第一話「夏の始まり」(3/4)
3.
堤防行く前にコンビニ寄ろうぜ、と提案してきたのは、クーラーボックスを持つ苗島であった。
「何か買うものあったっけ」
「今昼時だろ? 魚が釣れればいいけどさ、何も釣れなかった時、流石に食べるものがないってのは腹が減って仕方ないだろ。てか、オレならその時点で餓死して死ぬ」
「人間ってそんなに柔じゃないでしょ。そういえば、俺も何も飲まずに苗島の家を出ちゃった」
「なら丁度いいだろ」
「まぁ、それはそうなんだけど。生憎とお金無くて……」
「オレが払うから安心しろって。日焼け止めの分だよ、オレがコンビニ飯くらい買ってやる」
「すまん」
いいからいいからと肩を叩いてくる苗島の頭に、後ろから虫網が被せられる。
「金ぱっぱ捕まえた〜!」
「何すんじゃこのガキ――⁉︎」
わー! と逃げ始める突如現れた二人の小学生を、苗島は容赦なく追いかける。
「金ぱっぱこわーい!」
「こわーい!」
「あーもう! 唯斗、挟み撃ちで行くぞ――!」
「え、俺も入るのそれ」
「お前は誰の味方なんだよ!」
「えぇ……」
大人気なく子供二人を追いかけ回す苗島に、唯斗は半分呆れを感じていた。少年二人も有り余る体力で、高校二年生の体力を消耗させていく。――結果、負けたのは苗島であった。
「うらぎりものぉ……」
力なく倒れ、アスファルトに顔を焼かれながら苗島は唯斗の裏切りを恨んだ。
「いや……子供のやることだろ」
「ゆいにーたちはどこに行くの?」
「釣り」
赤と黒のキャップを被った少年の質問に答えていると、もう一人の絆創膏を鼻に貼った少年は、苗島を死にかけの虫とでも思っているのか鼻先をツンツンして遊んでいた。
この二人は藤原という家の兄弟で、この時期はよくセミを捕りに、苗島の家の前にある雑木林へ遊びに行く。
「セミでも捕るのか?」
「うん!」
そっか、と頭を撫でると、絆創膏の少年が飽きたのか帽子の少年に近付いて手を引いた。
「行こうぜ!」
「うん! ゆいにー、またね!」
おーう、と気の抜けた返事と気の抜けた手を振り、倒れた苗島に近付いて片手間に起こしにかかる。
「唯斗ぉ……」
涙を浮かべてしがみついてくる苗島に唯斗は「元気そうだな」とフル無視してコンビニのある方向へと歩き出す。
「ちょっと待て! それはないだろ⁉︎ おーい、待ってくれよぉ〜。ゆ〜い〜と〜‼︎」
ふらふらになりながら、先を行く唯斗に苗島は付いていった。
◇◆
コンビニ内で、陳列棚にしゃがみながら弁当の補充を行なっている若い女性店員が居た。
話し声が近付くと、店の自動ドアが開いて二人の青年が入ってくる。
「おにぎりかサンドイッチ辺りとか、その辺で……と――」
「
店員は声に反応して横を見た。
「お、いらっしゃい」
指田は昔、唯斗の姉と同じクラスであり、昔は姉とも仲が良かった。面倒見の良い性格で、ある時に唯斗の面倒を見ない姉に呆れ、姉との縁を切っていた。家で一人の唯斗のことを気にかけている人物でもあった。
唯斗にとっては姉のような存在であり、初恋の相手でもあった。昔から、薄い茶髪のハーフアップという髪型は変わっていない。
「テスト終わったんだっけ……というか、もう夏休みか〜」
「指田ばあさんや……この時期はもう夏休みじゃ。少女時代の記憶はもう朧げかのぅ?」
ふざけながら肩を叩く苗島に、指田は苗島の頭を叩いて返事をした。
「そうだねぇもう朧げだねぇまだばあさんなんて呼ばれる歳どころか二一歳を謳歌してるんですけど――」
「ずびばぜん……」
指田は笑顔を貫き通しているが、明らかな殺意を向けていた。目に涙を浮かべ、叩かれた頭を押さえながら、苗島は少しずつ下がり始める。
「ははは……。指田さん、今日もバイト入れてるんですね」
「まぁね、バイトで食い繋いでる分はちゃんと働かないと、生活費が足りない足りない」
いつの間にか買うものを探し始めていた苗島が、後ろから懲りずに話し出す。
「いつもバカみたいに酒飲んでるから足りなくなるんじゃねえの」
「酒はガソリンだから、車を運転する際に必要となる出費と同じだよね」
「違ウト思イマス」
苗島の正論にぐうの音も出ず、指田はガクッと肩と顔をぶら下げた。こちらもまた涙目になりながら不満を放つ。
「
真司というのは、苗島の下の名前である。
「あはは……まぁ……適度に飲めばね? 大丈夫ですよ。それよりも苗島、こっちのサンドイッチ増量キャンペーンやってるぞ」
「マ?」
どんよりとしながら商品陳列の続きを始める指田は、二人の持っている道具を見て言った。
「釣り行くの?」
「はい、こいつが久しぶりにやろうって」
唯斗の嬉しそうな顔に、どんよりとしていた指田も安心した顔を返した。
「そっか、楽しんでいってらっしゃい」
「はい!」
指田と話す唯斗は、苗島の目から見ても本当に楽しそうに見える。その本心の正体を苗島は感じ取ってはいるが、あえて口には出さない。
