第3話(まとめて読みたい方用)
立ち止まり続ける私のことなど露知らず、時間は相変わらず流れ続けた。いまいち勘所が掴めないまま前期が終わり、後期も三分の二に差し掛かった。
感情は一向に元に戻らず、心の空洞もそれ自体には変化は起きていない。
ただ、それの捉え方が変わった。以前までは空洞と呼んでいたが、今では重りと呼んだ方が違和感のないように思う。もう少し感情があった頃は、心の中に激しく変化するものがあったので、無反応なものとの対比でくり抜かれたような印象だったが、全体的に躍動感が薄まったために、今度は静止する力が影響力を強めてきたのだ。自分を引きずって歩く感覚といった、足枷に付いた重りのような姿は、前までは特に物事の節目によく見せていたが、移植してしばらく経つうちに、それが平常の姿となった。
そのため、これからは心の重りと呼ぶことにした。なんと呼ぼうが、特に気にしないだろう。私は怖くてできないが、おそらくは「亀の群れでも足手まといな奴」「少しずつ動くオブジェ」などとからかっても、期待する反応は得られないだろう。
ところで、今日は華金だ。昔は夜遅くまで豪遊することに至上の喜びを得ていたそうだが、近頃はその輝きも鈍くなった。華と言っても、風船の花はしぼみ、金と言っても、メッキは剥がれ、中の金属は錆び始めている。これが私個人の感性の話なら良いのだが、社会の感性ですらそう認識し始めてきている。
今年の流行語大将に、刹那的に生きる人を指す「セツナー」という言葉が士官候補に推薦された。
刹那主義の表す意味が、今という瞬間に命を懸けて立ち向かうようなことだったら、活気のある世の中になるのだろうが、残念ながら現実は異なる。
過去、現在、未来と続く苦しみを忘れるために、享楽に酔いしれることを指している。現代では、様々な分野の行き詰まりと情報網の発達によって、今まで幸せだとされていたものが、ことごとく崩れ去った。そして人生を歩む指標を失った世間は、途方に暮れた後、諦め、開き直ったのだ。
そして、錆びているのを承知で破滅的にかじり付き始めた。しかし残念ながら、そうすればするほど、さらにメッキは剥げ、金属は錆び、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
私としては、既に心中に金属球のような重りを宿しているので、もうお腹いっぱいである。そういった快楽は、刹那の時でさえも私から苦しみを忘れさせることはできない。
個人的な範囲にはなってしまうが、悪いことだけではなく良いこともあった。青井さんと、明日の夜に食事をすることになったのだ。普通の人なら食事の約束など一歩目に過ぎないのだろうが、私にとってはそこまで行くのに千里もの距離がある。
未 だに、その子が心を開いてくれているのかどうかという以前に、私が心を開けているのかすらわからないが、焦りは禁物だ。心の扉は上下に動くので、開けるのは大変だが閉まるのは一瞬なのだ。透明性のある関係を維持しよう。
明日に備えて、今日の夕飯はカップ焼きそばを食べることにした。パッケージを開封し、かやくを入れ、沸騰したお湯をカップに注いで、タイマーをセットした。
いかなる悪逆の徒でも等しく我に返される時間がやってきた。
最近は焼きそばを作る時間以外にも、我に返ってしまう瞬間が増えた気がする。それはどんな娯楽を味わっている時であれ、一度起こると高揚させた気分が瞬く間に無に帰してしまう。せっかく放課後に遊びに出かけたのに、門限が厳しい両親から電話がかかってきたようなものだろうか。
とにかく、しゃっくりのように自分の意思とは無関係に繰り返してしまうので困ったものである。
