第4話 さらば貴族学校。私代表、堂々退席す
この学校の正式名称は神聖モーントシャイン貴族学校初等部。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけどね。
改めて説明しておくと、この貴族学校には王家に連なる上流階級の子どもたちが通っている。エレミアを含めて、生まれに恵まれた子どもたちの教育施設というわけね。
「家庭教師、ですか」
教師のおばさんの提案で、学級会が計画されてから数日が過ぎた。
しかし、その数日の間に、なにやら私にとって思わぬ知らせが舞い込んできた。
家庭教師? そう、家庭教師だ。
貴族学校で学ぶのではなく、一流の家庭教師をつけて私を教育するのだと、エレミアの実家であるレーゲン家が、貴族学校に連絡をよこしたらしい。
「エレミア様?」
「あ、いえ。急な話で、驚いてしまって」
教師のおばさんは、神妙に考え込む私と向き合う。
現状に困惑を隠せない私は、とりあえず状況を把握するために質問をする。
「あの、つまり、それは私が貴族学校を離れて、実家に帰る、ということですよね? 家庭教師をつける、というのは、ふつうのことなんですか?」
「そうですね。エレミア様の場合は……」
教師のおばさんが語るところによると、どうもエレミアが記憶喪失になったという知らせが、レーゲン家の耳に入ったらしい。私は納得する。
「お父さまと、お母さまが、私を心配してくれたのですね」
教師のおばさんがうなずいてくれた。そりゃそうよね、と思う。
「過去の……記憶を失う前の私が、みんなに迷惑をかけていたのも、理由ですか?」
私でも簡単に想像がつく。
元々、エレミアの評判はよくなかった。レーゲン家が大貴族とはいっても、周りの学友たちも似たような立場に違いない。親の七光りで横暴にふるまえるはずはなく……加えて今回の記憶喪失騒ぎだ。
教師のおばさんがオブラートにつつんで伝えてくれるには、このまま私の素行不良を放置しておくのはレーゲン家の名誉に関わるらしい。
貴族というからには、それなりの体裁があるわけね。
ご両親の心労は推して知るべし。
「すべてはエレミア様の将来を思ってのことですよ。モーントシャイン王家に連なる八大貴族のご息女として、ふさわしい見識を得てほしいと。それがご両親の願いなのです」
両親。レーゲン家の当主の判断なのかな。
高貴な者の責務というべきか、子どもながら、この身は自分の判断で自由にならないモノであるらしい。
王家に連なる貴族としてレーゲン家の息女を名乗るからには、立場をわきまえて相応の不自由を認めなければならない。
見識を広めることは貴族学校でもできる。
しかし家庭教師をつけるというのは、やはりお家の看板に傷をつけないために、素行不良のエレミアを隔離するという判断なのだろう。
なるほど、こればかりは7歳の子どもには、どうにもならない事情だ。
「みんなに、謝りたいです」
どうにもならないなりに、私は焦る。
いやま、無関係の私が、過去のエレミアの失敗を本気で謝罪したいわけではないんだけどね?
落ちこぼれの虚言癖持ちのクソガキ。
加えて、悪魔憑き扱いの記憶喪失。
言語での意思疎通すらおぼつかない、エレミアこと私。
どう考えても悪目立ちが過ぎる。
この上で両親に頼って実家に逃げ帰ったとあれば、世間の風評はどうなるの?
