第三話「生物観察」(3/4)

   3.



 なんとか苗島の家に辿り着くと、ヒメを降ろして苗島の手伝いをする。ヒメも気が付けば泣き止んでおり、怪我という怪我をしていなかったのが幸いであった。


 兵吉じいさんは珍しく出かけており、苗島の両親も仕事で居ないので、二人だけで道具を倉庫に片付けた。そして唯斗が家の前に戻ると――ヒメの姿がなくなっていた。


「へ?」


 すぐに唯斗が苗島のところへと戻ってくる。状況を伝えると、唯斗と苗島は急いで家を飛び出した。


「ヒメ!」

「ヒメっち〜‼︎」


 二人は大声を上げながら、家の近くを走り回る。倉庫へ向かっていた時間はわずかなので、まだそこまで遠くへは行っていないはずであった。


「そんな、どこへ行ったんだ――」

「オレ、あっち探してくる。唯斗は雑木林の方探してこい!」

「わかった!」


 そうして二手に分かれると、これまた大きな声でヒメの名前を呼び始めた。


 唯斗にとって決して落ち着くことのできない時間が、一秒、二秒と過ぎ去っていく。


「ヒメ〜ッ――‼︎」


 海に帰ったのならまだいい。もし、誰か知らない人間について行ったり、最悪の場合誰かに正体が知られていて、拐われたのだとしたら――そんなこと、唯斗は考えたくもなかった。


「ヒメ〜〜ッ――‼︎」


 雑木林の中へと入り、草木の生い茂った道なき道を進んでいく。舗装されている場所は、苗島が探してくれているはずだ。


 気が気でない中、何度目かの呼び声に初めて反応があった。それは唯斗の想像していたよりも近く、視界の悪い葉っぱだらけの間から、ヒメが顔をひょこっと出してきたのだ。


「ヒメ‼︎」


 唯斗はヒメの居る葉っぱだらけの場所へ近寄ると、ヒメの横からもう一人の顔がバサっと現れた。


「お?」

「なっ――」


 突然現れたもう一つの顔に、唯斗は驚いて名前を叫んだ。その顔には見覚えがある――いや、それどころか、唯斗にとっては見覚えしかなかった。


「藤原のガキンチョ――⁉︎」


 ◇◆


 苗島も合流し、何があったのか帽子を被る藤原兄弟の弟による説明が始まった。


「お兄ちゃんが金ぱっぱの家の前でこのお姉ちゃんを見つけてきて、面白いからって僕たちの秘密基地まで連れてきたんだ」

「そうだ」


 弟の説明に相槌を打ち肯定するヒメに、唯斗と苗島は思わずツッコんだ。


「そうだ、じゃないが⁉︎ めちゃくちゃ心配したんだぞ!」

「そうだそうだ! お前がガキンチョどもの余計な誘惑に釣られたせいで、オレは近所のばっちゃんに変人呼ばわりされたんだぞ!」


 それに関してだけは、苗島の日頃の行いを唯斗は疑った。とにかく今は、ヒメが何事もなく無事で居たことにまた一つ安堵の息を漏らした。


「なぁなぁ、ねーちゃん!」


 ヒメの後ろから、藤原の兄である絆創膏を貼った少年が何かを捕まえた手でヒメに近付いてくる。


「見て!」

「お」


 少年の手には、緑色の細長い生き物が乗せられていた。


「カマキリ捕まえた!」

「カマキリ? 食えるのか、それは?」

「食えねえよ。ねーちゃんやっぱ面白しれぇな!」


 完全に小学生の遊び相手と化しているが、どうやら二人にも悪気はなかったらしい。


 二人が作ったと言っている秘密基地も上出来なもので、折れた木の枝を使い、葉っぱでカモフラージュをしてある。遠目に見れば、草木が絡まり合った厄介な場所としか思われないだろう。それも、周りとの違和感はまるでない。