この国には、自分を騙せるようになれば大人として認められるという因習がある。そのしきたりとこの癖は非常に相性が悪い。いくら俳優が名演技をしてもしゃっくりが出てしまったら、その瞬間カットがかかり、NGシーン入りするだろう。
これは大人になりたくない言い訳なのだろうか。
残念ながらそれを否定することはできない。もしかするとしゃっくりを我慢したままワンカットをやり切る人がいるかもしれない。どうやら私は大人になりたくない口実がどうしても欲しいらしい。
いつもは無口な心の重りが悲鳴をあげている気がする。
そういえば、明日は何のために出かけるのだろう。
タイマーが鳴った。命拾いした。踏み越えてはならない境界線の一歩手前まで来ていた気がする。
中身をこぼさないようにお湯を捨て、ソースを混ぜて口に運んだ。
焼きそばの味がする。しかし、何かが足りない気がする。感情とは違う。感情の不足した状態にはもう慣れたはずだ。
試しに心の重りさんに聞いてみよう。
(我は何を知るか)
(汝自身を知れ)
わかった。
マヨネーズだ。この商品にはマヨネーズが付属していないために忘れてしまっていた。マヨネーズは命だというのに。マヨネーズのない焼きそばを食べるのは、ゾンビを食べるようなものだ。
だからといって冷蔵庫から取り出すのは面倒なので、そのまま食べる事にした。マヨネーズをかけたところで、マヨネーズの味がするだけだ。
食事を済ませ、のんびり大学の課題を進めていた時、携帯が鳴った。「MOLE」の通知だ。JUNさんからだった。この方は確か感情という名のゴリラを育てていたはずだ。ゴリラの身に何かあったのだろうか。
「オペレーションバナナ、失敗しました……。
感情が大きくなったり激しくなったりしても、空虚な何かを消し去ることはできないみたいです……。」
そんな名前が付いていたのか。それに、上手くいかなかったか。
「ひとまず、生きて帰られて安心しました。
そうでしたか。よろしければ何があったかをもう少し詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「ご心配痛み入ります!
まず、感情は空虚な何かに従属しているというか、ゴリラが空洞の手先であるような素振りを何度も見せてきました。写実的に、ありのままに言うなら、空虚な何かの姿に合わせて感情が変化しているような感じでしょうか。
私は、楽しい状態で居続ければ、それかより楽しくなれば、空虚な何かを征服できると思っていたのですが、そもそも楽しい状態で居続けるのは不可能ですし、電動ノコギリで本体に繋がるコードを切ろうとするような、自己破壊的な香りがしたので、断念せざるを得なかった次第です……。」
奴と感情は裏で繫がっていたというのか。存在感が薄まっていたために気付かなかった。
「そんなことがあったのですね。途中で切り上げたのは英断だったと思います。
従属と言えば、以前緊張と恥ずかしさに飲まれそうになったことがあったのですが、その時も奴は飲み込まれる気配一つ見せず、むしろ拠り所としてこちらに手を差し伸べてきました。
従属関係となると、従者の暴走をなだめ、尻拭いをしていたことになるかもしれません。」
「まさか慈愛の一面があったとは想像もつきませんでした! そういえば、いつも厳しい親ですら、たまにケーキを買ってきてくれていました。一つの顔しか持たない者は、やはり存在しないんですね。十一面観音みたいな親を持つのは、私だけかと思ってました。夜暗い部屋で見ると、寝てたとしてもなかなか恐ろしいんですよ……。
従属関係が正しいとすれば、征服するというような方法とは別のアプローチを考えないとダメですね。
ところで、感情は回復されましたでしょうか?」
