第3話 本日は快晴なり

 またとある日の昼下がり。

 教室での授業が終わり、私は一息ついていた。


 ある程度の言語を学習した私は、この世界の生活になれるために、貴族学校の活動に参加していた。

 まあぶっちゃけ、授業中の教師は早口なので発言を上手く聞き取れないし、文字は読めないし、大して勉学に励んでいるわけでもないんだけどね。


『落ちこぼれの虚言癖持ち』なんて風評を持つエレミアが『引きこもり』の称号まで得てしまったら、クラスの輪どころか社会生活から爪はじきにされてしまう。


 それは私としても望むところではない。集団に溶け込むのは生きる知恵だからね。どんな場所でもね。


「エレミアさん、調子はどう? 学校の授業にも慣れた?」


 昼休みの庭園で、ツェツィーリアが話しかけてきた。

 ストレートロングのおでこを出した金髪に、深く見透かすような碧眼。

 一口に言って美幼女ってやつかな。私と同じで7歳のはずなんだけど、年齢以上に大人びて見えるのは大貴族の風格だろうと思う。


「ありがとう。まだ、少し、言葉が、わからないけど」


 私は実践の叩き上げで学んだ、カタコトの言葉で答えた。


「そう。まあ、どの道、あなたの問題だもの。エレミアさんのペースでやればいいわ。しかし、あなたから『ありがとう』なんて言葉を聞ける日が来るなんてね」


 ツェツィーリアは優雅に口元で笑って、皮肉っぽく肩をすくめた。

 ありがとうって、現代日本的にはおかしな表現でもないと思うけど、ツェツィーリアは不思議そうにしている。


「なにか、おかしかった?」


「おかしくはないけどね。記憶喪失のあなたに罪はないんだけど、これまでいろいろとあったのよ。だって、あなたの評判、よくないでしょう?」


 ツェツィーリアは私への対応に困ったふうだった。

 落ちこぼれの虚言癖持ちなんていう評判は伊達ではなかったらしい。

 目下のところで、いじめっ子だと思っていたツェツィーリアが、私にとって唯一の話し相手だ。他の連中にはガン無視される。孤立無援ね。


「先生に、みんなに謝りなさいって、言われた」


「そうね。必要だと思うわ。記憶を失っても、あなたのしたことは、なかったことにはならないんだから」


 ツェツィーリアは少しだけ厳しい物言いをする。


 私は周りから悪魔憑きの記憶喪失という扱いを受けているが、ツェツィーリアは私に対して哀れな偏見を持たないらしい。

 7歳で、ここまで人間が出来ているのは凄い。

 一般的に言って、記憶を失ったという理由で、いじめられっ子が尊重される理屈もないんだけど、私への風当たりが多少なりと弱くなったのは、クラスの中心人物であるツェツィーリアが私への対応を軟化させたからだろう。


 私だってエレミアの失敗をなかったことにできるなら、なかったことにしたい。


 だけどエレミアが大勢に不快な思いをさせたことも、覆せない事実であるらしい。

 集団生活において、爪はじき者の扱いは生きる上での不利益にしかならない。

 幼く、加減を知らない子どもたちの学校生活だからこそ、その前提を忘れると残酷な憂き目にあう。


 というか先進国の日本でさえ、いじめられっ子が自殺するような事件が後を絶えないのだから、どう考えても自己防衛の観点は必要よね。

 言っちゃ悪いけど、中世未満の衛生観念しかないモーントシャイン王国で生き抜くためには、もっとシビアな視点が必要だろう。

 権力を持つ貴族とはいえ、特定のコミュニティに所属する判断は避けられない。


 ならばこそ、この機会にシェーネス・ヴェッター家のご令嬢と仲良くしなくてはね。


 私はツェツィーリアに連れられて、少し遅めの昼食を取るべく食堂に向かった。


 モーントシャイン王国の食事は日本と同じで1日3食。硬いパンと野菜スープが主で、肉食はあんまりない。


 中世未満の文明にしては贅沢なのかな?