「よく作ったな、こんなもの」

「ゆいにーを驚かせようと思って作ってたんだ。でも、その前に初めてのお客さんになったのはおねーちゃんだったね!」

「頼むから、あんたのお兄さんに言いつけてくれ。誰かにちょっかいをかけるのは、慣れ親しんだ相手だけにしとけって」


 唯斗の願いに、藤原の弟は素直に「うん!」と頷いた。藤原の弟は基本的に素直で真面目、その反対で兄の方はやんちゃっけが強い。


「ゆい兄も見てくれよ!」

「あのなぁ……はは、もういいや。どれどれ――」


 唯斗は諦めて、藤原の兄による捕まえた虫自慢に付き合うことにする。苗島も諦めた様子で座り、秘密基地の中で五人による生物観察が始まった。


「カマキリってよ、目を見てみると絶対にこっちを見つめ返してくるんだぜ」


 藤原の兄がそう言って、手のひらに乗せたカマキリを三人によく見えるように近付ける。


「ほんとだ、こいつこっちを見てくる」

「あ? 今はオレの方を見てるぞ?」

「いや、俺の方を見てる……?」


 三人はそれぞれ自分の方を見ていると言い合うが、そんなことが起こるはずはない。三人は三つの方向からカマキリを見ているのだ。藤原の兄から見て、左からヒメ、苗島、唯斗の順番だ。


 三人が不思議に思っていると、唯斗の隣に居た藤原の弟が答え合わせを始める。


「実はね、カマキリのそれは瞳孔じゃないんだ」


 藤原の弟は人差し指を横に立てると、日頃から虫について調べているのか、三人の知らない知識を披露してくれる。


「カマキリは複眼でね、黒く見えてるのは個眼の集まりなんだ。角度の加減で黒く見えているだけで、カマキリの瞳孔っていうのは存在しないんだよ」

「つまり、オレたちを見つめているように見えるのはオレたちの錯覚であって、カマキリは実際にこっちを見ているわけではない?」

「見ていることもあるだろうけど、そういうことだね」


 藤原の弟によって披露された知識に、三人は「おー」という納得の声をあげた。すると、藤原の兄も負けじとカマキリの雑学を話し出す。


「カマキリの交尾後は、メスがオスを食い殺してしまうのは有名だよな。でも、それは絶対じゃないんだぜ」


 藤原の兄は楽しそうに、自身の知識を三人に披露する。


「そもそもオスを食べちゃうのは、余程お腹が空いていたか、はたまたメスを怒らせてしまったからなんだ。だけど、オスにとって食べられることは悪いことでもないんだぜ。食べられなかったら他のメスを見つけて交尾ができるけど、食べられちゃった場合はオスを食べたメスがそれを栄養にして、いつもより二倍以上の量、卵を産むんだぜ! オスにとってみれば、自分の遺伝子が残る確率はそれだけでも大きいんだ。どんな結末も受け入れる。カマキリってかっこいいよな!」


 藤原の兄によるカマキリの雑学が終わり、これまた三人が先ほどと同じような感心した声を出す。


「コービってなんだ」


 尚も一名は、なんとなくで感心してそうな声を出していたらしい。


「えっと……子供を作るために必要なことだね」


 唯斗がマイルドに説明すると、ヒメが首を傾げてさらに深掘りをしようとする。そんなヒメに、唯斗も困った表情で何か話を逸らそうとした。


「ほら!」


 そうして手に取ったのは、藤原の弟が地面に置いていた虫取り網であった。


「これ、借りてもいいか?」

「いいよ!」

「よし、ヒメ。俺たちも藤原のガキンチョ二人みたいに虫を捕まえてみようぜ。せっかく今日はやることもないんだし、この機会に虫について触れておこう。ついでに大会形式にしよう!」


