29話-カルマンとフェル-
ガチャッ──
カルマンと、そんな言い合いをしていると、ゆっくりとした勢いで、部屋の扉が開く。
「母さんが帰ってきたのかな……?」
そう独り言のように呟き、扉に近づいた瞬間、ゴンッ──
扉は突然、僕に吸い寄せられるように勢いを増して顔面にぶつかってきた。
それと同時に、
「おい、オマエ! オレサマを差し置いて、なにしているガウ! オレサマ退屈ガウ! オレサマを退屈にさせた罰として、金よこせガウ!! 今なら、百万セクトで許してやるガウ!」
フェルがなにか喚きながら僕の部屋に勢いよく入ってきた。
「いっっっっ──! はあ……、フェル。今、来客中なんだ……。一応、僕はキミの主なんだよ? もう少し、その偉そうな態度を改められないかな? あと、フェルはお小遣いをあげても、一日で全部使ってくるから、そんな大金あげれないよ」
僕は、苛立ちと落胆という相反する気持ちを同時に抱えつつも、フェルを
「オレサマは、オマエを主として認めていないガウ! オレサマの許可もなしに、誰が来ているガウ!」
フェルはまるで第二のカルマンのように、ごう慢な態度で、短い手足を動かしながら、来客を確認しようとする。
「ちょっと、フェル!」
そんなフェルを制そうとしたけど、間に合わず。二人は目を合わせ、微妙な空気が流れ始めた。
そして一分後──
「ん? おー! オマエ、生きていたのかガウ!?」
「おまえ、まだ生きてたのか」
お互い誰なのか認識したらしく、同じように嫌味を発しながら挨拶を交わす。
そういえばカルマンは、フェルのことを知っている様な口振りだった。それは嘘じゃなく、ほんとだったんだな〜。
ということは……やっぱり、さっきの挙動不審な態度も、なにかあるに違いない!
僕はそう思いつつも、二人の性格はとてもよく似ている。ということは……なにかしらの問題が起こるはず……。そんな嫌な予感が胸を過り、自然と憂いを帯びた溜め息が零れた。
そんな僕とは裏腹に、カルマンはフェルを見てなにか思い出したらしい。
「あぁ、そうだ」
そう一言、ポケットの中に手を入れ、なにかを探し、くしゃくしゃになった一枚の紙を僕に渡してきた。
「えっ?」
「忘れていたが、ついでだ。そこのたぬきの尻拭いをしてもらいたい」
「えっと……なにこの、ゴミみたいなの?」
「見れば解る」
ぶっきらぼうな態度で答えるカルマン。僕はそんなカルマンに訝しさを覚えつつ、紙に目を落とす──
紙には……なぁにこれ? 一億五千万セクトの返還? あはははっ。手の込んだ偽物の請求書作ってくるなんて、
そこには『ヌワトルフ・ベンゼン』と読めるサインが……。ということは……あっ、これ本物だ……。
「え? いや、無理です、拒否します」
その瞬間、僕は全力で首を横に振って拒否した。
いや、意味が解らない。一億? はっ? なにこれ。どういうこと? そんな疑問を抱くけど、到底理解なんてできるわけがない。
「それは困る。迷惑料と思ってくれ」
「いや、さすがにそんな大金ないよ! ムリムリムリ! それにフェルの尻拭いってどういうこと!?」
「請求書を読めば解るだろ?」
動揺を隠せない僕に対し、カルマンは冷静に僕に請求書を読むようにと促す。
【賠償請求書
○月×日
たぬきがカルマン・ブレッヒェンから無断で持ち出した、
【一億五千万セクト】
の返還を、契約主であるリーウィン・ヴァンデルングに要求する】
というような内容が書かれている。
小さい文字じゃないのに見落としたのは、あまりにもおかしな数字の羅列と、ヌワトルフ神父の名前のせいだと思う。
普通に生きていれば絶対、僕のような一般人がこんな金額を見るなんて、絶対にありえない。
えっ、フェルは一体なにをやらかしたの? 僕はゆっくりと首を動かし、フェルを視界に捕らえると、
「フェル! カルマンの目を盗んで取ったっていう、お金をどこにやったの!?」
即座に問いただす。
「カルマン? 誰だガウ? オレサマ、そんな奴、記憶にないガウ!」
フェルは僕が声を荒らげた瞬間、間抜けな顔で鼻をほじり、シラを切り始める。そして不貞腐れるように、プイッと顔を背けた。
