第7話  監督の憂鬱

《中川祐一視点》



「おはようございます!」


足立区の片隅にあるアパートの一室から聞こえてくる大きな声の持ち主が中川祐一である。

中川祐一の所属する会社は主にミニバスや中学、高校のバスケットボール部の監督など、バスケットボールの指導員の育成を行なっている。

社長も小中高大とバスケをしていて、大学時代に膝をケガして全力でバスケができなくなってしまったらしい。

そこで教育者としてバスケに関わることを目指して、残りの大学生活の日々は勉強に明け暮れた。

ただ、教員として学校生活の中で子供達に指導するのはなんか違うと思ったそうだ。

そして、たどり着いた答えが自分が指導員をするのではなく、社員を指導員として教育、育成して地域バスケに貢献していきたいと立ち上げたのが今の会社だ。

会社はまだまだ小さく、社員は現場で指導するコーチや事務所で働く事務員など、計8人で成り立っている。


大きな声で挨拶をして事務所に入ると

「おはよう、今日も元気ねー」

と挨拶を返してくれたのが事務で働く松山すみれさんである。

「すみれさん、今日はどんな感じですか?」

「今日の祐一君は午前中は事務所で働いてもらって、4時からミニバスの指導があるから、それに向けて用意してもらうことになるわね」

「了解しました!」

「あ、あと今日無料体験としてくる幼稚園のお子さんが2人いらっしゃるからその対応もお願いね」

「分かりました」

と言うことなので午前中は事務作業やら電話対応などに追われて、お昼まであっという間だった。


お昼を食べて、ミニバスの用意をするために1階の倉庫に向かった。

ちなみにここのアパートは1階を倉庫として使うために1階部分の壁を全部取っ払って作業をしやすくした仕様である。

会社仕様のワゴン車を駐車場から乗ってきて、倉庫からビブスやコーン、ボールにホイッスルなど必要な物をワゴン車に積んでいく。

16時からミニバスの練習が始まると言うが、何人かの子はお迎えに行かなくてはならないので15時くらいには出発しなくてはならない。

15時になり会社を出て、何人かの子供達を迎え、練習場所の体育館のある南小に到着した。


体育館に入ると、中は少し蒸しっとしていたので換気のため扉を全開放した。

子供達がわらわらと体育館に入ってきたのでバスケをする用意をさせて、その間に自分は軽くモップ掛けをする。

モップを掛けながら子供達を見ると、少し小さな2人の子供を引き連れた保護者らしき女性が見えたのであの子達が今日の無料体験に来た子達なのだと思った。

モップ掛けを終えて、2人の保護者らしき女性の人に声を掛けた。

「こんにちは。今日、指導をする中川祐一と申します。えっと〜、真守君のお母さんですか?こっちの2人が真守君と龍也君でいいんですよね?本日の予定なんですが2人にはまずボールに慣れてもらうために対面でパスをしたり、見よう見まねでいいので他の子に倣ってドリブルからのシュートなどをしてもらいます。ではそろそろ集合なのでこちらに来てください」

「よろしくお願いします」


「集合!」

声をかけてみんなが集合し始めたので練習前の口上を述べた。

「皆さん、こんにちは。今日は皆さんより小さな友達が一緒に練習することになりました。色々教えてあげてくださいね」

「はーい」

「うん、それじゃ軽くアップから始めましょう!」


コートの周りを軽くジョグ程度で走らせてストレッチをさせる。

ストレッチは苦手な子が多い中、例の2人の幼稚園の子達はしっかりやっている。

しっかり…ん?ちょっと待って。ほんとにしっかりやってるぞ?

みよう見まねでいいとか言ったけど、他の子のどの子よりもしっかりやっている。

あ、他の子にも教えてないストレッチやり始めたよ。

うん、見なかったことにしよう。

「次、2人1組になって対面でパス練習!」

ピィ!とホイッスルを吹いて、すぐに対面に並んでパスをし始める子供達。

「ミートを心がけて、すぐ相手に返す」

バシッとキャッチし、すぐにきたボールを対面にいる相手に返す。

うんうん、みんなちゃんとできてる。

て、あの2人の子たちが1番しっかりやってるし。

幼稚園児…なんだよね?

ちょっと、異様に見えてくるな。

特にあの子、真守君の方か?少し背が低い方。

あの子からは長年やってきたって言う練度が感じられる。

逆に龍也君だっけか?あの子は練度というよりセンスを感じる。

幼いながらもすぐに上手くなる子ってあーいう感じだなって気がする。

だから、余計に真守君の異質ぶりが気にはなってくるな。

だって、幼稚園児だよ?長年って何歳からバスケやってんだって話だし。

あ、こっちに気づいて、今更周りの子に合わせたパスし始めたよ。

相手の龍也君が少し怒っているw


「はーい!終了!次はハーフコートラインからゴールに向かってドリブルからのランニングシュートね!」

「はい!」

うん、うちの子達を見てあの2人も後ろに並んでいるな。

ん?真守君が龍也君に何か話してるな。

「前の子がシュートしたら、すぐ次の人ドリブル始めて!」

「はい!」

お、真守君の番だ。

え!?何?今の。

まさか、フローターシュート?

外しはしたけど、絶対狙ってやってるよね?

めちゃくちゃ鳥肌たったよ。

幼稚園児がフローターシュートを練習とはいえやるか?

やらんよね。

しかも、真守君のすごいところは多分だけどちゃんとディフェンダーを想定して射ってることだ。

僕にも真守君の前にはディフェンダーいることが視えたね。

あんな幼い子が実戦を想定してのフローターシュート…

鳥肌が止まらん!