 唯斗の提案に、ヒメは目をキラキラと輝かせて頷いた。唯斗の作戦は上手くいき、交尾の説明を省くことができた。


 網は二つしかないので、順番に使い回すことにした。苗島は手掴みで捕まえると言い出したので、四人で二つの網を回す。


「それじゃ始めよう! 雑木林虫取り大会の始まりだ!」


 ◇◆


 セミの鳴く季節。雑木林には、そこら中に多種多様な昆虫たちが生息している。虫を捕まえるにはもってこいの環境と季節で、虫取り大会が始まってからものの数分で一人目が虫を捕まえていた。


 唯斗は藤原の弟から借りた網で、アブラゼミを一匹捕まえた。それに続けて、藤原の兄は慣れた手つきで次の二匹を同時に捕まえてしまう。


「流石、雑木林に通ってるだけはある」

「へへっ、ゆい兄よりもここのことは知ってるからな!」


 タイマーが鳴ると、虫取り網の交換が始まる。唯斗の網は藤原の弟へ、藤原の兄が持っていた網はヒメへと渡される。


「ユイトがやっていたようにすればいいんだな」

「ヒメおねーちゃんが相手でも、容赦しないからね!」


 そしてまた、五分のタイマーが唯斗によってスタートされる。競い合う内容は虫の希少さと、捕まえた数。


 藤原の弟は兄ほどではないが、一匹一匹確実にセミやバッタなどを捕まえていく。大雑把な兄とは違い、確実に取れるものを慎重に狙う。


 対してヒメは棒の長さに慣れないのか、セミを一匹捕まえるのにも上手くいかず、毎回逃げられてしまう。


 五分のタイマーが鳴り、苗島も戻ってきたことで結果発表となる。


「オレは七匹捕まえたぜ」

「ちぇ〜、一匹差かよ」

「僕は三匹」

「俺は二匹」


 それぞれが結果を報告し合う中、一人だけ報告のない者が居た。


「……」

「ま……まぁ、そういうこともあるよ。初めてなんてそうなものだし、ヒメもよくがんばってたよ」


 唯斗の慰めが入り、頷く。しかし、それでもヒメはわかりやすくしょんぼりしていた。


 秘密基地へと戻り、藤原の兄弟は隠し場に置いてあった予備の虫カゴに入れていたとある虫を三人に見せてきた。


「見てくれよこれ」

「お、これは」


 先に反応したのは苗島で、少年心をくすぐるられたのか色々な角度から取り出された昆虫を眺めていた。


「カブトムシだ」

「カブトムシ? それは食えるのか」

「なんでヒメは食べようとするんだ……」


 食欲の強さに唯斗は呆れが出るが、苗島の方は過去にカブトムシを飼っていたらしく、完全に虜となってしまっていた。


「僕たち、これを獲りに来たんだ」

「弟が捕まえたんだぜ」


 ザ・少年時代と呼ぶに相応しい兄弟の姿に、唯斗も自然と微笑みを浮かべる。うるさいガキンチョでもあるが、なんやかんやでそんな子供時代が一番純粋に楽しんでいて明るいのだ。


「さて、それじゃそろそろ俺たちはお邪魔しようかな」

「もう帰るのかよ」

「苗島は家が目の前だろ。遊びたかったらまだ遊んでたらいい」

「いや、僕たちもそろそろ家に帰るよ。宿題とかやっておきたいし」

「偉いなぁ」

「なんだよ〜連れねえガキどもだなぁ」


 あれだけ藤原兄弟を追いかけ回したりしておきながら、なんやかんやで遊ぶことには楽しさを見出している。しかし、帰るとなれば仕方ないとなり、苗島も立ち上がって体を伸ばした。


「よし、帰るか」

「ユイト」

「どうした?」


 唯斗の後ろから、ヒメが声をかけてきた。右手に何かを持っている。


「さっきユイトが捕まえていたアブラゼミ? というやつとは、少し大きさと柄の違うセミを捕まえた。網よりも手掴みの方が捕まえやすいな。それで、これは食えるのか?」

「やめて? お願いだから」

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