別のアプローチ。今の私は考えられる状態ではなさそうだ。せめてわかった事だけでも報告しよう。
「確かことわざで、鬼ヶ島の冷蔵庫にもきび団子みたいなのがありましたね。
感情の方は残念ながら、あまり回復しているような感じはありません。
と言っても、今まで生きてきた中で感情の回復ということにそれほど意識を向けて来なかったので、どのように回復するのか、回復したらどうなるのか、どうしたら回復するのかなどに、はっきりとした基準があるわけではありません。
それを見つけるためにも、まず感情がどういったものか、空虚な何かがどういったものか、もう少し詳しく知る必要がありそうです。
なので、とりあえず前回以降に実体験を通して考えたことを共有させて頂きます。
まず、感情が薄まっても、何も感じなくなるわけではないので、感じてはいるがそれを認識するのが難しいと言った方が正しい気がします。例えば、好きな料理を食べた時、美味しいと感情として感じる事はほとんど出来ないものの、味覚では美味しい味だと捉えており、どこかでは美味しいと感じていることが伺えます。
次に、感情が薄まったことによって、物質的ではないものの固定が難しくなったように思います。自分の中で何かに決定を下したり、決まった動作や習慣を頭で飲み込んだりするのが苦手になりました。悪者を見つけても、悪者だと断定して必殺技を放つことができず、大変不便な生活を強いられています。
続けて、自分の意思とは無関係に我に返ることが多くなり、自身の体すら時々刻々と変化する環境のような、体験する側よりも観察する対象の側であるように感じます。体が、行くたびに店が変わっているショッピングセンターになったようなものです。
二つを合わせると、感情には意識を外に向けさせる力と、形の無いものすら自分のものにしたと思わせる力があると考えられそうです。
空虚な何かの方ですが、生活する中で漠然と感じる時以外にも、感情のような変化はそれ自体にはなく、基本的に静観しているようです。そのため、普段の暮らしにおいては、空洞の姿というよりは足枷に繋がった鉄球のような重りの姿であると言った方が、正確な表現になると思います。
また、その重りを見ていると、人知を超えた、宇宙じみたものを感じます。その一つに、宇宙の軌道というか、過去現在未来を貫く因果の法を守らせようとしているような節があります。因果と言っても、現象的なものよりは、誠実な振る舞いをさせるべく約束を守らせようとしたり、責務を全うさせようとしたりと、道義的なものですが。
参考になれば幸いです。」
「詳しい情報、ありがとうございます!
言われてみれば、対処以前に感情や空虚な何かについて、知らないことだらけでしたね。
私も、感情の濃い側から探っていこうと思います!
そんな事より、あなたの今置かれている状況が、重り付きの足枷をはめた巨大ロボットのコックピットに、疑心暗鬼な状態で乗せられているように私からは見えるんですが、大丈夫なんでしょうか?」
会話中の短い時間に、普段考えていることを凌駕する思考が軽快に出てくるのは、人間の七七七不思議の一つだろう。
一方で、それだけ頭が回転しているのに、独りよがりになっていることに気付けないのは、別に不思議な事ではない。それは人間らしさの表れだからだ。
恥ずかしさで巨大ロボのボディが熱くなってしまった。
「何かわかった事があれば、ぜひ教えて下さい。
私も引き続き探ってみます。
私の現状については、パイロットって高給なイメージだったのですが、今のところ一銭も支払われておらず、アルバイトでまかなっている状態です。
どちらかと言うと、燃料が悩みの種ですね。給油所が一向に見つかりません。」
「かなりギリギリの状態ですね。
私も給油所には目を光らせるようにします!
