第四話「囚われのものたち」(3/6)
3.
夢の中で、ヒメは海の中を泳いでいた。
何かを忘れているような気がして、当てもなく海を彷徨い始める。しばらく泳いでいると、目の前にイワシが現れてこう言った。
「姫! 今日も姫に似合いそうな貝殻を見つけたよ!」
元気よく話しかけてくるイワシに、ヒメは探しているものがあると伝えた。
「探しているもの? もう、姫は何も持ってないだろう? 無くすものなんてないじゃないか!」
イワシに正論を言われるが、ヒメは落ち着かない様子でイワシに「ごめん」と言って、どこかへ向けて当てもなく泳ぎ始める。
「姫? 姫〜! 待ってくれよ姫〜!」
言葉が届いていないと思ったのか、イワシは更に大きな声でヒメを呼ぶ。
「姫〜! 待ってよ姫! 置いていかないで!」
イワシは必死にヒメのことを追いかけるが、ヒメは止まることもなく泳ぎ続ける。何を探し求めているのか、ヒメには思い出せなかった。
悪夢のような時間を泳ぎ続けると、今度はイルカが目の前に現れてこう言った。
「海へ戻ってきなさい。さもなくば、取り返しのつかないことが起こる」
イルカは真剣な声色で、ヒメに向けて忠告をする。忠告を聞いて、私は今、海に居るじゃないかと首を傾げる。しかし、そこはかとなく何かが違うと感じ始めていた。
イルカを押し退けて進み続けようとしたが、そうすると今度はクラゲの大群が、ヒメの進む先を封鎖するようにふわふわと漂い始めた。
「どこに行くの? 人魚姫」
「ここには人魚姫を慕う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を想う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を恋す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫に従う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を好く生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を愛す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を育む生き物が沢山居るよ!」
クラゲたちの言葉に、ヒメは耳を塞ごうとする。ここではないどこかを、ヒメの心は求めていた。
「人魚姫、どこへ行くの?」
「外には人魚姫を騙す生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を殺す生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を脅す生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を叩く生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を売る生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を食う生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を拐う生き物が沢山居るよ!」
うるさいうるさい、と耳を塞いでも聞こえてくるクラゲたちの声に、ヒメは魚たちではない誰かに助けを求める。しかし、周りに居るのはヒメを海の中へ留めようとする生き物たちだ。
助けて、心の中でそう呟いた。すると、クラゲたちの間に、人差しの太陽の光のようなものが現れた。
「ヒメ」
優しい声は、ヒメが探し求めていた声だった。
「ヒメ、おいで」
そして、その声を放つ人の名前を、ヒメは思い出すことができた。
「ユイト!」
差し込む光を頼りに、クラゲたちの合間を縫って魚の下半身で上手く泳いでいく。しかし、上へ上へとあがるうちに、段々と鱗が剥がれ落ちていき下半身が人の姿へと戻っていく。
二本の足をバタバタと動かすが、なぜか人魚の状態よりも動きが悪く上へあがれない。
「ユイト!」
助けを求めて右手を伸ばすが、突然足に何かが絡まって水中へ引っ張られる。絡まってきたのはイカで、力強くヒメの足を引っ張っていた。
「ダメ、ユイト! イカさんお願い、ユイトに会わせて!」
しかし、イカはそれを良しとしない。一度海からヒメを出しては、ヒメは二度と海へ戻ってこないとイカは言って離そうとしない。
「人魚姫」
イルカがヒメの前に現れ、さっきよりもおぞましい声で話した。
「お前は海を捨てた――」
海の中は暗くなっていき、光は消えていく。周りに居たはずの生き物は見えなくなり、正体のわからない何かに足を引っ張られたままのヒメは、下の方へと沈んでいく。
「ユイト――」
名前を呼ぶ。
「ユイト――」
声は届かない。イルカの言葉に、胸が苦しく締め付けられた。
「お前は海を捨てた」
様々な言葉がヒメを苦しめる。
「姫〜! 待ってよ姫! 置いていかないで!」
その言葉たちは、ヒメを求める。
「どこに行くの? 人魚姫」
見えないクラゲたちの声が、ヒメを恐ろしいほどに囲い尽くした。
「ここには人魚姫に従う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を愛す生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を叩く生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を想う生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を売る生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を拐う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を好く生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を殺す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を慕う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を愛す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を育む生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を騙す生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を食う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫に従う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を好く生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を脅す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を育む生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を騙す生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を想う生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を売る生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を叩く生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫に従う生き物が沢山居るよ!」
「ここには人魚姫を育む生き物が沢山居るよ!」
「外には人魚姫を拐う生き物が沢山居るよ!」
考えることを許さず、ヒメの脳内は埋め尽くされていく。耳を塞いでも聞こえてくる声は、段々とヒメの精神を蝕んでいく。
「助けて――ユイト」
力無く沈み、最後の力でもう一度右手を上げる――ぼやけた視界は、気が付けば久しぶりのあの天井を映し出していた。
陽は落ちており、部屋の中に明かりはついていない。ハッとした気持ちで体を起こし、周りを見てここが指田のアパートであることに気が付く。
ヒメが夢を見ること自体はあったが、悪夢を見たのは初めての経験であった。それが罪悪感によるものなのか、昨日のことによるものなのか、ヒメにはわからなかった。
横を見てみると、唯斗が右頬にシップを張りながら布団の上で眠っていた。指田は窓際で畳に座ったまま眠っており、ヒメの下にも布団が敷かれていた。
「ユイト――」
ヒメは怖くなった様子で、唯斗の名前を呼んだ。しかし、唯斗も疲れが酷いのか、眠ったままで名前を呼んでいることに気付かない。
ヒメは唯斗が起きないことに気付くと、唯斗の布団に潜り込み、そのまま左腕に抱きつく形でなんとか眠りにつこうとする。
ヒメ自身、先ほどの悪夢のせいで眠る気はあまりなかったが、指田も眠っているのでは起きていることもできなかった。
少しだけ力強く抱きしめて、今度は唯斗のことを忘れないように、離さないようにしながら瞼を閉じる。
ふと、髪飾りのことを思い出して、瞼を開けると髪飾りを外してみる。白い貝殻は、上から見るとバラのような姿をしている。横から見れば、その花びらは意外にトゲトゲしていることがわかる。
「イワシちゃん……」
夢の中で言っていた、置いていかないでの言葉。イワシは今、ヒメが帰ってくるのを心待ちにしているのだろうか。もしかすれば、イワシはヒメのことを置いていったのだと思っているかもしれない。
そういえば、カマキリを見てから帰ったあの日、イワシと少しだけ話してから一度も会っていなかったと、ヒメは思い出す。
「……ごめんな、イワシちゃん」
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