第三話「生物観察」(2/4)
2.
リサイクルショップの中には、幸いにも唯斗の財布に優しい、まだ使える服やジーンズが大量に置かれていた。
格安で売られており、気にならない程度のものや、なぜこの価格で売られているのかわからないほどに綺麗なものまである。
「唯斗、これすげえ良いぜ」
興奮したように服を取り出して見せつけてくる苗島に、唯斗は親指を立てて返す。しかし、ここへ来たのは苗島の服を買うためではない。ヒメに合うものを探さなければならないのだ。
誰かの服を選ぶなんて経験は唯斗には無く、ファッションセンスすらわからない唯斗は酷く悩みながら服を取り出してみたりする。
ヒメはヒメで新しいものを見つけては、これはなんだと店員に聞いている始末だ。好奇心だけで言えば、唯斗が選ぶよりもヒメ本人に選ばせてしまった方がいいのかもしれない、とそのように考えることもあった。
そうしてリサイクルショップを彷徨うこと三〇分。店員の意見や苗島、ヒメ本人の気になったものを合わせたことでなんとか必要な分の衣服を揃えることができた。
ヒメはもう少し見ていたそうであったが、リサイクルショップであればいつでも来ることができると説得をして、次は別の店へ下着を買いに行く。
リサイクルショップを見回っているヒメは本当に楽しそうで、唯斗にとっても連れてきて良かったと思える時間であった。
ヒメを釣り上げたことに関しては共犯だし、そもそも逃げた時の謝礼をできてないと言って、苗島も半分ヒメのために出してくれていた。
しばらく商店街を歩き、下着のある店へと辿り着く。
その店では、唯斗が恥ずかしいという理由で必要な下着をサササッと購入。ヒメはまだ全然見れていないと文句を言っていたが、指田に連れてきてもらえと言われて背中を引っ張られてしまう。
苗島も店内から出ようとしないので、ヒメと同じように唯斗が背中を引っ張る。こっちはヒメほど抵抗はなく、店を出ると仕方ないと諦めた表情で歩き始める。
抵抗するヒメをズリズリと引きずりながら、二人は次の目的地へと向かう。
商店街の前の方にある雑貨屋。唯斗の家は一軒家だが、家にあるものは唯斗の物と帰ってこない姉の物のみ。生活用品で個人が使うものは、ここで手に入れるしかなかった。
ヒメがいつまでこうしているのかはわからないが、当分生活に困らないよう必要なものは揃えたいと唯斗は考えていた
そして必要なものがあらかた揃った頃には、唯斗の財布には一万円札が一枚だけ残されていた。
「うぅ……今月は残り――」
「唯斗、お前バイト代入ってないのか?」
苗島に言われて唯斗は気が付いた。
「そういえば――明後日給料日だ」
「テスト勉強に忙しかったとはいえ、ある程度は入るだろ。なんかおかしいなと思ってたよ」
それならば問題ないと、ここでまた安堵の息を漏らす。この二日、唯斗は緊張とそれからの解放を何度も往復していた。感情のジェットコースターに乗っているようなものであるが、それもまた楽しく感じてしまう部分があった。
落ち着かない時間が続く中、未だに夏休みが始まったのが今日であることを唯斗は疑った。それほどまでに充実した夏休みを満喫しているのだ。
「ユイト」
「どうした?」
「行きたいところがある」
ヒメにそう言われ、二人は歩く足を止めてヒメの向かおうとする方向へ向けて再び歩き出す。
商店街を出ると、海のある方へと歩いて行く。しばらく歩いていると、段々と潮風が流れ出す。そこは、昨日唯斗たちがヒメを釣り上げた堤防から少し離れたテトラポッドのある場所であった。
「海なんかに来てどうすんだよ。帰りたくはないんじゃなかったのか?」
唯斗の質問に、ヒメは海面を見つめるだけで答えはしない。
「ヒメ?」
「どうしちまったんだよ、ヒメっち」
そうして唯斗と苗島が声をかけていると、遠くの方で小魚が一匹跳ねたような気がした。唯斗は跳ねたところを見ると、段々とその小魚はこちらに近付いてきていることがわかった。
「なんだ? あれ」
小魚が近付いてくるのと同時に、ヒメがテトラポッドを下り始める。
「ちょちょ、ヒメ⁉︎」
「危ねえぞ〜って言いそうになったけど、人魚姫だから関係ねえか」
「そういう問題じゃないだろ。ヒメ、どうしたんだよ!」
そうしてヒメは海面ギリギリまで辿り着くと、海水を両手で掬い上げる。するとそこに、先ほど跳ねていた小魚が勢いよく飛び移ってきた。
「姫〜!」
そして唯斗は耳を疑った。
「探したんだよ姫!」
高い声でヒメの名前を呼ぶ存在がそこには居た。一瞬周囲を見渡したが、明らかに声の発生源はヒメの手のひらにある。両手で掬われた僅かな海水の中で頭を出して喋っているのは、食卓に並ぶこともあるあの魚であった。