とにかく、生存第一でお過ごしください!」
「お気遣いありがとうございます。
何かわかり次第、また連絡します。
くれぐれも心身を大切にお過ごし下さい。」
社交辞令の定形文を使ってしまった。社交辞令の中でも、縁切りを表す部類に入るものだ。嘘に包んで拒絶を伝える決まり文句の時点で、社交辞令の起源である思いやりから乖離している気がするが、今の世の中では社交辞令に分類されている。
心の重りに因果の鎖で操られるマリオネット状態の私は、優しさのふりをしたエゴイズムな振る舞いは許されない。まことから出た誠の行動をしなければならない。
次はこちらから連絡しよう。そのために、もう少し注意して観察する必要がありそうだ。
バッテリー残量が少ないことを教える通知が、思っていたより時間が経過していたことも教えてくれた。
夜更かしして遅く起きれば、夜が朝や昼に化ける。人間が起きている時間の前半分と後ろ半分は、同じ時間でも体感速度が異なる。前半は後半よりはるかに速い。
今の私は大学の近くに住んでいながら、遅刻寸前に到着する人間だ。油断していたら待ち合わせが夜でも間に合わない可能性がある。
課題の残りは朝起きてから終わらせることにし、布団に入る準備を始めた。
会うこと自体は楽しみなはずなのに、内側から自然と湧き起こる言葉は「気が進まないな」だ。
会うまでの準備や移動は確かに面倒ではあるが、気を重くさせるほどに嫌なことではない。自分の外には億劫だと判断できる材料はないが、内には楽しみだと判断できる材料がない。
翌日に学校があるような感覚で寝る支度をし、[荒野のおおかみ]を少し読んで今日を後にした。
*
なんとか課題を終わらせて出発の時間を迎えることができた。
家を出ると、辺りは既に暗くなっていた。冬は、夏のこの時間帯がまだ明るいことを知らない。夏も、冬のもう暗いことを知らないが。
車が渋滞している大通りに沿って、細い道を、皮算用気味な焦燥感を抱きながら颯爽と最寄り駅へ向かった。待ち合わせ場所は、電車で一時間ほどの距離にある駅だ。特に複雑な乗り換えなどはないが、初めて行く駅なので、念の為に早く歩いている。
最寄り駅に到着すると、学校指定のジャージを着た学生達が電車を待っていた。私は、学生達の話し声が聞こえない程度の距離で待つことにした。
ほどなくして電車がやってきた。私服や制服、スーツ姿など、様々な装いの老若男女が、疲労や喜び、孤独や虚無など、他人にはわからない種々の事情から発生したのであろう雰囲気を身にまとい、ホームに降りて来た。
今の時代では、電車を利用している人が行きなのか帰りなのかを、時間帯や外見だけで判断することはできない。私は行きだが、近くの学生が帰宅途中なのか、習い事やバイトに行こうとしているのか、皆目見当もつかない。心の重りに耳を当てれば、「子ども殺し屋集団である可能性もゼロではない」と聞こえる始末だ。
あまり栄えていない駅にしてはそれなりに多くの人が降りたため、車両の座席は穴の開いたチーズのようになっていた。
電車に乗り込んで座る席を探していると、端が空いている席があったので、そこに座った。
乗車し始めて、簡素な駅をいくつか通り過ぎてから、少し賑やかな駅に到着した。この駅からは、有名なテーマパークへ行ける路線に乗り換えられる。そのため、限定のお土産や衣装など、幸せをテイクアウトしている人が何人も乗ってきた。
その人々の顔には、各々の喜びが映し出されていたが、中にはその揺らぎの隙間から寂寥感が見え隠れしている人や、何も映し出されずに虚無が剥き出しになっている人もいた。
寂しさならまだ良い。それは楽しさの後ろ姿だからだ。一時でも苦しみを忘れられることは、生活に対する十分過ぎる報酬だ。
気がかりなのは虚無をあらわにしている人である。ここしばらく虚なものと生活を共にしている身からは、その状態がいかなるものか容易に想像がつく。
自分より外に光を求めても影はなくならないどころか、より一層濃くなるのだ。光に目を向けていればそれに気付くこともないだろうが、そうでなければ自身の内にある虚が、不滅である可能性に感づいてしまう。