最近、判かってきたことだけど、フェルは都合が悪くなると目を逸らしたり、顔を背ける癖がある。多分、今回もなにかしらの自覚、又は心当りがあるんだと思う。僕はそれを理解し、
「とぼけないでよ! さっき挨拶していたじゃないか!」
なんてカルマンを指さし怒りをぶつける。
「知らないガウ。気の所為ガウー」
フェルは不貞腐れた声で、プイッとそっぽを向き、自分は悪いくないと言わんばかりにツンッとした態度を貫く。
「フェル〜!」
このままじゃなにも解決しない。そう思った僕は、フェルの首根っこを掴み、説教の体制に入る。
「無礼だガウ! オレサマに、なにするガウ!」
カジノに行くようなフェルだけど、中身は三歳児同然。フェルは不満げにジタバタと抵抗し、鋭い爪を僕にチラつかせる。
だけど、そんな抵抗をしたところで僕も手を離すつもりは毛頭ない。それにフェルの短い手足じゃ、僕に爪が届くことは有り得ない。
フェルはそれを理解したのか、
「オマエなんて、こうしてやるガウ!」
なんて言いながら、とても臭いナニカを取り出し、僕目掛け投げつけ始めた。
「ちょっと、フェル!」
僕はとても臭いナニカを避けながら、フェルに話を聞く様にと説得を試みた。
だけどフェルは、落ち着く気配なんて見せず、投げ遣りな態度で臭いナニカを投げ続けた。
幸いなことに、普段からよく投げてくるおかげで避けるのが上手くなっていた。僕にソレが当たることは一度もなく、
「避けるなガウ! オマエなんてこうだガウ!」
なんてフェルは怒りをどんどん募らせていく。
だけど「避けるな」なんて言われても無理に決まってるじゃん!? フェルは思い通りにならない僕に余計、腹を立て続けた。
そして、とっておきだ! と言わんばかりに、とても臭いナニカを大量に投げつけ、目隠し代わりにしたあと、鋭い爪を僕に向けてきた。
さすがにこれは避けきれない。フェルに引っ掻かれた拍子に僕の手は、掴んでいたモノを勢いよく投げ飛ばす。とっさのことで
「──っ! 痛いな、フェル! なんでそんなことするの!?」
「痛いなガウ! オレサマになにするガウか!?」
僕とフェルは、カルマンの存在なんてすっかり忘れ、同時に言い合いを始めた。
「ふんっ。ジゴウジトクガウ!」
フェルは赤くなった鼻面を撫でながら、二足の体制で腕を組み、尻尾をぱたん、ぱたんと不満を表している。
「フェルが悪いんじゃないか!」
「オレサマ、悪くないガウ!」
ベチャッ
そんな言い合いをしている最中、嫌な音が耳に響く。僕は、ハッと我に返り、恐る恐る音がした方へ振り向いた。
「あっ……えっと……」
カルマンの髪に、フェルが投げたとても臭いナニカが命中したらしい。まだこの茶番は終わらないのか? と退屈そうに欠伸をしていたカルマンも、その瞬間、キョトンとした真顔になる。
そして、カルマンは、自分からなにか臭うことに気づくと、無造作に髪に触れ、臭いの正体を理解した。
その瞬間、青い炎を背景に、カルマンは静かな歩みで僕たちに歩みよってくる。
これはまずい。かなり怒っている。僕の心臓が鼓動を速め、体中に警告が駆け巡る。
無言で一歩、また一歩と近づくカルマン。それに伴い部屋の温度が急激に下がり、僕の背筋に悪寒が襲う。
いや、そりゃ……、うん。手入れされて艶々しているあの髪に、臭いナニカが命中して、怒らない人間はいないと思う。
「ヤーイ、ヤーイ、オレサマの腕前を思い知ったかガウ!」
だけど、フェルはカルマンの怒りに気づいていないっぽい。かなり怒っているであろうカルマンに向かって、さらに煽るような言葉を投げつけ、あろうことか、「お尻ペンペンガウ!」なんて言いながら、カルマンにちょっかいをかける始末。
でも、次の瞬間、カルマンは荒々しい息を吐き、獲物であるフェルの尻尾をガッと掴み、勢いよく窓の外へ放り投げた。
幸い窓は開けてたから、被害はなかったけど、フェルはかなりの距離を飛んでいく。
あー。これは絶対、戻ってくるの遅くなるパターンだ。まぁその間にカルマンも帰っているだろうし──うん。早く帰って欲しい……。
