1ー03
現在ライドがクレアの暮らすスターライト領。星明かりの館に居る理由、そもそも此処へと来ることに成ったのは今より約一年程前の出来事が切っ掛けと成る。
その時のライドとその家族の仲は、完全に冷え切ったモノとなっていた。
「何故だ。何故だ。何故だ。何故出来ないライド。貴様は、俺の子である筈だろう。その金の髪も、緋色の瞳も俺の血を継いでいる証拠だろうが、だと言うのに。何故貴様だけが才を持たずして生まれて来たのだ」
怒る父は、手にしたワイングラスをライドの頭に叩きつけて叫ぶ。
ライドは何も口にしなかった。出来なかった。周囲の視線が、父の眼光がそれを許さなかった。
ずっと、こめかみから血を流した状態でライドは父の怒りが収まるのを待っていた。
ふぅぅぅっと深く息を吐いて父は、ドカッと椅子に座る。
父が座る椅子には、最早唯の飾りとしてしか機能していない悪魔の印が刻まれている。貴族の位を持つモノは本来それを汚しては成らない。のだが、そんな事を気にした様子も無く父は、侮蔑の視線をライドに向けながら、ドンっと、躊躇いも無くその印へと苛立ちをぶつけるように拳を突き立てる。
それを見て、ライドは思わず口を開いてしまう。
「父さん。それはアレグリアの印ですよ。もっと大事に」
「誰が口を開いて良いと言った」
瞬間、父の拳がライドの目の前にやって来る。椅子からライドが立たされていた場所まで、それなりの距離が空いていた。だが、その間を一瞬で埋めれるのが父が持つ才故だった。
当然避けられる筈も無く。ライドは父の拳を真正面で防御の姿勢も取れないまま、まともに顔面へ受ける。
それと同時にライドの身体は壁へと吹き飛び、頑丈な壁がひび割れる程度の威力を諸に喰らう。ライドの意識はそこで一度途絶える。
再び目を覚ました時に見えた光景は、ここ最近よく目にする独房代わりの質素な部屋の天井。当然のように治療はされて居ない。顔が腫れ、鼻も少し曲がっている、ところどころの骨は軋み、酷い頭痛と吐き気がじわじわと襲い来る。
最後の良心があるのか、この部屋には幸いにして治療に必要な最低限の設備は備え付けられている。
だから、ライドは正しい手法も分からないのに手探りで、負った傷を手当した。数をこなせば少しずつどれをどの様にして使えば良いか理解できた。でも、それで手当出来るのはあくまで傷口だけ、曲がった箇所や軋む骨に関しては、無理にでも元の状態に戻す必要がある。
でなければ翌日、今日の様に殴られる時に備えられない。だから、己の身体を無理やり元の正常な形状へと戻すことばかりが上手く成る。
手当を負えるといつも暇になる。時間が来るまで鍵のかかったこの部屋からは出ることが出来ない。かと言って、治療用の設備を除けばなにもない此処で持て余した暇を潰す手段は無い。
だから、ライドは天井を見上げていつも考えていた、なぜこの様なことになっているのか、その原因を。
才が無いこと。そして、時折父へ会いに訪れるあの男。思い当たる原因はその二つ。
まぁだからと言ってその両方ともライド自身がどうにか出来る筈も無い。
アレグリアの血は代々優れた才能を有する者を生み出して来た。父は当然、優秀な兄も姉も両方が今のライトと同じ年齢に到るより前に、それぞれの才能と言うものが芽吹いている。
兄は優れた観察眼と推察能力を持っており、十歳に成る頃には既に政治の専門家と討論出来る程の立場に付いた。
姉はどんな相手からも好かれ、そして武術の才に関しては飛びぬけており、もう既に大人が出場する武術の大会を総なめし、部屋には壁一面に飾れる程のトロフィーの山が出来ている。
そして妹は、産まれた時点で世界に五本の指といない程の高い魔力を有しており、魔羊協会という魔術士達の所属する組織から遣いが訪れ、専属の侍従まで付く程大切に扱われている。
それらに比べ、ライドは兄姉妹達に匹敵しうるモノは何一つ無かった。寧ろ要領が悪い分そこらの一般人よりも劣っていると言っても良い。誇れるモノと言えばアレグリアの血を継いでいることだけだ。