そうなってしまえば、外にある光など塵芥も同然となり、夜の体育館のように、ただ空っぽになるしかなくなるだろう。
その方は影を見ながら光に近づいてしまい、その濃さに目がくらんでしまったのだ。私のように暗闇に目が慣れるまでに、早合点して終止符を打つ決断を下さなければ良いのだが。
そう考えていると、心の重りから「ただ疲れただけかもしれないだろ」と、聞いてもいないのに野次が飛んできた。
少しずつ目的地に近づくにつれ、乗車する人数が増え始めた。帰宅ラッシュの時間に差し掛かったらしい。
休日でも頑張って働いている人達を差し置いて、数少ない席に座っていることに申し訳なさを感じたが、譲ったりはできなかった。
私一人が譲ったところで何の意味があるのか、なぜ譲るのは目の前の人なのか、なぜ斜め前の人ではないのか。簡単には答えられない問いなだけに、言い訳にするのはずるい気がする。
心の重りが動かずじっとこちらを見ていた。「お前も外に光を求めるのか」とでも言いたげな表情だった。
確かに、意味や価値、理由や目的は光だ。たとえどんなに深い闇の中でも、その光が一つでもあれば、迷うことも諦めることもなく歩み続けられるだろう。
私は、その光を見つけられていないが、言いたいことは一つだけ見つかった。
お前には言われたくない。
光が外にないとしたら、内にならあるのだろうか。おそらくはあるのだろう。
見つけたであろう人の言葉を既に何度も耳にしている。それは昼の太陽のような全てを照らす光ではなく、線香花火のようないつ消えてもおかしくないか弱い光だが、おそらく太陽にもかき消すことはできないだろう。
それより何よりも、心の重りの得意げな顔を見れば、嫌でもそう思わずにはいられない。
今回は善行をしなかった悪の負債として、私が背負うことにした。
寝たふりに疲れて寝そうになった頃、電車が降りる駅に到着した。電車に借りが出来てしまった。お礼にビニール傘なんてどうだろうか。
この駅は都会の真ん中にあり、どんな路線へもアクセスできるため、心臓駅という、怪談の題名みたいなあだ名が付いている。なので、大変入り組んだ構造をしており、初心者にとっては由緒正しい迷宮となる。乗り換え先のホームには辿り着かないし、それを聞きたいと思っても駅員さんのいる改札にも行き着かないし、一旦落ち着こうと自動販売機やトイレを探しても、一向に見つからない。そう思うと、怪談としても十分やっていけるだけの素質があるのかもしれない。
私達の待ち合わせ場所は、医療ドラマに出てくる、手術室を上からガラス越しに見られる部屋みたいなところらしい。とりあえず、上に向かわなければならない。
電車が到着したのは地下なので、ひとまずは地上に上がるべく、人の流れに追従した。上昇するエスカレーターに乗ったが、到着したのはまたしても地下だった。
この階層は、別の路線のホームに繋がるエスカレーターが上にも下にも伸びているだけでなく、飲食店やお土産屋さんまであった。たとえ迷子になっても、お金さえあればしばらくは餓死せずに済むようだ。もちろん、その場しのぎでしかないが。
ここでは一人一人目標が異なるため、どこかに導いてくれそうな流れなどなく、カオスな状態であると言っても差し支えないだろう。
私は上に向かわなければならないので、とりあえず近くの上行きのエスカレーターに乗った。
到着したのは地上の改札口だった。目的地も改札の近くらしいが、ここでは何かを一望できるようには見えないし、さらに上へ行けるエスカレーターも見当たらないので、戻ることにした。
戻るという行為は、いよいよ迷子になってきた証拠なので、つい服の下で身震いしてしまったが、私には逆向きの力を発生させるエキスパートである心の重りさんがついているため、あっさり引き返せた。
当然だが、戻って来ても相変わらず混沌としたままだった。一度このカオスな輪から外に出たので、自分が異物になったような気がした。
