第2話 田中よ、フォーエバー

 数日が経った。


 私はなにかとんでもないことに巻き込まれたのではないかと、ようやく気づいた。


 薄々感じていたというか、やはりというべきか、ここは日本ではなかった。

 地獄ではない、天国でもない、ご当地テーマパークでもない。

 時代は古く、さらに言えば……地球上ですら、ないようだった。


 空を見上げると、なぜか月が2つあった。

 私が知る限り、デフォルトで月が2つある夜空なんて、地球上には存在しない。


 話を順番に整理しよう。

 噴水広場で溺れていた私は、小さな子どもだった。

 なにを言っているのかと思うだろうが、水面を鏡にして自分の姿を確認したのだから間違いない。


 私は今、25歳の社畜ではなく、6、7歳くらいの幼い女の子の姿をしている。

 髪は小麦畑のような金髪、厳密には浅黄色っていうのかな? 瞳は琥珀こはく色。それは絵に描いたような美貌だった。私、美少女! やったね!


 浅黄色の髪をした、この女の子の名前は『エレミア』というらしい。

 陰湿ないじめの現場に、血相を変えて駆けつけた大人たちが、『エレミア・フォン・なんたらかんたら』と、私を見ながら叫んでいたので、たぶんそうだと思う。言葉が分からないので、たぶんだけどね。


 話を戻そう。

 結論から言えば、私がいた庭園は、小さな学校の中庭だった。

 

 先日、エレミアを噴水に突き落としていじめていたのは彼女のクラスメイトなのかな?

 そして駆けつけた大人たちは、学校の先生なんだろうと思う。


 あれから私は散々な目に遭った!


 というのが、言葉が通じないから、意思疎通ができないわけで。


 おそらくは教会なのかな?

 礼拝堂とおぼしきその場所で、神父らしき人物の前で悪魔祓いみたいな儀式を受けた。


 言葉が通じなくても、さすがに分かる。

 エレミアは気が狂った悪魔憑きだと思われていたに違いない。


 まあ、みんなの気持ちはわかるよ。

 小学1年生くらいの子どもが、いきなり言語を話せなくなったら、みんなヤバいってわかるよね。

 ちょっとふざけて「ボンソワール、マドマアゼル☆彡」とか言ってみたのは本気で失敗だったと思うわ。今は反省してる。


 しかしどういう理屈で、私はエレミアに憑依しているんだろうか?

 冷静に考えて、私の立場は死人だから、幽霊みたいなものなんだろうと思ったけど、それにしては憑依という以上に、エレミアの身体を奪ってしまった印象を受ける。

 だって自由に動けるもん。エレミアの声なんて、私には聞こえないし、エレミアの記憶も、私にはない。本物のエレミアはどこへ行ったの? わからん。謎すぎる。


 私は数日間、大人たちに連れられて、何度もお祓いの儀式を受けた。

 寮の個室で休む他にはすることがないし、私が主体的に行動する気にもならない。


 正直、一度死んだ私が他人の人生を乗っ取るというのは、申し訳ないし。

 そもそもこれが死に瀕した私の、長い走馬燈であるという可能性も捨てきれないので、時間が解決してくれることを祈って、なにもしないことにした。


 でもね。私もね。少なからず思うのよ。


 自分の弟が、自分の家族が、いきなり言葉も何も通じなくなってしまったら、どんなに悲しいかと。エレミアの両親は、このことを知っているんだろうか?

 そう考えると、申し訳なくて気落ちしてしまう。


 もともと心を病んでいた私ではあるけれど、幼い子どもに乗り移って身体を取り換えてしまったせいか、今はそこまでネガティブな気分をしていない。


 死人は死人。幽霊は幽霊。

 私という存在はその内消えてしまうに違いない。

 だとしても、今はエレミアの風評を守るためにも、私が主体として現状をどうにかするしかないのかな。


 明日は明日の風が吹く、ってね。


 そうでなくとも、気になる事情もある。

 噴水広場での一件。どうやらエレミアはこの学校でいじめられているらしい。

 私にはその手の経験が無いからよくわからないんだけど、学友の輪をはぐれて、さぞ悲しい日々を送っているんだろうと、少しだけ哀れになった。


 だから決めた。


 どうせ今の私は言葉もおぼつかない異邦人だ。

 いつまでも寮の自室で腐っていても仕方がない。


 というか、そもそも言語くらいは学習しないと最低限の意思疎通もできない。


 死人は死人。幽霊は幽霊……とはいえ、このまま元に戻れない可能性もあるわけで。

 首を吊ってからやる気を出した私は、気を取り直して大いにうなずく。


 誰かのためになんていうのは、私が一番嫌いな言葉のひとつだけど、それにしたって私が自分のために現状を受け入れるにも、相応の時間が必要だったと思う。


 今の私は、エレミアだ。浅黄の髪と琥珀の瞳の、少女エレミアだ。

 田中のぞみは首を吊って死んだけど、この子まで殺すわけにはいかないからね。


 さらば田中、やすらかにのぞみ、フォーエバー。


 ◆◆◆


 とりま、文化と文明の理解から始める必要があるよね。


 そう思って、迷わない程度に学校を散策すると、綺麗なようで酷く汚いとわかる。

 外観は西洋風の優雅な建物なのよ。だけど衛生観念が最悪。


 どいつもこいつも、そこら辺に平気で唾を吐くし、小奇麗な身なりにふさわしく自分で掃除をしようとしない。庭も廊下も教室も、汚れる一方だとよくわかる。

 

 トイレなんて、見たくないレベルで汚かったよ。描写しないからよろしくね。

 現代日本みたいにシャワーがあるはずもなく、この場所では冷たい水を浴びることが、身体を洗う唯一の方法だった。風呂! あたたかい風呂に入りたいわね!


