侯爵家従士アーヴェイルの死線(前)
王太子が送り込んだ先遣隊が全滅した、との報せは、早馬でマレスへ届けられた。
加えて、気掛かりな情報も届けられている。
「レダン子爵からの書状によれば」
マレス侯爵ランドルフ・ハーゼンは、侯一家と主だった家臣たちが集められた部屋で話しはじめた。
「装具と合わぬ員数が10と少々。幾人かが街の広場から姿を消した、との情報もある」
「王の影でしょうね、間違いなく」
アリアレインが静かな声で断言した。
近衛と同様に王室に直属する、だが、近衛と異なりけっして表に出ることのない組織。
先代侯が使ったそれと同様――というよりも、王室のそれに先代侯が倣った、破壊工作と暗殺のための組織だった。
「ああ、間違いなく、な。
仕掛けてくる時期は定かにはわからんが――」
「定石に従うならばここ数日、領軍の攻勢を弱め、あるいは止めるために、というところでしょう、父上」
令息であるクルツフリートが、ランドルフの話の先を取る。
一度はレダンに赴いたクルツフリートだったが、1週間ほど前からはマレスに戻っている。
王都から出向いてくる近衛の者の目に触れることがあれば、目論見が全て瓦解してしまう。
万が一、という程度の可能性ではあるが、万が一にも起こってはならない事態だった。
加えて、何かと手間と時間のかかる婿入りの支度もある。
結果、クルツフリートは、先方の令嬢と顔合わせを済ませたのみでマレスへと戻ってきたのだった。
そのクルツフリートの言葉に、ああ、とランドルフが頷いた。
「そうなるだろう――おそらくは2~3日のうちに」
言葉を切ったランドルフが全員を見回す。
「侵入するのであれば夜だろう。
いかに王の影とはいえ、白昼この館に入れるでもあるまい。
儂は本館で過ごす。クルツは北翼、アリア、そなたは南翼に部屋を整えよ」
全員が1箇所にいれば守りやすくはあるが、一度の襲撃で全滅することがあり得る。
そこを見越して、夜間はランドルフとクルツフリート、そしてアリアレインが、それぞれ別の場所で休む、ということだった。
はい、とクルツフリートが答え、アリアレインが優雅に一礼する。
「あとは各々に任せる。それぞれ最善を尽くせ。
戦はあらかた片が付いた。
皆、このようなときになって死んでくれるなよ」
らしい言葉で短い会合を締めたランドルフが、行ってよい、と頷く。
集められたそれぞれが、めいめいに定められた場所へと散った。
※ ※ ※ ※ ※
その日の午後の半ばまでをかけて、どうにか南翼の一室が整えられた。
3階の一室、廊下からは間に部屋をひとつ挟んだその先。
本来であれば、侯爵の招いた貴賓が宿泊するための部屋である。
「幾日過ごすことになるかはわからないけれど、たまには新鮮でいいわね」
「物見遊山でも模様替えでもありません、お嬢様」
およそ危機感とは無縁の軽口を飛ばしたアリアレインに、アーヴェイルが渋面で応じた。
「わかってるわ。
アーヴェイルも皆も、いまのうちに交代で寝ておきなさい。
夜は不寝番をしてもらうことになるから」
従士たちが、はい、と答える。
「私は隣で休んでおります、お嬢様」
アーヴェイルもそう告げて隣室へ下がった。
同僚でもある従士たちに、何かあったら起こしてくれと言いおいて、ベッドではなくソファに寝転がり、目を閉じる。
やがて寝息を立て始めた。周囲の誰がそれを咎めるでもない。
必要なときに眠り、身体を休めることも、護衛としての仕事のうち、ということだった。
※ ※ ※ ※ ※
「お嬢様」
困ったような声音で、アーヴェイルがアリアレインを呼んだ。
「ここはお嬢様の寝室でしょう」
「ええ」
だから何、とでも言いたげな表情で、アリアレインが応じる。
「閣下もそのために人をつけてくださっているのです」
「知ってるわ」
「ではなぜ」
「万全を期す、というのはそういうことではなくて?」
当然だろう、という口調だった。
時ならぬ押し問答は、アリアレインの言葉が発端だった。
自分の寝室で不寝番を、とアーヴェイルに命じていた。
いかに補佐役兼護衛とはいえ、さすがに寝所に入ったことはない。
従士と主であれば当然のことだった。
「サレア、ごめんなさいね。
あなたの腕を疑うわけじゃないのよ」
「存じております、お嬢様。
メイロス様、私からも」
「いや、だから」
サレアと呼ばれた女性の従士が、その役回りのために差し向けられている。
当然、その役を果たすために十分な腕前の持ち主ではあった。
「メイロス様からは未だに一本も取れておりませんから」
しかし、教練での模擬戦で、彼女はアーヴェイルに勝ったことがない。
「扉を開ければすぐなのです、そこに控えているのですから」
困り顔で道理を説くアーヴェイルに、アリアレインは納得しなかった。
「アーヴェイル、あなたはそれで納得できるの?」
「――納得?」
納得するもしないもない。
未婚の侯爵令嬢の寝所で、護衛のためとはいえ男性の従士が一夜を明かすなど、あまりに常識から外れた行いだった。
「わたしに万が一のことがあったときに、あなたはそれで納得できるの?」
「そのようなことがないように、我々が配されているのです」
「こういうことに絶対などないわ。あなたもよく知っているでしょう」
灰色の瞳を持つ目で視線を逸らさずに、アリアレインはアーヴェイルを問い詰める。
「その扉一枚、ほんの数歩の距離、それでわたしに届かなかったときに、あなたはそれで納得できるの?」
アーヴェイルが返答に詰まる。
到底、納得できるなどとは思えなかった。
「わたしは納得できないわ。
あなたに守られて駄目なら仕方ないと思えるけれど、あなたの手の届かないところで、あなたなら、と思いながら死にたくはないもの」
周囲の従士たちは口を挟まない。
幾人かはどこか面白そうな顔でやり取りを聞いている。
「メイロス様、結局のところ、私たちにとってもお嬢様にとっても、あなたの武技は替えが利かないものなのです。
丸2年、王都でお側におられた信頼もありますし」
顔も声音も生真面目に、サレアが口を挟んだ。
目許だけが、かすかに笑っていた。
アーヴェイルは周囲を見回したが、もう自分の味方がいないことを確認できただけだった。
人の気も知らないで、と心の中で毒づく。
「――閣下がどう仰るか」
苦し紛れに出した侯爵の名に、アリアレインがにこりと笑う。
「お父様なら、好きにせよ、と仰っていたわよ」
アリアレインの返答を聞いたアーヴェイルは、小さく苦笑した。
――最初から話をつけていたとは。
やり取りの内容まで、なんとなく想像のできる話ではあった。
お嬢様はたぶん、閣下にもこの調子で詰め寄ったのだろう。
そして閣下は、たしかに道理だ、とでも言って許したに違いない。
ひとつ息をついて苦笑を吹き消したアーヴェイルは、アリアレインの目を見て頷いた。
「わかりました、お嬢様。仰せのとおりにいたします」
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