もう一度周りを探してみたが、出口に繋がるエスカレーターはもうないようだったので、試しに電車のホームに通じるエスカレーターに乗ることにした。
到着して辺りを見回すと、高い建築物が囲むように建ち並んでいて、真上はドーム状に覆われていたが、端の方に夜空が見えたので、地上には出られたことがわかった。
高い建築物は、会社というわけではなくショッピングセンターのようで、窓に服やバッグ、雑貨らしきものが並んでいた。
そして、ホームをまたいで、それらの連絡橋のようになっている建物に、目的地と思われる空間を発見した。その建物は、こちら側は大半がガラス張りになっており、確かに言われてみれば、あちら側からはホームと列車が手術室の患者のように見えなくもないだろう。日頃から万物を実験対象として見ていないと、言われるまでそうは見えないと思うが。
ホームから伸びたエスカレーターに乗ってそこまで上がり、改札を出た。予定よりは遅くなったものの、待ち合わせ時刻よりは少し早く到着できたようだ。お相手が来るまでは、かわいい患者達を眺めることにした。
*
「お疲れ! 結構待った?」
自分もマウスの一人に過ぎないことを忘れて、神であるかのように錯覚しそうになった頃、お相手が到着した。
「そうでもないよ。むしろ、丁度いいタイミングだったかな」
「それなら良かった! それと、わざわざ近くまで来てくれてありがとう! 遠くなかった?」
「それなりの距離だったけど、乗り換えもなく一本で行けたから楽だったよ」
「そっか〜。なら安心した! じゃあ早速、お店に向かおっか!」
「道案内お願いします。しんがりは私が務めます」
「いやいや、普通で頼むよ〜。こっちまで緊張しちゃうからさ〜」
青井さんは、今時の若者らしい格好で現れた。その姿が示すように、この方は世間の流行について行ける人だ。しかしだからと言って、全身が濁流に飲まれるようなことはなく、時々川ではしゃぐ程度に流行に浸かっているようだ。
私達は人混みの中をかき分けるように進んだ。
「この駅はいつもこんなに混んでいるの? ぶつからないように歩くだけで一苦労だ」
「通勤、通学の時間は大体いつもこんな感じかな〜。ここを歩くコツは、多少の思い切りだよ!」
「勉強になります。それと、よく人混みの中から私を見つけられたね。それにもコツがあるとか?」
「う〜ん、そうだな〜。なんとなく視界に入ったら、あ!見つけた!ってなる感じなんだけどな〜」
「第六感、七感みたいなのが働いてるのかな?」
「そんな感じかも!」
私が頭か心でしか掴み取ることができないものを、青井さんは全身で掴み取れるようだ。
高濃度の人混みを抜けて階段を降り、外に出る頃には、人の量が少しはましになっていた。
外は、建物から道路までの間の土地が、現代的な広場になっていた。また、立ち止まって見る人はほとんどいないが、噴水や整えられた大きな木が、上品な雰囲気を作り出していた。上を見上げると、駅の周りにも高いビルやマンションが建ち並んでおり、遠くを見ることはできなかった。
「今日も寒いな〜。そういえば、今から行くお店は蕎麦屋さんだけど、大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。君が蕎麦好きだったなんて、少し意外だったな」
「そうかな~? 何が好きそうに見えてた?」
「ただの偏見でしかないけど、今時のお洒落な食べ物が好きなのかと」
「あ〜、それも好きと言えば好きなんだけど〜。そういうのは食べ物自体ってよりは、それを食べて楽しむのが目的なんだよね〜」
「なるほど、好きとか楽しいにも、色々あるんだね」
「そうそう!」
道路まで出ると道が細くなり、障害物を避けるゲームアプリをしているような感覚になった。
「ここも思い切りですか?」
「もちろん!」
「思い切って轢いてしまうのは?」
「さすがに安全運転は守ってください!」
しばらく道路に沿って歩き、一度だけ曲がって細い道に入ると、のれんの掛かった店が現れた。
「到着!」
「昔と今が溶け合った外観だ。こんな所、よく見つけたね」
