第三話「生物観察」(4/4)
4.
藤原の兄弟と別れを告げて、苗島とも家の前で手を振り合う。
「またなんかあったら呼んでくれよ」
「あぁ、何かあったらまた呼ぶよ。じゃあな、シンジ」
「じゃあな、唯斗とヒメっち」
にこやかな顔で苗島は今日の別れを告げる。唯斗とヒメも、苗島の家に一度置いていた買い物袋を手に取り、唯斗の家へと向かって歩き出す。
道すがら海辺を歩いてみると太陽が沈み始めており、茜空とそれを反射する海の風景がよく映えていて、一瞬足を止めて見惚れてしまうほどであった。
何かに気付いたのか、ヒメが海の方に近付き下を覗き始めた。唯斗も近付いて下を見てみると、小魚が顔を出しているのが見えた。
昼の時とは違い、遠いせいなのか唯斗に声は聞こえなかった。しかしヒメは聞こえているようで、内容はどうやらイルカへの説得に苦労したという文句であったらしい。
少しだけ話をするとヒメは気が済んだようで、唯斗の手を取って前を歩き出す。
「帰ろう」
ヒメはどこか上機嫌で、昼はここで大泣きしていたことなんて忘れているようであった。
「帰るって、俺の家の場所知らねえだろ」
「うん、わからん」
◇◆
家に着くと、玄関のドアノブにコンビニ袋が引っ掛けられていた。中身は晩御飯になるものや、お菓子、朝食用のパン、それと一緒に一枚の小さな紙が入れられていた。
「しっかり食って寝ろよ♡」
こういうことをするのは十中八九指田であろうと、唯斗は心の中で感謝をしながら袋を手に取り玄関のドアを開けた。
「ただいま。そしてようこそ、俺の家へ」
唯斗が歓迎をすると「うむ、くるしゅうない」とヒメは言葉を返した。
――それからのことは流れ作業のように事が進み、二階の奥の部屋へとヒメを連れて行き、物や入っていい部屋などの説明をする。それが終わると、晩御飯の支度を始める。
ヒメにも手伝ってもらい、なんとかそれっぽいものが出来上がる。家で二人。家のご飯が一人じゃないのは唯斗にとっては久しぶりのことで、なんだか嬉しい気持ちになっていた。
「コンビニ飯もいいけど、どこかでスーパーの食材も買って調理しないとな」
食卓を囲み食べ始めながら、今後のことについて想像を膨らませる。
「スーパーとはなんだ」
「コンビニよりも安かったり、品揃えの良いところ? いや、買うものに関してはコンビニの方が上か?」
ヒメの質問に答えてばかりの唯斗だが、その全てにきちんと答えられるわけではない。自分の感覚が合っているのか、それを共有するべきなのか。よくよく考えてみれば自信なんてものはない。
「明日スーパーでも行くか。実際に見た方がわかりやすいだろ」
「おう」
唯斗の提案に、ヒメは迷いも見せずに頷いて答える。米粒のついた頬で、次々と目の前に並ぶ料理たちを平らげていくヒメ。このままの勢いで食べる量が増えてしまえば、食費だけで唯斗の金が尽きてしまうだろう。
恐ろしいことではあるが、それと同時に、ヒメが美味しそうに料理を頬張る姿は、いつまでも飽きずに見ていられた。
「いっぱい食えよ」
愛着の湧いた野良猫を家に連れ帰って世話をしてしまうように、既に唯斗にとってヒメは愛着の湧いた存在なのだ。
思い出したように唯斗も料理を食べ始めると、ヒメが次々と放り込んでいく箸を止めて、唯斗を見つめる。
「すまん、ユイトの分を考えていなかった」
「いいよ、好きなだけ食べて」
唯斗の本心からの言葉に、ご馳走を求める舌は止められないようであった。
「わかった」
◇◆
気が付けば電気は消えており、ヒメは一人で布団を敷いた部屋で横になっていた。
シャンプーが目に入った時は死にかけていたが、今はサッパリとして天井を見上げている。布団は指田のアパートにあったものとは違い、少しだけこちらの方がふわふわ度は高い。
「一週間……」
ヒメは、帰り道にイワシから伝えられた言葉を思い出す。
「姫!」
「イワシちゃん――」
「なんとか説得ができたんだ! だけど、一週間後には必ず戻らないと、取り返しのつかないことが起こるって凄く怖い顔で言ってきたよ! めちゃくちゃ怖かった!」
焦った表情で伝えてくるイワシに、ヒメは説得をしてくれただけでも感謝していた。
「ありがとう、わかった。一週間後、あの堤防のところまで行く」
「約束だよ!」
本当のところ、ヒメは少しだけ戻りたくないと思っていた。イルカが怖いのはもちろんのこと、唯斗たちとの生活が途切れてしまうのだ。いや、もしかしたら地上へはもう上がらせてくれないかもしれない。
半端に帰るつもりはないが、下手な気持ちで地上を捨てたくもなかった。海で一匹ぼっちで隠れたりしている本来群れるはずのイワシ。彼は心細くやっているのだろうか。やはり、私が海へ戻らなければ彼はひとりぼっちだろうか、そんな不安ともやもやがヒメを囲い出す。
電気のついていない部屋で、三人で眠った夜とは違う寂しい夜を過ごしている。他の人間も同じかもしれないが、一人で眠るのは酷く久しぶりで怖くなったのだ。
「……」
――そして、気が付くとヒメは唯斗の部屋に来ていた。
唯斗はベッドで眠っており、ヒメが部屋に入ってきたことに対してまったく持って気付いていないようであった。結果、ヒメはチャンスとばかりに唯斗の毛布を少しだけあげて、中へと入っていく。
そうしなければ眠れないわけではないが、落ち着くのは確かである。唯斗を抱き枕にして、ヒメは同じ毛布を被り唯斗の眠るベッドへ横になる。
唯斗は疲れているのか、これだけ張り付いていても起きる気配はない。
「……カマキリのこーびか――」
ヒメはそう呟くと、瞼を閉じてまた一つ呟いた。
「人間が魚を食うなら、その逆だって同じだ。起きなきゃユイトのことを食べるぞ」
意地悪のつもりで言ってみて数秒待ってみるが、唯斗はもちろん起きたりしない。
「……ユイト。私はどうしたいんだろう」
ヒメはユイトに相談がしたかったのだ。思っていたよりも居心地のいい地上に、ヒメは段々と憧れも感じ始めていた。
もはやヒメにとっては、海のような同じ景色の何もない場所へと戻ることは少しだけ抵抗があった。
イルカはカンカンだろうかと考えると、ヒメは悪い夢を忘れようとするように首を横に振った。そして、指田の家で眠ったように今回も唯斗を抱き枕にして、その意識をゆっくりと夢の中へ落としていった。
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