致命傷よね。
お家の看板はどうなろうと知らないけど、エレミアの人生が幕を引くに違いない。
「エレミア様……」
「みんなに謝れないまま、お家に帰りたく、ありません」
教師のおばさんは、私の懇願を聞いて、神妙に考え込んだ。
「そうですね。予定を早めて学級会を開きましょう。みなさん、わかってくれますよ」
そして、別れの日がやってくる。
◆◆◆
また数日後。私は教師のおばさんに連れられて、教壇に立った。
一日の授業を終えた後で、すでに夕方だ。みんな、寮に帰りたそうにしている。
なんの関係もないんだけど、教室の後ろにはひとりの男性が立っている。
彼の名前は『アルフォンス』。23歳の若者だ。
なだらかな茶髪に、同じく茶の目。細身の高身長で、貴族学校にふさわしい執事のような燕尾服が良く似合う。
「お嬢さま、時間ですが」
「もう少し待って、アルフォンス」
アルフォンスは私の家庭教師だ。
レーゲン家の息女である私を迎えに、はるばる貴族学校までやってきてくれたのだった。
ただいま学級会の真っ最中。
学友と語らう教室だというのに、気分はアウェーだ。
いくら私が他人事の気分でいるとはいっても、孤立無援はさびしすぎるので、身内が見守ってくれるのは、とても助かる。
なによりイケメンだしね。クラスの女子が、アルフォンスをちらちら見ているのは、気のせいではないんだろう。教壇からだと、誰彼の挙動がよく見えるのよね。
私はアルフォンスをじっと見て、答えた。
「これから、みんなに言わなければいけないことがあるの」
「なるほど、では私も、ここで聞かせていただきます」
私はレーゲン家の息女として、またアルフォンスは家庭教師として、互いに他人行儀に接する。公の場だし、今は仲良く話す必要もない。
アルフォンスは平静を装って、しかし興味深そうに貴族の子どもたちを眺めている。
子ども好きというわけではないんだろうけど、大貴族の子息が一堂に会する教室に、興味があったのだろうと思う。
あ、そうそう。モーントシャイン王国の男女は16歳で成人して、結婚できるようになるらしい。9年後にはエレミアも立派なレディというわけね。
幼い子どもが結婚について考えるのも変な話だけどね。
お家を守る貴族の立場ではそうおかしな話でもないのかな。アルフォンスを盗み見ていたクラスの女の子が、アルフォンスに微笑まれて、真っ赤になって視線を逸らしていた。
私はその様子を、なごむような気分で眺めていた。若いってすばらしい。
「エレミアさん、なにかお話があるのではなかったの?」
ツェツィーリアがこちらを見ている。
「何もないのなら、私は寮に帰りたいのだけど」
「今日は、みなさんに、お別れを言いに、来ました」
そう言って私が話を切り出すと、ツェツィーリアはフッと口元をほころばせた。
本題だと、わかってくれたのだろう。
「お別れ? あなたとの別れを悲しむ者なんて、この学級にはひとりもいないと思うわ。野蛮で大ウソつきのあなたに、みなさんがどれだけ迷惑こうむったのか。エレミアさんは、それをお分かりになって?」
それがこの場に集う学友の共通認識だとわかって、私は憂鬱になった。
「そのことは何も覚えていないんです。でも、本当にごめんなさい。すみませんでした」
貴族の体裁で頭を下げることをしない私だけれども、本心では腰を折って謝罪したい。
以前、ツェツィーリアが私を噴水に突き落としたのも、彼女の学友をエレミアが不当に貶めた仕打ちに対する、正当な報復だったのだとか。
「私はみなさんに悪いことをしました。だから、この学校を出ていきます。でも、その前に、どうしてもみなさんに謝りたかったんです。ごめんなさい」
謝罪を繰り返す私の言葉を聞いて、学友たちは微妙な表情をしている。
「ちょっと、エレミアさん! あなたなにか勘違いしているんじゃないの? 何もかもを忘れてしまって、それで許されると思ったら大間違いよ!」
名前も知らない女子生徒が怒り心頭に声を張り上げた。えー、誰だっけ? すまんな。
とはいえ、怒り当然か。
今声をあげた女子生徒を含めて、この場に集った子どもたちは皆、大貴族の跡継ぎだ。
敬意を持って接するのが当然であり、その真逆の対応を続けたエレミアに対する周囲の風当たりは、私が想像するよりもはるかに強い。
貴族といっても、幼い子どもだ。