「えっと──」
そんなことを考えても、カルマンに対してかける言葉が浮かばない。下手なことを言って刺激すれば、僕まで半殺しにされかねない。
「どうした?」
僕が言葉に詰まっていると、まだ怒りが収まらない様子のカルマンが、声を低くしながら僕を睨みつける。
「えっ、いや……。なにもないです、ごめんなさい。と、とりあえずお風呂に行って洗い流そ、ね?」
僕はとっさに謝り、カルマンの腕を無理やり引っ張り風呂場へと案内する。
内心、家の洗髪剤であの艶々な髪を元通りにできるのか、とそんな不安が過ぎる。こんな状態じゃ無理……だよね……? それに、他人の裸なんて見たくない。それはこの歳の人間ならば、一度は感じることだと思う。
そんな理由から、脱衣所の外でカルマンが出てくるのを待つことにした。
数十分後、カルマンはシャワーを浴び、とても臭いナニカを流し終えると、
「おまえん家の洗髪剤はゴワゴワして使い物にならないな」
そんな文句を言いながら、ほわほわと湯気を立てて、全裸のまま脱衣所から出てこようとする。
「ちょっ、ちょっと待って!? 服を着て!」
僕は慌ててカルマンにタオルを投げつけ、目をギュッと
「なぜだ? 別に減るもんじゃないだろ? それにこの服でどうしろと?」
不満を滲ませるそんなカルマンの声に、思わず僕は、
「あー! もう解った! 解ったから、タオルを腰に巻いて! 一先ずそれくらいのエチケットは守って!」
そう語気を強め続けた。
「これで良いか?」
カルマンは、納得できないと言いたげな声色でそう言い、僕は恐る恐る目を開けて確認する。
良かった! ちゃんと腰に巻かれていた! なにが嬉しくて、男の人の裸なんて見なきゃいけないんだ! そう思っていると、とても臭いナニカで汚れた服を再度見せてきた。
カルマンが指摘した通り、服はどれも着れそうにない。
「あー。えっと……、ちょっと待ってて?」
僕は適当な服を自室から持ってきて、
「ちょっと小さいかもしれないけど……」
そう言いながら、持っている中では、比較的大きな
僕の身長は百六十三センチ。だけどカルマンはそれよりずっと大きい。多分、百八十センチは軽く超えていると思う。体格もチラリと見た感じ、筋肉もしっかりついていた。
大きめな服だけど着れるかな? そんな不安が頭を過ぎる。
もし着れなかったら、薄い布一枚のカルマンが──。ひぇっ。考えただけで鳥肌が──。
だけど、僕の不安は杞憂に終わった。
筋肉はあるものの、意外と細身だったみたい。服は普通に着れたらしい。一安心しつつも、
「……」
僕の予想通り、裾や袖が足りていない。とてもダサ──。面白いことになっていた。
ダメっ! 笑っちゃダメだから! 僕は肩を小刻みに震わせ、必死に笑いを堪えた。
「えっと──。身長ってなんセンチ?」
カルマンの滑稽な姿に笑いを堪えつつ、僕は平常心を装って世間話を振る。
「そんなことが気になるのか? 百八十六だが?」
「ち、ちなみに体重は……?」
僕の服が入るってことは──。僕が見た
「以前、測った時は五十二だったと思うが──」
カルマンは、そんな情報必要か? と首を傾げる。
まぁそりゃ……体重なんて普通、気にしないよね。僕も聞いておきながら、特に興味ないもん。
「ひゃくはちじゅうろくの、ごじゅうに……」
百八十六センチか〜。いいなぁ〜。そんなことを考えながらも、気づいかない方が良い事実に気づいてしまった。僕とカルマンは、二十センチも差があるのに、僕の方が体重が一キロほど重い……。そんな事実知りたくなかった……。
僕はその体重が、
「まぁ、体重に関してはかなり前に測ったきり、知らないがな」
そんなカルマンの言葉は僕の耳には届いていなかった。
僕って太ってるのかな──。そんな悲しみを覚えながら、カルマンの服を白目を向いたまま洗濯したあと、室内に服を干したあと乾くまでの間、部屋に戻ることにした──。
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