第2話 真夜中のファミレス、それに頭のおかしい俺

「ファミレス、ファミレスだ。ファミレスに逃げる」


 行き先を音声入力で画面の向こうの友人に残す。

 あいつは寝ているが、それでも連絡しないよりはマシ。

 地下から電話をつなげて恐怖体験を友人相手に実況する大好きなラヴクラフトの作品を思い出していた。俺は主人公じゃない。電話の向こうで死ぬ役回りだ。それを聞かされるのは俺の友達の方になるのかもしれない。でもやるしかない。最善を。


「警察に連絡するのは無駄かもしれないし、車のタイヤも正直ギリギリだ。グリップが終わりかけた安タイヤじゃなきゃドリフトだってする必要はなかったんだけどそこはやむなしだ」


 深呼吸。九時十五分の角度でハンドルを握りながらアクセルとブレーキをゆっくり、丁寧に。いつも以上の安全運転だ。

 ラヴクラフト御大の作品はいつだって人生に大切なことを教えてくれる。俺がリスペクトとシンパシーを感じてやまない賀井暁月先生もそう言っていた(気がする)。

 思い出す。思い出せ。クトゥルフ神話TRPGでカルト教団に追い回されている可能性がある状態で重宝したのは24時間営業のファミレスだった。動画ではカルト教団に追い回されている探索者たちがサイゼリヤに逃げ込んでいたが、俺の居るこの街にはサイゼが無い。まあ今のサイゼはどのみち24時間営業やってないので頼れないのだが……。


「オーケーGoogle、二十四時間営業のファミレスある?」


 サイゼは頼れないがこのGoogleは頼れる。

 カーナビ代わりに設置したオーディオディスプレイにGoogleマップが表示された。あるぞ、ジョイフルもガストもなんでもある。サイゼは無い。田舎だから。エッグスンシングスはある。景気の良い田舎だから。

 エッグスンシングスでもサイゼでもないが、今走っている場所から少し離れた場所にお誂え向けの店があった。

 駐車場も十分なスペースがあって、車が幾つか止まっているし、他の客も何人か居る。ゴールデンウィークだから深夜にふらふらとファミレスで時間を過ごす奴も居るのだろう。


「むつ……むつさん、俺は死ぬかもしれん」


 メッセージを残し、俺はファミレスの駐車場の出入り口に近いところに車を停めた。


     *


「は~? やけくそご飯だ~? 面白そうじゃんこの漫画~!」


 異常者の集団に追いかけられているのにツイッターはやめられなかった。

 カスのツイッタラーの鑑だ。死後、イーロンと凍結がなく、エロ画像が無限に流れてくる極楽に導かれたとて不思議はない。

 極楽の鳥は青空の色。

 俺はタイムラインの流行に乗ってネタツイを開始した。


『やけくそご飯!

 車からアーバンで孤独な夜を楽しむ車中泊プランを立ててたら普通に駐車場の裏手になんか元気の良い青少年が集まって儀式(本当に儀式としか言えなかった、なんだあれ)を始めたので泡食って逃げ出した後に飛び込んだファミレスで飲むコーンスープ!!!!!』


 そこそこウケたことに満足し、ドリンクバーでコーヒーかなにかを飲もうとした――だが目がギンギンだ。コーヒーはやめてあったかいコーンスープを飲むことにした。

 黄色くて白くて甘くて温かいとろみのついた液体は。お腹に優しく、しっとりと染み込んでいって俺の脳細胞の栄養不足を優しく癒やしてくれる。

 懐かしい。子供の頃、家族でビッグボーイに行って頼んだコーンスープ。何度もお代わりして、クルトンをたっぷり入れて、家族で笑ってたっけ。

 父さん、母さん、あと弟よ、ごめん。死ぬかもしれませんが巻き込めません……。

 あの頃の父さんよりも稼ぐようになったかもしれないけど、あの頃の父さんみたいに社会や家庭に対する責任を果たすような立派な大人にはなれませんでした……。


「お客様、申し訳ありませんがスープはドリンクバーでなくてスープバーでして」

「すいませぇん! 注文変更しておいてください!」

「いえいえごゆっくり……」


 店員のおばさんが優しい眼で俺を見ていた。

 ワイシャツノーネクタイで草臥れた姿の俺をゴールデンウィークに寝床も無い哀れなサラリーマンだとでも思っているのだろう。

 スーツ姿なのは日中に婚活した後、職場の先輩と飯を食っていたからだ。俺を憐れむんじゃない……! 俺をそんな目で見るな……! 俺は可哀想な奴なんかじゃない……! 