「イワシちゃん!」
「え?」
苗島がなんだなんだ? と顔を覗かせる。唯斗もテトラポッドを下りて、ヒメの居るところまで近付く。
「イワシが……喋ってる……」
唯斗は驚きで口が開いたままになるが、ヒメという存在がある以上もはやそれは不思議なことではない。しかし、唯斗の発した言葉は苗島には理解できなかった。
「喋ってる……? 何言ってんだ唯斗。てか、人魚姫って魚も操れるんだな」
どうやら苗島にはこの声が聞こえていないらしく、聞こえているのは現状ヒメと唯斗だけであった。
「姫、イルカがめちゃくちゃ怒ってる! 姫が地上に出たことに気付いたんだ、すぐに戻って謝らないと当分機嫌を直してくれないよ!」
イワシの訴えは、ヒメを人魚姫として海へ戻そうとするものであった。しかし、ヒメは首を横に振る。
「ううん、私はもう少しここに居たい。イワシちゃん、イルカさんのことを説得できないか?」
「無理だよ! 僕は好きで姫に付いて行ってるだけだから、イルカを説得する力なんてないよ! 最悪晩御飯として美味しく頂かれちゃうよ!」
イワシによると、どうやら海の方では大変なことが起きているらしい。しかしどれだけイワシが訴えようとも、ヒメは首を縦には振らなかった。
「ごめんな、イワシちゃん。こんな機会、二度と掴めないんだ。もう少しだけ、なんとかしてイルカさんの機嫌を取ってほしい。お願い」
説得はできず、ヒメによってお願いをされてしまったイワシは、しばらく手のひらの水槽で悩むように泳ぐと、一つの条件を提示した。
「一週間だ! 一週間、地上を満喫したら戻ってきてほしい! そうしたら必ず海に戻ってくる、それならなんとか説得してみるよ」
イワシは口をパクパクとさせながら、条件をヒメに伝える。ヒメもそれを承諾して、わかったと答える。
「……それじゃ、本当に頼むよ!」
そう言ってイワシは手のひらから思いっきりジャンプして、海の中へと潜って行ってしまった。
「また様子を見にくるから、会いに来てね! イワシちゃん」
ヒメは声を大きくして伝えると、海の向こうで返事をするように小魚がジャンプをするのが唯斗にも見えた。
「……このために海へ来たのか」
「……ごめんな、ユイト」
「いや、ちゃんと友だちを大事にするタイプで安心したよ」
唯斗はヒメに手を差し伸べ、立ち上がらせる。
「なんだ、話でもしているように聞こえたけど」
「イワシちゃんだ。私の友だち」
ヒメがそう言うと、苗島は残念そうな表情で「なんだ」と返事をした。
どうやら食べる気満々だったらしく、苗島の呟きによってそれがわかると、ヒメは頬を膨らませて苗島の左頬を大きく振りかぶってビンタした。
「バカ! アホ! 魚殺し!」
「人ば元々魚殺じなんでずが……」
頬を押さえながら涙目で訴える苗島を見て、唯斗も否定できなかった。
「まぁ……漁師の家系だしな……。あながち間違いではない」
唯斗が仕方ないといった表情をしていると、誰かのお腹の音が鳴った。
「……」
「……ヒメ?」
「ユイト、腹が減った」
唯斗がスマホを見ると、時計は午前一二時を過ぎていた。
「……じゃあ、昼飯食いに行くか」
「おう」
頬を押さえる苗島を放っておきながら、先へ進んで歩いて行く二人。
「おいぃ……その昼飯オレの奢りなんだぞぉ……」
「逃げた謝礼なんだろ〜? 早く行くぞ〜」
相手が指田であれば絶対に考えられない言葉であったが、苗島も負けずにクソ〜! っと叫びながら二人の後を追って歩き始めた。
◇◆
二人が訪れたのは、全国どこにでもある有名なハンバーガーチェーン店で、注文を済ますと二人は苗島をレジに残してテーブル席に座った。
「ヒメは魚の声が聞こえると言っていたけど、イルカとかの声も聞こえるんだよな?」
「あぁ」
「猫の声とかは聞こえないのか?」
なんとなく予想はついているが、一応のことで唯斗は聞いてみた。
「聞こえない。多分、海の生き物だけ」
「川は?」
「多分大丈夫」
鮭などは、卵を産むために海から川へと登るという。そのことを踏まえると、川もギリギリ海の声の範囲内なのだろうと唯斗は推測した。
「なるほどな」
「逆に聞くが、唯斗たち人間には魚たちの声が聞こえないのか?」
地上を知らないヒメにとって、この質問は至って順当なものであった。
「それなんだけど、本来そのはずなんだ……」
しかし、唯斗には今それを百パーセントで答える自信がなかった。先ほどのイワシとの会話を、唯斗は確かに理解できていたのだ。もちろん、今までに魚の声が聞こえたことは一度たりともありはしない。
唯斗は兵吉じいさんの言っていたことを思い出す。それは、海の声が聞こえるという話。人魚姫伝説においても、船員の一人が話し声を聞いたという。兵吉じいさんにも魚たちの声が聞こえたのだろうかと、唯斗は今になって納得し始めていた。