「そうでしょ〜。早速入ろっか!」
中に入ると、 外観通りの、昔の雰囲気が現代技術でアレンジされた内装が広がっていた。
それほど店内は混んでおらず、着席して注文すると、間もなく料理がやって来た。
「同じきつね蕎麦で良かったの?」
「せっかく紹介して案内してもらったんだし、乗り掛かった船に最後まで乗らせてもらおうと思って」
「そっか! まあ沈むことはないと保証するよ!」
「じゃあ早速、いただきます」
「いただきま〜す!」
ゆっくり麺を口に運ぶと、出汁の香りが広がった。心の重りがむき出しになりそうな者にとっては、丁度良い優しい味だった。
「しっかり味で選んでるね」
「そうでしょ〜」
食べながらなので、目の前には居るが、メールの送受信する時間のような間隔が空きつつも、大学や趣味の話など、雑多に知ることができた。そして、二人共が器の底に沈んだ麺の切れ端をすくい始めた頃、流行についての話題に移った。
「でも、最近の流行は危ない事が多いよね〜」
「確かにそうだね。破滅を賛美して陶酔するというか」
「そうそう! かなり病んでるよね」
「君はそういうのはしないでくれよ? もし破滅届を出してきても、その場で破り捨てるからね」
「変な制度だな〜。まあ私はそういうのはしないかな。それに、本当にやりたい人なんて、そんなに居ないと思うな〜」
「流行しているのに?」
「流行って言っても、極端な選択をするのは一部の人だけだよ〜。大半の人は、自分が一体何が好きで、何が嫌いかとか、あんまりわからないまま乗ってるから、そんなことはできないんじゃないかな」
「そういうものなのか」
「そうだね〜。だから、良いことも悪いことも、ほどほどに味わって、ほどほどに味わわないまま手放してると思う」
「そうなのか……」
今時の明るい雰囲気が張り付いたまま、諦めが溶け込んだ悲しい表情の、等身大の悩む人間の姿を見て、自分の中の観念の部分が吹き飛んでしまった。
私達は、お会計を済ませ、来た道をゆっくり戻り始めた。街並みも、人の数も車の数も、行きとそれほど変わっていなかったが、行きとは違って寂しく感じた。
「君は心の中に、空洞とか重りみたいなものを感じたこととかあったりする?」
私は脈絡の中でしか生きられないのに、つい突拍子もなく聞いてしまった。あの表情を見たら、聞かずにはいられなかった。
「あるよ。その時は世界が白黒になるよね〜」
考える間もなく即答したのに驚いた。そんなに身近な存在なのだろうか。
「そうなった時は、いつもどうしているの?」
「そうだな〜。違うことして忘れるとか、あとはやっぱり、思い切るかな!」
「伝家の宝刀なんだね」
もっと詳しく知りたかったが、それ以上聞くと、またその刀を振らせることになってしまうので、思い切ることはできなかった。
駅に着くと、行きの時よりは人が少なく、冬の森のような心を冷たくさせる冷気が漂っていた。
「わざわざ見送りまでありがとう」
「とんでもないよ! 家この近くだし! それじゃあまた来週!」
「次回予告はないんだね?」
「テレビのエンディングじゃないよ〜。また学校でねってこと!」
「ごめんごめん。じゃあ体に気をつけて」
「ありがとう! またね〜」
私達は改札で別れた。もう一度振り返ることはしなかった。振り返った時に姿がなくても、まだ居てくれていても、どちらも私には耐えられない。
改札を入って、行きに通った経路を逆走している途中に、例のオペ室のことを思い出した。あの方の伝家の宝刀は、手術用メスの形をしているのかもしれない。
ホームに到着した時、タイミング良く電車も到着した。この時間帯でも結構な人の数が乗車していたものの、大半の人がこの駅で降りたため、難なく座ることができた。
大きな駅はこの先もうないので、車両内に消化試合の雰囲気を充満させながら、電車が出発した。
電車は、しばらく地下を走った後、地上に出た。そこからは、夜の街が見える車窓をモニター代わりに、今日の走馬灯を見た。
悲しい影が差した青井さんの表情が映された。やはり、よほど印象的だったようだ。
