第二話「夏休みの過ごし方計画」(1/5)

   1.



 高校二年生の夏休みが始まり、小学校からの親友でありクラスメイトであった苗島に誘われて釣りに出かけた唯斗は、晩飯用の魚を釣るはずが、あろうことか人魚姫を釣り上げてしまった。


 しかし、世間に知られてはまずいと心配する中、人魚姫はいつの間にか人間の下半身を生やしており、現在進行形で唯斗たちは人魚姫の謎に直面していた。


「ネコ?」

「うん、色んなところで見かける動物だよ。そんな感じに人を誘惑しては、餌を求めて甘えてくるんだ。逃げる奴がほとんどだけど……そいつはこの辺りだと有名なデブ猫だよ。茶色のシマシマだし、間違いない。釣り人からのおこぼれで生活している自堕落キャットだよ」


 唯斗が後ろから説明をすると、興味津々で唯斗の方を見て聞いてくる。


「触ってもいいのか?」


 ワクワクとした表情と、キラキラとした瞳でこちらを見つめてくる。唯斗は笑顔で答える。


「いいよ、こいつは誰が撫でても逃げないし。こんな風に撫でてあげたら喜ぶ」


 そうして手本を人魚姫に見せると、今度は私もと唯斗がやっていたように頭の上から背中辺りまで手のひらで撫でてみる。


 グルル、グルルと心地良い音を鳴らしながら、デブ猫は丸めていた体を更に液体化させていった。猫は液体だと答える人々が居るが、唯斗が見る限りこれは液体寄りの液体と言える。


「もふもふ……」

「触り心地いいよな、こいつ」


 夢中になって猫を撫でている人魚姫に、苗島が首を傾げてずっと気になっていたことを話し始めた。


「なぁ、人魚姫……さん? その……いつから、足が生えたんだ?」


 唯斗たちが釣り上げた時は、上半身が人の姿で、下半身は魚の姿をしていた。しかし、一瞬目を話した隙に人魚姫の下半身は人の足を生やしていた。後ろから見ても、尻ヒレは鱗は一切生えていなかった。


「わからん」


 しかし、どうやらそれは人魚姫本人にもわからないらしい。


「なにか、こう……歩け〜って思ったらできた」

「すげぇザックリしてるな……」


 苗島もこれには苦笑いをしながらそう言うしかなかった。


「呼び名がないと不便だよな……人魚姫は名前あるのか?」


 唯斗が名前を聞くと、人魚姫は首を横に振った。逆に人魚姫は二人の名前を聞いた。


「俺の名前は唯斗。鈴野唯斗」

「オレは苗島真司な!」


 二人の名前を聞いて、人魚姫は首を傾げる。


「ユイト……シンジ?」


 二人が頷くと、人魚姫は更に首を傾げた。


「同じ人間なのに、名前が違うんだな」


 それは人魚姫にとっての常識であり、唯斗たちにとっては非常識であった。だがしかし、これが海の中だと思えば別であった。


「そっか……同じ種類の魚にはほとんどの場合、名前は一つしかないもんな」


 苗島は納得したようにそう言って、二人に混ざってオレもオレもとデブ猫を撫で始めた。段々と丸まりは解除され、お腹を見せて寝転んでいる。もはや野良猫としての威厳は保たれていなかった。


 デブ猫もふり大会が開催されているが、唯斗は思い出したかのように人魚姫に聞いた。


「海に帰らなくていいのか?」


 先ほどまでは非現実に圧倒されてワクワクで胸がいっぱいだったが、やはりそのことが気になってしまう。人の姿になれるのであれば、人間社会に溶け込むこともできるかもしれない。しかし、それを人魚姫が望んでいるとは限らない。それどころか人魚姫という存在がある以上、海というのもやはり謎が多い。


 人魚姫が口を開こうとした時、苗島があることに気が付き、先にそっちが話を始めた。


「なぁ……唯斗。オレたち、かなりまずくないか?」

「何が?」


 唯斗は平然とした顔だが、苗島はいやに青冷めた顔をしていた。


「オレたち高校男児二名……」

「うん」

「裸の若い女一名……」

「……うん――」


 もはや裸なことなど頭からすっぽ抜けて人魚姫の話をしていたが、今は人の姿をしている。それどころか、完全に全裸の女の子である。


 それも最悪なことに、デブ猫に釣られてやってきたここは堤防の根元に近い。人通りの多い方ではないとは言え、時間の問題であった。唯斗もそのことに気が付き、段々と青冷めていく。女の子の裸を見るチャンスとか、そんな問題ではない。最悪の場合人生が終わるチャンスである。