だが、この家においてそれは何の価値にも成りえない。才能絶対主義とでも言えば良いのだろうか。或いは、これまでが才能溢れる存在しか居なかったからこそだからか。
貴族の義務を体現する七つの大貴族の家柄において才能を持たない無能を抱えることは害悪だとする風潮がある。
時折父へ会いに訪れるあの男が現れてからは、これまで以上に才能を持たないことへの圧が増した様に感じる。
「………………」
やはり、解決出来ない問題に思考を割いたところでなにが出来る訳でもない。これ以上は無駄と判断して、またしてもいつもの様に、これまでに読んだ絵物語。特に英雄譚を思い出し記憶の中でその物語を夢想することでしか、この退屈な時間を潰す手段を見出せずにいた。
囚われのお姫様を救い出す英雄の物語。強大な試練を乗り越え、世界を救った英雄の物語。弱き者を救い、悪しき者を打ち破る英雄の物語。未知を恐れず、人々が通る未知を切り拓いた英雄の物語。
一度思い起こせば、今に到るまでに読み込んだ数々の英雄の物語は鮮明に頭の中で蘇る。
もしも、そうもしもそれらの物語に登場する英雄達が同じ状況に陥ったならどうするのだろうか。ライドはそう考え、そして答えを出す前にいつも思考を止めてしまう。
考えるまでもない。答えは最初から決まっている。物語に登場する彼らなら、きっとこんなみじめな状況に陥る前にどうにかしていたのだ。だから、僕は憧れを抱くだけで英雄に成ることなんて……………………。
結論は知っているのに、それを口に出す事を考えることすらも、どうしても憚ってしまう。
「―――――――――寝よう」
独り自分に言い聞かせるようにそう言って瞼を閉じる。
……………………。
どれくらいの時間が経っただろうか、声が聞こえた様な気がして目が覚める。手を伸ばしても届かない位置にある格子窓からは、陽の光は入らず辺りはすっかり暗くなっていた。
目が慣れてから周囲を見渡すが、近くに誰かが居る様子は無い。
「気のせいか。――――?」
聞こえた声は空耳だったのだろうかと思っていると何とも言えない奇妙な予感を感じ、ドアの方を見た。
見た所で、まだ時間では無いのだからドアが空いている筈が。
「開いてる? なんで」
眠りに付く前までは、しっかりと閉まっていたその出入口が、半開きになっていた。
恐る々々ドアの方へ近寄る。焼け焦げた様な臭いがした。だが、館の中で火の手が上がっている様子は無い。臭いを辿るとドアノブだけが焼け焦げているのが分かった。
「なんで、こんな所」
初めて起こった現象に困惑するライド。焼け焦げたドアノブのせいか、鍵が掛からなく成ったドアがキィキィと音を鳴らして揺らいでいる。夜の静けさも相まって、その音がライドの不安を煽ってくる。
「なにもせずドアノブが焼け焦げるなんてありえない。きっと誰かがやったのだろう。でも誰が」
心を徐々に蝕む不安を掻き消す様に、思った事をそのまま口にしてみた。すると少しずつだが、冷静さを取り戻しているような気に成る。あくまで気に成るだけだ。
残念ながらライドは、兄の様な聡明さを持ち合わせて居ない。だから、誰でも思いつきそうな答えにしか辿り着かなかった。
「もしかして、泥棒?」
その言葉を口にしたら、取り戻したと思った冷静さは消え、不安だけがライドに襲い来る。嫌な予感がした。
その予感を確かめようとライドは、焼けて変形したドアノブを掴み、部屋の外へと出る。
幾つかの部屋を確認して回ると、一つライドが居た部屋同様にドアノブが焼かれていた部屋を発見する。その部屋は泥棒が目を付けそうな宝物庫などでは無く。
「キャロルの部屋? いつのまに此処に移って居たんだ」
記憶が確かなら、そこは元々自身が使っていた部屋だった筈。だが、扉の前のネームプレートには、ライドの名は無く代わりに妹の名前刻まれていた。
ここ暫くの才能の無い自身と才能があふれる妹との扱いの差を考えれば、ライドの過ごす部屋を畳むのを理解出来なくは無いが、それでも普段の父からの扱い以上にお前は要らないと突き付けられているようで、ライドの心は沈む。
