第四話「囚われのものたち」(1/6)
1.
ヒメのバイト初日。
朝食をとると、外出用の服に着替えて二人は家を出た。朝の十時前で、アクアショップはいつも十時から開店している。
歩きながら唯斗は、ヒメに簡単な今日の流れを説明しておく。初日ということもあるので、大体は唯斗が見本を見せる。目で見ながら覚えてもらいつつ、簡単なものをやってもらう。
そうして店に辿り着くと、店の方は店長が準備を済ませてくれており。二人が来たのを確認すると、あとは任せたと言ってどこかへ出掛けていってしまった。
バックヤードのテーブルの上には、ヒメ用のエプロンが置かれていた。バイトに着せているもので、黒の無地に店の看板名が入れられている。
「取り敢えずこれを着て、まずは掃除からしよう」
アクアショップで行う最初の業務は、店の清掃作業である。アクアショップという性質上、入った時に汚い場所があっては見た目に問題があるのだ。
この店はあまり大きくはなく、とても狭い規模でやっている。しかし、その一つ一つは小さな水族館のように美しく管理されている。
唯斗は別の業務をやりながら、ヒメに掃除の仕方を教えていく。流石のヒメでも掃除くらいはできるようで、店内はすぐにピカピカの状態へとなっていく。
水槽の掃除もやらせてみたり、餌やりの仕方を教えてみたりする。ヒメは魚の声が聞こえるため、どの水槽が餌を求めているのかがすぐにわかった。その能力は、このバイトにおいて最も活かせる部分である。
「いらっしゃいませ」
アクアショップは人が混雑することも少なく、小さな店舗であればこのくらいのタイミングでやっと一人お客様が現れる。唯斗の真似をして、ヒメも挨拶する。
「イラッシャイマセ」
「あら、新人さん?」
店に訪れたのは、三十代ほどの女性客であった。
「可愛らしいわねぇ、どこの子?」
「俺の知り合いでして、一時的にこの町で過ごすことになったんです」
「へぇ〜。一時的と言わずに、ずっと居てほしいわぁ」
女性客の言葉に、ヒメは素直に感謝を伝えた。ここはヒメの良いところでもあり、唯斗にとってその部分は心配するところもなかった。
「お仕事がんばってねぇ」
「がんばります」
そうしてヒメとの会話を終えると、女性客は唯斗に近付いてきていつも通りの話を始める。女性はある学校の水槽管理を任されており、飾り付けなどをよくこの店に買いに来ているのだ。
「それでしたら――」
唯斗はいつもの流れで、お客様に合った答えを見つけ出してあげる。ヒメも横でそのやり方を見ていたが、一発で理解できるほど簡単ではないようであった。
「ありがとう、それじゃこれ買うわ」
「ありがとうございます」
女性客は満足したらしく、水草ではなく流木を購入していった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人は女性客を見送ると、店の中へと戻っていく。レジに唯斗が戻ると、ヒメに対して接客の仕方を説明する。ヒメにとっては簡単にできることではなかったので、一日目である今日はやり方を説明する程度に留めておいた。
今は取り敢えず、アクアショップという場所でどのような仕事をすればいいのかを体で覚える必要があった。唯斗も実際に始めたての頃は、店長が何を言っているのかよく理解できなかった。
人間関係も得意な方ではなかった唯斗が、今では接客をこなしている。その経験から、ヒメも大丈夫であろうと唯斗は考えていた。少なくともヒメは人見知りをしないし、わかっていないことが多いだけで良いところは沢山ある。今は少しずつ、できることを伸ばしていく。
「この子たち、外には出ようとも思わないんだな」
仕事の途中、ヒメが突然そんなことを言い出した。
「自由を奪われて……いや、生まれた時からそうなのか。海や川には戻ろうという気持ちもない。囚われたままだというのに、この子たちはそれに気付いてすらいないんだな」
「ヒメは……こいつらを逃がしてやりたいと思うのか?」
唯斗の言葉に、ヒメはしばらくだけ水槽の前で立ち止まり、首を横に振った。
「不満がないならいい。この子たちにはこの子たちの生き方があるし、それを否定することもできない。実際、ここに居れば大きな魚に狙われたりすることもないと思う。人間が危害さえ加えずに、世話をしっかりとしてやればな……」
ヒメにとってどのような心構えでここの仕事をするのか、唯斗にとって危惧していたことだ。しかし、ヒメは現実を受け止めて仕事をしている。残酷でありながらも、ヒメは否定もしない。唯斗はヒメにバイトをやらせることで、ヒメの素直な一面をよりいっそう見ることができた。
