1ー02

 クレアと出会ったのは今からだいたい二年程前に成る。その頃のライドはまだ、すぐ後に訪れる己の運命と言うものに気も付かないで日常を過ごしていた。


 いや、訂正しよう。たった八年間の非日常を彼は送っていた、その後に知る本来の日常と言うものを知らずに。


 非日常。彼がこれまで送ってきたこれまでの日々はどれもが順風満帆な日々で、失意も落胆も絶望すら知らない幸福な八年間。


 ライド・アレグリア。これが彼の本名。家名、帝国では貴族の血筋でしか名乗ることを許されないそれをライドは持って生まれた。


 ギルバード帝国は皇族に連なる七つの大貴族、それを支える十の貴族に寄って治めるられている。


 そして、アレグリア家はその大貴族の一つだった。資金繰りが滞ることは無く、領民からの支持は厚い。領地には多くの実りを有し、他の貴族位を持つ家々とも良好な関係を築き、家族中も良かった。まさしく順風満帆と言ってしまって言いだろう。ある一点を除いては。


 さて、話は戻り二年程前。


 その日は、ライドの四つ上の兄が丁度十二歳と成った誕生日の時、それを祝う為に各方面から人を集めパーティーが行われた日のこと。


 ギルバード帝国の貴族は十二歳に正式な紹介を、十六歳に婚姻相手を決める会合を、二十一歳に家督の継承を名目とした集い。つまり一人に付き三度のパーティーが開かれる。


 別に誰が決めたものでも無いのに、長年の風習かそれが当然で、今回も今までに習い兄の正式な紹介を謳うパーティーが開かれた。


 方々の貴族位を持つものは、理由があり会場へ来ることが困難な者を除いて、例年と同じくアレグリア領内の浄焔の館へと集っていた。


 今回の主役はあくまで兄であり、まだ十二歳になってはいない姉は人に好かれる為、そしてある理由から妹は専属の侍従と共に学者達に、それぞれ人に囲まれるようにして、対応に忙しそうにしていた。


 一方でライドは独りつまらなそうにテーブルに並べられた豪勢な食事に目もくれず、人が居ないテラスの方へと向かう。


 途中何人かに声を掛けられてが、ライドは一瞥しただけでそれらをあしらった。理由は単純に面倒になったからだ。


 優秀な兄、人に好かれる姉、とびっきりの才能に恵まれた妹。この頃はまだ己の才能がいつか開花して共に肩を並べられるような存在になれると信じていた為、負い目に感じていた訳ではない、それでもライドはそんな兄妹達と違う事を指摘して来る回りの存在にうんざりもしていた。


 独りテラスの手すりに身体を預け空を見る。今日も空に浮かぶ瑠璃色の星は、他の星々を塗りつぶすかの様に輝き夜を照らす。


 暫くなにも考えず、ただ茫然と眺めていた。


「う、うぅぅ。ひっく、ひっく」


 すると背後の方から、すすり泣く様な声が聞こえて来る。


 ライドが振り向くと、いつから居たのかドレスが汚れるのも構わずに地に座り込み手で顔を覆う。自身と同じ年位の少女がそこに居た。


 少女の様子にライドは戸惑い周囲を確認する。しかし、パーティーの熱に浮かれているのか、或いは単に興味が無いのか他の者達は皆、少女の存在に気付かない様子に花を咲かせて夢中になっていた。


 どうしたものかと少しの逡巡の後、ライドは涙を流す少女の元へと歩み寄る。


「どうしたんだ」


 そう声を掛けると少女はこちらへと顔を向ける。


 恐らく元は整えられていたであろう栗色の髪はぼさぼさに形を崩し、パーティーの為だけに用意されたであろうドレスはしわがついてしまっている。


 こちらへ向ける童顔が自身と同じ位の背丈の割りに三つ下の妹に近い年齢なのではと疑わせてくるが、それ以上に頬を伝う涙の源泉へと視線が吸い込まれた。


 夜空を照らす瑠璃色の星。それと同じ色をした星の様な瞳。声を掛けた口は、気付けば止まっていて、ライドは唯、何も言えずに唯突っ立っている。


「…………………たの」


「え?」


 気が付くと目の前の少女は何かを喋っていた。だけどライドは彼女の瞳に気が向いていた為に、何を言ったのか聞き逃してしまう。


「失くしてしまったの」


 少女はもう一度先程の言葉を口にする。


 今度は聞き逃すことは無く、ライドはしっかりとその声を耳に入れる。


「何を失くしたんだ?」


 ライドの問いかけに少しだけ恥ずかしそうに俯いてぽつりと少女は答える。


「お人形。――――――大切なものなの」


 再び泣き出してしまいそうな声で口にする少女の姿を見て、考える前にライドは口を憑いて言葉を発っしていた。


「一緒に探すよ。君の大切なものを」


「いいの? でも、どうして」


 それは、気まぐれで読んだ絵物語。何処にでもある子供騙しの話で、よくある英雄譚。なのに、その登場人物が発したセリフはなぜだか胸に残っている。


「だって僕は英雄だからね。困っている人が居たら助けるのなんて当たり前さ」


 ついそんな事を言ってしまった。自分でも、どうしてそんな恥ずかしいセリフと言ったのか分からない。


 でも目の前の少女が泣き顔から一転して笑顔を向けた瞬間に羞恥心は消え去っていた。


「ほら、立って。まずは、最初に失くしたのに気が付いた場所から探そう」


 ライドの言葉に少女は、「うん」と一言だけ言って、ライドの手を引きそこへと向かう。


 そこを探し、心当たりのある場所へ順番に少女とライドは共に巡る。


 そうして、一つずつの可能性を辿り、一歩また一歩と進み。とうとう人形を見つける。


「あったぁ」


 先程まで泣いていたのが嘘かの様に少女は喜び笑顔で、白い狼を模した人形を拾い上げて抱きしめる。


 そしてその直ぐ後に、少女は人形を抱いたままライドへと抱きついて来た。


「え、な、なんだ」


 家族以外の異性に抱きつかれたことなんて初めてだった為、驚きと戸惑いを見せるライド。そんな彼に少女は離れることはせず顔だけを上へ向ける。そして。


「ありがとう。英雄さま」


 そんな言葉をライドに向かい、満面の笑みで言ってくる。


「ライド」


「へ?」


「自分で英雄を名乗っといてなんだが、『英雄さま』なんて呼ばれ方は流石にちょっと、恥ずかしくてな。だから名前でよんでくれ。ライドって」


「うん。ライド。…………あ、そうだ。わたしもまだ名前を教えて無かったよね。わたしの名前はね。クレアって言うの」


 それが、クレア・スターライト。アレグリア家同様に大貴族の一つであるスターライト家のクレアとの出会いだった。

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