「――――とにかく。キャロルが無事か確かめよう」
頭を振り、余計な事を考えるのを辞めて、今やるべき事を口に出しライドは実行に移す。
まだじんわりと暖かい焼け焦げたドアノブを掴み開ける。
すると、眼前にはベッドの上で静かな寝息を立てる妹の姿と、空中に浮かぶ火の塊のような何かがあった。
「なっ?」
理解が出来ずにその光景を見て固まっていると、火の塊は人の様な形状に成り、眠りに付く妹の方へと近寄って行く。
状況は理解出来ない。それでも家族の危機と思われるその光景を黙って見ていること等出来ず、慌てて飛び出した。
せめて火の塊が妹に触れるのを防ごうと手を伸ばす。
「っく。間に合え」
すると、人の形を取った火の塊の手が眠る妹に触れるより先に、ライドの指先が火の塊に触れた。
瞬間、火の塊はまるで最初から存在して居なかったかの様にふっと消える。その時に見た火の塊の頭部と思わしき部分はまるで不服そうな表情を見せた気がした。
何が起きたのか未だに分からない。それでも妹の危機を防げたことだけは理解し、安堵からベッドの横でしなだれるように倒れ込む。
「ま、間に合ったぁ」
切らした息を整えながらそんな事を呟くと、傍で眠っていた妹が目を覚まし不思議そうな目でこちらを見る。
「へ? ライドお兄様。なんでこんな所に」
「あ、えっとこれはだな」
まだライド自身も何が起きたのか把握している訳ではない。だから、思わず言い淀んだ。そうして、なんと言ったものかと返事を考えていると、突然部屋の照明が付く。
それと同時に、館に使えるメイドの一人が父と母、それとある男を連れて部屋にやって来る。
「おやおや、これはこれは。なんとも面白い、もとい大変なことに成っているでは無いですか」
先に口を開いたのは、父でも母でもメイドですら無く、一緒にやって来た男だった。その男は父の古い友人らしく、そして時折父を訪ねにやって来る人物。今日も来ていたのかと、ライドが思うと同時に男は言葉を続け。
「まさか、みじめな兄が、優秀な妹に嫉妬して、その命を殺めに訪れるとはなんともまぁ。大変な事になっていますねぇ」
わざとらしく父と母に向かい説明でもしているかのようにそう言った。二人は、男の言葉を微塵も疑わずライドに詰め寄る。
「どういうことだ。ライド。才を持たずして産まれ栄えあるアレグリアの血を貶めるにとどまらず。あまつさえキャロルに手を出そうとは、何を考えているのだ。そうまでして、そうまでして俺を辱めたいと言うのか」
「あぁ、何てこと。私達の大事なキャロルに手を掛けようだなんて、あなたなんて産まなければ良かった」
「ま、まって。父さん。母さん。僕はキャロルに危害を加えるつもりなんて」
「黙れ」
立ち上がり、あの男が語るありもしない事実を否定しようとすると、父は耳を貸さずライドの腹を蹴り壁に叩きつける。
「っぐ、うぅ」
痛みでうめき声を上げることしか出来ないでいたライドを前にして、男はゆっくりと近寄り「嫉妬なんて醜いなぁ。ライド君。なんの才能も無い役立たずなのだから大人しく、身の程を弁えておけば良いものを」愉悦に浸った顔をライドだけに見える様に立ってそう告げる。
そんな男の表情も知らず父は、侮蔑の視線をこちらへ向け、母は軽蔑した目でこちらを見た後に妹を抱きしめる。一方の抱きしめられている妹は寝起きと言うこともあるのか状況を理解出来ていない様子だった。
暫くライドが痛みに耐えて居ると男は、いつの間にか父の元へ向かい何かを話している。そして、その内容に頷いた父は「今より貴様には、アレグリアの名を名乗ることを禁じる」ライドに向かい、そう告げた。
家名を名乗る事を禁じられる。それはライドが絶縁された事を意味していた。
ライドは、怒りや悲しみ、失意と言った様々な感情が胸の内に渦巻く中で、ついに痛みに耐えられず意識を失った。
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