唯斗にとって、指田という存在は曖昧なものである。恋心を持ったこともあるが、この二年間で感じたことは姉のような存在感である。仮にその恋が叶ったとしても、どこかでパズルのピースがズレているように、この人を血の繋がっていない他人として愛することができないことを知っていた。今となってはその曖昧な状態を維持したいのだと、唯斗も苗島も気が付いていた。
「唯斗、こんなもんでどうだ?」
「うん、それでいいよ。指田さん、レジ」
「ほいほ〜い」
陳列を一旦止めて、レジの方へヒョヒョイっと入っていく。苗島もレジへ向かい会計を始める。
袋詰めと会計が終わると、二人はコンビニを出て堤防へと向かっていった。
◇◆
潮風と太陽の光を浴びながら、日焼け止めに全てを捧げる。二人は全ての準備が整うと、二つ竿を投げてロッドスタンドに固定する。あとは獲物が引っかかるのを待ちながら、地べたに座って買ってきたサンドイッチやらつまみを食べ始める。
「唯斗さ、いつまであの家に住むつもりなんだ?」
からあげを片手につまみながら、苗島が質問を投げてくる。唯斗もハムカツサンドを頬張りながら、質問の答えを考える。
「んー……いつまでだろうな。姉さんが頑なに拒否もしてくるし……」
「ローン残ってないとはいえ、あれを維持するのも金がかかるだろ。
「その言い方やめなよ。本人に聞かれたらまた叩かれるぞ」
「ここには来ねえって。バイトも多分、まだ終わるような時間じゃねえし! 恐らく!」
唐揚げを持つ手とは逆の手で握っている残り一口のおにぎりを頬張り飲み込むと、少しだけ詰まったのか咳払いをし始めた。
「バチが当たったんじゃない」
「ゲホッゴホッ……シャレになんねえ」
そうした他愛のない話を続けている二人は、迫り来る何かに気が付いていなかった。
水面に見える一つの魚影が、最初に唯斗が投げた竿の釣り針を突っつく。苗島と唯斗は雑談を続けており、竿の反応にも気が付いていなかった。
魚影の後ろ、少し離れたところには魚影よりも遥かに大きい何かが水中を移動していた。
「それでさ――」
「ん?」
最初に気が付いたのは苗島だった。竿が不自然に動いていたのだ。
「来てねえか? これ」
「もう少し待とう、ちゃんと食いついてから……」
そうして様子を伺っていると突然、何かの力によって竿が引っ張られ始めた。獲物が引っかかったのだ。
「今!」
唯斗はすかさず立ち上がって竿を手に取り、かかった獲物を逃すまいと精一杯リールを回して引っ張る。
「重ッ……ッ――‼︎」
獲物は釣られまいと抵抗を更に続けて、海の底へ向けて泳ごうとする。負けじと唯斗もリールを巻くが、その時――
「なッ――⁉︎」
突然、獲物が先ほどよりも明らかに重くなったのだ。それも尋常ではない引っ張り方で、唯斗自身も釣ったことはないが、マグロやブリでも釣り上げたのではないかと思わせる引っ張り具合であった。
「すげぇ重いッ――何これ――‼︎」
「タモタモ――あった!」
苗島がタモを用意して、いつでも獲物を入れられるように構えた。釣り竿は大きく曲がり、折れてしまっても文句はないほどに強烈な力が加わっていた。
「ぐッ――‼︎」
唯斗はふんばり、上半身を後ろにもたれかかるようにして更に引き上げようとする。
顔は澄み切った空を向いており、あまりの必死さに目も瞑って釣り上げることに集中していた。
「おいおい――ッ」
苗島の表情が、段々と信じられないものでも見たかのように変わっていく。
「マジかよ――」
「何がッ――うッ――‼︎」
唯斗は顔を上げたままのため、何が引っかかっているのかも確認のしようがない。
「やばいってこれ‼︎」
「だから何がッ――‼︎」
釣り竿も限界を迎えようとしており、唯斗の力もあと少しでバッテリー切れを起こそうとしていた。するとその時――獲物の体力が無くなったのか、突然リールが軽くなった。それどころか、引っ張り合いによって成立していた唯斗の体勢は崩れ、勢いよく背中を地面にぶつけてしまった。
獲物を逃してしまったかと瞼を開け、唯斗は釣り竿の先を見た――そして気が付いた。獲物は諦めたのではなく、逆に海面の方へと泳ぎ、勢いよく堤防の方へとジャンプをしていたのだ。
水飛沫と、太陽で影になったシルエット。巨大な魚の下半身と、若い女性の体つきをした肌色の上半身。赤色の長髪と、海のようなブルーの瞳。唯斗から見て右側には、白い巻貝のようなものを髪飾りにしているのが見える。両手で抱えているのは、釣り針を飲み込んだ立派な赤色のタイ。
全てがスローモーションのように見えて、唯斗は現実を疑った。そんなはずがないのだ。二人の前に現れたそれは、誰がどう見ようとも人魚姫そのままの姿をしていたからだ――。
「タイさんになんてことをするんだ! この人でなし!」
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