しは軽く会釈をした。


「さっそくだけど、遊びましょう? 私、軍卓は覚えたばかりだけど、楽しめると思うの」


 私はなんとなく、使用人の意図を想像した。


 エレミアは実家のレーゲン家でもめんどくさいクソガキとして、腫れ物扱いだった。

 そして、今回私にマッチメイクされたのは、名を持たない少年……レーゲン家が所有する奴隷の少年だった。


 大人の立場で考えると、私が勝てば、「さすがお嬢様!」、私が負けても「奴隷のガキの不心得です!」という、どちらに転んでも角が立たない名案だろう。


「エレミア様、俺、あんまり強くないけど」


「私も同じよ。そんなに強くないから。練習しましょう」


 私が駒を並べていると、名無しが「勝負に、練習なんてあるの?」と尋ねてきた。

 大人しい雰囲気の少年だと思っていたので、私は少しばかり面食らった。


「俺と、俺の仲間はお腹を空かせているんだ。だから、エレミア様……」


「っ、おい名無し! おまえは黙ってお嬢さまの遊び相手になればいいんだ!」


 叱責された名無しが、もごもごと口ごもった。

 やせっぽちの奴隷少年がこの『勝負』に臨む理由を想像して、現代日本人の私は、悲しい気持ちになった。


「いいわよ。あなたが、私に勝ったら、お腹いっぱいご飯を食べさせてあげる」


「いいの? エレミア様?」


「勝てたらね。私が勝ったら、そうね、私があなたの名前をつけてあげるわ」


 名無しはうれしそうに目を輝かせた。なかなか将来が楽しみな顔立ちをしている。


 私の傍ではアルフォンスと彼と仲の良い使用人たちが、勝負の見届け人になっていた。

 私と彼らは軍卓の縁で仲良くなり、今では身分の上下に関係なく接することも多い。


「名前ですか、ということはお嬢さまは、名無し少年の所有者になる、と……」


「ほお、これは興味深い。若干7歳にして、軍卓勝負に奴隷の身を賭けさせるとは」


「エレミアお嬢さまは、悪女の才能がおありですな。はっはっは」


 アルフォンスは微妙に難しい顔をしているが、それ以外の連中は好き勝手に笑っている。

 他人事の勝負と他人事の賭け事が、おもしろくて仕方がないのかな。


 進退がかかった状況をからかわれて、名無しの奴隷少年が両目を細めた。良い顔ね。


「そうそう、次はあなたたちの名前をつけてあげるから、楽しみにしていてね」


 私が使用人に笑いかけると、彼らはそろってゲラゲラと脇腹を抱えた。


 冗談だと思った? ルールは大体覚えたからね、7歳の子どもに負ける屈辱を、すぐに味合わせてあげるわ。


 最初は困惑したけれど、この世界の流儀にも慣れてきた頃合いよ。


 ――勝負の差は年季の差。名無しの少年に問題なく勝利して、私は彼に名前をつけた。


 これはアルフォンスの言った通りで、奴隷に『名前』をつけるという行為は、奴隷の所有権を明確にする意味合いがあったらしい。

 後で知った話なんだけど、名無しはレーゲン家に拾われただけで、正式な奴隷ではなかったらしく、私が彼を名付けたことで、使用人見習いの立場を得たのだとか。

 ま、正式採用にこぎつけてよかったじゃないのよ。


 これからよろしくね、私の『ヴォルフ』くん。


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