第一話「夏の始まり」(4/4)

   4.



「指田くん」


 補充が終わったところで、レジの方からメガネをかけた中年の男が指田を呼んだ。


「店長? 早川ちゃんは――」

「それが体調不良で急に出れないってなったらしくてさ、それがさっき連絡きて……仕方ないから僕が来たんだよ。待たせてごめんね、もうあがっていいよ」


 どうやら後任が休みになってしまったらしい。唯斗たちが堤防に向かった後も、昼飯を食べることもなく指田は後任が来るのを待ち続けていたのだ。


「そうだったんですか! 心配ですね〜」

「家族がついてるらしいから、大丈夫だとは思う。それよりもお昼ご飯食べれてないでしょ? 廃棄するのもったいないから、あっちの弁当とか持っていっていいよ」


 店長の言葉に甘えて、指田は礼を言ってレジ裏へと向かい、廃棄予定だったものをいくつか袋に入れ始めた。


「あ、あとレジお願いします! お酒買いたいので」

「はいはい」


 店長も慣れているのか、いつものように銀色の缶ビールを何本も持ってくる指田に向けてにこやかな表情を向けていた。


 お疲れ〜、と互いに顔を軽く下げながら右手を上げると、指田はコンビニを後にした。


 ◇◆


 ――ザパーンと音を立てて、釣り針から解放されたタイは海へと帰っていく。


「……」

「……」


 ぷんすかと怒り顔で頬を膨らませる人魚姫に、二人は目を点にしながら頭を下げるしかなかった。


「なんでこんなものつけてるんだ、危ないじゃないか。食べ物ならわざわざこんなものに刺さなくても、海へ放り投げてくれればいい」


 ペチペチと音を立てる尻尾は感情を表しているのか、力強く地面を叩いている。


「いや……その、ほんとにごめんなさい」

「……」


 唯斗が謝罪を述べると、人魚姫も溜め息を吐いて答える。


「うむ、次から気を付けてくれればいい。謝れてえらい」


 立場のわからない話が続く中、苗島が突如大きな声で叫び始めた。


「うおおおおおおおッ――――――‼︎」

「なんだようるさいな」

「これが黙っていられるかよ⁉︎ さっきまで呆然としてたけど! してたけど‼︎ それどころじゃねえって‼︎」


 あまりの声量に耳を押さえる唯斗は、わかったわかったと、取り敢えず落ち着くように説得した。


 人魚姫の方は逆に、先ほどの二人のように目を点にして二人の会話を眺めていた。しばらくして息切れを起こしたようで、苗島が呼吸を荒くしながらも大人しくなった。


「よし……どうどぅ……お手」

「わん、じゃねえ!」

「おすわり」

「犬じゃねえよ!」


 コントのような会話を聞いていた人魚姫が、それはなんだと口にした。


「これ……? 犬の……しつけ?」

「だからオレは犬じゃねえって」

「はいはい、可愛い可愛いね」

「オイ!」


 訳はわからないが、なんとなく二人の会話が人魚姫には面白く見えた。


「ふふ、なんだそれは。犬? というのはわからんが、面白いからいい」


 すると、突然人魚姫のお腹が二人にも聞こえる音を鳴らした。


「……お腹空いてるの?」

「……うん」


 おすわりをしている苗島を放置して、唯斗は袋から残っていたたまごサンドを取り出し、袋を開けて人魚姫に差し出した。


「いつもは何を食べてるかわかんないけど、これでもいいかな?」


 差し出されたものは人魚姫にとっては初めて見るもので、少しだけ警戒もあったが好奇心と食欲がそれを上回った。


 匂いを嗅ぐと、何か美味しそうな香りがして気分が良くなる。袋から一つだけ取り出すと、自身の顔の前に持ってくる。


「いただきます」


 三角の角をちょこっとだけ口に含む。


「――‼︎」


 表情から見てわかるほど、とても美味しかったらしい。


 人魚姫にとっては未知の味であり、しかし本能が訴えるその美味さは、次々と体が欲し爆速で一つ目が無くなった。


「おいひい(咀嚼しながら)」

「もう一個あるよ」

「食べる」


 サッと取り出して、こちらもまた爆速で食べ始める。その食いっぷりは綺麗とも言えないが、見ていて気持ちのいいものではあった。


 気分は野良猫に餌付けをしているようなもので、唯斗はポケットに入れてあった虎の子の飴も取り出して渡してみる。


 人魚姫は渡された飴を口に入れると、ガリガリと噛み砕く音を鳴らし始めた。


 唯斗はそれに気付いたが遅く、人魚姫はこれを硬いが美味しいと評価していた。しかし、そんな人魚姫の姿が面白く、唯斗は笑い出してしまった。


「唯斗……?」

「なぁ苗島! これは夢か?」

「衝撃の事実だが現実だ」


 苗島から語られた事実に、唯斗は笑うことを続けた。フィクションの世界でしか見たことのない人魚姫。伝説に語られた人魚姫。しかし、目の前に居るのは紛れもなくノンフィクションの人魚姫である。


「なぁ、唯斗。これってオレたちすげえ事になるんじゃねえか? テレビに取り上げられたりさ!」


 その言葉を聞いて、唯斗は笑うことをやめて苗島に真剣な表情で話し始めた。


「バッカ、そんなことできるわけないだろ!」

「なんでだよ! こんなこと今まで人類であったことのない一大事件だぞ! ワンチャン遊んで暮らしていけるだけの金が入るか――」

「だからそれがダメなんだよ!」


 唯斗が肩を掴み、苗島を諭す。


「苗島ならわかるだろ。こんなことが世間にバレたら、人魚姫が金になるどころの話じゃない。間違いなく人魚姫は研究に回されて、自由も何もない水槽の中で一生を過ごす事になる! それは大金が手に入るかもしれない。だけど、そんなことをして人魚姫の人生はどうなるんだ⁉︎」


 唯斗の言葉で苗島もハッとしたようで、冷静さを取り戻して軽く頭を下げながら唯斗に謝った。


「これは俺たちだけの秘密だ。だから、せっかくの出会いだけど……人魚姫には早く海に帰って――」


 と言い出そうとして人魚姫の居た方を見ると、人魚姫の姿はなかった。


「え?」


 そして堤防の根元の方へ顔を向けると、そこには下半身も人の姿をさせた人魚姫がしゃがみながら、鎮座するデブ猫を不思議そうに見つめていた。


「だ……」

「……」


 予想外の展開が続いた事で、先ほどまで真剣な話をしていたのにまた笑いが込み上げてくる。しかし、今度は苗島も一緒だ。あまりに現実味のないそれに、二人は笑い合うしかなかった。


「唯斗」

「あぁ」

「今年の夏休みは退屈しなさそうだな」

「あぁ、楽しい夏休みにしよう」


 二人の心配もドキドキもワクワクもよそに、人魚姫はデブ猫のもふもふとした体に目を奪われていた。


 二人は立ち上がると、人魚姫の方へと歩き出す。非日常から始まる、高校二年生の夏休みが幕を開けた――。

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