013 ダフィー・ダックのような女

 数日後、廊下で上倉晴子に後ろから声を掛けられた。中学生なのに香水を使っているからすぐに誰か分かった。次に児島が頼ったのはお前か。いよいよ手詰まりのようだな。

「零一、あんたクソ雑魚のくせに何調子にのってんのよ!」

 自分の親衛隊の二人を私おれが返り討ちにしたことで焦ったんだろう。ただし同じ花札トリオでも丁字信伍は頭脳労働専門で、晴子から引き出せる親の金が興味の中心だからスタンスがちょっと違うがな。

 それで今度はお前が相手になるということか? そういえば晴子には昔プロレス技の実験台にされたこともあったな。4の字固めとかな。今思うとスカートのままでよくやってたよな。

「なっ、ちょっと何言い出すのよ! そんな昔のことはさっさと忘れなさいよ!」

 ソフト部で日焼けした勝気な晴子が顔を真っ赤にして恥ずかしがる姿はちょっと見ものだ。


 上倉家が大地主の庄屋だったこともあって、晴子の父親の上倉源一は今でもお大尽気取りのお殿様だ。狩猟が趣味で家にはいくつも剥製が飾ってある。

 一人娘の晴子もお姫様で小学生のうちから家来を何人も従えていた。そのころのおれはすでにランドセルをいくつも持たされる下僕の役どころだった。拒否しても家来どもに押さえつけられドロップキックやアックスボンバーを食らわされるだけだから諦めて受け入れていた。

 役得と言えばたまにおやつのおこぼれをありがたく頂戴したことぐらいか。パンチラがセックスアピール? 好きな子ほどいじめたい? そんなわけはないだろう。たぶん。


 そんな暮らしも上倉源一が県議の選挙に続けて落ちたことや、保証人になった借金で田畑をいくつも手放したせいで失速していった。周りの連中も家が代替わりして農業から離れると、同時に上倉晴子をちやほやしてくれる家来も減っていった。

 ガッコウでも中学になれば家柄よりも勉強やスポーツといった個人の能力がステータスとなる。そうして見れば晴子のそれは平凡の少し上ぐらいだ。

 秀才ぞろいのA組に何とかとどまっているもののクラスでの成績は下から数えた方が早い。落ちこぼれ一歩手前という感じだ。


 焦った晴子はクラスの外に持ち上げてくれる取り巻きを集め、花札トリオを親衛隊にした。質が駄目なら量でというつもりだったのだろう。

 村瀬鍾子には幼なじみをアピールして数少ないA組の友達のポジションを確保した。今では立場が逆転した鍾子にとっては昔されたことを思えば拒否することもできただろうが、あえてそうはしなかった。敵対する面倒を避けてなのか、小役人根性の抜けない親に言われたからなのかは分からない。


 おれはもう取り巻きに誘わることはなかった。B組ですでにいじめの的のされている人間を誘う意味を感じなかったのだろう。そしてそれは私おれが鍾子をいじめに巻き込みたくないと距離を置いたことで決定的になった。


 3年も同じガッコウで過ごせば棲み分けも決まる。いじめの対象だった人間もいじられ役としてどこかのグループに引き取られ、グループ間の揉め事は村社会の自治論理でセンセイの手を煩わせないように隠されてそれなりに解決していく。


 ただし不良どもは別だ。奴らはクラスを越えて結託し自分の勝手を通し、それを生き様とうそぶく野武士や盗賊だ。いや、野武士に悪いな。空き教室をタバコで煙たくするだけの存在だ。

 いずれ村人の集まりが抵抗できるわけが無い。荒らされないためには誰かを生け贄にする必要がある。そして不良どもも生け贄で鬱憤を晴らし満足すればそれ以上は暴れないという暗黙の了解ができている。

 そのグループ分けからあぶれた生け贄がそれまでのおれのガッコウでの存在意義だった。だから花札トリオと付き合っている上倉晴子も私おれを虫けらのように見るのも当然だったのかもしれない。