 まとめると蛮族の文明ってところかな。


 みんな見た目だけ小奇麗で気をつかっているようだけど、服は臭いし、息は臭いし、髪はよく見たらなんか湧いてるし、ヤバい。とにかくヤバいの。


 そこで私は気づいたのよ。


 学友のみなさんはひょっとして、中世でいうところの貴族の子どもなんじゃないかな? ってね。

 学校の外の生活に関しては実際に見たわけではないから、私には想像するしかできないけれど、貴族の……つまり比較的高水準の生活でこの有様なら、庶民の生活は地獄絵図じゃないかなあ。


 今まで出会った限りで、この世界の人々は現代日本で言うところの外国人、それも西欧的な白人だった。

 大雑把に分けると、金髪碧眼がステータスの学友たちと、それ以外の茶髪や黒髪の人々に分けられる。

 後者の方が身分としては低い印象を受けた。


 うーん、どうなんだろうなあ、コレ? 学校を出て街や村に繰り出すのが少し怖い。

 なんにせよ、先入観で悩むよりも先に、今は言語を身に着ける必要がある。


 幸いなことに、悪魔憑き扱いのエレミアには、たっぷりと時間が与えられていた。

 気分は生まれたての赤ん坊! 私は死ぬ気で、環境から言語を学ぶことにした。


 ◆◆◆


 数えてないけど、たぶん、3か月くらい経った。


 季節の変わり目なのかな? 比較的に涼しい気候が続く。快適で大いによい。


 私の方は、努力の成果もあって、多少なりと言葉が話せるようになった。

 気分は育ち盛りの3歳児! さすがに会話はまだ難しいが、簡単な意思疎通なら、身振り手振りを交えて行えるようになった。

 人間やってやれないことはないね。


 最初のとっかかりには苦労したけれど、相手から「何?」という言葉を引き出せさえすれば、後はすんなりだった。

 リンゴらしき食べ物を示して「何?」と尋ねれば、相手からは「リンゴだよ」という答えが返ってくるし、テーブルを示して「何?」と尋ねれば、「テーブルだよ」という答えが返ってくる。


 基本的にはこの繰り返しで、私は単語を学習した。


 単語が理解できれば、それに付随する動詞や形容詞の区別がつくし、なんとなく言語の構造が分析できる。こうやって、異国の文化に馴染もうとがんばったわけね。偉いぞ私。


 そうして、理解ある教師のみなさんと意思疎通ができる程度に回復した私は、言語の実践トレーニングを兼ねて、情報収集を始めた。


 そうそう、私のフルネームがわかったよ。

 エレミアの名前は、『エレミア・フォン・レーゲン』。


 貴族みたいで、なかなかカッコいい名前だと思わない?


 この学校自体が貴族の初等学校だったみたいでね。案の定、エレミアも上流階級の一員だったってわけ。

 ちなみにレーゲンっていうのは『雨』って意味なんだってさ。

 雨の日に、私に同行した教師が教えてくれたの。


 あえて日本の田舎風に「○○の誰々さん」って表現をするなら、『雨の貴族エレミア』って感じかな。いやー、カッコいいねえ。


 そして、もうひとつ。

 貴族学校が位置するこの場所は、月光を意味するモーントシャイン王国首都の外れにある森林地帯だとわかった。


 私が住まうこの貴族学校は、モーントシャイン王家と王家に連なる者が通う、正真正銘の上流階級の集いだったらしい。これにはさすがの私もびっくり。


 私を噴水に突き飛ばしたお子様の名前は、『ツェツィーリア・フォン・シェーネス・ヴェッター』。『晴れの貴族ツェツィーリア』だってさ。こちらも大貴族様のご令嬢ね。


 ははは、ひょっとして晴れと雨で仲が悪いのかな?


 貴族のお嬢様っていうから、「おほほ、ですますわよ」みたいなのを想像したでしょう?

 私も最初はそう思ったんだけどね。

 モーントシャイン王国の貴族は、どうも武闘派が多いみたいで、女性の貴族もその例にもれず、貴族学校で武道を学んでいるのだとか。


 まあ、貴族が戦いの義務を負うというのはありがちなので、そこは驚かない。


 私にとって重要なのは、エレミアとツェツィーリアの貴族学校における立場だった。

 ツェツィーリア・フォン・シェーネス・ヴェッターは、私と同い年で7歳。才色兼備、文武両道のまさに才媛と呼べる神童らしい。

 ひかえめに言って学年に1人はいるタイプね。

 

 で、エレミア・フォン・レーゲンはというと。クラスの落ちこぼれ。ついでに虚言癖持ちのロクでもないクソガキだったらしい。こっちも学年に1人はいるタイプ。

 私はエレミアが周囲からいじめられている、と解釈したのだけれど、実際にはロクでもない性格をしたエレミアが、集団の輪から追い出された、というのが事実だったみたい。


 なんにせよ、面倒な立場に追い込まれたものね。

 信用を失うのは簡単でも、失った信用を取り戻すのは難しいのにさあ。


 しかし、フォン・なんたらかんたら、って、ドイツっぽい響きよね。


 貴族なら爵位もあるのかな? うーん、わかんないけど、ないのかもしれないな。

 空に月が2つある時点で、ここは地球ではないんだろうし、似ているだけで先入観を持つのは早計な気がする。

 追々、情報を集めていこう。


 先行きの不安は多々あれど、後戻りする術もない。

 不肖、エレミア・フォン・レーゲン。病まない程度にがんばります!

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