そうして気が付けば、一日目のバイトを終えていた。
過ぎてみれば早いもので、後任の
「ふぅ……」
「お疲れ様、ユイト」
いつもやっているバイトとはいえ、少しだけ間隔も空いており、更に言うと唯斗は後輩の育成経験がない。つまり、今回が初めてのことなため、試行錯誤をしながらヒメの成長を見守っていた。
「どうだ、やれそうか?」
唯斗が聞いてみると、ヒメは小さくだけ頷いた。
「あんまりわからないけど、できることはやってみる」
自信がないのだろう。しかし、チャレンジ精神は唯斗も見習う部分があった。
「そっか、がんばろうな」
唯斗がそう言うと、ヒメは「おう」とだけ返して、あとは他愛のない話をしながら家に帰る。
帰宅途中、二人は商店街へ寄り道をした。金に余裕があるわけではないが、がんばったものには褒美をあげよの精神で唯斗が提案したのだ。
一つだけ好きなものを買ってあげると言って、ヒメをリサイクルショップへ連れて行った。新品で買ってやりたいところだが、流石にそこまでの余裕はない。唯斗にとっての精一杯のご褒美だ。
それに、ヒメがまだもう少し見ていたいと言っていたのを唯斗は覚えていたのだ。時間はあるので、ヒメにはたっぷり悩ませてあげることにした。
「給料も入ってるし、少しだけなら気にせずに買える。さぁ、悩め悩め」
「お〜!」
ヒメは大喜びで店内を見て回る。唯斗はその様子を眺めながら、自分も少しだけ店内を見回ってみる。
唯斗に聞けばいいのだが、店員の扱いをわかっているのかヒメは色々なことを店員に聞いていた。申し訳なさもあったが、あえて注意はしないことにした。ここまで喜んで、ヒメ自身の欲しいものを探してくれているのだ。唯斗に邪魔をする気持ちはなかった。
困り顔の店員だが、笑顔を絶やさない。しかし本人もヒメの姿を見ていると楽しいのか、ヒメの質問に次々と答えてはその場を離れない。
無邪気にはしゃぐヒメは、見た目よりも幼く見える。事実、海の中しか知らないヒメは、唯斗から見て幼いも同然なのだろう。
ヒメを釣り上げてから四日が過ぎており、今日は五日目である。イワシによると、一週間が期限とのことだ。それを告げられたのは二日目なので、期限は残り三日。ヒメと過ごせる残り時間は、刻一刻と無くなっていく。
唯斗もそのことを自覚していたが、やはりどこかで現実を見たくない様子があった。
「ユイト」
後ろから名前を呼ばれ、唯斗は振り向いた。そこには帽子を被ったヒメが居る。
「その帽子……」
唯斗には見覚えがあった。それは、藤原の弟が被っていた赤と黒のキャップと全く同じで、サイズ違いのヒメでも被れるものであった。赤いつばがアクセントになった、子供らしい帽子だ。
「それが欲しいのか?」
「あぁ」
「確かに帽子は持ってなかったけど、それでいいのか?」
「これがいい」
唯斗にとって、ヒメがどのように考えていたのかはわからなかった。他人の持っていたものが欲しくなったのか、ただ単に気に入っただけなのか。他にも目新しいものはあったはずだが、ヒメはこれを選んでいた。
「……わかった。レジへ行こう」
唯斗がそう言うと、藤原の弟が放つ笑顔のように、ヒメの顔からも無邪気な笑顔が感じられた。
レジへ持っていくと、三百円という安値がつけられていた。そこは流石リサイクルショップだといったところで、これなら唯斗の財布でも気軽に支払える。
ヒメにとっての気遣いだったのかはわからないが、少しだけ安心していた気持ちも唯斗にはあった。買ってあげると言っておいて、流石に何千円のものを出されていたら困っていたのだ。
「お買い上げありがとうございました」
店員さんが頭を下げると、ヒメは早速帽子を被ってリサイクルショップをあとにする。唯斗もヒメを追いかけるように、リサイクルショップをあとにした。
「ユイト」
「どうした?」
「似合ってるか?」
ヒメの姿は、面接に行ったあの時と同じ服装をしており、そこに先ほどの帽子が追加されている。正直、唯斗にファッションセンスはないので似合っているかどうかはわからない。
しかし、笑顔を見せるヒメの姿は唯斗にもわかった。
「似合ってるよ」
笑顔の似合うヒメは、その言葉で気分が一段とアガったらしい。どこで覚えたのか、ステップまで踏み出して夕暮れの商店街を楽しそうに歩き出した。
「ユイトに褒められたっ! ユイトに褒められたっ!」
後ろをついていく唯斗も、良い買い物ができたと内心喜んでいた。こんなヒメの姿が見られたのだ。これ以上にない買い物だ。
二人の気分はアガったまま、今度こそ帰路につく。
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