第一項 英雄を名乗る前の彼
1ー01
新星歴四十五年 ギルバード帝国北部 スターライト領 星明かりの館 その庭で、花壇の石積に座り一人の少年が降り積もる雪の存在も忘れて、夢中で横に積んだ絵物語を読み漁っていた。
そこへ、ゆっくりと近寄る影が一つ。
当の本人は忍んでいるつもりなのだろうが、積もった雪の絨毯がぎゅっぎゅっと一足を踏み入れる度に音がなっている。
だと言うのに絵物語を読む少年は、頁をめくる手を止めることはなく物語に夢中で、這い寄るその存在に気が付かない。
とうとう真後ろまでやってきたその影は、ゆっくりと地面に敷き詰められた雪を一掬いして、バッ少年の背後から白き冷たいそれを頬へと押し当てた。
「ふっぎゃぁぁぁぁぁぁ」
突然の衝撃に少年は手にしていた絵本を手放して、叫び立ち上がる。
「え、なに。なんなんだ」
驚きと混乱に戸惑う少年が後ろを振り返ると、いたずら笑みを浮かべた見知った人物の顔が目に映る。
「なんだクレアか。まったく心臓に悪いいたずらはやめてくれよ」
「えへへぇ。ライドの反応がいつも面白くてつい」
「ついじゃないよ。まったく」
ライド。そう呼ばれた少年は、放り投げてしまった絵本を拾い上げて、被ってしまった雪を振り落とす。
「本が破れたらどうするんだ」
そう愚痴をこぼしながら、ライドは本が損傷していないかを確認する。
「でも、こんな雪が降る中で本を外へ持ち出すライドもどうかと思うなぁ」
と、クレアが痛いところをついてきた。
「クレアだってあんな場所で本を読むなんて出来ないだろう」
「ん――――確かに。あそこは暗くて怖いモノね。でも、それなら部屋に持ち運べばいいだけじゃないの?」
クレアの言葉にライドは一瞬だけ、目を曇らせて「僕がどこで本を読もうと、僕の勝手だろう」とぶっきらぼうに口にする。
そんなライドの反応に、クレアはしまったと言うかのような表情を見せて、気まずそうに続く言葉を濁す。
「えへへぇ。ごめん」
「別に気にはしていないよ。それより、わざわざ外まで追って来たってことは用事があったんじゃないのか」
「へ? わたしはライドに会いたかったから会いに来ただけだよ」
さも当然のように言うクレアに、思わずライドは面を喰らったかのように言葉を失う。
「まったく。クレアってばまたそういうことを平然と。もう少し自覚ってヤツを持った方がいいんじゃないか。その内悪い虫が……。いや、でもそれは僕が言うことでも……」
クレアに聞こえない程度の声でくどくどとライドは自身の心中やクレアの今後に付いて考えを逡巡していると、遠くの方で真っ白な雪よりも白い純白の靡く髪が目に入る。
「あっ! ライド。わたしは来てないって言っといて」
クレアはそう口にするなり直ぐに花壇の影に身を隠す。
だがその花壇は、子供と言えども、もう十歳にもなる身体を隠すほどの大きさがある訳でもない。当然のように花壇からは身体の一部がはみ出た状態だった。まさしく頭隠して尻隠さずといった様子。
「はぁ、そんなことだろうとは思ったよ」
ライドは、溜息を一つ憑いてクレアが隠れ切れていないその部分を隠す壁になるかのように、やって来る人物の前へ立つ。
やがて、その人物は迷うことなくライドの前までやって来て、単刀直入と言った様子で声を掛けてくる。
「こんにちは。ライドさま。少々お尋ねしたいのですが。こちらにクレアさまは。いらっしゃいますか?」
純白の髪を持つその人物は一見は人間に見える容姿をしていて、一方で人間からかけ離れた異様さをも持ち合わせた喋り口調で、クレアの所在を尋ねてくる。
「えっと。こっちには来ていないですよ。シャルロットさん」
「――――――そうですか。かしこまりました。では見かけたら。一声お掛け下さい。午後のレッスンはサボらないようにと」
それだけを口にして、純白の髪を持つシャルロットは来た道を振り返る。
「あぁ。それから。ライドさま。あまりクレアさまを甘やかせないようにお願いします。あなたも自分の立場くらいは理解しているでしょう」
「わかってますよ。それくらい」
ライドが返した言葉を理解したのか、シャルロットはそれ以降振り返ることもせず館へと戻って行った。
「はぁ」っと溜息をまた一つ憑く。降り積もったそれを払うように肩を叩き、ライドはクレアの方へ近寄り「もう大丈夫だぞ」と声を掛ける。
「えっと。シャルロット怒ってた?」
「さぁ、どうだろう。怒ってはいないんじゃないか。どちらかと言えば呆れていたように思うぞ」
シャルロットが喜怒哀楽の表情をしている姿を見たことがないので、ライドはそう答えるしか無かった。
「そっかぁ。悪いことしちゃったかな」
「そう思うなら、習い事を抜け出すような真似をしなければいいだろ」
「ん――――確かにそうなんだけど。今日はライドに会っておきたかったから、だって普段は中々会えないし、それにもうすぐなんでしょ。引き取り先が来るの」
「あぁ、まぁそうだな」
「そうだなって。ライドってば、わたしに会えなくなるのが寂しくないのぉ。わたしはこんなに寂しいのに」
口ではそう言いながら、クレアは無邪気な笑みでガシッとライドに体当たりからの抱き着きを繰り出す。
「えへへぇ。つかまえた」
突然の出来事に反応が出来なかったライドは意図も容易くクレアに組み伏せられて、雪の絨毯へと背を叩きつけてしまう。
「急に抱きついたら危ないだろ。…………? クレア」
「ずっと、此処にいれば良いのに」
「わかってるだろ。クレア。本来の僕には此処に足を踏み入れられただけでも奇跡みたいなモノなんだって」
「知ってる」
「僕が此処に居られたのは、あくまであの人の紹介があったから。それも血筋故の特異性を求められて」
「うん」
「でも、僕には何の才能も特異性もなにも無かったんだよ。一年もチャンスを貰えたって言うのにね。ただの一つも価値を見出せない出来損ないってね」
自分に対して既に期待はしてない故に、そんな愚痴がついこぼれた。
「他のみんなは知らなくても、わたしだけが知っているよ。ライドは凄い人だって」
「そんなことないよ。僕には何も無いよ。なにも無かったんだよ」
「でも、ライドは――――」
クレアが何かを言い終わる前に午後を知らせる鐘が館中に鳴り響く。
「ほら、またレッスンをサボったらシャルロットさんにお小言を言われるよ」
「……うん。わかった。じゃあ、また明日ね」
クレアはなぜか恨めしそうに鳴り響く鐘の方へと視線を送った後に、立ち上がりそれだけ言って館へと向かって行った。
ライドも遅れて立ち上がり、積み上げていた本を持ち上げ書庫の方へと向かう。
その道中、手にしていた本の一冊。その表紙を見る。
『白銀の騎士と妖精姫』
身分の格差、才能の無さ。それを努力と諦めない決意で補い、憧れを成し遂げる。簡単に言えばそんな物語。
「僕もこの物語の主人公のように成れたならよかったのに」
ぽつりとこぼした自分の言葉に、物語は物語。現実は現実でしかないのだと自身に言い聞かせ。先を急ぐ。胸の内に眠る薄暗い感情から目をつぶる様に。
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