『大丈夫? 警察呼んだ?』


 そんな時、チャットの通知でスマホが光った。

 むつ、むつか――起きたのか!


「いや逆に呼べねえだろ警察――ああいや」


 音声入力は不味いか? と思ったが、店の出入り口から少しだけ外れた店の隅なので大丈夫そうだ。

 周りの客は水商売風の女性三人組、うぇーい!って感じのカップル、それに唯一のホールスタッフのおばちゃんは忙しいのかなかなか出てこない。

 よく見れば厨房の隙間には食べ終えた皿が山のようだし、店にいつの間にか入り込んできたコバエが平和そうに飛んでいる。


『どうした?』

「なんでもない。警察に言ってもしんじてくれないって話だ。カルトっぽい連中が真夜中に白い車のドアを開け閉めして笑ってたなんて正気じゃねえよ、ピンクの象さんがアスファルトタイヤ切りつける方がまだ現実味があるぜ」

『それめっちゃホラーで死ぬやつのセリフだからな』

「じゃあ『宿代ケチってコインパーキングで寝泊まりしてたら不良に追いかけられました』って言えばいいの?」

『百点満点の言い訳じゃん。小説でも書いたら?』

「もう書いてる」

『せやねえ』

「けど実際問題警察に駆け込むのは……ありなんだよな」

『飲んでないよね?』

「日中は婚活で忙しかったと言っても旅先だぞ?」

『飲んでないよね?』

「確かに職場の先輩も俺もアルコールよりも居酒屋メニュー楽しんだからな……」

『飲んでないな?』

「…………ノンアルビールにもちょっと入ってるらしいな」

『馬鹿野郎』

「馬鹿じゃねえよ仕事に関わるんだよ。今日の駐車場ホテルの決め手も飲み屋からの距離だぞ」

『念の為聞くけど』

「みなまで言うな。奴らを振り切って太い道路に出てからは制限速度を守って安全運転だ」

『馬~鹿~野~郎~!』

「市街地で走る時はオービスを置くことのできる道路では静かに走るのがマナーです」

『金メッキ免許のカスの運転マナー講師がよぉ』

「警察は最後の手段にしたい。100%アルコールが抜けた自信を持てるようになってからだ」


 俺はドリンクバーで水を次々飲んでいた。

 胃の中に入ったアルコールの濃度が下がって検査にひっかかりづらくなるし、アルコールそのものの分解反応に水分は必要だ。


『アルコールなんて何時抜けたって言えるんだよ』

「いい質問だなむつ。平均的な成人男性のアルコール分解には四時間が必要だ。ノンアルコールビールを飲んだ際の微量のアルコールが仮に残っていた場合でも、濃度に比例して分解速度が変化することから四時間という数字はそうそう変わらない。ただし分解に使う酵素量をアルコール量が越えた場合は酵素律速になる可能性もあるのでこの限りじゃないが、まあ今回はアルコールが微量と断定できる為、関係ないものとしよう」

『お前が普段はその知識を悪用していないことを友人として心から誇りに思うよ』

「そして今、俺は水とコーンスープを飲み、これからコーヒーも飲む。俺の罪も流れて消える。雨の中の涙のように。飲む時が来た」

『汚えCビームだ』

「誰がしーしーじゃい」


 コーンスープとアイスコーヒーと水を交互に飲む。

 いい感じに催してきた。


「よし――むつ、俺はトイレに行ってくる。ちょっと返事遅れるぞ」

『警察呼ばないの?』

「あいつらが俺の顔や車を認識している可能性も低いし、明日早朝のフェリーに乗って家に帰れば追ってこられない。あと……万が一警察にあいつらがツテ持ってたら怖いんだよ」

『漫画の読みすぎだろ』

「町中であんな異常行動する集団がどうして警察の目を掻い潜れると思う?」

『内部に協力者がいるから……ってこと?』

「だから最後の手段にする。ギリギリまで待つ」


 そこまで話して俺はトイレに立った。

 めっっっちゃ出た。多分もう体の中は綺麗だと思う。

 それはそれとしてひどい目に遭ったので死ぬほど睡眠不足だし、もうカフェインでごまかせる領域ではない。

 無茶な運転ができる状態じゃないから、万が一の時にすぐに逃げられない可能性はあるから、警察署に逃げ込むというのは結構合理的な判断であるようにも思える。

 ひとしきり用を足してからトイレのドアをうっすら開けると――客が増えていた。

 金髪のお兄ちゃん、まつげバチバチお姉ちゃん、めちゃくちゃマッチョなおっちゃん、みんな見た目が怖い。

 なにより――。


「あかんかもしれん」

『どうした?』

「さっき駐車場に居た人たちっぽい連中が店の中に居る。店の中見回している。探ってる」

『盛り上がってきたな。今度こそ警察か?』

「間に合わないだろ……顔見られたら一発だぞ」

『駐車場の車見られたんじゃないか?』

「いや、車は見られてないと思う。俺の顔も多分見られてない。見られてたら今頃客席をスルーしてみんなでトイレに押しかけているし、車の周りとかも囲まれていると思うし、その――警察呼ぶしかない」


