第5話 我に返る

 下宿先は大学の近くにあるアパートの二階だ。


 二階は雨漏りの心配があるが、他の空きは上に住人がいる一階だけだったため、雨が降らない方に賭けた。


 既に雨漏りを経験しているらしく、その痕跡があった。


 天井が雨で滲んでいたが、部屋を紹介された時に、くすんだレインボーローズの花みたいで綺麗じゃないですかと言われたので、そう思うことにした。


 家具の配置の関係で、寝る時に模様の真下に頭が来ざるを得ないため、結果的に鮮やかな色でなくて良かった。


 昼食の焼きそばを食べるために、やかんに水を入れてコンロでお湯を沸かした。その間に焼きそばの準備をし、一緒に買ったモンブランを冷蔵庫に入れた。


 大容量のカップ用なので、沸けるまでに時間がかかる。


 それ故に、自然と我に帰らざるを得ない。


 どうしてこんなに大容量なものを買ってしまったのか。


 どうしてこんな部屋を借りてしまったのか。


 早く自立したくて親元を離れる選択をしたが、それは正しかったのだろうか。


 大きな決断だが、理由は一人立ちしたかっただけで、その選択に釣り合うだけの夢があるわけではない。


 大学という場所はこれといった夢がない人には大きすぎる入れ物だ。


 どうしてこんなに大容量なものを買ってしまったのか。


 空気を読んでお湯が沸騰した。カップに注げばアディショナルタイムの始まりだ。


 学校が始まる前からこんな状態で大丈夫だろうか。


 それでも感情を移植したおかげで不安に飲み込まれることはなさそうだ。


 しかし、一方で空洞が勢力を拡大している。


 お前は一体何者なのだ。


 終了のタイマーが鳴った。慎重にお湯を捨ててソースを混ぜた。


 焼きそばはマヨネーズが命である。緊張しているから人という字を三回書くことにした。


 マヨネーズをもって書け。さすれば君は、マヨネーズが命だということを経験するだろう。


 しっかり混ぜて食べてみたが、やはり感情が薄まっているようだ。


 味ははっきりと感じているし、マヨネーズが命であるとわかるが、美味しいという心の内側に広がる感情が弱い。


 意識しなければ美味しいと思うことを忘れてしまいそうだ。


 途端に、このカップが天高くそびえ立つ城壁に変わった。


 時間はかかったものの、マヨネーズ攻めによってなんとかこの城を陥落させることができた。


 しかし、次に控えるモンブランの登頂は断念した。


 既に胃から溢れて食道まで渋滞しており、これ以上食べたら気道が塞がる。


 ひも状の何かが喉に詰まって窒息死したら、凶悪なマフィアから脱退しようとして殺されたように思われてしまう。


 そのため、賞味期限が切れる寸前に食べることにした。

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