心の重りは当たり前の存在で、そしてそれを思い切るという手段で対処している。
その時は敢えて何も言わなかったが、今の私には思い切れるものがあまりない。心の重りの周りに、もやがかかるように感情が漂っているばかりだ。心の中でどうやって思い切っているのかわからない。
思い切るとは、広く言えば心の中で何かを一区切り付けることだ。大抵は迷いやためらいに対してそうするわけだが、青井さんは心の重りや空洞に対して行うことも、同じように見ているのだろう。
私は、心の重りはともかくとして、迷いやためらいに対しても思い切れた記憶はそれほどない。それに、感情を移植してからは、決定権はほとんどタイムリミットに取って代わられたと言っていい。
そして、緊張や恥のみならず、絶望に飲み込まれて自我を埋没させる決断に対する思い切りすら、失われているだろう。また経験的に、これらにタイムリミットはないように思う。言い換えれば、そんな決断を迫るものは存在しないということになるかもしれない。
心の重りの存在を思い切るとはどういうことなのだろうか。
ふと心の重りに意識を向けると、捨て犬のようなつぶらな瞳で、「そもそも思い切らないといけないもの?」とささやいてきた。今更そのキャラクターは無理があるのではないか?
それよりも早急に訂正しなければならないことがあった。それは世間に対する認識だ。セツナーと一括りにしていた世間の認識を変えなければならない。苦しみなどから目を背けようとしているのは間違いないが、だからと言って皆が諦めて開き直っているとするのは、暴論だったようだ。
極端な選択ができない理由として、青井さんは、多くの人は自分自身何が好きで何が嫌いかわからないと洞察していた。それは人の中で生きながら観察して見つけたものなのだろうが、表情から察するに、他人より何より自分がそうなのだろう。
そして、今の私はその不明瞭さが表面化しているのだと思う。だとすると、はっきりしない理由は、感情を根拠にしているからなのかもしれない。
感情とは実に流動的で、名前をいくつも持つスパイのような存在だ。それも、映画の主人公のような忠義のあるスパイではなく、自分の利益しか考えず、主人を簡単に変えるような性悪なスパイの方だ。そのような者を拠り所にしていたら、自分の価値基準がわからなくなっても無理はない。
それに対して、心の重りは変わらなさ過ぎだ。その不変な振る舞いによって様々な顔を見せるが、本質は何一つ変わらない。ある意味これだけ信頼を置く値打ちのある者はいないだろう。そう思った時、心の重り様が「苦しゅうないぞ」とおっしゃった。どうやら先ほどのキャラクターを演じるのは諦めたようだ。確乎不抜とした方だが、キャラクターには迷走しているらしい。
極端な選択と言っても、偉大な道を行く人のような確固とした信念があってのことではなく、やけになって感情に身を任せ、取り返しのつかない結果になってしまった場合も多いのではないだろうか。
確固とした信念を持つには、苦と向き合わなければならないらしい。刹那に逃げるのは真逆の行為だ。
やはり、私は私の苦に向き合わなければならないようだ。
窓に馴染みのある景色が映し出され始めた。行きと同じ暗い夜の町だが、見受けられる人の数は確実に減っている。
それから瞬く間に人の居ない最寄り駅のホームに変わった。私の乗っていた車両からは、降りたのは私だけだった。
外に出ると、動的な夜だったのが静的な夜に変わっていた。通る車はほとんど居ないし、数少ない偶然降り合わせた人も、不均一に舗装された道路を歩く途中で、どこに通じているのかもわからない曲がり角を曲がって消えていく。みんな、今日を終わらせるために動いていたようだ。
終わりは、一人で迎えることしかできない。自分以外、何も持っていけない。
とはいえ、私は始めから心の重り以外、何ものも持ち合わせてはいない。
この外出で、一体私は何を得たのだろうか。
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