第16話 気にかけてくれる人

 沈んだ気持ちで、とぼとぼと廊下を歩く。

 だけどそんな私の手を、誰かが掴んだ。


「華恋!」

「い、伊織くん?」


 手を掴んでいたのは、伊織くんだった。

 教室から、走って追いかけてきたのかな。焦ったような不安そうな、色んな気持ちが入り交じったみたいな顔をしていた。


「華恋、ちょっといいか……」

「──っ! ご、ゴメン。香織ちゃんと真奈ちゃんには、後でちゃんと……」

「それは今はいい! 華恋がどうしてあんな事言ったのかは知らないけど、何か理由があるんだろ? 俺や香織、水無瀬にも言えない理由が」

「えっ……ど、どうしてそう思うの?」

「決まってるだろ。華恋が理由も無しに、あんなこと言うなんて絶対に無いからだ。違うか?」


 信じて疑ってないような真っ直ぐな目で見つめられて、返事につまる。

 どうして? 伊織くんは事情を知らないはずなのに、なんで分かるの?


 驚きと戸惑いのあまり返事ができずにいると、伊織くんは手を掴んだまま、もう片方の手でそっと私の頭を撫でてくる。


「言えないなら、今は言わなくていい。香織達の方は俺がフォローしておくから、華恋は気にするな」

「伊織くん……」


 暖かな手で頭を撫でられて、ぐちゃぐちゃだった気持ちが少し落ち着いてくる。

 だけど冷静になるにつれて、この状況がマズイことに気がついた。


 ここは生徒の行き交う廊下の真ん中。

 そんな所で頭を撫でられているんだもの。

 廊下を歩く生徒達が、チラチラこっちを見てるよ。


 こ、これはかなり恥ずかしいんじゃ。

 それにもしこんな所を手紙の送り主に見られでもしたら、それこそ逆鱗に触れかねない。

 は、早くやめさせないと。

 だけど……。


 何か言わなきゃって思っても、伊織くんと目を合わせると、喋れなくなっちゃう。

 それでも何とか絞り出すように、細い声を出した。


「あ、ありがとう……も、もういいから……」

「そうか……けど、無理はするなよ」


 伊織くんは手を引っ込めてくれたけど、胸のドキドキはしばらく収まりそうにないや。

 そして、伊織くんは付け加えてくる。


「華恋が話せないのなら、今は何も聞かない。けど、それも今回だけだから。もしも次また辛そうにしてたら、その時は無理にでも聞き出す」

「──っ! はい……」


 何も聞かないでくれた伊織くんだったけど、やっぱり本心では気になってるんだよね。

 急に冷たい態度を取ったんだもの、当たり前だよ。


 だけど何があってるか話すわけにはいかないし、これからはいっそう注意しないと。

 だけど……。


「伊織くん……ありがとう……」


 うつむいていた顔を上げて、ハッキリと口にする。


 あの手紙に従うから、伊織くんとも仲良くしちゃいけないって分かっているけど。

 それでもこのお礼の言葉だけは、言わずにいられなかったの。


 まだ問題は何も解決していないし、香織ちゃんや真奈ちゃんのことを考えると心が苦しくなる。

 だけど伊織くんが「どういたしまして」って言って少しだけ笑ってくれたから、少し元気が出た。



 ◇◆◇◆



 昼休みに一悶着あって、伊織くんに元気をもらったけど。

 教室に戻った後で、香織ちゃんや真奈ちゃんと話すことはできなかった。


 だって事情を説明するわけにはいかない以上、何を話せばいいか分からないもの。

 先に拒絶したのは私なんだから自業自得なんだけど、寂しいし苦しい。

 でも、我慢しなくちゃだよね。


 だけど、昼間の騒動は思わぬ形でぶり返したの。

 事が起こったのは、授業が終わった後。

 この日私は委員会の仕事で、放課後集まっていたの。


 私が入っているのは美化委員。

 今日は校内にある掃除用具の数の確認をしなくちゃいけなくて、それぞれ別れて色んな所にある掃除用具を点検していたんだけど、私の担当は外庭。

 上履きから靴に履き替えて外に出て、掃除用具を見て回っていた。

 だけどそんな折……。


「桜井さん、ちょっといい?」


 校舎の側にある掃除用具入れの中を確認していると、不意に後ろから声をかけられて、振り返るとそこにいたのは……大場さん?


