第二項 偽善の果てに、赤き夜

2-01

 新星歴四十八年 ギルバード帝国北西部 スターライト家属領地 ライラックイナ領内のとある山岳地帯で、ライド剣を振っていた。


「なんじゃ。どうした。お主の剣はその程度か」


「くっ。まだまだ。らぁぁぁぁっぁぁあ。はっ。だらぁっ」


 対峙した相手が煽るなか、乗せられるように声を出しての勢いを付けた三連撃。その刃が目の前にいる棒切れを持った老人に襲い掛かる。


「軽い々々。ほれ、隙だらけじゃぞ」


 しかし、老人は意図も容易くライドの振るう剣をすぐそこで拾った棒切れ一本で軽くいなし、それどころか剣を握る手の甲を打ち、つい手放したその柄を叩いて先程まで握りしめていた剣を弾き飛ばした。


 そして、ライドの喉元へ棒切れの先端を突き付けて、にかっと笑う。


「まだまだ脇が甘いのう。手を打たれた程度で剣を手放しては命を奪って下さいとお願いしているのと同じじゃぞ。言ったであろう剣士たるもの死んでも剣を手放すなと」


 息を切らして立ち上がるのに時間を有するライドに、老人は自慢の髭をさすりながら全く疲れを見せない様子で語る。


「しかし、最初を思えば、たった三年で儂相手に数度と打ち合える程度に成れたのであれば上々とも言えようかのう」


「まだ。まだですよ。英雄に成るにはこの程度じゃ全然足りないです」


「英雄か。そう言えば聞いたことが無かったのう。お主、なぜそれを目指す」


「そんなの。――――そんなの、成りたいからに決まっているじゃないですか」


「儂は、その成りたいと思う理由を聞いているのじゃがのう」


「――――理由なんて」


 言葉に詰まる。理由なんて単純で、唯々不純な動機。クレアと別れ際の約束。そして彼女の隣立てるだけの存在に成りたいから。ただ、それをそのままに答えるのは気恥ずかしくて、思わず当たり障りのない言い方を口にする。


「…………英雄に成りたいって男なら誰だって一度は憧れるものでしょう」


「誰だって憧れるから成りたい、のう。正直期待外れの答えじゃが、まぁ良い。若い内は気恥ずかしさを隠したいと思うのも当然じゃな。おぉ青春々々じゃのう」


 己の心を見透かされたかの様な老人の態度にライドはいたたまれない気持ちに成る。それを知ってか知らずか、老人は「おっと、もうこんな時間か。腹が減っては何とやらじゃ。飯にするぞい」と、弾き飛ばした剣を拾って先に小屋へと戻っていった。


 その背名を見送ったライドは、後ろ手に座り込み夕暮れの空を眺める。


「クレアは、今頃どうしているんだろう」


 星が見え始めた時間帯、天には懐かしき彼女の瞳と同じ星が輝きを見せ始めていた。


 ――――――


 館を出てから約三年。あの日、旅立ちの際にシャルロットから渡された地図を頼りに、徘徊する魔獣達から身を隠しながら森を抜け、程なくして辿り着いたのがこの小屋だった。


 小屋には先客が居て、それが今ライドが師事を受けている人物。それは、かつてクレアの居た星明かりの館に招かれた客人の一人で、シャルロットの古い知り合いでもあり、なにより、あの館でライドには戦闘に関する才覚は無いと断言した人物の一人でもあった。


 名はキリザキ。本人曰く唯の剣術馬鹿のもうろく爺と言っているが、貴族の家に客人として招かれる人物が唯のなんてこと在る筈も無い。


 事実、この世界において剣を一度でも握った者の中で彼の名前を聞かない者など一人もいないのでは無いかと言わしめる程には、名も顔も通った人物だ。


 巷では剣聖、或いは全ての剣術の開祖だなんて呼ばれ方をしている。この世界に広まる剣術のほぼ全ての源流は彼が伝えたものだなんて噂が立つほどにまでの有名人。


 そんな人物が、どう云うことか小屋に訪れる成り、弟子にしてやるなんて言って来たのだ。いきなりの事で多少訝しみはしたものの、英雄を目指して居たライドがその話を拒む訳も無く。その日より、鍛錬が始まった。