 だが丁度いい機会だ。虫けらでも噛むってことを晴子にも思い出してもらおうか。毒針を持った蜂がいることもな。


 だったら晴子はどうしたいんだ? もう黙って殴られる気は無いぞ。あの時みたいなパンチラも効かないからな。おれがからかうと上倉晴子は思わず脚を閉じてスカートを押さえる。

「バカっ! 忘れてって言ったわよね! そんなわけないでしょ。今度の校外模試で勝負よ」

 なるほど。腐ってもA組だ。B組のおれに負けるはずが無いという自信か。

 ただそう簡単に行くと思うなよ。おれも黒天寺を狙っているからな。そう考えれば腕試しに丁度いいかもしれない。


 それで勝負はどうするんだ? 教科ごとの点数か総合の合計か。

「総合点にしましょうよ。どうせなら点数の差ごとに千円掛けるってのはどう?」

 本気かよ。遊びの金額じゃない。10点差がつけば1万円だ。

「ふふっ、びっくりした? でもそのぐらいじゃないと零一も本気にならないでしょう?」

 鼻で笑う晴子だがもう勝った気でいるのか? いいんだな。後で払えないと言っても知らないぞ?

「大した自信だけど零一こそ後で泣いても許してあげないわよ。で、でもほら! あたしは優しいからそうなったときのことも考えてあるわよ」

 ほう、一応訊いておくか。何だよそれ。

「負けたら零一が……二人のかわりにあたしの家来になりなさい。それで許してあげるわ」

 体で返せということか。だったら訊くがおれが勝って晴子が払えないときもそれでいいのか?

「何よ。万が一にもそんなことないと思うけど……まさかあ、あたしと付き合いたいとか言うんじゃ……」

 いやそんなつもりは全然無いが? じゃあ裸でグランド一周とかにするか?

「ばっ、バカじゃないの! そこはキ、キ……キスぐらいにしときなさいよ!」

 晴子が真っ赤になって思わず自分の体を抱きしめる。キスもまだだったとは意外だな。悪い、謝るわ。とっくに体験済みだと勝手に思っていた。


 校外模試までは10日ほど間がある。晴子も鍾子とよく対策を練っておくんだな。

 そう言えば村瀬鍾子はどこを受験するんだ? 神崎龍斗なら黒天寺を受ける可能性があるが、もしかしてカップル受験ってやつか。それもなんかムカつくな。

「あら、鍾子なら2学期からずっと休んでるわよ。知らなかった?」

 何でだ? あの日のあと何かあったのか?

「さあ? あたしもよくは知らないの。気になる? そりゃあ抱き合ってキスした仲だもんね」

 それは違うと言っただろう! あ、いかんいかん。【威圧】が漏れて上倉晴子を震えさせてしまった。頼むから漏らすなよ。

「な、何よ急に。そんなに怒らなくたって……あ、あたしは信じてなかったのよ? そういう噂を聞いただけだし、鍾子も迷惑そうだったし……」

 そのことはもういい。いずれ見捨てられたのはおれのほうだからな。何にしろどうせ部屋で見舞いに行った龍斗といちゃいちゃしてるんだろうしな。……やっぱりムカつく。

「いいじゃない、鍾子のことなんか。だ、だからってわけじゃないけどほら、あたしで手を打って……」

 いやそれは無い。大体タバコの匂いがさっきから鼻について嫌なんだが。

「えっ?」

 香水でごまかせるわけ無いだろ。だいたい体臭というか染みついてるんだよ。

「も、もう! 後で後悔しても知らないわよ! ギタギタのケチョンケチョンにしてやるんだから!」

 晴子は怒り心頭で去っていく。しかしその捨てゼリフは流行っているのか?


 だが本当にやめたほうがいいぞ。遊びのつもりだろうがタバコもそうじゃない・・・・・・やつのほうもな。

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