やばいやばい、落ち着け!

お、次は龍也君か。

え?めちゃくちゃ綺麗なシュートフォーム…レイアップシュートのお手本みたいな。

何なの?この子達。

ドリブルもちゃんと上手い。

右も左もちゃんとできてる。

若干、龍也君が左手がおぼつかないけど。

それはまー誤差の範囲か。このまま練習していけばまず間違いなくできるようになる。

あーなんかめちゃくちゃ疲れた。

次は1対1か。


「次、2人1組になってエンドラインからオールコートでの1対1を想定してのドリブル練習!ディフェンダーの方は手はださなくていいから、とにかくドリブルについていくこと!」

「はい!」

うん!うちの子達も上手なってる。

次は例の2人か…

最初は龍也君がドリブルで真守君がディフェンスね。

って。え?真守君…教えてないのにちゃんとディフェンスの姿勢ができてる。

股関節を折り畳み、お尻をつきだして背筋は伸ばしつつ少し前かがみになる。

これにより、大臀筋とハムストリングスを使う姿勢になり一歩目が早く出るようになる。

ちなみに大臀筋はお尻でハムストリングスは太ももの裏の筋肉である。

そして、手はいつでも相手のボールをカットしにいける位置において、プレッシャーをかける。

また、相手のドリブルに対応するように片足を半歩下げて、下げた足の反対側に体の位置を少しずらし、どちらにドリブルされても反応できるようにしている。

これは手はでないとは言っても龍也君ドリブルしづらいだろーね…

あ、左手にボール持ち替えた途端、ファンブルしちゃった。どんまい。

次は逆に龍也君がディフェンスか。

うん、やっぱり龍也君はまだバスケ始めたばっかりなんだろーな。

どーしても抜かれないように意識しちゃうとバックステップになってかかとに重心がいっちゃうから余計に抜かれちゃうんだよな。

ん?真守君が龍也君に何か耳打ちしてる。

…おお!さっきより明らかにディフェンス良くなってる!

うん、何とかついていけるようになってる。


そろそろ1時間がたつな。

ピィ!

笛を鳴らし「集合!」と声を上げる。

子供達が駆け足で集合してくる。

「えー、真守君と龍也君は体験教室と言うことでここで終わりになります。他の子達はこれからゲームやるから2チームに分かれておけなー」

「はーい!やったーゲームだぁ!」


「真守君のお母さん、今日はこれにて終わりになります。ありがとうございました」

「いえ、こちらこそお世話になりました、ありがとうございます」

「で、今後なんですがうちの教室でやる気があるなら事務所の方に連絡してください。手続きがありますので」

「分かりました。2人にも話し合って決めたいと思います。2人ともー帰るよー」

「ママ〜わかったよー」

「では、失礼します」

「あの、お母さん。その子たちはほんとにまだ幼稚園に通ってるんですよね?」

「ええ、もちろん。4歳で幼稚園は年少のタンポポ組みですよ」

「そ、そーですか。あの、またよろしくお願いします」

「はい、またよろしくお願いします。失礼します」


ふー疲れた〜。驚きの連続だったな。

これは帰ったら社長に報告しないといけないなぁ。

おっと、さぁ切り替え切り替え!あと少しだ、頑張ろう。

「おーい、お前らーチーム分けたか〜?じゃあ、こっちボールから始めるぞー」

「おーし!絶対勝ーつ!」「負けねーよ!」「ボールそっちいったよ」

うん!やっぱ子供はこーでないとな。



事務所に着き、ビブスなどを洗濯するために車から降ろす。

事務所の一室をコンコンと叩く。

「社長、入ります」

「ん?おう、入れ」

ガチャッとドアを開け中に入ると、歳の頃50くらいの往年の男性が重厚感のあるソファに座って書類に目をとおしている。

「祐一か、どうした?なんかあったのか?」

「はい、今日無料体験できた幼稚園のお子さん2人がいまして。

その子たちが信じられないくらいバスケが上手くて…」

「ほぉ?上手いって言ったって所詮は幼稚園児だろ?まだまだわからんだろ」

「いえ、確かに片方の子は幼稚園児にしては上手いし、これから頑張れば上手くなるであろう素質はあると思います。ただ、今はまだもっと練習が必要でしょう。

問題はもう1人の子です。ぶっちゃけて言います。もーほとんどその子は完成されています。4歳児のそれではありません。長年やってきたプレイスタイルみたいなものが垣間見えます」

「長年やってきた?祐一、お前は一体何を言っている?自分で言ってることが分かっているのか?」

「社長、自分でもよくわからないのです。でも、他に例えが浮かばなくて…1つ、自分的に見えたものはその子はまだまだ上手くなりたがってることです。貪欲に自分の殻を破ろうとしているのは見えてとれました」

「なるほど…その件は部長とも応相談だな。その子はうちでやってくれそうなのか?」

「はい。いちよう、近場の体験教室にはうちみたいに3歳から受け付けているところはないのでやるならうちしかないはずです」

「よし。今度、私も部長と2人でその子を視察しに行こうと思う。お前が言うくらいだから金の卵であることには違いあるまい」

「よろしくお願いします。それでは自分は失礼します」

「おう!お疲れ様」


ふぅ!あー肩の荷が一気に降りた。

これで社長と部長に丸投げできる。

まぁ、これでどうなることやら。

とりあえず、今日は残ってる業務を片して早く帰ろう。

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