2-02
「悪いのう。この後、どうしても外せないようがあってな。今日の稽古はこれでしまいじゃ。これでも忙しい身でのう。すまんが留守を頼むぞ」
あくる日の朝。いつもの様に目を覚ましてすぐに朝稽古として滅多打ちにやられて倒れ伏していると、キリザキはそんな事を言って先に小屋へと戻っていった。
キリザキが出掛けることは、今回が初めてじゃない。時折なにかしかの理由を付けて数日出掛けることは多かった。
ここ最近は理由を考えるのが面倒になったのか、今のように急用が出来たのどうこうとだけ言うように成ったが、ライドは知っている。キリザキが出掛ける日は決まって同じ月の同じ期間のみであることを。
わざわざ決まった時にのみ出掛ける。その理由に興味が湧きキリザキを尾行したことは何度かあった。だが、その度になんどもまかれてしまい諦めていたのだが、ここ最近は、足運びなどと言った部分的な所で己の成長を少しずつでも実感している今ならばと、 好奇心に駆られライドが小屋を出たキリザキの後を追うのはもはや決まっていた事象であった。
――――――――
キリザキが参道を下りていると、もはや慣れ親しんだ気配が背後から感じる。
「おや。もうすっかり諦めたと思ったのじゃがな。相変わらず諦めが悪いヤツじゃのう。まぁ、そこを買ったのは儂じゃが。さて、今日はどこまで付いて来れるかのう」
恐らく必死に気配を隠しているので在ろう追っては、着かず離れずの距離を維持して足音と呼吸を殺し忍びながらキリザキの後を追ってくる。
だが、若き頃は多くの凶手に追われる日常を過ごしたキリザキにとって、この程度の尾行に気が付かない訳も無く。当然、この追ってを振り切る事だって容易いもの。
しかしキリザキは自慢の髭をさすりながら、揶揄う様にわざと追ってきづらいように泥濘や物陰が多い悪路を進む。それは、未だ基礎体力に不安が残る弟子の修行に役立てようとする意志と少年の頃から変わらぬいたずら心からとる行動。
幼い頃は、シャルロット姉さんに心臓に悪いのでいたずらを辞めるようにと、たしなめられていたものだが、やはりこればかりは辞められない。なにせ、尾行をまかれたあヤツの悔しがる顔を目に浮かべるのがここ最近の娯楽なのだから。
「ほう。ここまで付いて来れるか。ならば、これならどうじゃ」
これまでよりも長く追ってくる弟子を揶揄う為だけに、あえて崖沿いの道を進みバランスを崩したように見せて崖底へ向かい落ちるように見せかけた。
その様子を見た弟子は、案の定慌てた様子でキリザキが落ちた場所まで駆け寄り崖下を覗く。
その焦りと理解が及ばないのか、何がどうなっているんだと顔を青にも白にも変える弟子の姿が面白く思わず「カッカカカカ」と笑い声を上げてしまった。
おっとしまったと口を塞ぐ時遅く、既に崖の向こう岸へと渡り切っているキリザキの方を見る弟子と目が合ってしまう。
弟子はキリザキの方を見るや、揶揄れていた事に気付いてか「ぐぬぬぬぬ」っと悔しそうに唇を絞めて唸り声を発しこちらを睨む。
本当は偶然を装い何とも無い様子で現れて戻るように諭すつもりだったが、これはこれでよいかとキリザキは面白がる。
「この程度のことで動じるなぞ。まだまだ剣士としては未熟じゃのう。儂を追っておる暇があるのなら帰って精神修行を積むことじゃな」
諦めが悪く、好奇心に突き動かされがちなヤツじゃが、根は真面目。こう言われれば大人しく帰るじゃろう。
キリザキはそう考え弟子の方へ振り返ること無く手だけを振って別れをすまし、元々の道へと向かう。
――――――――
ライドはキリザキに揶揄れたことに対して腹を立てつつも、言われた事に従いそのまま元来た道へと引き返して居た。
「はぁ、師匠のああいう所は本当に、もう少しこう。どうにか成らないものだろうか。そりゃまぁ留守番をせずに後を付けて居たことは悪いことだろうけど、なにもわざわざあんな心配させるようなまねをしなくても」
この三年、キリザキと共に過ごし偶に下らないいたずらを仕掛けられたことは在ったが、今日のは流石に心臓に悪い。それに驚くこっちの顔を見て笑うとか、あそこまで性格が悪かったとは、毎日滅多打ちにして来るのも修行にかこつけてやられるこっちの姿をあざ笑っていただけなんじゃ。
「いやいや。流石にそこまで悪辣じゃないだろ。きっと。わざわざあんな真似をするってことは、付いて来て欲しくない理由があるんだろうさ。…………そういえば、何時も師匠が戻る時って随分ときつい花のにおいがしていたっけ。たしかあのにおいは」
理由について考えた時に、前々から疑問に思っていたことを思い起こしつい口に出る。
一度疑問が出ればそのことを考えてしまうのは悪い癖だと分かっていても、この好奇心は止められない。記憶の中を整理しながらある事を思い出す。
あれは確か、クレアの所の館に居た頃のこと。薬草について教えられたことがあった。