 彼女は怒ったような顔をして立っていて、それを見た瞬間、瞬時に察した。

 きっと昼休みの件で、何か言いにきたんだ。


 すると大場さんはズカズカと近づいてきて。

 私は思わず後ずさりしたけど、すぐに後ろにあった校舎の壁に阻まれ、退路を塞がれた。


「桜井さん、昼間のあれは何? アンタのせいで 香織お姉様がどれだけ傷ついたと思ってるの!?」


 ──っ! やっぱりその事だよね!


 あの時大場さんも教室の中にいただろうし、香織ちゃんに酷い態度を取ったのも見てたに違いない。

 大場さんは香織ちゃんのファンだから、怒るのも無理ないよね。


「アンタが出ていった後、どれだけ大変だったか。香織お姉様、まるで魂が抜けた抜け殻みたいになって、いくら名前を呼んでも反応しないし。みんなで保健室に運んだんだからね!」


 ええっ、私がいない間に、そんな事になってたの!?

 傷つけたのは分かっていたけど、思ってたよりずっとショックが大きかったみたい。


「お姉様は優しいから、アナタのことを責めないでって言ってたけど、私は納得してないから! どういうことか、ちゃんと説明して!」


 今にも噛みつきそうな勢いの大場さん。

 でも、事情を話すわけにはいかない。

 どうしよう、どうしよう……。


 ──バシャン!


「きゃっ!」

「きゃあっ! なによこれ!?」


 なんて返事をすればいいか分からずに焦っていると、不意に全身に冷たさが襲った。

 同時に大場さん声を上げて、見れば彼女の腕やスカートの一部は、何故か水で濡れている。


 ううん、濡れてるのは、大場さんだけじゃない。

 何が起きたのか分からなくて気がついてなかったけど、私の前髪からもポタポタと水滴が落ちているじゃない。

 この時になってようやく、頭から水を掛けられたんだって気がついた。


「ちょっと、誰さ水こぼしたの!」


 校舎を見上げて、叫ぶ大場さん。

 私もつられて上を見上げたけど、そこには開いた窓が見える。


 けど、人影はない。

 水をこぼした誰かが、怖くなって行っちゃったのかな? 

 ううん、違う。これはきっと、わざとかけられたんだ……。


 髪はまるでシャンプーをした後みたいに濡れていて、ブラウスが肌に張り付いて気持ち悪い。

 ちょっと水をこぼしたくらいじゃ、ここまでは濡れない。


 頭をよぎるのは、連日続いている嫌がらせ。

 たぶんこれも、その一つだ。

 昼間香織ちゃんには冷たい態度を取ったけど、その後伊織くんには慰められた。

 もしかしたら犯人はそれを見ていて、怒ったのかもしれない。

 冷えた体と執拗に狙ってくる相手の恐ろしさで、震えてくる。


 そしてもう一つ、放っておけない事が。


「お、大場さん、大丈夫? 体、冷えてない?」


 狙われたのは私なのに、巻き添えを食らってしまった大場さん。

 全身ずぶ濡れとまではいかないけど、跳ねた水が掛かっちゃってる。

 タオルでも、この際ハンカチでもいいから渡したいけど、生憎大量の水をかぶった私のポケットに入ってるハンカチも、やっぱりずぶ濡れだよね。

 すると大場さんは、呆れたように口を開く。


「人の心配をしてる場合? 私より、アンタの方が酷いじゃないの。ああ、もう、言いたいことは山ほどあるってのに……まずは着替えるよ!」


 う、そうだった。

 最近暖かくなってきたけど、いつまでもこの格好でいたら風邪引いちゃう。

 まだ委員会の仕事は途中だけど、大場さんと一緒にその場を後にする。

 幸い今日は体育の授業があったから、とりあえずジャージに着替えなきゃ。

 そして移動している間も、大場さんはご立腹だ。


「それにしても、こんな目に遭わせておいて逃げた奴にもムカつく! どこの誰か知らないけど、見つけてとっちめてやる」

「大場さん……ごめんなさい」

「はあ? なんでアンタが謝るわけ?」


 大場さんはわけが分からないって様子だったけど、大場さんが巻き込まれたのは私のせいなんだもの。

 気を付けてるつもりだったけど、まだまだ甘かったみたい。


 もっと……もっとしっかりしなきゃ。

 だけど香織ちゃんや伊織くんとこれ以上距離を置いて、傷つけるのも嫌。


 いったい、どうすればいいんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る