 庭園をはさんで教室の向かい側、礼拝堂の隣に大勢がたむろする食堂がある。

 学友たちが食事を終えて語らう食堂に、私とツェツィーリアは足を踏み入れる。


 しかし、ここのごはん、あんまりおいしくないのよね。

 今では慣れたけど、最初は心を病みそうになったわ。


 現代日本人の私は贅沢なのよ。

 それでも田舎の家庭で生まれ育った私は、食材への感謝を叩きこまれている。


 出された食事を残すことはしない。

 実に日本的な価値観で、私はマズ飯を平らげる。


「ごちそう、さま」


「……エレミアさん、あなた変わったわね」


「変わった? なにが?」


 私が答えると、ツェツィーリアは両目を細めて、私を見た。


「食事に感謝の祈りを捧げるなんて敬虔だわ。この学校にそんな貴族はふたりといない」


「そう?」


「以前のあなたは、大貴族の鑑だったのにね。パンを踏みにじって遊ぶような」


 ツェツィーリアはわずかな嫌悪を込めて、しかしそれを振り払うように首を振った。


「今のエレミアさんなら、みんなとお友達になれると思うわ」


「そう?」


「ええ、少なくとも、私は今のあなたが嫌いじゃない」


 ツェツィーリアは自分も食事を終えてから、次の授業が始まると私を急かした。


 うーん、私個人は、別に性格が素敵な人間ではないと思うんだけど。

 日本的な価値観で過ごしているだけで好印象を勝ち取れるのは、本来のエレミアの悪徳が原因かな。


 雨の日に捨て猫を拾う不良効果ってやつ? 私は半笑って、ツェツィーリアを追った。


 ◆◆◆


 午後の授業も滞りなく進んだ。


 貴族学校なんていうとオシャレで煌びやかな教室をイメージしたくなるけど、実際には長机と椅子が並べてあるだけの質素な環境だ。


 変わったことがあるといえばひとつだけ。


 現代日本なら校章や教育勅語みたいなものが掲げられているであろうスペースに、モーントシャイン王家の紋章『2つの赤い月』が飾られているくらいかな。王家の権威ってやつ。


 さすがに授業と言っても、小学校低学年のレベルなので、あまり難しいことはしない。

 読み書き、算数、後は『歴史』なのかな?


 モーントシャイン王国の成り立ちは、世界の成り立ちそのものであるらしい。

 偉大なる太陽神が、2つの月の神に命じて最初の人間を作らせた。それこそが人類の始まりであり、モーントシャイン王家の始まりでもある……とのこと。


 えっと、おそらく、モーントシャイン王家は王権神授説を採用しているんだと思う


 『神々の末席である王家に忠誠を誓う貴族は、すなわち神々に忠誠を誓う存在であり、貴族の立場に上下はなく、その命は子々孫々まで世界の安寧に捧げられるモノである』

 ……という内容の校歌なのか国歌なのか、よくわからないお歌を、毎日歌うのよね。


 とまあ、これだけ聞くと物々しい雰囲気だけど、あくまでこれは形式的な話よ。


 王権神授説とはいっても、みなさんそこまで敬虔に信じているようすでもないしね。

 加えて、貴族の立場に上下が無い……つまり『爵位の概念が存在しない』。

 とはいっても支配する領地や財力の格差で、大貴族と小貴族に分かれているのが、モーントシャイン王国の現実らしい。


 エレミアが属するレーゲン家も大貴族の一派であるらしく、「レーゲン家の娘にふさわしく」と、毎日、教師から小言のように教えられる。


 だから早速、歌を覚えた。

 エレミアは子どもながら歌の才能があったようで、その身体を借りた私は気分よく歌を歌えた。この才能のおかげで、今ではエレミアの教師受けも悪くない。


「ツェツィーリア様、エレミア様のその後の調子はいかがですか?」


「はい……彼女の記憶は戻りません。学友として本当に、いたましく思います」


 教師のおばさんとツェツィーリアが、私の前でむつかしい顔をした。


「エレミア様は、このところ国歌を一生懸命に歌われますね。なにか心境の変化でも?」


 教師のおばさんが、おだやかな物言いで私を見た。


「歌が、好き、なんです。神聖な、王家への、忠誠。貴族が果たすべき、責務ですから」


 歌が好きだと子どもらしく、後の内容は貴族の立場に配慮して答えてみた。

 しかし、教師のおばさんとツェツィーリアがそろって目を丸くする。


「え、エレミア様?」


「エレミアさん、あなた……」


 え? 私、なにかマズいこと言っちゃいました?

 あー、わかった! 神聖な国歌を、『好き嫌い』の土台で判断しちゃったからかな?