薬草の種類を覚え見分けるように言われ、花の蜜のにおいなんかも覚えさせられたっけ、結局試験の際には見たことも聞いたことも無い薬草を見分けろとか言われて失格に終わったが、今思えばあの試験事態が茶番だったような。それは今更言っても仕方ないか。
今思い出すべきなのはあのにおい。あのにおいは確か、花弁が薬や香水に使われている花のモノだったな。
あの師匠がどちらも必要なようには思えないが、だとすると。一瞬、頭の中で何かが繋がったのような気がした。そしてその結論を口にする。
「…………女か」
英雄色を好むとよく聞くし。そもそもキリザキ自身から、これでも若い頃はかなりモテモテだったのだとか自慢話を聞かされたものだ。世の中にはイケおじなんて呼ばれる存在も居るのだとかクレアが言っていたっけ。
「イケおじ。イケおじかぁ。あれが?」
普段のキリザキの言動を頭に浮かべ、かつてクレアが言っていた話を照らし合わせるとどうしてもイメージが一致しない。
「確かに強い。恐らく父さ、あの人よりも実力があるようには思うけど。カッコイイかと言われると、どうなんだろう。まぁともかく、そういうことなら邪魔するのも野暮ってやつなのかな」
そう結論付けて、帰路に帰ろうとして改めて今いる自分の場所を確認する。
「うーん。しかし、ここ何処だ?」
見渡すとそこは見慣れない森の中、途中で考え事をしていたせいで戻る道を間違えたのか、そう思い一旦引き返そうとするも既に方角を見失っていることに気が付く。
サーーっと血の気が引いた。キリザキの後を追う際に物音を経てないように荷物は持って来ていない。当然、地図も方位を示す道具も置いてきた荷物の中にある。
小屋の付近ならともかく、今日は何時もよりもキリザキの後を追えたが為に未知の場所。さらには、陽も傾いて来ている。
「やばい。えっと、えーっと。こういう時はまず落ち着いて、冷静に。そう水場を探そう」
館に居た時に叩き込まれた森で遭難した際の優先的な行動を必死に思い起こし、最初に思い出した行動を行う。冷静にと口にしておきながら、足取りは早く周囲にも満足に気が配れて居なかった。
「あっ」
そう口にこぼした時には既に遅く、踏み外した足が宙に浮く。そしてそのまま重力に従うように坂を転げ落ちた。
底に着くまで一瞬のこと、だが命の危機を感じた時というのはやけに時間の進みが遅く感じるものだ。走馬灯とでも言うものなのだろうか、脳裏にライドがまだアレグリアを名乗れた頃の家族の姿が思い浮かんだ。
「いつつ。はぁ。なんで今更あの人達のことなんて」
ぶつけて赤くなった頭をさすりながら、起き上がる。ただでさえ見慣れない場所からさらに見たこともない場所へ。いや、結局状況は変わってないか。
ぶつけた時の痛みなんて所詮一時的なもの。それにこの程度は慣れている、多少残る痛みを気にせずに落ちた坂を上ろうとすると何かが聞こえた。
『こっちだ』
なんだ? 風? 掠れた、弱々しくも傲慢な音。それがなにか分からないでいるともう一度、今度はハッキリと聞こえる。
『こっちへ来い。残り火よ』
「ん? 誰か居るのか」
『こっちへ来い。残り火よ』
「もしかして、師匠? まだ揶揄い足りないんですか」
『こっちへ来い。残り火よ』
声? らしき音はそれしか言わない。怪しいが、道を迷っている今は何処へ行こうと変わらないだろうと更に迷うだけかもしれないしな。と思いライドは声らしき音の聞こえる方へと進むことにした。
何処をどう進んだかも覚えられない程の深い森を聞こえて来る声だけを頼りに行くと、石造りの小さな祠のようなモノを発見した。そこに辿り着くと同時に声は別の言葉を発する。
『残り火よ。この封を解放せよ』
「変な所をぶつけて幻聴でも聞こえるようになったか」
先程ぶつけた頭をさすりながら、今尚聞こえる声をの方向を見る。それは目の前にある祠から聞こえているように感じた。
「…………もしかして、言い伝えに聞く邪神の眷属とやらが此処に封印されているとか」
かつて、この世界の支配をたくらもうとした邪神とやらがいて創造神がそれを撃退したのだという神話を耳にしたことがある。そしてその時に邪神の眷属が各地に封印されたなんて話も噂されている。まぁその噂を流しているのが邪神を崇めるカルト教団らしいが。
「…………まさか、な。いやいや、馬鹿々々しい」
そう自身に言い聞かせて周囲を見渡すと、森の中には珍しい平らな道を発見する。
「お。もしかして」
その道へ近寄るとここ最近の行き来きが成されたような足跡を発見した。これを追って行けば人里に出て、小屋への帰り道が分かるかもしれない。
僅かな希望を抱きライドは、道に残る足跡を辿った。
緋き瞳の被り狼 針機狼 @Raido309lupus
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