「おーい!」


 そして最悪なことに、よりにもよって一番出会ってはいけない人間がその場へ来ようとしていたのだ。


 聞き慣れた声に二人は、体を反発した定規のようにピンっと伸ばした。


「おーい!」


 その声の主は、バイト終わりに追加のつまみを善意で持ってこようとしていたコンビニ店員であり、唯斗の頼れる姉のような存在でもある。


「悪りぃ唯斗! なんか突然急用が舞い込んできた気がしたから帰るわ! じゃあな!」

「ええ、ちょっと――‼︎」


 親友による突然の裏切りに唯斗は手を伸ばそうとしたが、苗島は運動神経も抜群で、たった数秒でT字になっている堤防の道を指田が向かってくる方向とは真逆の方へ、荷物は置いたまま手ぶらで走って逃げていってしまった。


「? 何やってんだあいつ……。もう、せっかくつまみ持ってきてやったのに……。おーい、唯――」


 苗島が居なくなったことにより、指田から見ても人魚姫の姿がよく見えた。よーく、見えた。


 唯斗の顔色が更に悪くなっていく。人魚姫はなんのことかわからない表情をしている。指田の表情は笑顔だ――。


 ◇◆


 冤罪として免れたのは、咄嗟に人魚姫へつくように言った嘘を上手く使ったからだ。事実を言えば信じてもらえるかもわからないどころか、仮に信じられたとしてもそれは人魚姫の身に何が起きるかわからない。唯斗はそう考え、なんとか誤魔化すことにした。


 人魚姫の様子を見ていて咄嗟につけた嘘が、という設定であった。もはやそれでしか二人が生き残る選択肢はなかった。


 幸いにも嘘は上手くいき、指田の拳が唯斗の腹を貫く前に動きは止まった。指田が唯斗に対して怒ったことは今までなかったが、今までの苗島への対応を見るに、ただ事では済まないことを知っていた。心臓に悪い以外の何ものでもない。鬼というのもあながち間違いではないのかもしれないと、ほんのちょっぴりだけ唯斗の心は納得しかけていた。


「記憶喪失ねぇ……」


 あのまま堤防に居ては問題になると指田が言い、二人は近くの路地に入り室外機の横に隠れていた。


 しばらくして唯斗の自転車が止まる音が聞こえた。風邪を引くからと、指田が唯斗の自転車を借りて大急ぎでアパートまで行き、着替えとタオルを持ってここまで来てくれたのだ。


「取り敢えずこれで一旦は大丈夫だから、警察に連絡を――」


 そうしてスマホを取り出そうとする指田に、唯斗は慌てて止めようとする。このまま警察にまで行ってしまえば、完全身元不明な上に何を言うかもわからない。


 もはや一度ついてしまった嘘は、二度つくのも同じようなものだと覚悟を決めて、もう一度咄嗟の嘘をついてみる。


「あの、知ってるんです」

「え?」

「いや、この子……その、知り合いで」

「はい?」

「その――」


 担任の授業を眠って過ごしていた分の脳を、今ここでフル回転させて次の嘘をなんとか編み出す。


「俺の知り合いが寝転んでるな〜と思って声かけたら、なぜか記憶喪失な上全裸で〜」


 目も泳いでいて、誰から聞いてもダメダメな嘘を編み出す唯斗に、指田も訝しげな表情で唯斗に顔を近付けて話を聞いている。


「そのーあのー! だから――」

「もういいよ、わかったから」


 指田がそう言って立ち上がると、唯斗もなんとかしようと立ち上がり説得を続けようとする。しかし、指田はそれを無視して人魚姫を立たせる。


「取り敢えず、私のアパートに行きましょ。本当はそういうことをしたら私が怒られるんだけど……何か事情があるんでしょ? 内緒ね」


 指田は人差し指を立ててそう言い、人魚姫の手を引きながら路地を出る。ぽかーんとしている唯斗に、指田は声をかける。


「置いてくよ。あんたも来なさい」


 その言葉で、唯斗の脳は一旦整理された。恐らく上手くはいっていなかったが、指田の優しさに命を救われたことはわかった。


「……はい」


 すぐに海へ返すことはできなさそうだが、警察を呼ばれるよりは遥かにマシであり、なにより唯斗にも少しだけ疲れが出ていた。


 荷物はまとめてあり、自転車のカゴへ入れられる分以外は唯斗が持つ。しかし、クーラーボックスだけは指田が持っていくと言った。そのまま指田は自転車を押して、三人でアパートへ向かって歩き出す。


 デブ猫はいつの間にか居なくなっており、海には一匹のタイが感謝を告げるように飛び跳ねていた。歩きながら人魚姫は、飛び跳ねるその姿を眺めていた。

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