 王権神授説が根付くモーントシャイン王国では、失言だったのかもしれない。ヤバっ。


「エレミア様……失礼ながら、エレミア様がおっしゃる『忠誠』について、エレミア様はどのようにお考えでしょうか?」


「忠誠に理由は必要では、ありません。太陽神の神意を受け継ぐモーントシャインに、あやまちはなく、神々の代行者である、王家に、私たち貴族は従う。それだけ、です」


 歴史の授業を聞き流して得た知識を、それっぽく伝える。

 うーん、我ながら優等生の回答だとは思うんだけど、私は土台が現代日本人だから、この世界の人たちとは価値観が違うのよね。今度は大丈夫かなあ?


「おお、エレミア様! 重ねてお尋ねしますが、太陽神の神意とはなにかおわかりで?」


「えーっと、この世界に恵みをもたらす、大いなる空の要素エレメントです。晴れ、雨、くもり、そよ風、凪、雪、雷、そして、嵐……世界と、民の安寧に、身を捧げて、尽くすことが、私たち、貴族に与えられた、命の意味のすべて、です」


 だったかな? 授業で聞いたのは、このくらいだったと思うけど。

 天候にちなんだ要素エレメントだったから、私としても簡単に覚えられたのよね。

 ツェツィーリアは私の回答に対して好ましく笑ってくれる。


「ええ、そうよ、エレミアさん。太陽と月を彩る、大いなる空の要素エレメントに任じられた私たちこそが、王家に連なるモーントシャインの八大貴族……ふふふ、よくわかっているじゃない」


「ああ、エレミア様……『あの』エレミア様が、なんと、なんということでしょう……」


 微笑むツェツィーリアと、感極まって泣き崩れる教師のおばさん。

 私はここでようやく、自分の失策に気づいた。

 そうよ、エレミアは『落ちこぼれの虚言癖持ち』だったはず。優等生の回答なんて、するわけがない。しまった。私としたことが……人目を気にして、しくじったらしい。


「エレミア様は、その若さで貴族の自覚が芽生えられたのですね。神童と名高い、ツェツィーリア様と並び立つ、雨の貴族にふさわしいお言葉です……ああ、今なら分かります。エレミア様が記憶をなくされたのも、きっと、太陽神のお導きだったのでしょう」


 なにやら教師のおばさんが、むせび泣いている。うーん、この……

 まあ、よくわかんないけど、好意的に解釈してもらえたなら結果オーライかな?

 とはいえ、あんまり小難しい話をするのは子どもらしくない。変に期待されるのも困りものよね。私はひとまずの話題を変えるべく、幼い物言いでお茶を濁す。


「私、みんなに謝りたいです。迷惑ばかり、かけました」


 スケールダウン。私がクラスの話題を持ち出すと、ツェツィーリアが微笑んでくれた。


「エレミアさん、あなたは記憶をなくしているのに、それでもみんなに謝りたいの?」


「うん、ツェツィーリアさんにも謝りたい」


 学友同士の会話を聞いて、教師のおばさんがだばだばと涙を流している。

 気持ちはわかるよ。そりゃね? いじめっ子といじめられっ子が、和解して手を取り合おうとしていたら、その絵面だけで感動するよね。


「なら学級会を開きましょう! エレミア様は生まれ変わったのです。礼を込めて、キチンと謝れば、みなさん許してくれますよ」


「よろしく、おねがいします」


 私がつたない話し言葉でお願いすると、教師のおばさんは大いにうなずいてくれた。


 そんなわけで、私は学級会という名の公開処刑場で過去を清算することになった。

 私が本気で反省しているか否かは別として、パフォーマンスくらいにはなるだろう。


 私はエレミアだ。しかし、過去のエレミアの失敗などは、しょせん他人の恥にすぎない。

 私が今後、不自由しない生活を送るためにも、早くに片づけておくべき問題だ。


 これは後でツェツィーリアが教えてくれた話なんだけど、貴族学校で過ごした幼年期の確執が、そのまま大人になってからお家同士の確執に繋がったりもするらしい。

 人間、恨み辛みは忘れないってことかな? 謝る文化は日本の価値観だけど、若気の至りで余計な敵を作る判断は、どう考えても得策ではないだろう。


 昨日の敵は今日の友。人間は敵ではなく、頼れる味方を作るべきよね。

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