誰彼に腹芸をたしなむ器量があるはずもなく、率直にぶつけられる不平不満が、エレミアに対する集団の総意であるらしい。
「記憶をなくしたエレミアさんを哀れに思って、ツェツィーリアさんが世話を焼いてくれたからってね。みんな、あなたを許したわけじゃないのよ。当たり前よね?」
名前も知らない誰かの意見を聞いたツェツィーリアは、大いにうなずいた。
「そうね。まったくその通りだわ」
「なら、私は、どうすればいいの? どうすれば、みんな、納得してくれるの?」
たどたどしい物言いで問う。
実際問題、私にもどうすればいいのかよく分からない。
根が現代日本人の私は、この世界の常識を知らず、最善の対応を決めかねていた。
ツェツィーリアは「そうね」と繰り返して、席を立つ。
……なんか、嫌な予感がするんだけど。
私はツェツィーリアが、訓練用の木刀を手にする姿を見つめ続ける。
意味するところは決まっていた。
言葉ではなく、
◆◆◆
その後、私とツェツィーリアは庭園に立って向かい合った。
互いが互いに、訓練用の木刀を手にしている。当たったら絶対に痛い。
それを眺める周囲のギャラリーは、無責任にも野次を飛ばしている。
当たり前だけど、ツェツィーリアコールが100パーセント。
意味不明の展開だけど、貴族が決闘によって自らの誇りと潔白を示すのは当然であり、それは幼い子どもでも変わらないのだとか……1対1の決闘に際して、対峙する私とツェツィーリア以外のみなさんは、手出し無用の態度でいる。
しかし困ってしまった。私、文化系の人間だから木刀どころか竹刀も持ったことないんだけど、どうしてくれるの? 導かれる結果は必然的な敗北だろう。
ツェツィーリアはカッコよく木刀を大上段に構えていた。勝てる気がしない。
私は対抗して、昔マンガで見た新選組三番隊隊長の左平突きスタイルを真似してみた。どうだ、カッコよかろう……
緊張が支配する場で、立会人である教師のおばさんが、私に話しかける。
「合意と見てよろしいですね?」
合意じゃねーよ、止めろよ。教職者。
と言いつつも、教師のおばさんは蒼い顔をしている。大貴族の息女が決闘をして、不慮の事故があった場合、それは教員の責任になるからだろう。
ツェツィーリアが、鋭い眼光を私に向けた。
本来、彼女の視点ではエレミアは卑下するべき対象だ。汚名返上の機会を与えてくれただけでも有情に違いない。
「シェーネス・ヴェッターの家名に誓って、私は退くことをしないわ。あなたはどうしてくれるの? エレミアさん?」
「そうねえ」
私は微妙な心境で周囲を観察した。
アウェーにアウェーを重ねた状況で胃が痛かった。
雰囲気で負けていては、どうにもならない。今、エレミアは貴族の娘として、己の器量を試されているのだろう。そう思えば、現状を切り抜ける方策は、簡単に見つかった。
「私の負けです。私に弁明の言葉はありません。レーゲンの家名に誓って、私は私が犯したあやまちと、この汚名を背負います」
「なるほど、それがあなたなりの、けじめのつけ方というわけね」
私は木刀を下げて、敗北を認めて礼をする。
この決闘が貴族の誇りを守る儀式であるなら、汚名を守る決闘なんて喧嘩未満の赤っ恥だろう……やるだけ無駄だと、私は思う。
私が木刀を地に置くと、ツェツィーリアも木刀の構えを解いてくれる。なしくずしの決着に対して、ギャラリーの称賛はない。
誰もエレミアを許したわけではなく、冷たい眼差しを向けている。
とりわけツェツィーリアに従う女子生徒の罵詈雑言が耳に心地いい。
「それから、ツェツィーリアさん。こんなことを言うのは失礼かもしれないんだけど」
私は私なりに、この決着に納得している。
とはいえ、何もかもを高みから試すような、ツェツィーリアの言動に対して、年配として一言を言いたくもある。
「うぬぼれは身を滅ぼす。若いみそらで人を舐めていると、ロクな大人になれなくてよ」
そう思うのは、私が歳を取ったおばさんだからかもしれないけど、私の小言に対して友情の握手で応じるツェツィーリアは、まさに神童と呼ぶにふさわしい器量の持ち主だった。
アルフォンスに連れられて、私が貴族学校から去り行く別れの日。
エレミアとツェツィーリア。
雨の貴族と晴れの貴族。
それが長きにわたる奇妙な因縁の始まりだと、この時の私は、まだ知らない。
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