 ドアの隙間から除くと、客はまだ増えている。

 着崩した服装で、元気の良さそうな若いお兄さんたちが。

 トイレの窓から駐車場の方を覗く。

 いい感じの車や単車が並んでいる。俺の車は無事そうだ。ただ、ゴテゴテに改造したSUBARU車が隣に停まっている。多分元気の良さそうな若いお兄さんのどなたかの車だろう。いい趣味だ。こんな時じゃなきゃ友だちになりたい。


「やべえ、どっちだ。これどっちだ。駐車場にめっちゃ車居る。あのヤバい人たちの車かもしれないし、一般通過暴走族さんの車かもしれない」

 一般通過暴走族の皆様か軽バンパカパカカルトの皆様か、どっちだ。どっちでもありうる。けど暴走族ならあんな異常な集会はしない筈。

 もしただのガラの悪いだけのお兄ちゃんたちなら――いや、でも、その中にあいつらが混じっている可能性も高い。


「最悪だ。深夜の街のどこにでも居そうな格好かよあれ」

『どういうこと?』

「あのパーリィーピィーポーな格好、深夜なら街のどこに居てもおかしくないし、クセの強い格好に目がついて顔なんて覚えられない」

『目立たないから夜の街に紛れるのにぴったりってこと?』

「街のど真ん中で儀式を始める割にはちゃんと考えてるぞあのカルト集団の奴ら」

『それでどうするのさ。警察呼びなって、な?』

「いや、ここはまだ切り抜けられる。あいつらがなにか分かってからじゃないと警察だって怖い」

『本気で?』

「この店、PayPayでテーブル決済できるんだよ」


 俺はトイレから音もなく出ていってまっすぐ自分の席へと戻り、タブレットを操作してペイペイ♪すると、入口を突っ切っていった。

 タブレットとスマホの音声が出る部分を指で抑えたので漏れる音は最小限。座っていた席は店の隅なのでお会計の操作をしたかどうかも周囲から見れば分からない。ドリンクバーに立ったのか、お会計に立ったのか、それすらも余程よく見ないと分からない。

 だから逆に、「店から出る俺を注視するやつ」が居れば、そいつがあのイカれた連中の仲間だ。


 居なかった。


 誰も居ない。

 店の中に、俺をまじまじと見つめる奴は誰も居ない。

 だったら良い。どっちにしても全速力でずらかる。

 階段を降りて、車に入り込んで、チャットの音声入力でむつに連絡を入れる。


「店を出た。誰も俺を見ていない」

『スマホを眺める地味なリーマン姿ならまあ誰も気にしないだろうな』

「日中は婚活で夜は先輩と飯だったから私服に着替えてなかったのが良かったんだろうな。ゴールデンウィークにノーネクタイでファミレスに居る男なんて地獄のような残業を終わらせたリーマンくらいだろ」

『異常独身男性……』

「結婚してえな……」

『せやな……』


 そして問題はこれからだ。エンジンをぶん回せば音でバレる。とはいえ、スバルの水平対向エンジンで爆走している一般通過暴走族さんも居るのだから、そう簡単には俺だとバレない筈。

 賑やかなファミレスには駐車場のエンジン音なんてさして届かないだろう。

 届くな。


「そんじゃ逃げ切ってくる。明日の朝日を拝みたい」

『逃げる場所あるんか? またファミレス? それとも市外に出る?』

「あんまり街の外に出るとそれはそれで危険だろ。人気のないところでいきなり襲われたらおしまいだ。で、深夜なら一件だけ安全そうな場所を知ってる。車も隠せる」

『死ぬなよ、少なくとも今日は』

「努力する」


 エンジンのスイッチを押す。この音が聞こえてしまったら、いやでも注目からは逃れられない。

 可能な限り速やかに、今にも弾けそうなタイヤを壊さないように、滑らかに、夜の黒く粘ついた表面を波跡一つ立てずに進める程に、静かに静かに、俺と愛車はまた夜の街へと逃げ出した。

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