「正直、自分でもよくわからない。だけど、大体の人は聞こえないよ。もちろん、猫みたいな動物の声も。そんなことは人間にとってありえないことだから」
現状を捨てて、まずは今までの常識でヒメの質問に答えてあげる。ヒメもそれで納得したようで、そうなのかとだけ言って別の話をし始めた。
気が付けば三人分のバーガーや飲み物、サイドメニューを両手に持って必死の形相で苗島がテーブルまで運んできていた。
「お前らには人の心とかないのか――」
扱いの雑さに訴えるも、二人は首を傾げながら返事をする。
「苗島にそれを言われてもなぁ」
「シンジは魚の心がわからないだろ」
無慈悲な言葉の刃は、苗島の心を深く斬り付けた。
二人のいただきますの声が店内に少しだけ響き渡り、遅れて苗島も手を合わせて自身のバーガーを頬張り始めた。
他愛のない話をしては、バーガーに齧り付く。ポテトを摘んだり、最後のナゲットをジャンケンで奪い合ったり。ヒメがバーガーを二個も平らげていたり。
そうして気が付けば、時刻は昼の午後三時に差し掛かろうとしていた。三人がバーガーチェーン店を出ると、次にやるべきことを話し合った。その結果、まずは苗島が置いていった釣りの道具を持って帰ることが優先された。
幸いにも、唯斗は指田から合鍵を渡されているので、問題なく道具を取りに行くことができる。
バーガーチェーン店からしばらく歩き、指田のアパートに辿り着くと、釣り竿などの道具とクーラーボックスを三人で分けて持ち出す。
ヒメが自転車に興味を示したので、苗島がヒメに持たせている荷物を自転車の前のカゴに入れ、ヒメに乗るように促した。
ヒメは乗り方を知らないと断ろうとしたが、苗島が後ろから押してやると言ったので、言う通りに自転車に乗ってみる。使い方を教えてもらうと、ぎこちなくハンドルを握り、ぎこちなくペダルを回して自転車を動かそうとする。
バランスを取るのが難しいようで、苗島の支えがなければすぐに転んでしまいそうであった。
唯斗は釣り竿とロッドスタンドを持っているため、二人のその姿を横から見てはアドバイスをしたりしてみる。しばらくそうしていると、慣れてきたのか自転車のスピードが上がってくる。スピードが上がれば必然と、バランスも安定してくる。
後ろで支えている苗島が黙って手を離すと、ヒメは自転車に初めて乗ったというのに、転倒することもなくしばらくは一人で漕ぎ続けていた。
唯斗が思わず感動した声を出すと、二人の位置が離れているの気がついたのか、ヒメが後ろを振り返って突然パニックになる。先ほどまで支えられていたため、まさか今は一人で自転車を動かしているのだとは思わなかったのだ。
「わっわっわ、ひゃっ――‼︎」
そのままハンドル操作をミスり、見事に自転車は転倒した。
苗島は大笑いしており、唯斗は心配になってヒメのところまで走って助けにかかる。
やはり怖かったのか、ヒメは大泣きしながら唯斗に抱きついてきて、涙でぐしゃぐしゃの顔を唯斗の白シャツに擦り付けてきた。
「怖かったな、怖かったな〜。怪我してないか?」
「じでな〜いぃ〜」
未だに大爆笑を続ける苗島を叱りつけると、荷物を全て渡して唯斗は屈みながらヒメに背を見せた。
「おんぶしてやるから、乗りなよ」
唯斗の提案を素直に受け取り、ヒメは唯斗におんぶされる。唯斗の首にヒメの両腕が絡まってくる。人をおんぶしたことはなかったので、今度は唯斗が自転車のように転倒しかけたが、すんでのところで転ばずには済んだ。
すすり泣くヒメを落ち着かせながら、唯斗は苗島の家まで歩き出す。苗島も後ろから荷物を重そうにして持ちながら、自転車も押して家まで運んでいく。
そんな状況を改めて見ると、唯斗はおかしさのあまり突然吹き出したように笑い始めた。
「唯斗」
「はは、なんだ?」
「楽しいな」
苗島は荷物の多さで体は大変そうだったが、心は本心からこの状況を楽しんでいた。それは唯斗も同じであった。
「あぁ」
夏休みは始まったばかりで、少なくともあと一週間はこんな状態が続くのだ。それと同時に、一週間後にはヒメが海へと帰る。そんな事実を認めたくないような、唯斗は寂しさを少しだけ感じた。
ヒメが来てから二日も経っていないのに、気が付けばヒメが居ることに何の違和感も唯斗は感じていなかった。まるでこうしていることがいつものように感じ、前よりも充実しているように感じられた。
唯斗は心のどこかで思っていた。ヒメにとっても、そうであればいいな――と。
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