 最初の一年はとにかく基礎体力を身に付けることに注力したのだが、そこで初めてライドは常人よりも己が非力であることを知る嵌めになってしまう。


 ある一定量以上の筋肉が付かなく成った。最初の半年で何とか剣を持てる程度には力を付けた。しかし、それ以降の力がどれだけ鍛錬を繰り返しても身につかない。


 キリザキから、年齢がまだ若く身体が出来ていなからと言うこともあるが、それにしても、お前の肉体の成長限界は早すぎる。なんて言葉を浴びせられた。


 そして、二年目に剣の扱い方を身体に叩きこまれる。此処でライドは己の才能が無い以前の問題が露見する。


「ふむ。これは儂の教え方が問題なのか。これまで多くの弟子を見てきたが、ここれほどにまで基本の型が身につかない弟子は初めてじゃな」


 そう、身体が覚えないのだ。どうすれば良いのか頭では分かっていると言うのに、決まった動きを決まった通りにする。そんな単純なことがライドには出来ないでいた。


 なにも寸分違わない動きをしろと言われている訳ではない、大まかにキリザキが見せる見本に合わせることは出来るが、重心の位置が。力の加減が何度もズレる。


 なにも意識せずに行う日常動作はなんの問題も無い、しかしそうで無い場合の動作を行う際に身体が言うこと効かない。まるで内側から何かが行動の阻害をしている。そう感じる程に思う動作が出来ない。


「っく。なんで」


 拳を握り締め地面を叩く。野性的なその動作は自然に出来る。だと言うのに考え動く人の動きが上手く動作出来ない。


 焦りが募る一方で、心の中で誰かの声が聞こえる。


『分かっているだろう。お前は出来ない。何も出来ない役立たずだ。俺の血を継いでおきながら、この体たらく。お前など、俺の子で在るはずがない』


 忌々しく、そして悲しみが溢れるその声が、沈みかけた心に追い打ちを掛ける。その度に奥歯を噛み締め立ち上がる。悔しくもそれがライドの原動力にも成っていた。


「もう一度。お願いします」


「うむ。よかろう。お主の気が済むまで何度だって付き合ってやろう」


 三年目、打ち合いによる実戦に近い形での修練が行われるように成った。


「おぉ、実践形式でなら少しはマシに成っているでは無いか。それにしても教えて居ない動きの方が洗練されているとはな、儂。自信を無くすぞい」


 剣での打ち合いはこれまでと違って身体がとても軽かった。


 まるで手加減をしている様子が無いキリザキの攻防を防ぐのに手いっぱいで、頭で何かを考えて身体を動かしている暇は無い故に、根気よく教えられようやくマシには成った型を殆ど使うひまも無く。


 ほぼ全ての攻撃をその場その場の反射的な動きだけで対応する。もちろん相手は達人だ。素人の付け焼き刃で防ぎきれる訳も無く、剣を弾かれてしまうのだが。


「ふむ。やはり、お主にはこちらの方が合っているやも知れぬのう」


 握っていた剣を弾かれ、痺れが残る手を見つめていると、キリザキが何やら不穏な事をたくらむ様子を見せる。


 そして、その翌日からは、何かを考える暇が与えられることは無くなった。


 朝、目を覚まし。朝稽古と称した滅多打ちを喰らい。昼に気絶から目を覚ました後に食事を取り。その直ぐ後に打ち合いを始め、朝同様にやられ、昼に食べたモノを吐き出す。夕暮れまで打ち合い、やられた後に又食事をして、夜に又打ち合い、朝まで気絶させられる。


 そんな生活を今日まで続けて来た。


 肉体は未だに非力。年齢に非礼して少し背が伸びたくらいで他に身体的な成長している感じはしないが、身体の使い方と言うものはマシに成った様に思う。重心の移動が当初と比べ上達し、相変わらず力押しには弱いものの、受け流す事は得意に成っていた。


 それに基本の型そのモノは結局全く身について居ないし、即座に動作に移れと言われても一連の動作をとれない事には変わりがないが、その代わりに部分的には扱えるように成りつつある。


 例えば剣の構え。通常腰を落として、顔の横で構えるその動作を柄の掴み方や、右足の角度のみと言った部分的な動作を瞬時に選び、最適な動作だけをその場で行うなんてことが出来るように成っていた。


 キリザキ曰く、「客観的にみた時のライドがとる動きは通常左から斬る動作をしているのに対して、実際に飛んでくる剣の奇跡は右から来るなんて、ちぐはぐな動きをしているのだとから、読みづらくて仕方ないわい」と言うことらしい。


 それでも、キリザキは難なく躱しているものだから、何処まで言い分を真に受けていいのやら。


 ――――――


「なぁ。クレア。僕は英雄に成れるのかな」


 いつもの様に滅多打ちにされて扇ぐ夜空を照らす星の光へ手を伸ばしてライドがぽつりとそう呟く。少しずつ、本当に少しずつだが成長している実感と、今のままでは全く間に合わないと理解しているからこそ口をついて出たその言葉を最後に、毎夜の様にライドは朝を迎えるまでの間、意識を手放す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る